Deathberry and Deathgame Re:turns 作:目の熊
四十四話です。
宜しくお願い致します。
ALO内統一デュエルトーナメントから丸三日経った日の午後。
神奈川の沿岸を走る金沢シーサイドラインから降り、三月にしてはキツい日差しが差し込む中を歩くこと五分弱。到着した大きな施設のエントランスで俺は人を待っていた。
今回は一人でじゃなく、俺の横には同行を主張したリーナがいた。珍しく食い物を持たず、代わりにペットボトルのミルクティーをちびちび飲みながら備え付けのベンチに座っている。
「……ったく、付いてきたって実際に中に入れんのは俺とアスナだけだっつーのに。いいのかよ、せっかくのテスト休みを付き添いで消費しちまって」
「いいの。ここから中華街近いし、帰りにそこに寄れればこの行脚も無駄と言われない」
「ならいいけどよ。……あ、遊子に『横浜行くなら豚まんと角煮買ってきて』って頼まれてたんだっけ。あれも中華街で売ってんのか?」
「ん。有名店」
ほら、これ。と、スマートフォンの画面を俺に見せてきた。確かに中華街の中でかなり有名な店らしい。星もきっかり満点の五個。そういや前、テレビでこれの特集してたっけかと朧に思いだす。後で案内するというリーナに礼を言いつつ、自販機で買ったコーヒーを啜る。
目につく人の出入りはけっこう多いが、目当ての人間はまだ来ない。一面ガラス張りの壁から差し込む日差しで寝落ちしそうな意識を保ちながら、俺はここに来た経緯を思い返していた。
きっかけは昨日の朝、俺に届いた一通のメールだった。
当然のようにウチにいたリーナと遊子、夏梨の四人で朝飯を食っていた時にメールが着信。差出人はアスナだった。曰く、
『ユウキの意識状態が安定したみたい。一護に
とのこと。
大人数で押し掛けることは病院の規則とマナー的にできないが、二人くらいだったら面会人用のパスカードを発行できるらしい。二つ返事で了承した俺と横で見ていたリーナ、それにアスナとキリトを含む四人でユウキの病院に行くことになった。
実際に面会できるのは俺とアスナだけだが、リーナもキリトもそこには頓着しなかった。単純な小旅行という以外にもユウキが現実で居る場所に行ってみたいという思いが優先したみたいだ。
あの決勝戦以来、俺もユウキもALOにはログインしていなかった。
ユウキの方は単純に無理が祟った反動の断続的意識低下状態が原因。仕方ないっちゃ仕方のないことで、むしろ意識だけでも三日で安定レベルにまで持ち直した方が驚きだ。ユウキ本人の精神的頑強さを改めて思い知る。
一方、俺は戦闘続きの日々から身を遠くに置きたかったからだ。トーナメントに参加したこと自体は後悔してるわけじゃない。けどデスゲームも受験も無くなった今、滅多やたらと剣を振りまわさない、何の変哲もない日常ってのを送りたい欲求が先行した。
だから、仮想世界じゃなく現実で会うってのは良い提案だと思ったし、新宿経由で一時間以上かけて会いに行くのも別に負担には感じなかった。
「……お、やっぱりもう着いてた。おっす、二人とも。早いな」
「ごめんなさい、乗継に手間取っちゃって」
俺らが待つこと十分。指定時間ギリギリになってようやくアスナとキリトが到着した。
二人とも面突きあわせて会うのはかなり久々。特にキリトの方はデュエルを除いちまうと、マトモに顔を合わせたのは下手すりゃ一か月ぶりだ。なんとなく会うのを避けてた感があったが、全部終わった今は別に遺恨の一つもない。フツーに目を合わせ、よぅ、と挨拶を返して立ち上がる。
アスナの先導でそのままカウンターに向かい、身分証明を見せてIDパスを二枚発行。銀色のそれをパスケースに入れて首にぶら下げた俺とアスナは二人と一度別れ、エレベータで四階まで上がった。
