赤木しげるのSecond Life   作:shureid

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東西決戦 其の四

 

 首の皮が一枚繋がった――。恭子は人目憚らず雀卓の縁に両手を突くと、大きく項垂れた。洋榎はああ言ったが、あんな神業のような援護が毎局出来る訳では無い。しかし、それでも仲間に命を救われた。

 そんな恭子の様子を淡々と見ていた照は、この場で赤木とひろゆきのみが考えていたある事を思案していた。それを成す為には、もう少し恭子の点数が減っておいて貰わないと困る。

 

 親が流れ南入、ようやく南一局となったその場は、残り半分程となった各々のツモ番から始まる。照は出和了りなど眼中に無く、眼前にあるノミ手を一直線に育てようと、安牌残しなど気にせず字牌を切り出して行く。

 手成りに進んだその局、三巡目、恭子のツモは残り二回。急所をこれでもかと引き続け、三巡目の早い聴牌。そう言えば聞こえは良いが手役は一切絡んでおらず、完全なリーチのみの凡手。

 照は少し手を止め、手牌の浮いた二筒暗刻を見下ろす。そして場を見渡し、二筒が出ていないことを確認すると、九萬を切り出し牌を曲げた。

 

「リーチ」

 

 恭子の肩がピクッと震えた。このリーチに打点的な意味はあるかと言われれば、一切ない。唯一の満貫と言えばこの二筒暗刻に裏ドラが丸乗りするか、二筒を四枚重ねての新ドラ期待。

 しかし、照の目的は雌雄を決する鬼手和了りでは無い。次巡、一発がならなかった事に無表情のまま残念がり、ツモ牌を切り出した。

 

 背後で待機していた咲は、むむむと唸りながら照の打牌について考えていた。現在の親番は残りツモの少ない恭子、確かに恭子からすればどんなリーチだろうと満貫一発で終わりな身だ、牌を曲げられただけで恐ろしいだろう。と言っても自分の手は二の次でベタ降りを決めたならば、恭子からは先ず出ない。

 案の定恭子は照の現物を抜き打っており、先程の教訓を生かす為か他家にも気を配っている。結局照のツモが成る事は無く、咲は照が座っていた座布団へ腰を降ろすと下家で胡坐を掻いている赤木に目を移す。

 

(赤木君……。あ、でも……末原さんが降りたから、赤木君に手を作る隙は無いんじゃ……)

 

 ポン、と。心の中で拳を手の平に当てる。

 もしかしてこれは赤木の手を縛る為のリーチでは無いだろうか。恭子はリーチが掛かったら、ライオンが徘徊する縄張りに取り残されたシマウマのように、警戒を最大限に引き上げるであろう。そうなれば先ず現物が弾き出される。

 そして恭子のツモが残り少ないと言うのもミソだ。後二巡凌げば点数に余裕のある赤木に交代となる。もし交代までツモが丸残りしているのなら、開き直る選択肢も生まれただろう。しかし、あの状況ならば間違いなく恭子は降りる。

 事実抜き打たれたその手牌は、流石の赤木でもどうしようもない。向聴数が三から五へと下がった上に照のリーチ、そして五巡目と言う中盤へ差し掛かる所。

 

「……ホンマ、すんません」

 

「構わねえさ。まずは生きな」

 

 本当に今日は謝ってばかりだな、と自己嫌悪は程々に恭子は頬を両手で叩く。

 咲の読みは正解だった、だがそれ以上にもう一つ、照は恭子の点数をツモでも飛ぶデッドラインまで削っておきたいと考えていた。そうなれば手はもっと縮こまり、同卓する赤木の手はもっと制限される。

 この手はあわよくばツモ。そう考えていた咲だったが、交代して三巡後、対面の憩は元気良く声を上げるとツモ牌を叩き付け、手牌を倒す。

 

「これが洋榎さんとウチの……友情ツモやぁー!」

 

「……ツモのみやけどな」

 

 場がただ回るだけのツモのみ、照がリー棒を出しているので実質的には此方が千点削られたと考えるべきだろうか。

 恭子のベタ降りからして赤木の手は死んだ、そして対面宮永照の何やら不気味なリーチ。場を回すノミ手に考慮はいらなかった。

 

 

 

 その後も膠着状態が続き、大きな動きを見せたのはオーラスの南四局、咲の親番、ドラ表示牌は一萬。

 点数を振り返ってみると、恭子が一番凹んだ7000点。次点で一番削られているのは赤木だが、その点数は20000点。他の面々はリー棒やツモで二、三千点削られているものの、まだまだ安全圏といった所だった。

