赤木しげるのSecond Life   作:shureid

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加治木ゆみ 其の一

 東二局、一本場。

 二本の千点棒を卓の引き出しへと放り込む赤木を横目で見ながら、やはりそうなのだろうと加治木ゆみは誰にも悟られぬ小さな溜息を吐いた。対面の透華、そして上家の赤木は自分の手を読み切った上で鎬を削り、自分には想像もつかない高みで闘っていたのだろう。

 この卓、麻雀の腕が一番劣っているのは自分だ。それでもこの半荘三回、基本的に咲より点数が上回っていたのは透華の支配によりカンが出来ずに攻め倦んでいるお蔭だ。オカルト全開の場になれば、その実力差は如実に現れるだろう。少しの希望を見据えて卓に着いてみたが、やはり結果は無情なものであった。

 麻雀においての自分の武器は何か、そう聞かれても恐らく言い淀んでしまう。確かに一高校の大将を務める実力は持っていると自負しているが、尖った武器は何も無い。やはり突出したオカルト能力を持っていない限り、自分には勝つと言う分厚い壁を越えられない様だ。

 

 

 羨ましく思う事もあった。好きな時にカンが出来る、相手の手が一向聴で止まる、やりたい放題和了る事が出来る。

 しかし、長野予選の時には既にそれらの才能が自分には無い事が分かっていた。故に懸命に、それ以外の言葉で表せられぬ程直向きで懸命に打ち続けた。善戦した様にも思えたが、蓋を開けてみれば化け物染みた能力を振りかざされ、全国への切符を逃した。

 

(……うむ。中々どうして、生まれて初めて使う言葉だが、天啓とはこの事か)

 

 上家に座るその少年は、他の少女達に見られる分かりやすい力を持っている訳では無い。にも関わらず、蹂躙の限りを尽くしていた龍門渕透華を手の平で躍らせた上、正気へ戻した。ゆみは初めて見たと断言出来る。確定要素の能力に頼らず、不確定要素を研ぎ澄まされた勘で見抜き、闘い抜いている選手の姿を。そしてその打ち方は自分に勇気を与えた。カンが、連荘が、海底ツモが出来ずとも、あれ程までに鮮やかで勝つ麻雀を打つ事が可能なのだと。

 更にまだ二局しか打っていないが、自分の打ち筋とその少年の打ち筋は何処となく似ている様に感じていた。だが、この少年の打ち方を真似ろと言われてもそれは無理だろう。あそこで赤五萬を平気で切る真似は自分には出来ない。

 しかしこれは天啓だ、もしかすればこの合宿所に居る面々の中でこの少年に一番近いのは自分かもしれない。あの領域に行けば、この卓を見下ろす景色はどう変わるのだろうか。知りたい、あの景色から見える高みとやらを見てみたい。

 

 

 一瞬でも良い、神域と呼ばれる領域を見てみたい。

 

 

 

 赤木の親連で迎えた東二局の配牌を開けたゆみは、その配牌に思わず目を見開いてしまう。

 十三枚の内の八枚が萬子で染まっており、更にそれは一萬から八萬で構成され、九萬をツモればその時点で一通が完成する。ドラが一萬な事もあり、キッチリこの手を仕上げれば一気にトップが見えて来る。字牌が無い分染め手へ向かうのは少し遠くなるが、それでも此処で一気に点数を稼いでおきたい。赤木が切り出した四筒に、奴も染め手かと考えつつツモ山へと手を伸ばす。これで九萬だったらバカツキだなと思いつつ手に落とした牌には九の文字が刻まれており、八萬の横へ九萬を入れると浮いていた二索を場へと切り出す。

 咲と透華は浮いた字牌から処理しており、この局は恐らく赤木と自分の一騎打ちになるなと考えながら手を伸ばした次巡、ツモって来た牌はドラの一萬。このツモで二巡目にも関わらず既に萬子が十枚、混一どころか清一までもが見えて来る。そうなれば最低でも倍満まで手が伸び、リーチをかけ下手にドラが乗れば、この手で対面の透華を飛ばす事も出来る。流石に一、二巡目に切った牌が二索、七索となると残りの色を警戒され透華からの直撃は難しいが、ツモってしまえば良い。

 

 

 しかし、その後は勢いに乗る事が出来ず、六巡目までツモ切りが続き、徐々に焦りが生まれ始める。そして七巡目、赤木の手から見透かされた様に切り出されたドラの一萬に思わず手が止まり、チーの発声を上げそうになる。

 

(鳴くか……いやしかし……)

 

 鳴けば一通が確定し、加えてドラ三を得る事が出来る。河の牌は既に二段目まで来てしまっているのだ、此処は鳴いても問題は無い場面であり、先程までの自分なら迷い無く鳴いていた。

 

(……私は……どうしたいんだ)

 

