Deathberry and Deathgame Re:turns   作:目の熊

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お読みいただきありがとうございます。

第十五話です。

詩乃視点でお送りします。
苦手な方はご注意ください。

よろしくお願い致します。


Episode 15. Killing her heim

<Sinon>

 

「――えー、ですから、受験で使う英単語は、最終的には機械的に暗記するしかないのです。巷では魔法の暗記法などと謳う低俗な本が出回っていますが、そんなものに頼ってはいけません。栄えある日本の未来を担う皆さんは、しっかり正面から取り組み、困難の末に数千数万の単語群を制覇する達成感を味うべきでありますので……」

 

 男のくせにやけに甲高い声で話す英語教師の声に、思わず嘆息が漏れる。

 この話をするのは、記憶しているだけでも四回目だ。覚える気もなかったのだが、ここまで繰り返し自信満々に語られればイヤでも覚えてしまう。隣の席の生徒たちが「また始まったよ」「いい加減鬱陶しいよな」とひそひそ話を始めたが、英語教師の熱弁が止まる様子はなかった。

 

 どこか有名な大学を卒業し、エリート講師を自称するこの男の評判は生徒の間でもかなり悪いようだが、本人はそれに全く気付いていない。その証拠に、私が入学してからの半年間、この自分より格下と判断したものを見下し、自分の主張こそが正しいと信じて疑わず、しかもそれを押し付けるような話し方は全く変わっていない。

 

 本当に、無駄な時間だ。そう思い、教科書で隠した自作の暗記ノートに目を戻す。

 

 通いだしてそろそろひと月経つ、「なんでも屋」で教わって作ったこのノートには、同じページ内に共通する要素を持つ単語しか書かれていない。今開いているページには、Interact、Interrelate、Interludeというように、全て"Inter"で始まる単語のみが書かれている。

 

『"Inter"っつーのは、ラテン語の『間にある』みたいな意味の単語なんだとよ。だから、"Inter"で始まる単語はゴリ押しで暗記するより、分解した上でまとめて覚えた方が早ぇ。

 "act"は『作用する』だから"相互作用(Interact)"。

 "relate"は『関係する』だから"相互関係(Interrelate)"。

 "lude"はちょっと例外で、"play"と同じ『遊ぶ・演じる・演奏する』って解釈する。だから『間に演じる・演奏する』ってことで"幕間・間奏曲(Interlude)"っつう意味になる。こうやって覚えりゃ、他の単語にも応用が利くだろ』

 

 私が暗記に苦戦している時に、あのぶっきらぼうな男にそう教わった。

 勉強にはまるで縁のなさそうな外見をしているが、医学部受験生を名乗り、実際に模試で好成績を叩き出している(この前店長さんと盗み見た模試の結果は、都内の有名大医学部志望でA判定だった)あたり、どうやら勉強はかなりできる方らしい。

 

 黒崎一護。

 

 年齢二十一歳。医大専門予備校生。

 髪の色はオレンジ、瞳の色はブラウン。百八十センチ近い身長と細身でありながら筋肉質な体躯。そしてなにより常に眉間に皺の寄ったしかめっ面と乱暴な言葉づかいは、どう考えてもチンピラのそれ。私が最も嫌いなタイプの姿をしていた。

 

 初めて会った時、「なんでも屋」というグレーな商売をしている事務所に単身で訪れて緊張していたということもあり、一護を見るなり、

 

「絶対に暴力を振るってきそう。そうなったら絶対に警察に通報してやる」

 

 と最大限に警戒し、常にポケットのスマートフォンを緊急通報待機状態に設定していた。店長の育美さんが面倒見のいい女性でなかったら、多分顔合わせした直後にこちらから依頼をとりさげていただろう。そう思うくらい、私の中での第一印象は最悪だった。

 

 しかし、嫌々ながらも事務所に通い、一護に勉強を教わっていく中で、その評価は上方修正されていった。

 

 彼は私の複雑な事情には基本的に触れず、自分の経験を踏まえた勉強法やアドバイスを提供し、夜道では無言を貫く私にイヤな顔一つせず(顔つきはしかめっ面から変わっていないため、傍から見ればイヤそうな顔をしているんだろうけど)大通りまで送り届ける。

 近寄っても拒まない、去ろうとしても、引き留めはするが深追いしてくることは無い。そんな素っ気ないようで無関心ではない、変わったスタンスは、不思議と私の警戒心を和らげていった。

