やはり、三筒を切るしかない。そう結論付けたゆみは、念の為に咲と透華の捨て牌を確認し、三筒が安牌であろう事を確認する。その時、場にとある牌が一枚も見えていない事に気が付く。三筒、四筒がこれだけ切られているにも関わらず、一筒と二筒の姿が見えない。手にあるならばとっくに安牌として切られていてもおかしくは無い筈だ。ならば誰か纏めて持っている人物が居るのではないか。もしそれが透華や咲なら、頭に使うか安牌に使うかを迷い手に残しているのかもしれない。
逆に考えてみよう。この状況で相手の手から萬子が出て来たならば、自分ならどうする。
答えは決まっている、即答で降りを選択する。ならば、何から切るだろうか。咲は三筒の対子を落とした、ならば次に溢れる可能性の高い牌は一筒か二筒。
ピタリ、合わせられる。
「…………」
それが純正九蓮宝燈であったからこそ、その手に溺れてしまっていた。もし何の変哲も無い萬子の清一なら、この三筒を生かす道を直ぐに考えたかもしれない。相手がそんな牌で当たる筈が無いと考える事が、そっくりそのままその牌で待つ理由になる。それはこの男が教えてくれた。その通りではあると理解するが、それを実行するのは茨の道だ。張った当初はポロっと溢してくれるとでも思ったが、降りに徹されればこの面子から萬子は絶対に溢れない。ならばツモるか、後七回か八回のツモの間に萬子を引けるのか。
(まともに考えたら、考慮にも値しないんだがな……)
「クク……もっと肩の力抜いた方がいいぜ」
「……ふう、そうだな……。しかし、癖と言うものは難儀でな。どうにもこの手が動いてくれない」
「……似たような男が居たな」
「ん?」
「まともに生きようとした男の話だ。そいつはどうも生真面目で、麻雀にも真面目さが出ちまう」
「まともが悪いと言うのか?」
「いや、悪かねえさ。ただ時々、そのまともさが勘を縛っちまう。こんな運頼りの勝負だ、多少は勘に頼る場面もある。多少不真面目位が丁度いいんだよ」
(……多少の不真面目……か)
「なんだなんだ、この騒ぎは……」
「あら、ヤス……藤田プロ。今お目覚め?」
この合宿の真の主催者である藤田靖子は、その部屋に入室する寸前まで皆が一斉に卓を囲んでいる様を想像していたが、宛が外れ兎に角事情を知ろうとその半開きの目を擦りながら久の横へと歩み寄る。座っている面子は龍門渕透華、宮永咲、加治木ゆみ、そして見知らぬ少年。
「あー……男を連れ込むとは。久も中々やるようになったな」
「違う違う。あのインハイ王者からの贈り物よ」
今まで脳内は仄かな眠気に支配されていたが、その久の一言でその眠気は彼方へと吹き飛んで行く。久の言うインハイ王者とはあの宮永照以外に想像が付かない。場を見てみると東二局、少年の親。持ち点は35000点とまだ東二だが、この面子相手に三万点を越えるのは確かな腕だなとその手牌を見下ろす。
(んー……三筒待ち……?手はチャンタのみか。面子に絡まなさそうとはいえ中盤にドラ一萬を落としてる。しかしまあ……この捨て牌なら萬子か索子の平和多面張と読んでくれそうだ……。当てられた奴は交通事故だな)
番はゆみ。二索から切り出され、萬子が一枚も見えていないその河は傍から見ればどう見ても萬子の混一か清一であった。しかし、それにしてはゆみの様子がおかしい。この卓に近寄った時からゆみは牌を切り出していない。昨晩ゆみと闘った時の率直な感想は実に強か、他人から目に見えて表情を変え手を悩む選手では無かった筈だ。まさか清一においてどれを切れば一番効率の良い牌になるかで悩んでいる訳ではあるまい。靖子はそんなゆみの手が非常に気になり、ひょこっと桃子の横へ移動し、その手牌へと目を落とす。
