「……おはようごうさいます」
翌朝。
べろべろと、遠慮なく私の顔を舐める『私物』に寝ぼけつつ朝の挨拶を済ませる。可愛い。不遜にも私の胸の上に立ちながら、とても軽い小さな柴犬。
ウィッグだけは着けながらパッド入りのブラは外している。就任初日、漣に起き掛けを見られて以降就寝時のスタイルは何時もの通りだ。胸はまぁ、誤魔化せるし。
山科中佐からは寝る時もブラはつけておけと言われているが、寝苦しくて仕方ない。
おなか、空いてるのかな。私を保護者と認めたのか、この子犬は起床を待っていたようだ。
寝転んだまま柔らかな毛並みである昨日からの同居者を撫でていると、硬質なノックの音が響く。
「朝早くに申し訳ありません、朝潮です」
◇
起床ラッパの鳴り響く直前の時間。日が昇る前に目が覚めてしまった私は居ても立ってもいられず執務室の隣、司令官の寝室前に立っていた。
それは先日拾った子犬の為。
どこから迷い込んだのか分からないが、私の足元に寄って擦りつくその子を無視することは出来なかった。軽いその身を抱え上げ、その姿を確認する。
首輪はしていない。痩せ細ったその身が、誰かの庇護下にないのは明らかだった。
鎮守府の外を知らぬ私にとって、初めてである人間以外の生き物。その小さな体躯に心の奥底が暖まる。守りたいと感じる。湧き上がるその感情は妹艦達に対して感じるそれに似ている。
でも、私は艦娘だ。兵器と呼ばれる存在だ。この子に感じる感情は不要。司令官が敵とするモノを討ち、この身が沈むまで戦うだけの存在だ。
刷り込みのように、何時から感じていたのか分からない部分がこの子を手放してこの場から去るように命じる。
――やだ。
その部分とは別の部分、私の中心が絶叫する。
本当にただの兵器であれば。
こんな不必要な感情、捨て置けるのに。
こんな我侭、することはなかったのに。
同室の妹艦達を説得し自室にこの子を匿い、あちこちから嘆願書の署名を集めた。
そうして迎えた定例会議。提出した嘆願は、切り捨てられた。
私達は兵器でなく、軍人である。責任を果たす者であると。
あの人は、司令官はそう断じた。だが、その言葉で私の涙腺を崩壊せしめたあの人は。
将校の私物にするという建前で私の我侭を認めてくれた。
あぁ、この人の為であれば死ねる。
駆逐艦であるこの身は軽い命だ。
戦艦や空母の盾となり捨てる為の命だ。
だが、誰の為に捨てるか。それが選べるのであれば僥倖と言う外ない。
だから、今は。
司令官の許す限り、私の我侭を突き通そう。
牛乳のパックと緩めに暖めた水、そして小皿を手に、司令官の寝室へノックと共に声をかけた。
◇
「ぁふ……ん、どうぞ……」
欠伸を噛み殺し、来室者へ入室を促す。
こんな朝早くから……あぁ、この子の朝ごはん用意してくれたのかな。私の上に乗る子犬を抱き上げながら身を起こす。
「おはようございます、司令官。お休みでしたでしょうか……?」
「いえ、丁度起きたところです」
申し訳なさそうな朝潮の手には牛乳のパックと水のボトル、それらを注ぐ小皿。やはりこの子が気になって仕方ないようだ。苦笑しながら、抱えた子犬を下ろしてあげる。
自身を拾った朝潮にも懐いているようだ、短い尻尾を振りながら子犬が駆け寄っていく。微笑ましいなぁ。寝ぼけ眼のまま、しゃがんで迎え入れる彼女を眺める。
丁寧に牛乳を水で割って与えるようだ。真面目な朝潮らしい、飼育に関する知識を出来る限り集めていたのだろう。
ん?
「……っ」
パッド、つけてない。
慌ててシーツを胸元へと掻き寄せる。
き、気づかれてないよね……?