 手牌を開ける前、咲は自分の肩がトントンと叩かれた事に気付き体を後ろへ向ける。照は右手を咲の耳に当て、相手には絶対に聞こえない声量で呟く。

 

「私にツモらせて」

 

 十文字に満たないその言葉に、咲は舞い上がっていた。

 それはそうだろう、あの宮永照にアシストを求められたのだ。麻雀に於いて和了ると言う行為はその全てと言っても過言では無い、華だ。無論照が目立ちたい、達成感を味わいたい、そんな目的でこんな発言をした訳では無いのは百も承知である。ならば自分は全力でその頼みを聞き入れる。

 

「奴さん、何か企んどるで」

 

「怖いなーぁ」

 

 

 ツモらせて欲しい。簡単に言うがその実難易度はかなり高い。聴牌しても照がツモる前にしこたま和了り牌を引いてしまえば、何をやっているのか分からなくなる。故にリーチも難しい。

 だが咲に限り、和了りを保留しながら照に回すと言う裏ワザ染みた事が可能だった。

 

 開いた手牌、四枚ある二索を確認すると、ただ一つ浮いた字牌の北に手を伸ばす、が。

 

「ッ―――」

 

(……これだ)

 

 咲は北へ伸ばした手を引っ込めると、代わりに拾い上げた一索を右端へと置く。

 一連の動作を見ていた赤木は、内心不味いと思いつつ手を辺張へ寄せていく。あの東西戦でもあった、いや、このルールで戦う時、一人の弱者が居たならばその料理方法は間違いなくそうなってしまう。

 そしてその嘗ての弱者、ひろゆきは今の恭子の心境が痛い程分かった。恐ろしい事に宮永照は高校生でその道を躊躇い無く選んだのだ。

 

 生殺し、原田克美率いる西軍にそう決定されたひろゆきは、トバされる場面で何度もそれを実行されなかった。ひろゆきと言う弱者が、赤木しげるの闘牌の毒となる。事実ひろゆきは義憤に駆られ奮闘するが、強者の前では成す術もない。そして自身の弱さが招いたと言う嫌悪感に苛まれていた。

 

 今も同じだ、宮永照は赤木の怖さを知っている。だから恭子にはもっと赤木の足を引っ張っていて欲しい。

 

「チー!」

 

 やはりか、と。この場は簡単に願望を実現出来る程、甘い場でも無い。憩は赤木から出た四萬を拾い上げ、二三萬と共に場へ晒す。それはそうだ、何か企んでいるなら何もさせずに和了ってしまえば良い。

 憩は恐らく喰いタンのノミ手、そして赤木はチャンタへ向かい、その溢れ牌は憩に拾われる間の悪さ。そうなれば交代どころか後二、三巡で決着は付くかもしれない。

 しかし、当人の咲は対岸の火事と言った様子で落胆を見せる素振りは無い。五六七八と並んだ筒子を見つめ続けた咲は、静かに息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。

 

(自分の読みと、信じた道を――)

 

 咲は五筒を摘み上げると、場へ叩き付ける。

 セオリーで言えば五六七八筒から削っていくのは八筒だ。しかし咲はわざわざ五筒を選び、対面の憩を見据える。

 

「ポンっ!」

 

 待ってましたと言わんばかりに憩は五筒の対子を場へ晒し、咲の五筒を拾い上げる。これで二副露、赤木は一瞬の隙が命取りになると考え、憩を押し上げる方向へ切り替える。出来面子になっていた七八九筒の並びだが、躊躇い無く七筒を切り飛ばす。

 

「チーっ!」

 

 更に駄目押しと六八筒を場へ晒し、七筒を拾う。これで三副露、三索頭の三六萬聴牌。赤木の手には三萬がある、これを憩へ差し込めばこの局は終戦、また次局へと――。

 

(柔軟に……それでいて強く!)

 

「カンッ!」

 

 咲は照へ手渡すバトンとしていた二索の槓子を場へ倒す。嘗ての自分なら、どうしていたのだろうか――。

 

 王牌へ手を伸ばし、掴んだ嶺上牌はやはり北。だが本命は二の矢、本来なら流れるであろう局へ架けた橋、その新ドラ。咲の人差し指によって捲られた牌は四筒、つまりは憩の晒した五筒に丸乗りする形となった。

 

「うっそぉー!」

 

 断ヤオドラ一の手が、断ヤオドラ四へと化けてしまった。これで差し込みと言う選択肢を潰された憩は、自力で三六萬を山から探り当てなければならない。咲としては、後は嶺上開花で和了るのみ、と言うバトンを手渡したかったのだが、そうも言ってられない。そこで何時しか経験した苦い思い出を反芻し、柔軟な対応を見せた。