「ッ―――」
数秒思考が停止した後、我に返った靖子は再び見据えたゆみの手牌に強烈な衝撃を受ける。プロとして卓に着いていれば、役満が出る事自体は珍しくも無い。しかし、ゆみのそれは人生でまだ一度も拝めた事は無い幻の役満、純正九蓮宝燈。
そして靖子が衝撃を受けたのはゆみが純正九蓮宝燈を聴牌していたからだけでは無い、赤木の手を見た後ならば、それは見る者を唸らせる。四筒が四枚切れ、三筒が三枚見えているにも関わらず、その三筒を手の内で止めていたのだ。先ず常人ならその牌が超危険牌でも突っ張って行くだろう。だが、ゆみから見た三筒はどう見ても安牌であり、それを止める道理が見当たらないのだ。何故止めていられるのだ、その三筒を。
(しかしこれは……)
本人も何かしらの理由で止めてはいるのだろうが、やはり純正九蓮宝燈との天秤にかけてしまうのならば、切り出されるのは三筒だろう。
靖子がそこまで思考を紡いだ瞬間、ゆみはその三筒を手牌の左端へ落とすと、九萬を眼前の河へと叩き付けた。それは文字通りの強打であり、まだ出会ってから半年も経ってないとはいえ、共に麻雀を打ち続けた桃子ですら見た事の無いゆみの感情的な一打であった。
(加治木さん……悩んでからの九萬の手出し。赤木君にきつい牌でも引いたのかな……さっきの話もよく分からなかったし……)
それがただの溢れ牌で無い事はゆみの先程までの様子を見れば分かる。後退した打牌を見せたゆみに攻めるチャンスが生まれたかと一瞬考えた咲だったが、既に手牌は降りへ向かっているのに加え、聴牌を目指せば確実に萬子が溢れてしまう。もしかすれば先程のゆみの様子はブラフで、ただ萬子が溢れて来ただけかもしれない。どの道此処は安牌をと、手の中から二筒対子の内の一枚を場に切り出して行く。
同じく透華も意気込んだは良いものの、全く勝負にならない手牌に加え、対面の萬子染め気配。やはり手を進めると溢れてしまうのは萬子であり、此処はベタ降りだと残していた安牌の字牌を切り出す。その後、赤木の巡ではツモ牌がノータイムで河へと切り出され、場が進まぬまま迎えたゆみのツモ番。
今度は全く時間をかけずに再び九萬が河へと切り出され、やはり赤木にきつい索子を引かされ降りたのだろうと当たりを付けた咲は、ツモって来た萬子にどう切って行くかと考えたが、とりあえず場に安すぎる筒子を切って行こうと二枚目の二筒を場へと切り出す。
「ロン」
それはとても低く、聞くものを凍り付かせる様な冷たい声でゆみはロンの発声を上げる。二筒を切り出した咲は思わず切り出した手が固まり、何事かとゆみの手牌へ目を移す。
「一通ドラ三。一本場は8300だ」
咲は一通を当てられた事等どうでもよくなる程、ゆみが倒した手に衝撃を受けていた。綺麗に一萬から並べられたそれは、前巡までに切った九萬を残していれば純正九蓮宝燈ではないか。ゆみが牌を入れた位置は覚えている、あの三筒を引いて九萬を回し打ったのだろう。しかし、三筒は安牌の筈だ。この場で聴牌をしていると言えば赤木だが、自分が三筒の対子を落としている間赤木はツモ切りだった。ならばその三筒はなんだ、何故純正九蓮宝燈を棒に振ってまで手の内に収めたのだろうか。
咲にその答えは見えない。しかし、赤木を後ろから見る者は、そのゆみの一手にある者は唖然とし、ある者は内心で惜しみの無い称賛を送っていた。
それを受けた透華はゆみに見えぬ様、眼前にあった自山を開ける。ゆみのツモ位置を追っていくと、どう言う塩梅か流局まで萬子が一枚も見えない。それに加え、萬子をツモる予定となっていたのは透華と咲の二人のみであり、あの状況では鳴きにも期待出来ない。