 

 ……けど、それだけだ。

 

 無論、信用はしている。

 一護に関しては、ひと月経っても週に四回訪れて勉強を教わり、夜道を二人で歩くことに抵抗がなくなる程度には、彼の学と安全性を信じている。どうにも憎まれ口の応酬が収まらず、私と彼の性格の相性がかみ合っていないような気もするが、別に互いを嫌い合っているわけではない。馴れ馴れしい会話をあまり好かない者同士だから、ああなってしまう。それだけのことだろう。

 

 育美さんも少しお節介に感じることはあるけど、一児の母親らしいパワフルさは温かく、差し入れてくれる料理の美味しさはどこか安らぎを感じられるものだ。あの事件以来、私の母から欠落してしまった一部をもらえている気がして、少し安心できる。

 

 だからと言って、心を許したりはしない。

 

 彼らは敵ではなくても、味方でもない。中立的立場で仕事を請け負って遂行しているだけの存在で、私はその依頼人。私の本心を、おぞましい過去を、弱さを見せて良い相手では決してない。甘えてはいけない。必要以上にもたれ掛ってはいけない。

 

『――俺はともかく、育美さんにはあんま心配かけんなよ』

 

 いつかの帰り道、温かい飲み物を片手に、一護に言われた言葉がよみがえる。

 

「……煩いわよ。心配される義理も必要性もないわ。私を救えるのは、私だけなんだから」

 

 最低限に絞ったボリュームで、私は自身に言い聞かせるようにして呟いた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 放課後。

 

 十二月になり、すっかり寒さの厳しくなった商店街を独りで歩く。人通りはいつもと変わらない程度だが、季節ゆえか、どこか寂しい雰囲気が漂う。

 立ち寄ったスーパーの野菜も、安売りしているのは葉物や根菜中心で、何となく彩りに欠ける。けど、私には関係ない。味と見た目は二の次。最低限の栄養とカロリーさえ摂取できれば、食事なんてどうでもいい。

 

 メニューを考えつつそのままスーパーに入ろうとして、

 

「朝田ぁー」

 

 その隣、暗い路地の奥から自分の名を呼ばれた。

 

 その先にいたのは、三人の女子生徒。地面にしゃがんで携帯端末をいじっているのが、リーダー格の遠藤。立って壁に寄りかかっているのはその取り巻き。

 

「こっち来いよ」

「……なに」

「いいから来いよ」

 

 最低限の声で用件を問うた私を無視し、取り巻きの一人が私の手を掴んで路地の奥へと引っ張り込む。何を言い出すのか、なんとなく想像が付いた。

 

「わり、朝田。カラオケで歌いまくってたら電車代なくなちゃったぁ。明日返すからさ、こんだけ貸して」

 

 そう言って、遠藤は人差し指を一本立てる。一万円寄越せ。率直に言えば、そういう意味だ。

 

 半年前、東北から引っ越してきて間もない私に近づいてきて「友達っしょ」という言葉を盾に、私が一人暮らしをしているアパートをいいように使っていた連中。部屋の占有の度が過ぎた時に警察を呼んで追い払って以降、私の故郷での過去を全校に暴露する報復を行い、金銭の要求をしてくるようになった。私にとって、周囲に気を許してはいけないことを再認識させた、明確な「敵」。

 

 前回は「持ち合わせがない」と言って断った。が、今回も同じ手が通じるとは思えない。私を虐げるためならどんな労力も惜しまないような連中だ。また適当にはぐらかしてその場しのぎをしようとしても、理不尽な論理で退路を塞ぎに来るに決まってる。

 

 だから、

 

「嫌。あなた達にお金を貸す気はない。もう行くから、そこを退いて」

 

 きっぱりと、真正面から断った。

 

 私を取り囲む三人の眼光が一気に険しくなったのが分かる。が、実力行使には出てこれないはずだ。三人とも根っからの不良少女というわけではなく、学校内ではそれなりの「いい子」で通っているのだ。下手に手出しは出来ない。

 

 だが、遠藤はそれを見越したかのように嘲りの笑みを浮かべた。右拳を私の顔面に向かって突き出し、親指と人差し指を立てる。幼稚園児でも知っている、拳銃の模倣。

 しかしそれを見た瞬間、私の全身から血の気が引いた。突きつけられた人差し指、その先端から目が離せない。全身がかすかに震え出し、耳鳴りが両の耳朶を侵す。

 