 晒した二索、六七八筒に、六索の暗刻、七萬の頭、そして重ねた北。裏ドラまでは分からないが、姉ならば此処からこの手を化かす事も可能だろう。

 

(……ありがとう、咲)

 

 渡されたバトンは、確かに受け取った、と。心の中で感謝しながら、最後のツモ番を終えた咲と交代する。

 

 本当に、頼れる妹だ。

 

 

 元々才能はあったが、赤木との邂逅を経て更に強くなっていったのだろう。麻雀にも少し気弱な性格が出る場面はあった、しかし、もうそれは身を潜め一人前の麻雀選手へと変貌している。

 そんな妹から渡されたバトンパス。インハイ王者として、いや、一人の姉として、結果を残さなければ嘘になる。照は座布団に腰を降ろし、赤木の最後のツモを見届けようと目線を移す。

 ふと、そんな照と赤木の視線が合致する。

 

「…………」

 

 珍しく、と言っても麻雀での長考は誰にでもある。頻度は極稀だが無論赤木も長考する場面はあった。が、今回は今までのそれとは何か違うように照は感じた。何切りかを悩んでいる、安牌を探している、そう言った麻雀でのよくある長考とは別、何かその先を見据えているような――。

 

 それからどれ程の時間が経っただろうか、赤木から放たれた三萬によって照は現実へ一気に引き戻される。

 

 

「ッ――」

 

 何より驚いたのは差し込まれた本人荒川憩であった。その三萬、何も冗談ではないだろう。確かに暗槓をした咲の手牌へ裏ドラが乗ってしまえば、とんでもない大事故となる。

 しかしそうなる確率はどれ程薄いのか。先ず照がリーチをかけてツモ和了り、裏ドラで二索を乗せる。リーチ、ツモ、ドラ四、恭子の点数はリーチ棒を残すのみとなる。更に他の手役にドラが絡んでくれば、恭子の点数は跡形も無く消し飛ぶのに留まらず、洋榎は点数を半分に減らしてしまう。

 

 確かに己の能力や経験、センスを生かして読みを決める人間も居るが、この場に於いて裏ドラの絶対的確信など、イカサマ以外では有り得ない。ならば赤木は何となくそうなりそうだから、と言う理由だけでこの三萬を切り出したのか。

 

 

「……本当にええの?」

 

「…………」

 

 もし、裏ドラは一索などではなかったら。

 もし、咲の手は聴牌から程遠いクズ手だったら。

 もし、自分が次のツモで三六萬を引いてきたら。

 

「赤木君は夢想家って言われた事あらへん?」

 

 麻雀打ちにはロマンチストが多いのかもしれない。と言ってもド本命の牌をもし通ったならと考えながら切り出し、もし此処で裏ドラが乗ればと考える。それは取り留めなく、只の溢れ出した願望だ。

 だが、赤木の追及したそれは余りに薄く、残酷な願望であった。

 

 

 

「……やけど、こんな辛い夢想なら、付き合ったげるわ」

 

 ロン、と。憩は手牌を倒し、それを受けた赤木は八千点の点棒を吐き出す。背後で見ていた恭子には余りに理解不能な展開であった。何故わざわざ満貫へと引き上げられた憩の手牌へ差し込みに行ったのか。むしろ満貫になってくれたお陰で出和了りの八千点、ツモっても六千点を相手から引き出す事が出来る。

 

 

 

しかし、恭子の考えたそれこそ、憩の言った辛い夢想の真逆、自身に都合の良い夢想、甘美な展開。

 

 

 

 

 自動卓の中心が口を開き、牌を飲み込み始めたその瞬間、崩れた王牌からある一枚が智葉とネリーの目に入る。ドラ表示牌の根から羽ばたいた孔雀が、その姿を露わにしていた。が、やがて自動卓の中へと飲まれていく。

 その真実は智葉とネリーしか目にしていない。が、その真実一つだけで、赤木の持っている感性を垣間見たのもまた事実だった。

 

 

「さて……間を開けるぜ、ひろ」

 

「え、ええ……そうですね。半荘が終わってキリが良い。十九時半から再開と言う事にしよう」

 

 

 午後六時から始まったその半荘は既に一時間が経過しており、一呼吸を置こうと赤木は腰を上げ部屋を後にする。照もそれに続き対局前に待機していた部屋へ足を踏み出した。それに釣られ面々は部屋を後にしていく。

 こうして一回戦目の半荘は、西軍の手痛い出費のみで幕を下ろした。

 


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