――また、この夢か。忌々しい記憶。忘れるはずもない、あの出来事。
「ただいま帰りました、お父様。望、いないのか……?」
久方ぶりに帰った実家。海軍でそれなりの功績を持ちながら引退した父と弟が暮らす木造の質素な、悪く言えば襤褸家。
寮制の訓練学校で勉学に励む士官候補生である僕の稼ぎは僅かだ。父の現役時の蓄えはとっくに底をついている。
父の溺れる酒によって。
彼の愛した妻、僕達の母が病により亡くなってから父は壊れてしまった。海軍を辞め、何をするでもなく酒に浸り続ける日々。
今、酒は高級な嗜好品だ。艦娘の登場によりいくらか戦線を持ち直したとはいえ、未だ物資は乏しい。そんな父と幼い弟を残し家を出ることには相当悩んだが、僕が稼がねばたった二人の家族は飢える。
弟だけを連れて家を出ることも考えたが、今の父を一人にすることがどうしても出来なかった。頼れる誰かもいなかった。
――それが間違いだと、気づきもせず。
どこかで母が健在だった頃、尊敬出来る立派な父は人間としての最後の一線を越えることはないと信じていたのだろう。酩酊に溺れはしても、一緒に暮らしていた頃暴力を振るうことはしなかった。
何もしない。ただ母の遺影を見つめながら涙を流すだけ。弟も幼いながらも家事は出来たし、しっかりしている。少し、父には休む時間が必要なのだ。育ててもらった恩を返すべき時なのだ。
――信じたことが間違いだった。
玄関で靴を脱ぎ、奥を目指す。ナニか、生臭い匂い。
帰宅を告げる僕の声に反応はない。奥を目指す。
短い廊下の先。堪えるような静かな泣き声と、男の荒い呼吸音。
奥を目指す。
襖を開ける。
一目で、理解した。理解してしまった。
「……政一?」
布団の上、胡坐をかきながら驚いて僕を見上げる父。
布団の上、枕を涙で濡らし震えながら身を横にしている弟。
――この、外道が。
そこから先、夢が途切れる。
違うんだ、こいつが母さんに似てきたから、つい、とか。
やめろ、連れて行かないでくれ、後生だ、とか。
そんな情けない、外道の言葉が反響する。
――もう何度目になるか。この悪夢はいつもこれと揃って僕にその罪を見せ付ける。
佐世保鎮守府に着任してしばらく。弟は僕が卒業した寮制の訓練学校だ。
一人になった父……いや、あの外道から連絡を受けた、あの日。
数年ぶりに再会したあいつは痩せ細り、土気色の肌。それを笑うために会うことにしたのだったか。
だが、それも間違いだったのだ。念の為、と護衛に彼女達を連れていたことも。
夕暮れの佐世保。鎮守府の門前。
「あ、ぁ……久しぶりだな……政一」
「何をしにきた」
縋るような目。それが息子に向ける目か。
連絡を寄越した目的は大方予想がついている。
「その、望のことは、すまなかったと思っている……連れて行かれたのも、諦めた」
「そうですか」
諦めただと? 何様の、つもりだ。
「だが、だけどな?その、仕送りもしてくれないのは酷くないか?父さん、今日の飯すら」
「お引取り下さい」
黙れ。黙れ黙れ黙れ。
やめろ。これ以上。
「ッ……誰が育ててやったと思ってるんだ!」
左頬に衝撃。痩せ細り、老い、力の入らない拳。
こんなもの。弟の受けた痛みに比べれば。
だが。
「……ダメじゃない」
「なのです」
連れてきてしまった二人。
止める間もなく雷の展開した艤装、その手に現れた錨型の鉄塊が父だった男の頭を粉砕する。
電の跳び蹴りが、頭を失くした男の胴体に大穴を開け腸を撒き散らす。
夕焼けの空の下。血の赤が、広がっている。
艦娘による初めての、そして今までで唯一の殺人事件。
――ああ、忘れはしないとも。これは、僕の罪だ。
◇
やった。
遂にやった。
「お疲れ様です、提督。任務、全て達成です」
「……お疲れ様でした!」
膨大な数の撃破目標。その全てを遂に達成した。
度重なる出撃に耐えてくれた娘達に感謝しなければ。
本部もこの功績を認め資材を支給してくれるだろう。嗜好品、多めにお願いしよう。
「それでは、本部に報告をして参ります。交代する秘書艦は……」
「たっだいまー、艦隊が帰ってきましたよー」
「おかえりなさい北上さん」
エースのお帰りだ。
本部への報告の為、部屋を後にする妙高さんと入れ違いに出撃していた北上さんが入室する。今回の連続出撃、その最多撃破数は北上さんだ。
士気高揚の為に任務達成までの各艦娘の撃破数を記録、その数に応じて報酬を出すことにしていた。最多撃破数、つまり首位の報酬は間宮券十枚。それと何らかの要望を一つ許可される。
勿論私に出来る限り、問題のないものに限られるが。
「いやー流石のハイパー北上さまも疲れたわー」
「本当にお疲れ様でした。大戦果でしたね」
執務室に二人きり。最高武勲に対する報酬を与える。
あれ、なにか、まえにも。
頭を振る。おもいだすひつようはない。
間宮券を仕舞っている引き出しを開ける。北上さんは秘書艦の座る席の上だ、だいじょうぶ。
「はいっ、お約束の間宮券十枚です。それと、ご要望については」
「……教えて欲しいことがあるんだ」
北上さんの傍に寄り、間宮券の束を手渡す。
それをスカートのポケットに突っ込み、要望が告げられる。教える?何を?