受付でIDを見せて手近なベンチに腰掛けるなり、アスナがこちらを見てくすりと微笑むのが視界の端で見えた。
「何だよ。人の面見て笑うとかヒデー奴」
「あはは、ごめんごめん。なんか私と一護が二人だけで居るのってすごく珍しいなあって思って、つい、ね」
「……ああ、そう言われりゃそうかもな。っつか、珍しいどころか初めてじゃねーか? SAOの後半ぐらいから、お前ほとんどキリトと居たもんな」
「それ言ったら一護の方こそ、一層の頃から今までずぅっとリーナと一緒じゃない。他人のこと言えないわ」
とか何とか駄弁っていると、白衣を着た三十代くらいの眼鏡の男が俺たちに近づいてきた。喧しいとか言われるかと思ったんだが、男は至極柔和な表情を崩さずに、
「やあ、すみません、お待たせしてしまって。お久しぶりですね、明日奈さん」
「倉橋先生。ご無沙汰しております」
「前回お会いしたのは、一か月半ほど前でしたね。ええと、そちらの青年が今回木綿季くんに面会するという黒崎一護くん、ですね?」
「黒崎っす、初めまして」
「こちらこそ、初めまして。僕は内科の倉橋といいます。紺野木綿季くんの主治医をしております」
にっこりと笑う倉橋さんに、軽く会釈を返す。俺のヘタクソ似非敬語も気にしない様子で、正直少しホッとした。
倉橋さんに案内されてラウンジの一番奥の席に徹された。アスナと並び倉橋さんと向かい合う形で席に着くと、ユウキの主治医だという医師は「さて」と前置きし両手の指を机の上で組んだ。
「面会に先立って、一護くんには――ああ、すみません。木綿季くんが君をそう呼ぶもので」
「一護でいいっすよ」
「ありがとう、では失礼して……一護くん、君には木綿季くんが今置かれている状態、それから『メディキュボイド』について、面会に先立ってある程度説明しておこうかと考えています。隣にいる明日奈さんにも初めてお会いした時、同じように説明をさせていただきました。難しい医療の話になってしまいますが、面会する以上、友人の状態は知っておいた方が良いですから」
「あ、倉橋先生。ユウキの容態なら、先日先生からお聞きしたことを一護に伝えてあります。それにメディキュボイドについても、以前彼のお父さんから説明を受けたことがあるそうで」
「お父様から? と言いますと……」
目を丸くした倉橋さんに、ウチのヒゲをれっきとした医者として紹介すんのか、と何とも言えない気持ちになりながら首肯した。
「実家が町医者で、親父が同じ内科医なんで。本業は小児科だって本人は言ってっけど……黒崎一心って名前の四十過ぎたヒゲダルマの医者、知らねえっすか?」
「ヒゲダルマって……一護、貴方自分のお父さんなんだから、もうちょっとマトモに紹介したら?」
「仕方ねーだろ。親父が学会で発表した論文の内容とか知らねーし、それ以外に表現しようがねー見た目してンだから」
「黒崎一心先生、ですか……」
俺とアスナが言い合う前で、倉橋さんは顎に手を当て、記憶を探るようにして考え込む。
いくら同じ内科医だからって都合よく知り合いってのは、流石に確率低すぎるか。そう思った瞬間、倉橋さんがパッと顔を上げた。
「――ああ! 思いだしました。先月名古屋で開催された内科医が集まる学会でお会いしましたよ。非常に気さくかつ豪快な方で。そう言えば、学会後に一緒にお酒を頂戴した際、ご子息が最近医学部に合格したと仰ってましたが」
「あの親父と酒飲んだのか……そうっす。四月から都内の大学の医学部に入ります」
「成る程! それはおめでとう。目指す科は異なるかもしれませんが、医学の道は例外なく厳しく、しかし得るものが大変多い学問です。困難があっても挫けずにお父様を目指して頑張ってくださいね」