「ばぁん!」

 

 突然、遠藤が大きな声を出した。子供じみた銃声の擬音。その音は本物の銃弾のように私の精神を貫き、意図せず悲鳴が漏れた。震えが大きくなり、立っていることさえもつらくなる。

 

「兄貴がさぁ、モデルガン何個か持ってんだよな。今度学校で見せてやるよ、お前好きだろ、ピストル」

 

 いや、やめて。そんなことをされたら絶対にその場で卒倒する。言葉から生み堕とされた銃のイメージ。それだけで私は体を前方に折った。

 

 けれどイメージは消えない。黒く光る、重い鉄。指に食い込む引き金。火薬の臭い。まるでそれらが今そこにあるかのように、鮮明に蘇ってくる。

 視界が暗くなる中、その銃口の先に、ゆっくりと血まみれの男の顔が浮かび上がる。焦点の合っていない、生気のない目。錆びた鉄に似た血の臭い。それが脳内を蹂躙し、私の体から力を奪っていく。

 

 そして、ついに限界が来た。足が折れ、力尽きた私はその場に倒れ込みそうになり――、

 

 

 その直前、背後の壁が爆発した。

 

 

「な、何だよ!?」

「知るか! ズラかるぞ!!」

 

 遠藤たちは私を捨て置き、猛スピードで路地から撤退する。しかし発作が起きかけた私の体は思うように動かない。倒れる寸前の無様な格好のまま、目だけを動かして爆発元を見た。

 

 

 そこにいたのは、化け物だった。

 

 

 二足歩行のアリクイのようなフォルム。灰色の肌。筋肉の筋が浮かび上がった、毛のない身体。胸にはぽっかりと円形の穴が開き、爆発元の壁に食い込んだ両手には、鋭く長い爪。顔には逆三角形の仮面のようなものが張り付き、奥から金色の目が覗いていた。宙に浮かび、私をただジッと見下ろしている。

 

「……な、なによ。こいつ……」

 

 逃げなきゃ。でないと死ぬ。殺される。

 

 本能で直感した。こいつから感じる禍々しい何かが、銃と同等以上の寒気を私にもたらす。生物としての直感だろうか、今ここに居続ければ確実に死ぬことが分かった。

 

 何とか足を動かそうとするが、力が入らず逆に倒れてしまった。恥を感じる余裕もなく、這って逃げようとする私の前に、怪物が下り立った。着地の瞬間に巻き起こった風圧に思わず目を閉じ、数秒の後に開いた瞬間、

 

「ひっ!?」

 

 今度こそ、明確な悲鳴が漏れた。

 

 怪物がその鋭い爪を、先ほど遠藤がしていたように、私の眼前目掛けて突きつけてきたのだ。三本しかない指を一直線に揃え、私の顔をそのまま貫こうとするかのように眉間に向けてくる。その向こう側に見える金色の目は、まるで私が怯えるのを楽しんでいるかのような、暴力的な色に輝いている。

 

 まるで機関銃の砲口をそのまま突きつけられているかのような圧力に、ついに限界が訪れた。

 

 喉の奥から悲鳴が、胃の奥から逆流してくる物が、同時に私の口に殺到する――、

 

 

 

「――ウチの生徒に、手ェだしてんじゃねーよ」

 

 

 

 寸前、聞き慣れた、男の声がした。

 

 

 同時に黒い影のようなものが私の上を飛び越え、怪物に直撃。同じく黒い刃物のようなものが怪物の白い仮面に突き刺さっていた。

 

 直後、化け物は雄叫びを上げると、そのまま全身を崩壊させ黒い霧になって消えていった。影はそのまま地面に降り立ち、その右手から怪物を貫いた刃を消し去った。

 

 影は良く見ると黒い着物のようだった。目の錯覚なのか、輪郭が炎のように揺らめいていて鮮明には視認できないが、後ろ姿はそう見えた。全身が真っ黒だが、唯一頭髪だけは派手なオレンジ色で、まるで夜の闇に灯る明かりのように目立って見えた。

 

 その後ろ姿、さっきの声、あれは、

 

「……い、一、護…………?」

 