 自分の打ち筋を変える気は無い。だが、このままこの打ち方を続けていても先には進めない気がしてならないのだ。

 麻雀の手作りは山登りと似ているなと思った事がある。山登りをする人間は皆山頂を目指す。しかし、山頂へと辿り着く人間は極僅かだ。何故なら皆途中でドロップアウトしてしまうからである。此処まで来れば良い、此処まで来れたなら十分だ。人は皆そう言いながら山を降りて行く。

 加治木ゆみと言う麻雀選手は今の今まで山頂へと登りきった事があっただろうか。思い返せばどれも中途半端に手を止め、其処で満足していた。予選では槍槓で和了ってみせたりと色々小細工を弄したが、頂きへと辿りついた事はまだ無い。今でも忘れられない、予選最後に向かったあの国士無双。結局一向聴止まりで場は終局し、頂きには辿り着けずにいた。

 

 

 此処から先に理論は無い、勘だ。ゆみはこの手を鳴くべきではないと一瞬の勘で判断し、声を上げるのを抑えていた。

 

 

 理ではこの男は倒せない、それは対面の透華が身を以て証明した。ならばこの直感とやらに頼ってみるのも面白い。

 結果ゆみはそのドラ一萬を鳴かずにツモ山へと手を伸ばし、掴んだ感触が萬子の事に安堵しつつ、同時に戦慄していた。掴んだ萬子を落とした先は手牌の左端、つまりこのツモで一萬が三枚重なり、頭ドラ一萬のドラ含み一通が手の内で完成していた。

 残る牌は八八九筒であり、この時点で打八筒の七筒辺張待ちではあったが、ゆみはそんな手に興味は無く、とある手役のみが頭の中を支配していた。

 

(…………嗚呼、震える)

 

 ノータイムで八筒を切り出したゆみは、進めと言う勘を頼りに次のツモを待つ。場は既に八巡目へと突入したが、依然誰からも鳴きやリーチの発声は無く、赤木を含み、自分以外全員のツモ切りが続いていた。チャンスは今、この局にしかない。無表情を貫き通そうと顔を引き締めると、少し汗ばんだ手をツモ山へと伸ばす。恐る恐る開いた手の中にあった牌は九萬。ゆみは九萬を手牌に入れると、続けて八筒を河へと切り出した。

 

 

 

 

 最初の半荘からゆみの後ろで観戦を続けていた東横桃子は、本人以上にその高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。麻雀を観戦する者としては、ポーカーフェイスを貫く事が正しい姿と言える。当人が幾ら無表情を貫こうが、後ろの人間の表情で手が丸裸になってしまうからだ。しかし、表情を抑えようにもそのゆみの手は余りに美しく、そして余りに強かった。

 麻雀を打つ者なら誰でも一度は和了りたいと願う、幻の役満。それがゆみの手牌の中で産声を上げようとしていた。そんな中無表情で居られる訳が無い。ましてやそれが自分の大好きな先輩の晴れ舞台になるかもしれないのだ。

 

(先輩っ…………)

 

 後一枚、桃子はこのままあっさりあの牌を引いてしまうのではないだろうかと言う予感に駆られていた。しかし、一枚はドラ表示牌で見えてしまっている。河には出ていないが、たった残り一枚の牌を引いて来れるものだろうか。

 

 

 

 

 

(出来るっす……!先輩なら……!)

 

 

 

 そして次巡、伸ばした手が掴んだ牌の感触は萬子。もし、あの時赤木の一萬を鳴いていれば、日の目を浴びる事は無かっただろう。

 山頂への一歩、と言ってもそれは余りに大きすぎる一歩だった。

 

 ゆみは掴んだ九萬を右端へと落とすと、ノータイムで九筒を切り出した。平静を装い一定のリズムで切り出してはいるが、ゆみの心臓は今にもはち切れそうになっている。後ろで見ていた桃子は今にも卒倒しそうになりながらも、力強く、ゆみの背後からその手牌を見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 和了り確率、0.0003%。

 

 麻雀のとある役に、九蓮宝燈と言う役満がある。萬子、索子、筒子は問わないが、一萬を三枚、二萬から八萬を一枚ずつ、そして九萬を三枚揃える。その時点で一萬から九萬の全てが待ちになり、場に萬子が出た時点で和了る事が出来る役だ。それは純正九蓮宝燈と呼ばれ、今回は無いが場合によってはダブル役満として採用される事もあり、麻雀で最も美しい役と言われている。

 しかし、世で和了られたとする九蓮宝燈は恐らく、純正では無い九蓮宝燈の和了りだろう。普通の九蓮宝燈と言えば清一を目指し、多面待ちの中に一つだけ和了れば九蓮宝燈になる、と言うケースが最も多い。

 何故なら、その十三枚を揃えるまでに一枚も余分な牌を引いて来てはならないからだ。二萬を二枚引いても駄目、一萬を四枚引いてしまっても駄目。混じり気無し、その十三枚をピンポイントで揃えた者にのみ許される役満。

