親の役満直撃、42000点あった竜崎の点数は、その一撃で跡形も無く吹き飛んだ。
正しかった。そう、竜崎は正しかったのだ。一萬は臭い、ならばそれを引っ込めるべきであった。しかし、竜崎はその読みと心中出来なかった。四枚の一萬の在り処が分かった時点で安心しきっていたのだ。かと言って国士の可能性に気付いたとして、その一萬を止める事が出来ただろうか。
竜崎は少しの間赤木の手を見て呆けていたが、やがて我に返ると溜息を吐き椅子を引いた。
「帰るぞ」
怒り狂うのでは無いかと危惧していた照だったが、拍子抜けな竜崎の態度に一先ず安心し、同時にマスターはたった二局であったに関わらず腰が抜け、その場から立つ事が出来なかった。
「良いんですか?竜崎さん」
「良いも悪いもねえ。やられた方がアホなんだ」
話の分かるヤクザで良かったと思いつつ、照はバラバラの手牌を伏せ、殆ど氷で薄まってしまっているアイスコーヒーを飲み干す。
竜崎達は不満そうながらも手を出す事無く店を後にして行った。数十分前までは活気があったその店内には、未だ椅子に踏ん反り返っている赤木と、感謝の言葉を述べながら頭を下げ続けている夫妻、そして照だけが残った。
照はたった二局ではあったが、今までの自分とは全く違う麻雀を打っていた。それも全てこの少年の影響だろう。
高校生の間では最早負ける気はしない。ならばプロでも通用するかと言われれば、自信を持って頷ける話では無くなる。
どうにも、奴等は見えているのだ。何が見えているかと問われれば、麻雀の真髄とでも言う他無いだろう。それが今の自分には足りず、この少年に満ち足りている物。
照は立ち上がると、マスターにそろそろお暇しますとの意志を告げ、サイドテーブルにかけられていた鞄を手に取る。先程までとはいかないが、外の雨は強く降り続けており、マスターに傘は借りられるかと問うと、勿論と即答で返って来る。
「傘、二本ありますか?」
「えっ?あ……ごめんね、さっきの御客さん達にみんな貸しちゃって……一本なら余ってるんだけどね……」
「そうですか、ではお借りします」
照は腰を深く沈めている赤木に視線を移すと、出口へ視線を移しついて来いと合図する。赤木は考える間も無く立ち上がると、礼と共にタオルをマスターへと返却し照の後へ続く。
「照ちゃんっ!キミも、本当にありがとう!」
背後から響くマスターの感謝の念に足を止め、会釈をするとマスターの妻が用意した大き目の傘を受け取り、近日返しに来ますと告げドアノブに手を掛けた。
外は雀荘の中と違い蒸し暑くジメジメしており、この中を帰るのは少し憂鬱だったが仕方が無いと雀荘の階段をゆっくりと降りていく。その後ろを赤木がポケットへ手を突っ込みながら降り、軒下で立ち止まった照に合わせ足を止める。女子高生と中学生男子なら二人分軽く入ってしまいそうなその大人用の傘を開くと、首を捻り赤木に問う。
「家、来る?」
「こちとら宿無しで困ってたんだ。邪魔するよ」
照の横へ足を踏み入れた赤木は、照と速度を合わせながら雨が降り続けるアスファルトの上を歩く。
家まで凡そニ十分だろうか、既に五分は歩いたのだろうが二人の口からは一切の発言が無い。それもそうであろう、照は基本無口なのだ。赤木も寡黙な男と勘違いされがちだが、ギャンブルの話や人生の話となれば驚く程饒舌になる。しかし、基本的には照と同じ無口であった。
互いに静寂を気にして話を切り出す性格では無く、無言のまま雨の道路を歩き続ける。すると、そんな二人の姿をとある人物が目撃していた。
大星淡は雨から逃れる様にファーストフード店へと入り、ごった返す店内で席を求めて二階へと上がり壁際の席へと腰を降ろしていた。早く止まないかとガラス張りの壁から恨めしそうに外を睨み付ける。
頼んでいたサンドウィッチを食べ終わり、何か面白いものでも無いものかと外を見続けていたが、傘を差し歩く道行く人の表情は皆同じであり、考える事も同じである。見ていてもつまらないものだ。
そんな中、向かいの道路に何やら相合傘をしながら歩いているらしき二人組の姿が見えた。白で統一された白糸台の制服は非常に目立つ、遠くから見ても直ぐに分かる程に。だから淡はその傘に入っている一人が白糸台の生徒だと直ぐに理解した。
「青春だねー」
紙コップに入ったドリンクへ、ストローを通して空気を送り込み、ボコボコと泡を立てながらその様子を見ていた淡だったが、どんな生徒かふと気になり、身を乗り出して傘の下を覗き込もうとする。
(そんな青春君達の顔を見てやろう)
悪戯気のある笑みを浮かべながら、此方と同じ位置まで来ようとしている二人組の顔が見える。
一人は白髪の中学生位の男子であろうか、そしてその奥の少女を見た瞬間、淡は文字通り腰を抜かす。
「あえ……て……て……」
言葉が出ない。その少女は毎日顔を合わせている無愛想な最強高校生。
宮永照が男と相合傘をしていると言う事実がどれ程凄まじいか、淡は混乱する頭で色々と考えていたが、とりあえず自分の家にピンポイントで隕石が直撃したと言われた方がまだインパクトは少ない。それ程衝撃的な光景であった。