 震える口で、掠れきった声で、思い当たった人物の名を呼ぶ。東京の郊外に位置する空座町にいるはずの彼がお隣と言うわけでもない文京区にいるとは思えなかったが、そうにしか見えない。

 

 果たして、予想は正しかった。振り返ったその着物姿の人物の顔は、紛れもない一護のしかめっ面だった。いつも以上に剣呑な眼光が私を貫き、それ以上になにか大きな圧力を感じて、言葉が出なくなった。

 

「……ッたく、アブねえな。言付けした直後にこれかよ。やっぱアテになんねーな、イモ山さんは。そんなだから空座町の担当外されんだっつのに」

 

 後頭部をガリガリと引っかきながら、一護はこちらに歩み寄ってくる。その時になって、私の体が硬直から解放された。同時に停止していた内臓機能が復活し、未だに収まっていなかったパニック発作が再開される。

 脳裏に蘇る銃のイメージ。突きつけられた怪物の爪。そこから想起される、銃身の長いフォルム。鉄の重み。それらが緊張から解放され、弛緩しきった私の肉体を徹底的に凌辱した。全身が痙攣し、熱い液体が食道を逆流してくる。

 

「おい詩乃、大丈夫かよ。どっかケガしたのか、立てるか?」

 

 少し心配そうな声で、いつの間にか黒い着物姿から私服へと変わった一護が、目の前でしゃがみ込みこちらに手を差し伸べる。けど、再びの発作に飲み込まれた私には、それに反応する余裕さえなかった。

 

 見ないで。お願い、どっか行って。心の中で、そう叫ぶ。けれど止められず、そのまま嘔吐した。胃の中にあったもの全てが熱湯の激流の如く喉を焼き裂き、口腔から吐き出される。

 

 なんて醜い姿。アスファルトに這いつくばり、嘔吐し、みっともなく痙攣する。目も当てられない、人未満の惨状。六十センチ上にあるであろう、一護の目に蔑視が宿っていることが、見なくても感じられるようだ。

 

 ……けど、現実は逆だった。

 

「詩乃!? どうしたんだよ! あのホロウになんかされたのか!? クソッ、なんかの毒でも食らったのかよ! しっかりしろ! おい!!」

 

 一護はうつぶせだった私を即座に抱き上げ、そのまま抱えるようにして背中をさすった。促され、継続して吐き出された吐しゃ物が一護の白いスニーカーやグレーのテーパードパンツを汚していく。しかし一護は頓着した様子もなく、ただ私の背中をさすっていた。

 

「クソ! ホロウの毒食らったなら、吐かせただけじゃ意味がねえ!! どっかで治療受けさせねーと……!」

 

 毒なんて大袈裟なものじゃない。ただの発作。そう言いたいが、喉が痙攣してしまっていて上手く喋れない。

 

「……井上ん家と浦原さんの店なら、若干だが浦原さんの店の方が近いか。ちんたらしてるワケにもいかねえ。この前もらった視覚防壁装置使って、一気に空から行くしかねえな。詩乃! 十分だけ耐えろ!! 必ずテメエを助ける!!」

 

 だから、違うってば。

 

 そう言いたいのに、言えない。

 

 もう大丈夫だから、放っておいて。

 

 そう突き放したいのに、動かない。

 

 発作の痙攣と脱力だけが原因じゃない。必死になって、本気で焦って、私を助けようとする一護の気迫に、抵抗力が奪われていく。

 

 そこで、今更ながらに気づく。

 

 ……ああ、そうか。

 

 これは夢なんだ。

 

 きっと私は遠藤に突き付けられた指の銃で気絶して、みっともなく地面に倒れてるんだ。連中は私の金だけ巻き上げて逃げたか、それとも流石に慌てて救急車でも呼んだのか。どっちでもいいけど、どちらにしろ、この光景は現実じゃない。

 

 いきなり化け物が襲ってきて、何故か着物姿の一護が助けに来て、いつもしかめっ面を崩さない彼が本気の焦燥感を表して私を助けようとしている。そんなこと、現実にあるはずがない。

 

 ……だったら、夢なら、どうでもいいか。

 

 そう思うと、抵抗心が霧消した。全身から力が抜け、強張っていた四肢がだらりと垂れ下がる。結果的に一護にもたれかかる形になったが、それでどうこう騒ぐような力は、もう残っていなかった。

 