「……本当、麻雀は摩訶不思議ですわね」
もしこれで赤木の待ち牌が三筒であったなら、それこそ椅子から転げ落ちてしまうだろう。透華は役満を見限り、その勘と心中出来る強さを持ったゆみを羨ましく思いながら、手牌を機械の中へと押し込んで行く。オカルトに関心を持つ透華は、あそこで三筒を残すと言う事自体、オカルトの極みであると考える。もし一万人のデジタル打ちが居たのなら、一万人がその三筒を切り出すだろう。結果論だけ見れば、その純正九蓮宝燈は虚空を切っていた。しかし、あの時点のゆみにそんな事が分かる筈は無い、何故分かったのかと問えば、恐らくただの勘と返って来てしまう。
「原村和さん」
「……はいっ?」
「あの九萬落とし、どう思われます?」
「……酷い言い方をすると、とち狂ったとしか」
「そうですわね……」
デジタルの領域から見れば、余りに理解に苦しむ。
そしてそんなオカルトの領域に浸かっている人物がもう一人、上家に居る。
「…………ごめんなさい、少し」
咲は一言断りを入れ、配牌が機械から浮かび上がって来た事を確認すると席を立ち上がり、出入り口の方向へと歩いて行く。出入り口を潜り、直ぐ横に併設されていた化粧室のドアノブを捻り、洗面台の前へと立つと蛇口を捻り、両手を受け皿にし水を貯める。
貯まった水を一気に顔へとぶつけると、冷えたその水が咲に冷静さを取り戻させていく。
何処か、自分は天狗になっている節があった。
この勝負が始まる前、赤木との一騎討ちになると想像していたが、蓋を開けてみればどうだろうか。勝負をする所かその土俵にすら立てていない。認めよう、同卓する者を何処か見下していたのだ。
透華は自分と違い、デジタルと言う武器が通じずとも、オカルトに転じようとする柔軟さがある。
そしてゆみのあの鬼の様な九萬落とし、見てはいないが恐らく赤木の待ちは三筒だ、自分から三筒を見逃したのは大物手の気配があるゆみからしか和了る気は無いと言う単純な理由だろうか。自分がもし同じ立場ならあの三筒を止められはしない。
二人にあって自分に無い物、それは懸命さだ。あのゆみの様子を見てそれを痛感した。今の自分ではあの面子から和了りを取る事すら出来ないだろう。透華によってカンが出来なくなっている等言い訳にも過ぎない。もし全国大会の大将戦で一度もカン出来ないから負けました、なんて恥辱に塗れた台詞は口が裂けても言えない。
カンが出来ないからなんだ、自分の武器が折れようとも皆懸命に闘っているではないか。
「……ふぅ」
考えてみれば、カンと言う行為そのものが出来なくなっている訳では無い。カンが出来る場面は人並みにあった。しかし、そのカンが全て無意味に化すと理解していたからこそ、これまでの半荘は一度もカンをしなかった。そして皆、今は自分がカンを出来ないと思い込んでいる。
「……自分の手が進まないカン、か」
そのワードと昨晩の赤木との対局が強く結び付く。あの赤木のカンは自分を利するカンでは無かった。明らかに自分の手を縛りに行くカン。
ドラとはまさに魔法の牌だ、落とす予定だった対子に乗れば、その対子は少々無理をしてでも手の内へ収める。それは他人も同じなのだ。他人に有利なカンでも良い、その有利さが人の心に隙を生む。
頭を回せ、思考しろ。ただカンをして自分だけが有利になる麻雀はもう終わりだ。そこにはさしたる決意も、懸命さも、思考も大して存在はしていないからだ。
此処からはベタ足のインファイト、互いの胸倉を掴みながらパンチを繰り出す泥仕合。
「……待っててね、お姉ちゃん」