「ど、どうもっす」
「医師の卵で尚且つ事前知識があるのでしたら話は早い。早速木綿季くんの病室へ向かいましょう。君たちの到着を今か今かと待っていますから」
ウチのアレを目指したくはねーな、とか思いながら倉橋さんの激励に応じた俺は、アスナと共に倉橋さんの後に続いて移動を開始した。会いに来たのが医者の卵と分かってシンパシーでも湧いたのか、倉橋さんはさっきまでよりも軽い口調で話しかけてきた。
「いやあ、しかしこのVR技術の発展著しい時に医師を目指すとは、実に良い考えです。一護くんはやはりお父さんと同じ科を希望するのですか?」
「一応ウチを継ぐこととか考えると、やっぱ小児科とか内科かなって……あ、そういや親父に聞いたんですけど、最近の学部生研修ってVR使った疑似検査とかやるんすか?」
「お、流石に詳しいですね。そう、現在VR技術は医学部生の研修でも活用されています。VRダイブ中の外部肉体の検査だけでなく、流体再現特化型のVR空間内で疑似的な検体を生成し、解剖や検査の練習を行っているところがあります。費用節約や研修生の技能向上等に大きく貢献しているようですよ。
私も何度か体験したのですが、まあ何ともリアルでありながら実に機能的で……現実では失敗してしまうと検体は破棄するしかないのですが、仮想空間であれば検体の時間ステップを巻き戻し、失敗以前の状態に巻き戻すなんてことも出来ますから」
「へ、へぇー。VR技術ってそんなことにまで使われてるんだ……」
廊下を突っ切り、エレベータに乗って倉橋さんの話を聞いていた明日奈が少し驚いたような声を上げる。
「VRが広がる前にも色々あったじゃねーか。遠隔操作でロボットアーム動かして手術とか、ネット回線通じてモニター越しに簡易問診とか。アレの規模を拡張しただけだろ。ウチの親父も機械音痴だけど、ネット診療はやってるとか言ってたし」
「あ、そう言えばそうね……にしても、医学分野に詳しい辺り、一護ってやっぱりお医者さんの卵なんだね。見た目アレでも」
「うっせーな、そのネタもう聞き飽きたっつの」
「ああ、そう言えば一護くん。研修中の髪は黒染め必須ですよ。新入生であるうちはともかく、研修期間になったらその明るい髪は控えないと」
「ぅげ……忘れてた」
「一護、髪黒く染めたら映像付き電話してよ。スクリーンショットしたいから」
「誰がするか」
やいのやいのと地味に騒ぎながらエレベータを降り、そのまま廊下を進んでいく。病院の中心部にあるせいか、窓は一つもない。あるのは無機質な壁と無臭性リノリウムの床。それと等間隔で並ぶドアだけだ。
流石に声をトーンダウンさせて廊下を進んでいき、『第一特殊計測機器室』と刻まれたプレートが嵌め込まれたスライドドアの前で俺たちは立ち止まった。中に入ると部屋の一方に真っ黒いガラス窓が嵌っていて、その下には小難しそうな機器が幾つか。
「この先に木綿季くんがいます。無菌室のため立ち入ることはできません、ご了承ください」
倉橋さんがそう前置きし、機械に触れて操作する。と、目の前の黒ガラスから急速に色が抜け落ち無色透明になり、数秒の後に向こう側が見えた。
飛び込んできたのは大小様々な機械群。バイタルデータを表示してるらしい大型モニター数枚。その中央に置かれたジェルベッドとそこに横たわる小柄な痩身の人影。その頭部を覆う巨大な白色の鋼鉄の箱《メディキュボイド》。
そして――、
「――やっほー! アスナ、一護、三日ぶり! 来てくれてありがとー!」
末期患者のまの字もない、スピーカーから発せられたユウキの歓迎の声だった。
思わずガクッといきそうになるのを堪え、ガラスの向こうのユウキを見る。ベッド上の肉体は動いてないが、メディキュボイドのモニターに《User Talking》の表示が出ている。