 不意に圧迫感が強くなった。一護が私をしっかりと抱き抱えたのが分かった。支えていたさっきまでとは全然違う、密着と言ってもいい体勢。男の人の身体にこんなにくっつくなんて、夢であっても初めてかもしれない。恥ずかしいけれどこれは夢。誰が見ているわけでもない、私独りの世界。

 

 ならばいっそ、あの寒々しい現実に帰る前に、もうちょっとだけ……。

 

 そう思った直後、急速に視界が暗くなってきた。劇の終演とでも言うかのように、上の方から暗闇が下りてくる。

 

 一護が私を呼ぶ声が聞こえる。でもこれで充分だ。幻想の世界は、もうお終い。つらい現実に、帰らなきゃ。

 

 抗うことなく、私は意識を闇に捨てる。

 

 

 視界が黒く染まっていく中、古ぼけた映像のようなものが私の目に移った。

 

 暗闇の中に浮かび上がったそれは、雨の降りしきる河川敷で血塗れになって倒れている、一人の女性の姿だった。

 

『母ちゃん……母ちゃん……!』

 

 女性を揺すっているのは、彼女の子供らしき男の子。曇天をバックに、派手な色の髪を雨に濡らし、顔には雨粒とも涙とも判断つかない透明な水が幾重にも流れ落ちる。

 彼の悲壮に満ちた哀しい声に思わず心を打たれるが、しかし意識が闇に消えるのに今更抗えない。徐々に映像が薄れていく。

 

 完全な闇に鎖される直前、私の耳に飛び込んできたのは、

 

 

『――おふくろを殺したのは……俺なんだ……!!』

 

 

 さっきの子供と同じように泣きそうなくらいに歪み掠れた、聞き慣れた誰かの声だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 い草の匂いがする。

 

 伝統的な日本家屋の造りをしている祖父母の実家に住んでいた頃を思い出す、懐かしく、優しい匂い。高校に入学して以来帰っていない実家の空気を思い出しながら、私は目覚めた。

 

 なんだか随分と良く眠れた気がする。東京に出て来て独りで寝るようになってから、ずっと睡眠が浅かったのだが、今回は身体の芯まで休まるような、深い眠りだったように思う。

 

 その証拠に、ここ最近の身体の倦怠感もすっかり消え、目覚めたばかりの目も冴えていて……、

 

「…………え?」

 

 その冴えた視界に映った光景を見て、私は固まった。

 

 私がいたのは、いつもの六畳間ではなく、広々とした和室の中央だった。周囲に家財道具のようなもの何もなく、三方には襖、一方には障子が見える。自分が寝ているのは白い敷布団。しかも、何故か恰好は白い襦袢に緋色の羽織。寒くはなかったが、自分が見たことのない部屋の中で、こんな和装をしている意味が分からず、不安と混乱で鳥肌が立っていた。

 

 と、部屋の一方、襖の奥から足音がした。一直線にこっちに近づいてくる。一体誰なのか、私をここに運んできた人物なのか。誘拐犯だったらどうしよう、周りに何もないから武器になるようなものは皆無だし……。

 

 そう考えている間に足音が襖のすぐ向こうまでたどり着いた。ガタッという音と共に襖が揺れる。布団の中で身構える私の前で、襖が勢いよく開き、

 

「おーい、浦原さーん。スポドリとか買ってきたぜ……って、よぉ。目ぇ覚めたのか詩乃。具合どうだ?」

「い、一護!?」

 

 現れたのは、コンビニの袋を提げた一護だった。驚く私を余所に、いつものしかめっ面のままスタスタと室内に入ってきて、私の布団の横にドッカリと胡坐を掻いて座った。

 

「吐き気はもう収まったかよ。どっか痛ぇトコとか、だりぃとかあるか?」

「う、ううん、大丈夫……ってそうじゃないわよ! どうしてあなたがいるの!? ここは何処!?」

「ブッ倒れたオメーをここまで運んできたのが俺だからだよ。ここは俺の知り合いン家だ。倒れた場所から運び込めるトコで一番近かったから、ここに連れてきた」

 

 何てことないような口調で一護は説明し「とりあえずこれ飲め」と言って常温のスポーツドリンクを私に押し付けた。それを受け取ると同時に、私は自分の身に起こったことを思い出した。

 

