この時、淡、菫の思考はピタリと一致していた。
(一発消されちゃった……)
(一発消しか……まあ彼の配牌も酷いものなのだろう。チャンタへ向かう繋ぎの一索ポン……)
(…………)
赤木は手に浮いていた八筒を場に切り出す。これで赤木は一索の一鳴き、そして手に余ったのは白、西、北。そして穴空きの辺張や嵌張。そして浮いた中張牌。
淡はツモってやると意気込むと、勢い良くツモ山に手を伸ばし、オーバーアクション気味にツモ牌を振り上げた。
「あれ、ケチついちゃったかなあ」
淡が再びツモって来た四筒を場に切り出すと、照はようやく自分のツモ番かとツモ山に手を伸ばす。この局はもう淡の勝ちで殆ど決まっているだろう、それ程照の配牌も酷い。
六萬をツモった照は、淡に臭そうな所を握れたと手中に収め、南を切り出す。
菫のツモ番、せめてこの白が重なってくれればと淡い期待を抱きながらツモ牌を手牌の上へと乗せる。その祈りが通じたのか菫は白を重ね、これで何とか闘えるかもしれないと浮いた八索を切り出した。ダブリーを絶対の根拠で読み当てるのは不可能に近い芸当である。巡が進めば筋や壁が見えて来るだろうが、まだ河に見えたのは六枚、読めと言う方が不可能だ。
これで当てられたのなら交通事故と切り出した八索だったが、淡からの発声は無く安心していると。
「チー」
別の場所、自分の下家から声が上がる。
赤木は七九索を倒し、八索をチーするとノータイムで場に白を切り出した。
「ポ……ポン!」
「えー」
ツモ番が回って来ない事に不満の声を上げる淡だったが、菫はこっちの苦労も知ってくれと白を卓の右下へと晒す。
そして菫の切り番、赤木は典型的なチャンタか純チャンのニ副露、ドラは絡まない為、振ってしまっても痛くないだろう。しかし、淡の影響を受けているのであれば、まだ赤木は聴牌を成していない筈だ。しかし念の為と、菫は少しでも自分の手を進める為、かつ赤木に当たる可能性のある三筒を切り出す。
「チー」
またもや赤木から声が上がる。
今度は一二筒を倒し、一二三筒の順子を右下へと晒した。これで三副露、赤木は流れる様に四筒を切り出す。
照はまだ自分は一度しかツモっていないのにも関わらず、既に煮詰まっているその場に嫌な気配を感じた。この三鳴きで恐らく聴牌したのであろう。
役は殆どチャンタで確定している、あの四枚の内、三枚で役牌の暗刻が出来ているとも思えない。
それにしても菫の反応を見るに彼女も五向聴なのは伺えるが、この男だけ三向聴だと言われても驚きはしない。鳴くと言う行為、それは打点を下げ、和了りへと向かう近道だと考えていた照だったが、この男の鳴きはどうもそれとは違うようだ。
(何か凄い場が進んでるけど……聴牌してない……筈だよね……)
淡も本能的に照と同じ焦燥感を抱いていた。まさか自分がリーチ後二度しかツモっていないのに、此処まで迫られるとは思っておらず、その不安を掻き消すために安牌か和了り牌よ来い、と念じながらツモ山に手を伸ばす。
赤木の仕掛けの速さ、淀み無い牌捌き、この強かな男は本当に五向聴以上なのかと疑ってしまう。
(いやでも……さっき良い配牌って自分で言ってたし……何か不安になってきた……)
大星淡は自信家だ、高校100年生だと自負する程には。自分の力にも自信を持っている。
その時の赤木に嘘を言っている気配は無かった。恐らく赤木はしっかりあの手を見据えた上で、良い配牌だとぼやいたのだろう。赤木以外の人間が見れば、百人が百人凡手と即答する手であったが。
(うえええええええ……)
引いてきたのは最悪、場に出ていない北。まさかこの倍満ダブリーがあんな千点のチャンタに負けてしまうのかと、その北を今すぐ窓から投げ捨てたい衝動に駆られるが、リーチ者の運命とは和了り牌以外を全て切り捨てる事。恐る恐る北を場に切り出すが、赤木からの発声は無い。淡は胸を撫で下ろすと、何故自分はダブリーで仕掛けておきながらこんなに追い詰められているのかと口を尖らせる。
照のツモ巡、もうこの局に自分の和了り目は無いなと、ツモって来た四枚目の白を切りながらも、そろそろ淡が和了る気配を感じ焦っていた。