アスナも倉橋さんも予想外の声量と明るさに硬直しちまってる。俺もそうしてたいトコなんだが、ノーリアクションってのもシラける。
「よう。三日ぶりだな、ユウキ」
「うん、一護も向こうと同じ顔なんだね。っていうか、髪色まで同じとは思わなかったよ。すっごい明るく見える」
「まーな、生まれつきこうなんだ」
「へぇー。それ、学校とかで怒られるんじゃないの?」
「怒られるなんてモンじゃねえよ。教師には目ぇつけられるし上級生には『調子のンな』ってケンカ売られるし、毎日殴り合いばっかでサイアクだっつの」
「あっはは! すごい、不良漫画の主人公みたいだね。でも黒く染めたりしないんだ」
「親からもらった色だ。染めたらもったいねーだろ」
普段通りの会話を始めた俺を見て、やっと再起動したアスナが話に入ってきた。
「けど一護、医学部の研修の時は黒く染めるって言ってたじゃない。ほら、一回染めてユウキに黒髪見せてあげたら?」
「だったらVRン中で充分だろ。ツラ同じなんだしよ」
「え、一護、医学部生だったの? すごいや、将来のお医者様だね」
「実家が医者なせいでな、イヤでも意識させられて受けたんだ」
「……あ。ねえユウキ、結婚相手、一護にしたらどう? 一護なら将来有望だし、見た目はアレだけど中身はいいし、結構な優良物件じゃない?」
「はぁ? アスナてめえ、いきなり何言って――」
「あ、それいいかも! 一護、ボクと結婚しよ? ボク大人っぽい男の人が好みなんだよねー」
「ぅおい! ユウキもなに同調してンだよ! つか俺の意志とかドコいった!」
「「え? そんなのないよ?」」
「ざけンな!!」
突っぱねる俺と笑う二人。それを横のベンチに座っている倉橋さんがにこにこしながら眺めていた。
随分と久しぶりに感じるバカ騒ぎは、その後しばらく続くことになった。
◆
雑談の後に、俺とアスナはALOでの明日の再会を約束して『第一特殊計測機器室』を出た。
倉橋さんに続いて出た俺とアスナは、ドアが閉まるなり揃ってため息を吐いた。
「……ふぅ。なんか拍子抜けしちゃったね」
「拍子抜け?」
「うん。あの決勝戦であれだけの無茶をした後だったから、もっとつらそうにしてるんじゃないかなって勝手に思ってたんだけど……よかったぁ。すごい元気そうで」
「……そうか? 俺はむしろ逆に思えちまったけどな」
「え……逆って?」
怪訝そうに訊くアスナに、俺は「明確な根拠はねーんだけど」と前置きして言い返す。
「あの言動と同じくらいに調子がいいンなら、普通にALOにダイブしてくるんじゃねーか? 現実で会えるのは倉橋さん含めて最大三人まで。それがALOなら仲間全員と会えるんだ。三日会えなかった仲間連中の顔を見る方が、俺一人の面を見るよりよっぽど優先順位たけーだろ」
「でもそれは、ダイブする前にせっかく現実に意識があるうちに現実の一護の顔を見てみたいって思ってたんじゃないの?」
「んじゃ、なんで再会が明日なんだよ。時間はまだ三時、一日のほとんどを向こうで過ごしてるアイツが、この昼過ぎの時間帯に好き好んで現実に留まる必要はねえ。意識安定直後ならともかく、安定からもう丸一日以上経ってんだ」
「それは……じゃあ、一護はどういう風に考えているの?」
「確証はねえ。けど、一つ思ったことがある。
ユウキは決勝の戦いで全身を大きく摩耗した。脳も肉体も相当消耗したはずだ。けど実際話してみたら問題なく会話が出来た。ってことは、少なくとも脳機能は回復してる。にも関わらずALOに行かねえってことは……肉体にちょっとでも負荷がかかったらヤバイような状態、ってことなんじゃねーか。違うかよ、倉橋さん」