「ふふっ、おなかすいた?待っててねー」
大丈夫そうだ。
食事を求め纏わりつく子犬に夢中で私の変化に気づいた様子はない。珍しく口調も見掛け相応に幼くなる程。
危なかった、自室に鍵をかけておくのも忘れてた。着任から一月が経ち、気が緩んでいるのかもしれない。
「はい、召し上がれ……こら、零してる。床を汚しちゃダメ」
とはいえ、子犬に語りかけながら甲斐甲斐しく世話をする少女の姿は絵になる。長閑だ。
「ダメと言ってるでしょ?司令官の私物が、そんなはしたない真似しちゃダメ」
長閑だ。朝潮の言葉に何か冷たいモノが混じっている気がするが。
「そんなことで司令官のお役に立てると思ってるの?」
長閑なんだってば。
「はぁ……さぁ、終わったなら次は散歩です。しっかり食べて走って、司令官のお役に立つ犬になるのですよ」
朝潮の言葉と威圧感、子犬はすっかり怯えている。
犬を飼育する際は、その序列をしっかりと躾ける必要があるという。
手際よく皿と汚した床を片付けた朝潮は、怯えて硬直する子犬を脇に抱え。
「朝早くから失礼しました!朝潮、鎮守府内巡回と軍犬の訓練へ行ってまいります!」
あ、軍犬になるんだあの子。
私の私物であるはずだった子犬は、お役立ちとなる為に朝潮の訓練を受けることになるらしい。
背筋をぴんと伸ばした朝潮の敬礼に返礼、きびきびとした動作で退室していくのを見送る。
どなどな。
謎の呪文と共に子犬の無事を祈る。
「ご主人様ー、起きてますかー?」
入れ替わりに秘書艦の漣。何時も通り起しに来てくれた様だ。
どうぞ、と入室を促す。聞きたいことがあった。
「朝潮ちゃん、ご機嫌でしたねー」
「その件ですが漣、貴女私を謀りましたね?」
彼女に対し不機嫌なのは、私の回りくどい言い回しを面白おかしく要約したことについてではない。
あの時、朝潮に厳しいことを言った私に同調するような一言。彼女はわざと、あの場で私と共に敵側に周り朝潮の動揺を引き出しせしめた。
そしてその動揺に、その涙に、迷っていた私は押し切られてしまった。
「……嘆願書の署名、確認しましたが」
「なんのことやらー。あ、電報着てますよ電報」
とぼけるなこの狸め。
しっかりと署名されていた彼女の名前、敢えてあの場で敵に回ってみせることで引き出した同情。恐ろしく、そして優しい娘だ。
それを許す私も計算の内なのだろうな、と差し出された一枚の電報を受け取る。
その題。
『果タシ状』
は?
◇
電報の差出人は横須賀の提督、伊東中佐からだった。
大規模作戦、その目標であるZ部隊撃破は横須賀艦隊により今朝、暁に成された。数多の深海棲艦、そして複数の姫級を全て撃破したとのことだ。
私の担当した潜水艦隊など物の数ではない。恐ろしい程の大戦果について記された電報に背筋が震える。
ただ。
その大戦果を何でもないように一行で消費した文面、その下。
――喰い足りないから帰り寄るわ、
要約するとそうなる。
何でそうなる。
戦狂いか。
「せっかく佐世保まで足を伸ばしたので、途中の呉に寄っていくそうです」
げんなりする。姫級何隻も沈めておいてまだ足りないのか。他の鎮守府への演習申し込みはそう珍しいことではない。しかし、何で大規模作戦の直後なんだ。
「……挑まれた勝負、断ることは許されません」
「おっ、やる気ですねー。それじゃ演習に応じる旨、返信しておきます」
「お願いします」
とはいえ適当な理屈を並べて、戦いから逃げることは指揮官の沽券に係わる。
やりようはある。例え相手が百戦錬磨の横須賀艦隊であっても。
「あ、そうそう」
部屋を出かけた漣が、伝え忘れていたと振り返りながら言う。
「あっちの艦隊、全員指輪持ちですから頑張って下さいねー」
は?
他人事のように言い放って退室、閉じられた扉を見つめながら呆気に取られる。
指輪持ち。いこーる、限界を超えた錬度と性能を持つということ。それが、全員?
お兄様、今から撤回するのは情けな過ぎるでしょうか。
寮長会議後編。朝潮って教育ママになりそうですよね。
朝潮の涙の理由、すれ違いに計画狂いでしたが結果よければということで。
それから犬に牛乳は基本ダメです。他に適当な物を思いつかなかったのでせめて割って出しましたが特に成犬の場合お腹壊しちゃいますので。
次回VS横須賀鎮守府編。
カッコカリ六隻とか演習で見たら経験地の山だと喜ぶ方ですが、新人の有馬君にはクソゲーです。
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