そして菫のツモ巡、ツモって来たのは南であり、手が進まない事に焦りを覚えると同時に、赤木への差し込みを視野に入れ始めていた。
淡がもしツモったなら、親である菫には手痛い出費となる。更に自分がこの手を進めた所で、遠い上に千五百点以外に成り様も無く、赤木に差し込むのが得策ではないかと考え始める。
赤木は高くて純チャン、と言っても十中八九チャンタの千点だろう。聴牌すら怪しいこの局、千点の出費で終局が買えるのだ。親位くれてやる。
と言っても赤木の待ちはまだ絞られた訳では無く、差し込みに拘る余り淡に直撃されていては目も当てられない。
とりあえず、と九筒を場に切り出すが、赤木からの発声は無い。赤木はツモって来た牌を手中に収めると、手にあった北を切り出した。
(さあお願い……しげる君は何かと入れ替えたし……もう聴牌してるよね……)
今度こそ、とツモって来た淡の顔は他者から見て明らかに引き攣っていた。
震える手で、そのツモ牌、西を場に切り出す。
「ポン」
「ひっ!…………て、え?ポン?」
てっきりロンの発声だと思っていた淡は、まさかの四副露目に拍子抜けしていた。赤木は右端の二牌を倒そうとしたのだが。
「おっと」
コツン、と手が左の牌に触れ、その牌を倒してしまう。赤木は咄嗟にその牌の全面を親指で隠す、しかし、ほんの少し顔を覗かせていた黒字により、その色が萬子だと言う事は三人に明らかになった。
「悪いな、これは見せ牌か?」
「……私は別に構わない」
「緊張してるの?別に良いよー」
見せ牌、それは麻雀の反則行為の一つで、手や袖がぶつかり牌が倒れてしまった場合、事故や故意に関わらず、その見せてしまった牌では和了れないと言うルールである。勿論公式戦では徹底されているが、家庭麻雀や身内の麻雀ならば許容されている事も少なくは無い。牌自体は赤木の指で隠されていたのに加え、か弱い男子生徒を囲んで見せ牌だと責め立てる場では無いだろうと菫と淡の二人は許容する。
「二人が良いなら」
照の目をもってすれば、それは明らかに故意であった。いや、普通に見ればよくある只の見せ牌なのだが、赤木のそれは余りにも自然すぎたのだ。まるで意図して自然に牌を倒す事を演出したと思える程に、その動作に穴が無かったのだ。しかし、此処は声を荒げる場面では無い。赤木が仕掛けて来たのだ、ならば自分はそれを躱さなければならない。
赤木はその萬子を手中に戻すと、淡の河から西を掴み四副露目として晒した。
そして赤木の切り出し、三人共赤木が先程見せ牌した位置を覚えている、そちらを残せば赤木の待ちは萬子で確定する。三人の注目の中、赤木が切り出したのは八萬、つまり赤木が晒した牌とは違う牌を切り出していた。其処まで来れば、もう赤木の待ち牌は何かが確定する。八萬の右隣かつ、萬子の幺九牌。これはもう九萬以外有り得ないのだ。
(ふふ、迂闊だったねしげる君。この勝負私の勝ちだよ)
淡は勝ちを確信しながらツモ山に手を伸ばす。例え九萬を引いてしまっても、自分の和了り牌、つまり同聴と言う事になる。更に言えば赤木は六萬を引いてしまうと逃げ場は無く、淡に振り込む運命となる。しかし、ツモって来た牌は南。ツモれはしなかったが、焦り無く切り出す。何故なら赤木と同聴、赤木にツモられない限り、自分の和了りは揺るがないからだ。残る危険は頭ハネ位だが。
(ま、もう九萬待ちは確定してる訳だし。テルも菫先輩も切らな――)
淡に電流走る。
赤木の手は千点と九萬待ちが確定。
対して自分はダブリー、そして自分をよく知る二人にはこれがダブリーのみとは思われていないだろう。
自分ならどうするか。当然、ツモられる位ならば喜んで払うだろう、千点を。
「ッ――――」
照のツモ番、淡は必死の形相で照の手に九萬が無い事を祈りつつ、ツモ山に伸ばす手を凝視する。そうしてツモって来たのは九萬、普通に考えるならばまさに欲しかった所だ。千点を払って流局、親も流せる。もし雀荘での赤木を目撃していなければ、確実に照はこの九萬を切っていただろう。