「て………る……あ……」
殺人現場の第一発見者の様な声の振り絞り方に、周りに居た客は大丈夫かこの子はと不安がっていたが、やがて冷静になった淡は椅子に座り直しストローに口を付ける。
(あのテルが……麻雀しすぎて一索の鳥さんと結婚すると思ってたのにっ……)
まだ見間違いの可能性もあると自分を納得させようとしたが、白糸台の制服、そして見間違える事の無いあの赤髪は、その人物が照だと言う可能性をこの上無く引き上げていた。
「…………雨止んだら家にいってみよ」
もし本当に付き合っているとしたら、カップルの後を追い、その家に突入するなどテロ行為に等しいが、今の淡は事実を確かめてみたいと強く感じていた。とりあえず同じ部活の仲間を応援に呼ぼうと携帯を取り出し、慣れた手付きでメールアドレスを引用していく。
どんな本文にしたものかと考えていたが、普通に来てくれでは恐らく来てくれない。
「…………」
一瞬考えた後、淡は閃いたと拳を小さく握ると、鼻歌を囀りながらメールを打ち込んで行った。
白糸台の団体戦メンバー、弘世菫はそのゲリラ豪雨の様な雨に、持前のビニール傘では戦えないと判断し目に付いたファーストフード店へと入店していた。
同じ目的の人間が多いのか、店内は込み合っていたが、店の奥に一つ空席を見つけ、とりあえず席を取ろうと鞄を置いて注文に向かう。
トレイを受け取った後、紺色のロングヘアを揺らしながら椅子へと腰を降ろすと、悶々と来たるべきインターハイについて考えていた。
そんな菫の思考を寸断する様に、携帯のバイブがメールの着信を知らせる。
どうせ淡辺りであろうと目星を付け、開いた携帯のディスプレイに表示されていたのはやはり淡の名前。
このまま携帯を閉じてしまっても良かったが、一応本文を見てみるかとメールを開いた菫は、その本文に怪訝な表情を浮かべた。
『助けてぇぇぇぇ!菫ぇぇぇぇぇ!
あ、場所は帰り道にあるファーストフード店!絶対来てね!』
「…………」
どうやら、逼迫した状況の様だ。
呼び捨てをしてまで焦っている文面を作り上げたいのだろうが、ご丁寧に入った絶対来てね!と言うサブタイトルはそれらを全て台無しにしていた。
なんと、同じ店に淡が居るのかと。菫は辺りを見渡すがそれらしい姿は見えない。ならば二階かと、流石に同じ店内ならば行ってやるかと腰を上げた菫は、トレイを片付け二階へと登る。
白糸台の制服は全くどうして、よく目立つ。壁際に淡が居る事を確認すると、メールの本文とは掛け離れた暢気な様子の淡の頭に、携帯していた扇子を振り下ろす。
「あいたっ……って菫先輩っ!?早くない!?瞬間移動!?」
「下に居ただけだ。それで、用件は?」
「あ、やばいんだよ!なんと照が男の子と相合傘してさっき其処を通って行ったの!」
「見間違いだ」
照と付き合いの長い菫でさえ、そう切り捨てる程、その光景は荒唐無稽なものだった。
「とりあえずテルの家に行って見ようと思うから、一緒に行こう!」
「………………………まあ、雨が止んだらな」
と言っても、淡が嘘をついている様にも見えない。どんな間違いでも照が男と相合傘をしている何てことあるだろうか、いや無い。その間違いが起きてしまった可能性があるのだ。ならばそれを確かめてみるのも有りだろう。
淡の向かいへと腰掛けた菫は、早く止まないだろうかと外を見上げ、それにつられた淡が外の雨雲を見つめる。段々雲は薄くなっており、もう一押しで止むと考えた淡は、ドリンクを追加で頼もうと一階へと降りて行った。
「着いた」
「ああ」
照が家に着いた時には既に雨脚は弱まっており、傘を丁寧に畳むと鞄から鍵を取り出し、鍵穴へと差し込む。母親はまだ帰っておらず、家には誰も居ない為説明する手間が省けたと思い赤木を家に通す。玄関へと入った赤木は、とりあえずこの濡鼠の服を何とかしたいと考え靴を脱いだ照に話を切り出す。
「シャワー借りてもいいかい。それと服が欲しいな」
傍から見れば図々しい男だが、先程宿無しと言っていたのは嘘とも思えない。照はそんな事を一切気にせずに赤木の要望を叶えようと考える。今家に住んでいるのは母親と二人のみで、赤木に合うサイズの服は家に存在していなかった。ならば買いに行くしか無いが、生憎それを揃えられる程手持ちがある訳でもない。母親に相談すれば何とかなるだろうが、帰りは夜になる。
「……ちょっと、待ってて」
照は携帯を取り出すと、頼れそうな仲間に相談する事を決めた。
「あ、テルからメールだ」
「ん……私もだ。何々……」
雨が弱まり、そろそろ店を出るかと考えていた二人へ、同時に照からのメールが入る。
『頼みがある。もし下校中でなければ構わないけど。
男物のLサイズのYシャツとズボン、それと靴下下着を買って来て欲しい。
お金は明日渡す。
図々しい頼みだけど聞いてくれると嬉しい』
メールを閉じた淡は、菫の顔へと目を向ける。
(……菫ってあんな表情するんだ)
今見た菫の表情は忘れる事にし、手持ちが少なかった淡は、菫の所持金と合わせれば足りるかなと考え、恐らく初めてである照の個人的頼みを聞き入れる事を決めていた。