敬語抜きで問いかけた俺に、前に立つ白衣の男はゆっくりと振り返り……短い首肯でそれを肯定してみせた。
「一護くんの言う通り、木綿季くんの体機能は現在、ALO内で少しでも激しい動きをしただけで停止しかねない程に衰弱しています。
戦闘はもちろん、走る・跳ぶというような激しい動作、飛行のような本来人間の身体には関わらないはずの系統の負荷さえも命獲り。もし行えば数分と経たずに仮想の運動量が衰弱した肉体の限界点を越え、そのまま心停止……ということも充分に有りえます。この状態で木綿季くんをALOに送ることは医師として許可できない。故に、彼女は今日ALOにログインすることはできないのです」
「……でも、明日再会する約束ができたってことは、何か対策があるってことなんですよね?」
数秒のショックの後、先ほどの別れ際の約束を思いだし、倉橋さんに問いかける。確かにそうだ。あの時ユウキは「明日またALOで会おうね」と言い、倉橋さんもそれを止めなかった。今日のうちに何かしらの処置ができるってことなのか。
「ALO運営会社と連絡を取り交渉を行った結果、木綿季くんのアバターには今日の24時時点から『アバタースタビライゼーション』という処置がかけられます。それにより木綿季くんのALOダイブ中に肉体にかかる負荷を最大限に減らすことが可能になるでしょう」
「スタビライゼーション……安定化、ってことですか?」
尋ねるアスナに頷き、倉橋さんはゆっくりとエレベータの方へ歩きながら説明する。
「アバターとは、膨大なデータの塊です。それを動かした場合、脳と肉体には相応の負荷がかかる。そのため『アバタースタビライゼーション』は、ALOで平穏な時を過ごすのに不要と判断された機能をカットし、肉体に負荷がかからない動きしかできないように制限。同時に現実の肉体への負荷の変動を最小限に保つ『変動の安定化』を行うことで、急な負荷変動によるダメージが生じないようコントロールします。
処置後、木綿季くんはアバターの外見を変更できなくなり、飛行システムも封印されます。戦闘行為は対人・Mob戦問わず開始された瞬間即回戦切断。相手のいない模擬戦闘行為も四秒続いたら強制回戦切断。スキルは現時点におけるもので固定され、跳躍や疾走と言った出力系のパラメータは現実世界の十代少女の平均値に準拠かつ完全固定。勿論、魔法詠唱や武器解放も禁止となります。
――言うなれば、木綿季くんは今後ALO内において、スキルを除きごく普通の少女としてしか振る舞うできなくなるということです」
――《絶剣》の剥奪。
それこそが、ユウキが《
二度と行けないよりはずっといい、けれど残酷な真実に、アスナのはしばみ色の瞳が大きく揺れるのが見えた。
同時に、その名を奪った俺の心も揺れ動く。どれだけ自分で割り切ってても、ルキアに言われたことを思いだしても、あの一戦で犠牲にした左腕と天鎖斬月を代価に仕立て上げても、それでも完全に尚振り払うことのできない感覚――。
「――怒らないで聞いてください、一護くん」
俺を呼ぶ声。エレベータ前のエントランスに辿り着いた倉橋さんが、まっすぐに俺を見ていた。
「僕は君の話を木綿季くんから聞いた時、君を恨んでしまった。僕たち医者が必死に繋ぎ、一秒でも長く生きていられるようにと共に苦心してきた木綿季くんに、会って一月も経たない君があれだけの無茶をさせ、彼女の肉体を大きく摩耗させてしまいました。
患者に過剰な情を抱くことは医師としてどうなのかと思いますが、それでも僕はあの瞬間、君にはっきりとした怒りを覚えました。それは僕らの努力を踏みにじられたからなんていう利己的な理由ではなく、生きたいと願い今までずっと頑張り続けてきた木綿季くんの想いを踏みにじられたように感じたからです。今までずっと彼女の頑張りを見てきた過去を、有りえたかもしれない未来を、その一瞬で蹂躙された。僕はあの決勝戦が終わり、木綿季くんの意識が返ってくるまで、ずっとそう思っていました」