「最近さ、駆逐のちび達が提督偽乳説って噂してるみたいなんだよね」
「え」
え、の声に濁音が混じる。
「まぁそれはいいんだ、私はもう他の娘より先に知ってたわけだし。でもさ」
腕を引かれる。あっという間に、机の上に押し倒される。
私の両肩に北上さんの手が載せられている。少し、痛い。
「提督の秘密って、それだけなのかなぁ」
『蛇』が再び、醜い蛙を睨む。
お兄様……終わったかもしれません。
◇
ほっほっほ。
礼子ちゃんには嫌われたものだ。彼女が退室した後、本部の一室で苦笑する。
致し方なしか。我が愛娘と同じ、そして想い人と同じ提督の座。それを知っていながらこの差配だ、恨まれるのも当然だ。
彼女の能力について高く評価はしている。提督の任を与えるに当たって問題はない。
だが、呉鎮守府の後任を決めるに当たって彼女……いや、彼か。彼奴の弟である彼を優先したのは様々な要因、力関係が絡まってのことだ。
艦娘運用の実権を握る海軍の大派閥、我が伊東派に対して彼を密かに支援する、通称有馬派。その中心であった有馬金丸、そして後継の有馬政一。彼らを失ってなおその派閥は海軍内に影響力を持っている。
いや、行方不明の彼奴、有馬政一が噛んでいる可能性が高いと見たほうがいいだろう。そのおかげでまだ少年と言っていい彼奴の弟、望君が苦労させられているのだが。
引き出しから取り出した報告書。まるで私を睨んでいるようじゃないか。
分かっている。このような方針いつまで続けられるやら分かったものではない。
女性士官の育成は急ピッチで進めている。
だが、私も男だ。女性、それも妻や娘が最前線で戦っているのを後方で見ていることに感じるものがないわけではない。
あの事件の再発を阻止し男性を提督に着任させる。危うい橋、そして気の遠くなる距離だ。
間違っても艦娘が人類に敵対するようになってはいけない。その時こそ、滅びの時となる。
手にした報告書を再び仕舞う。
あの少年、望君にはもう少し頑張ってもらわなければな。
――艦娘と人類が接触した際の情動変化について、調査報告書。第七回。
・調査趣旨
艦娘による殺人、その起因の調査。
そして再発防止策の選定。
最終目標はその防止策を以って、安全に男性を提督にすることである。
・調査概要
呉鎮守府に男性提督、有馬望(以下:甲)を配属、経過を観察する。
ただし甲は性別を偽り女性として提督の任に置く。
・調査結果
現状、呉鎮守府に属する艦娘の情動に大きな変動は認められない。
甲の指揮下、艦隊は充分に機能している。
・分析
問題が再発していない為、推測での分析。
一、艦娘が人類に害意を持つような情動変化は男性との接触、その関係が深化した場合に発生する可能性がある。
事件を起こした有馬政一(以下:乙)の場合、駆逐艦雷と電、この二艦と合意の上で性的関係を持つに至っていた。
佐世保鎮守府に残った他の艦娘への聴取により判明、その関係は非常に良好であったようだ。
だが、二艦は関係が深化していくにつれ乙への依存を重くしていった。
殺害された有馬金丸は、その直前に息子である乙へ暴行を行ったことが目撃した艦娘により証言されている。
二、性別の欺瞞による効果。
女性が艦娘と接触した場合、関係の深化とそれによる情動変化は発生を認められていない。
先の条件を回避し、なおかつ男性を艦娘と接触させるに当たり関係深化を塞ぐ為の性別欺瞞。
現状問題が再発していないことから、艦娘の認識に因ることが考えられる。
しかし欺瞞は露見する可能性は無視できず、その欺瞞が可能である人材は限られている。
あくまで一時凌ぎの効果であることを一考されたい。
三、指輪型艤装装着済みの艦娘が男性に接触した場合。
継続観察対象、駆逐艦叢雲、及び漣について。別途報告書(指輪型艤装の効果について・第五回)を添える。
指輪型艤装装着済みであるこの二艦は男性との接触をしても問題が認められない。
鉄道での移動時、職員などに偽装した調査員の男性と接触、会話をしたがその情動に大きな変化はなかった。
指輪型艤装の効果、艦娘の性能を限界突破させることに加え情動安定化を可能とすることが追認されている。
・対策
前回報告の通り、指輪型艤装装着済みの艦娘のみとの接触が安全であると推測する。
現状呉鎮守府での問題発生は認められないが極めて限定的な条件で保たれている以上、この手法は新たなる鎮守府設立の為に男性提督を配する最終目的に適わないと結論する。
・追記、所感
人類が永きに渡り敗北を続けてきた深海棲艦、それに対抗し得る艦娘。
その艦娘が人類に対しその友好的な姿勢を崩した場合の脅威。
これまでに培った知識、道理は彼女達には通用しない。あまりにも手探りな研究と実験である。
ほんの僅かな綻びにより崩れる程度の均衡で現在が保たれていると認識して頂きたい。
喫緊の問題である新たな鎮守府設立、その為に男性提督を着任させるその方策。
一研究者としては時間がかかるとしても、同性同士に起因する問題を措いても女性提督の育成を優先すべきと進言する。
――報告者の欄は、黒く塗り潰されている。
次話、19話はR-18となります。
読み飛ばしても問題ない内容となりますので18歳を下回る方は最終話、【20】へどうぞ。