 ゆみは感じていた。恐らく、自分は生涯二度とこの手を張る事は無いだろう。しかし、今このタイミングでこの手を張った事には何か意味がある。ゆみはそう感じていた。赤木との出会いが天啓だと思っていたのだが、この九蓮宝燈こそ神からの使者、自分が初めて山頂へと辿り着く為の足掛かりなのだろうか。

 

 普通の九蓮宝燈とは違い、純正九蓮宝燈の利点は何と言ってもその和了りやすさにある。何でも良いのだ、自分が引いても、他人が捨てても、萬子が見えた瞬間ゆみの和了りとなる。明らかな萬子染めの捨て牌に切る者は早々居ないだろうが、今はまだ十巡目、ポロッと一枚零れてもおかしくは無い。そして何より、ロンで無くともツモってしまえば良いのだ。

 ゆみの力強い切り出しを見た咲は、この局は降りるしか無いなと手出しで九筒を切り出し、それに続き透華もこの手で染め手に喧嘩は売れないと手出しで安牌を切り出す。赤木は早々に筒子を切り出して行ったが、その後は中々手が進んでいないように見える。

 

 

(邪魔者は居ないっす……!ツモって下さい!)

 

 

 桃子の祈りが通じなかったのか、ゆみが引いた牌は八索であり、落胆の色を見せるがまだ流局までは少し遠い。三筒を切って行った咲と、四枚目の中を切り出した透華。ベタ降り気味の二人からは流石に溢れないだろうが、親で染め手へ向かっているであろう赤木からなら零れてくれるかもしれない。

 

(うーん……頼みます!白い人!切って下さいっす!)

 

 

 しかし、桃子の願いとは裏腹に、赤木はツモって来た九筒を手牌に入れる事無く河へ叩き付ける。

 

「…………」

 

(そう簡単に出て来ないっすよね……)

 

 

 さあ萬子を引いてしまえとツモ山へ手を伸ばし、そうして引いて来た三筒を見たゆみは何か背中へ嫌な汗が伝っていくのを感じた。直感が伝える、この三筒は不味いと。先程は勘で打つと決めたゆみだったが、ごく一般的な麻雀を打ち続けて来たゆみは抗えない癖で赤木の河について考察し始める。

 

 

 先ずこの場に萬子は赤木が切った一萬しか見えていない、赤木は一巡目に四筒から切り出し、その後は七筒、九筒と続けて処理している。その様子を見ると手牌から早々筒子の色は捨てた様だ。その数巡後、二二三の形に一四が重なり切り出されたと思われる二索や、同じく順子が重なり切り出されたであろう八索が見え、そこからはツモ切りが続いていた。つまり萬子の面子は配牌時から綺麗に纏まっており、ツモる度に重なる索子へ寄せ筒子が切り出されたのであろう。

 恐らく赤木の待ちは萬子か索子の多面張、萬子待ちならば検討する必要は無い、もし索子ならば上の六九索辺りが臭いだろうか。よく見てみると場には四筒が四枚見えている、つまりこの三筒の壁であり、どちらにせよこの三筒は安牌に等しいと言えた。

 

 

「………………」

 

 

 なら切れば良いだろう。そんな嫌な予感と言う不確定な要素に振り回され、この純正九蓮宝燈を棒に振ると言うのか。生涯出会う事が無いかもしれない、その美しい手と決別するのか。

 しかし、ゆみの手はまるで凍りついた様にその三筒を放さなかった。皮肉なものだ、己の勘で辿り着いたこの九蓮宝燈だったが、最後にその勘が九蓮宝燈を拒否している。一般的に見れば、その三筒は考慮にも値せず切り出されるだろう、事実桃子は何故その三筒を切り出さないのかと不思議に思っていた。

 桃子はゆみと同様河を見渡し、三筒を切るのを渋っている理由を探し始める。四筒は四枚出ている、そして三筒も同様に場には三枚見えている。つまりゆみが引いて来たのは四枚目の三筒。と言う事は赤木のタンヤオ三筒単騎と言う線は消え、残る可能性は一二筒からの辺三筒待ち。それならば下の三色が見えて来るが、一萬は既に切れてしまっている。ならば赤木が三筒で牌を倒す事は出来ない筈だ。和了れそうな役と言えばチャンタの辺三筒待ちだが、そもそもチャンタ狙いの人間が要であるドラ一萬を切り出す筈が無い。

 役牌の暗刻持ちの可能性もあるが、それを言い始めたらどの牌も切れなくなってしまう。可能性を追っていくならば、その三筒が限り無く安牌と言えるだろう。

 

 

(……ん、そう言えばあの三筒は)

 

 

 一番有力な情報を得られた桃子は満足げに頷く。その三筒は前巡に咲が切っている、そして赤木はそれを見向きもせず山へツモりに行き、そしてそれを手牌に入れる事無く河へと捨てた。

 

 

 ならば尚更切れる筈だ、この三筒は。

 

(……先輩?)

 

 

 

 

「…………」

 

「せん……ぱい?」

 

 

 


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