滔々と語るその目はどこまでも真剣で、一歩踏み外したら過去形で語るはずの怒りの感情が再燃しそうなほどに強かった。まるで子を想う親の姿だと、俺は感じていた。
「ですが意識を取り戻し、全てを語り終えた後、木綿季くんは途轍もない大声を上げて泣き始めました。理由を聞いても答えない、いやむしろ答えられないと言った様子で、ただただ何十分もの間泣き続けていました。あんなに長い間泣いた彼女を見るのは、担当医となって以降初めてのことでした。
やっと泣き止んだ木綿季くんに僕が改めて理由を訊くと、彼女はこう言っていました」
『……先生。ボクね、ボク生まれて初めて、過去に戻りたいって思ってる。
一護と戦っていたあの三分間に、もう一度だけでいいから戻りたいんだ。
今までずっと孤独だった《
一護はボクのしたことは間違っているって、たかがゲームに命なんか賭けるなって、正論をぶつけてくると思ってた。
でも一護は、一護の剣はそれさえもしなかった。
あの金色の眼は、最後までボクを理解しようとしてる人の眼だった。ボクと同じ場所に立って、肩を並べてくれる人の眼だった。
死にそうになった過去を慰めようとしない。
死ぬかもしれない未来を憐れんだりもしない。
ただ生きている今。あの一瞬だけを、一護は一緒に全力で生きてくれたんだ。
……嬉しかった。
幸せだった。
だから……もう一度だけ、戻りたい。
剣を合わせてるはずなのに、抱きしめてもらってるみたいにあったかい、あの時間がどうしようもなく恋しい。
もうそんな力、ボクには残って無いのは解ってる……でも、せめてもう一回だけ、もう一回だけでいいから……!』
長い長い語りを終え、倉橋さんは細く長い息を一つ吐き、
「……一護くん。君は僕たちでは救えなかった木綿季くんの半分を、最後の最後で救ってくれました。非情な現実に抗い戦い続け、家族を失い、孤独となって独り戦い続けてきた彼女の人生をほんの一瞬だけ一緒に歩んでくれた。今まで決して吐かなかったはずの弱音を出させてしまう程に、君は彼女の願いを叶え、同時に心底魅了した。先ほどのやけに快活な彼女の声は、その裏返しです。
君たちがALOで《絶剣》と呼んでいた存在はもういない。半身はもう死んでしまったのです。けれどその代わり、誰よりも彼女を追いかけてくれた明日奈さんと、誰にもできなかった同じ場所に立ってくれた一護くんがいます。残された時間はもう本当に僅か。二人とも、せめて最後の時まで、一緒に居てあげてください」
お願いします、と倉橋さんが頭を下げた。俺もアスナも、思ったことは同じだった。
「……はい、勿論です。ユウキを一人になんて、絶対にさせません。それがユウキを救った私の願いで――」
「――倒した俺の義務だ。《絶剣》は死んでもユウキは生きてんだ。だったら俺たちは、そのユウキと一緒に生きる」
そう言いきった俺たちに、頭を上げた医師はにっこりと微笑みかけた。
背後で下降してきたエレベータが開き、人が下りてくる。それと入れ違いで俺たちは乗り込み、一階のボタンを押す。倉橋さんは乗らず、会った時以上に穏やかな笑みを浮かべて俺たちを見送っていた。
感想やご指摘等頂けますと、筆者が欣喜雀躍狂喜乱舞致します。
非ログインユーザー様も大歓迎です。
一護の似非敬語が難しい……。
次回も再び日常回。三月十四日の様子を書きます。
完結まで、本編はあと四話です(意外と多い)。
番外編は未定。
……あと、世間様がバレンタインデーのくせにシリアスを投稿しましたので、今週末あたりに真逆ベクトルの番外編でも投稿できたらと思います。