「……………」
しかし、照はその九萬を手中に収めると、安牌として手出しの八萬を切り出す。照は匂いを感じた。この明らかに差し込めと言った九萬に匂いを。
照が切った八萬に視線を移した後、ツモ山に手を伸ばした菫は、自分の手中に九萬が無い事に焦りを覚えていた。もし淡にツモられでもしたら、悲惨な親被りを食らう可能性がある。そんな事をしなくても千点でこの進まない手とダブリーの場を終わらせてくれる便利屋さんが下家に座っているのだ。当然依頼するに決まっている。
まず握った感触は萬子、そして右手に握った萬子を恐る恐る確認すると、そこには「九」の文字。
助かった、と。
親が流れるのはまあ痛いが、それ以上に余計な出費は御免だ。菫は何の疑問も抱かずに九萬を切り出した。
一方の淡は、やられたと手を伏せようとするが。
「へっ」
赤木の手は何の淀みも無くツモ山へと伸ばされようとしていた。
「え、あ、ごめん!ロンっ!」
「なッ!?」
急いで倒した淡の手、ダブリー、平和、三色、ドラドラ。そして当然の様に乗った裏を合わせれば倍満、菫の点数から16000点引かれる事となった。
「何で……」
「ん?どうかしたか」
子供っぽく無邪気に笑う赤木に、菫は何も言えなかった。当然である、屁理屈を言えば麻雀に和了り牌を出されたら必ず和了らなければならないルールは無い。その時、照は赤木の狙いを察し、そして戦慄した。
赤木は淡のダブリーに対し、和了りに行ったのではない。手を安く演出させ、かつ淡と待ちを合わせて振り込ませる為に動いていたのだ。その為には先ず淡のダブリーを読まなければならない。赤木が動いたのは一巡目の淡からの一索ポン。となると赤木はその時点で凡その察しを付け、九萬待ちへと手を寄せて行った事になる。そんな事が可能なのだろうか。そして自然な見せ牌、傍から見ればチャンプと麻雀を打って緊張している高校生に見えなくもないだろうか、落ち着いてはいるが。それを利用して自分の待ちを知らせる。そしてその罠に飛び込んで来るのを待つ。淡がツモるか六萬を自分が引く以外、この局の勝ちは赤木に向いていた。
更に考えて見れば、他人に行って貰うと言う事は、自分の手が悪いと言う事だ。もし巡目が過ぎ、菫の手が良くなっていたら赤木に振り込む可能性は低くなっていた。この浅い巡目でチャンタを張ったからこそ、菫を淡へと振り込ませると言う曲芸染みた事をやってのけたのだ。
同時に冷や汗を掻く、自分だって手中に九萬があった。一歩間違えれば、自分が食らっていたかもしれない、恐ろしい話だ。結果だけ見ればダブリーを仕掛けた淡のロン和了り。しかしその実、裏では赤木は全てを操っていた、あの無残な配牌で。
「…………一つ良い?」
「何だい」
「どうして淡の待ちがわかったの?」
「クク……さあな、ただの勘さ」
此処まで来れば、菫、淡両名共に察する。
成程、この男は記念に照と麻雀を打ちたいと言うそこら辺の高校生等では無い。照を倒しに来ているのだ。恐らくこの場における照の勝ちとは当然照がトップを取る事。しかし、淡はこの和了りで41000点を得た。まだ東一局が終了したとはいえ、淡を追い越す為の打点が必要になって来る。
しかし、それでもこの男が照に勝つのは無理だなと考えた。この世界のプレイヤーは皆、ある種それぞれの和了り方で場を支配していく。淡ならば手を悪くさせ、最後の山で大物手を和了り切る。ならばこの照はどの様な和了りを見せるのだろうか、それは至極単純。
和了る度に打点を上げ、兎に角和了り続けるのだ。そうなれば照、淡間の16000点と言う点差は東場の内に引っくり返る。
照が場を支配すれば、もう手も足も出なくなる。しかし、場の支配、それは驚く程簡単に傾いて行く。
一局目に和了ったのは確かに淡だった。しかし、三人の配牌を見るに、先程の局は淡が物にした訳では無かった。
そうなれば、淡が引き込んでいた運、流れ、それは全て何処へ行ってしまうのだろうか。
「まずまずだな」
そう言いながら一巡目にリー棒を放り投げ、牌を曲げた赤木に他ならないだろう。