 そうだ。放課後、私はスーパーに買い物に行った。店内に入ろうとしたところで遠藤たち三人組に捕まり、路地裏に連れ込まれて金銭を要求された。断ったら遠藤が指で銃を模して私を脅し、発作が起こりかけてその場に倒れそうになって……、

 

「……ッ!」

 

 化け物が襲ってきたのだ。

 

 そいつの尋常ならざる禍々しい重圧に耐えきれず、逃げようとして失敗して、突きつけられた長い爪で発作が起きてしまった直後、着物姿の一護が化け物を討ち倒し、発作で痙攣し嘔吐する私を抱えて……という、夢を見た。思い出すだけで疲弊しそうなくらいリアルで、しかし私らしくない非現実的な内容の夢。

 おまけに自棄になって一護にもたれ掛かるという恥態を晒した。夢の中とはいえ、甘ったれた自分の脳幹を吹っ飛ばしてやりたくなる。

 

 顔に羞恥が表れないよう理性を総動員しながら、ふと一護の恰好を見る。

 

 いつも服装には気を使っているらしい彼にしては珍しく、スウェット地のズボンに濃い紫のパーカーという姿、部屋着のような恰好だ。まるで私服を汚してしまったからとりあえず着てきた、とでもいうかのような服装……そういえば、夢の中でも、私は一護の服を汚してしまったような……あれ?

 

「とりあえず治療は済んだ。崩れた壁の破片でついた傷も、あの化け物(ホロウ)の残滓も、ちゃんと癒えてる。今はとりあえず水分摂って休んでろ。吐いた後なら、尚更だ」

 

 化け物によって崩壊した建物の壁面。

 

 一護がホロウと呼んだ化け物。

 

 嘔吐し彼の服を汚した記憶。

 

 夢の内容に、一護が提示した現実がリンクする。誰にも話していないどころか、私自身ですら曖昧だったはずの夢の内容が、彼の言葉に補完される形で現実となって、鮮明に脳裏に蘇る。

 

 ……そんな、そんなハズはない。

 

 あんなのが夢じゃないなんて、そんなはずがない。物理法則、常識を完全に無視したフィクションのようなあの数分間が、私の脳内で再生された幻想ではなかっただなんて、信じられるわけがない。

 

 でも、この状況は……、思考が混乱してきた、その時。視界の右端の襖が開き、奥から一人の男が出てきた。

 

「黒崎サン、お帰ンなさい。お遣いご苦労様でした……おや、目が覚めみたいッスね、彼女サン」

「だからちげぇって何回言わせんだゲタ帽子! いい加減シツコイっつの!!」

 

 一護のキレツッコミを受け流すように、ゲタ帽子と呼ばれた男は、そうッスか? とすっトボけた声を出し、懐から取り出した扇子をパンと広げた

 

 妙な男だった。

 深緑色の甚平に黒い羽織。頭には白と緑のストライブ柄の入ったつばの広いハットをかぶり、その端からは木蓮の花を思わせる淡黄色の髪が覗く。つばの下の顔は三十代前後と思われ、無精ひげの生えた顔には飄々とした笑みが浮かぶ。はっきり言って妙と言うより、「胡散臭い」が似合う雰囲気。そう感じた。

 

「どうもッス。お加減は如何ッスか? どこか違和感のあるところとか、ありません

か?」

 

 軽い口調で男が訊いてくる。一護にも答えたが、特に身体に痛み違和感はない。それ以上に気になることが多く、そんなことはどうでもいいと声を上げたくなるのを抑える。

 

「いえ、ないです……あの、あなた誰なんですか? それに此処は一体……?」

 

 そう問うと、帽子男は「これは失礼」と帽子のつばを指で押し上げ、私と目を合わせた。鈍色に光る眼が私を真っ直ぐに見据え、思わず居住まいを正す。

 

「アタシは浦原喜助。浦原商店ってしがない駄菓子屋の店主をやってます。以後、お見知りおきを」

「……だ、駄菓子屋?」

「そッス。スナック菓子に飴ガムチョコ、古今東西日本全国津々浦々の駄菓子を販売する空座町の隠れた名所なんスよん」

「しれっと大嘘つくんじゃねーよ。遊子がたまに買いに来ても、ろくに客がいたためしがねえっつってたぞ」

 

 ビニール袋から取り出した紙パックのジュースにストローを刺しつつ、一護が呆れた口調で切り捨てるが、当の本人は全く意に介さない様子で、

 

「そして時たま、ちょっとした裏稼業も行っております。たとえばそう、『怪物に襲われた女子生徒の治癒』だったり」

「……!」

 

 息を飲んだ。この人も一護と同じことを、いやでも一護から聞きかじったことにつじつまを合わせて話しているだけの可能性も……。

 

「おや、信用されてないッスね。では一つ、お聞きしましょう。あなたは怪物に襲われ、黒崎サンに助けられた。その後意識を失う直前、彼に抱きかかえられたそうな。その時、何か視えましたか(・・・・・・・・)?」

「…………あっ」

 

 言われて思い出す。確か意識を失う直前、知らない映像を見た気がする。雨の降りしきる河川敷。血まみれでうつ伏せになって倒れる女性。その子供とおぼしき派手な髪色の子供。そして、

 

「――そして、その中に黒崎サンの痕跡を見た。そうッスね?」

 

『――おふくろを殺したのは……俺なんだ……!!』

 

 ……そう、一護の声を聞いたのだ。泣きそうなくらいに歪んではいたが、ここ一か月の半分以上の放課後を共に過ごしていた人の声だ。聞き間違う事などない。

 しかし、なぜそれが分かる。ただの予想にしては、断言する口調は確信に満ちている。質問と言うよりも事実確認といった雰囲気の言葉だ。身体が不安と緊張で強ばり、思わず両手で布団の端をぎゅっと握りしめる。

 

「ホラね? 黒崎サン。やはりアナタは彼女、朝田サンの能力の被験者第一号に選ばれたんスよ。霊圧の簡易解析の結果から能力の系統は判明してますし、おそらく間違いないでしょう」

「マジかよ。密着した瞬間に、身体中をまさぐられるみてえなヘンな感じがしたとは言ったけど……詩乃、お前ホントに、俺の頭ン中を覗いた(・・・・・・)のかよ」

 

 ……なにを、言ってるの?

 

 頭の中を覗く?

 

 レイアツ? 能力?

 

 一護が、被験者第一号?

 

 二人が当たり前のように話す言葉が分からない。私のことを話しているはずなのに、私自身が全くついていけていない。思考が混乱を極め、思わず頭を抱え声を荒げそうになったが、

 

「はい! とゆーワケで!」

 

 パンッ! という乾いた音に我を取り戻す。帽子男、浦原さんが両手を打ち合わせ、私の注目を引きつけた。帽子の下の顔はニコニコと笑ってはいるが、その目は真剣そのもの。理知的な研究者を思わせる知性の色が宿っていた。

 

「これからアナタには話さなきゃいけないことが山ほどあります。おそらくアナタが夢だとでも思っているであろう、先ほどの数分間、もしかしたら何年もの間あなたの身に起こっていたかもしれない、不可解な出来事。その真相を。そしてアナタが今置かれている状況についても、ね。

 信じる信じないは全てアナタにお任せします。じきに制服の洗濯も終わりますし、アタシの話が気に入らなければそのまま荷物を持って出ていってもらって構いません。店の出入り口は解放してありますから。そして今後、アタシは一切アナタに関わりませんし、黒崎サンもその話題に触れることはない。あの時起こったことは全て夢であったとして忘れ去る。完全な元通りの日常への帰還をお約束しましょう。

 ……ですが、もしアタシと黒崎サンの口から真実を聞きたければ、もう少しだけお時間を頂戴致します。お茶でも飲みながら、この世界のもう一つの側面について、アタシらが語りましょう。

 

 さて、どうしますか?

 

 

 ――『過去視』の能力者、朝田詩乃サン?」

 

 

 

 




感想やご指摘等頂けますと、筆者が欣喜雀躍狂喜乱舞致します。
非ログインユーザー様も大歓迎です。


シノンの能力は「過去視」となりました。
戦闘力無しの能力だと虚に襲われたら詰みじゃね? というお声が聞こえてきそうですが、戦闘関連に関してはもう少し後で書いていきます。


次回も引き続きシノン回。
避けて通れぬシノンへの諸々の説明回になりそうです。出来るだけ削れるところは削りたいと考えておりますが、それでも字数がゴリゴリ増える未来が……。

GGOが登場するのは多分次々話くらいです。そこからやっと一護 in GGO開始、ああ先が長い。GGO篇が十万字で収まるか、ちょっと不安な筆者です。

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