「お兄さーん! おひさしぶりなのー!」
「おう、みかんじゃないか」
「汝をライブに招待する」そうあろまが宣言してから早一週間。すっかり姿を見せなくなったアロマゲドンの片割れが、ひさびさに店を訪れた。あろまの姿が見えないことは気になったものの、それはさておきシドはみかんを迎え入れる。カウンターを挟んで言葉を交わすふたり。
「しばらく姿を見せなくて心配したぞ。なにやってたんだ?」
「あろまといっしょにライブにむけてもー練習してたの! お兄さんのためにいつもよりずっとずーっとはりきって練習してるから、たのしみにしててほしいなの!」
笑顔でそう語るみかん。決してあろまの言葉を疑っていたわけではないが、本気で己のことをライブに招待するつもりでいるらしい。
「それでね。きょうはお兄さんにふたつ用事があってきたなの! ひとつはライブの日取りが決まったなの!」
「おお」
「もうひとつは、お兄さんにわたすものがあるなの! あろまからお兄さんへ招待状、なの!」
「これは……」
そういってみかんが差し出したのは、縦長のペラ紙。
シドがその表面に印刷された文字を読むより先に、みかんが口を開いた。
「プリパラの入場チケットなの!」
「にゅ、入場チケット……!?」
"プリパラは男子禁制"という大原則を、ともすれば根底から揺さぶりかねない危険な存在だった。おののくシドだったが、続くみかんの言葉に胸をなでおろす。
「女の子が男のひとにたったいちどだけあげられるチケットなんだって! なの!」
「たったいちどだけ……」
なるほど、発行にあたって回数制限を設けることでバランスを取っているのだろう。しかしそれはそれとして新たな問題が生じてしまった。『プリパラ特別入場チケット』と大きく書かれた下には、発行年月日と、あろまの文字が印刷されている。
「そんな大切なもの、もらっていいのか?」
「ぜったいにうけとってほしいなの!」
真剣であることを表情でアピールするためか、眉間に力を入れるみかん。が、そのせいで眉が八の字になっており、むしろ困った表情を浮かべているように見える。残念ながら努力はから回っているといわざるをえないが――。真剣な気持ちはしっかりと伝わってきた。
「……わかった」
シドがチケットを受け取ると、みかんはほっとした表情を浮かべる。
「ところで、あろまはどうして来なかったんだ。直接わたしてくれればよかったのに」
「あろまはライブの日までお兄さんとはあわないんだって、なの! そうするとぜったいにライブが成功するって、予言書に書かれてたらしいの!」
「……なるほど」
大一番を前にして、なるべく誰にも会いたくない気持ちはシドにもよくわかった。
それはつまり、「それだけの準備をしているから覚悟しておるがいい」という、あろまの無言の宣言に聞こえて――。
「――楽しみだな。ライブ」
「みかんもがんばるから楽しみにしててほしいの! まだ練習しなくちゃいけないからプリパラにもどるなの! お兄さん! またねーなの!」
「ああ、またな」
みかんが走り去っていくのを手を振って見送ったところで、シドははたと気がついた。
「……そういや、ライブの日取りは?」
***
なんのことはない、チケットを裏返したらライブ日時が明記されていた。みかんもこれが分かってたから特にライブ日を伝えなかった……。のではなく、素で伝え忘れたのだろう。だってライブ日時だけマジックペンで書かれてるし、あきらかにあろまの文字だし。シドはなんだか無性にやるせない気持ちになったりしつつ――、3日後の当日を迎えた。金曜日。世間は祝日だ。
杖を突いて、えっちらおっちら歩いてたどり着いたるはプリパラ、その出入り口にシドは立っていた。ただでさえ女の園であるプリパラ。祝日ともなれば女の子であふれかえっているのだろう。
(これはさぞや肩身の狭いおもいをするぞ)
覚悟を胸に自動ドアを通って――。そうでもないことにすぐ気がついた。もちろん女の子であふれかえってはいたが、同時に保護者らしき男性たちの姿がちらほらあったのだ。中にはシドと同年代であろう男子の姿もあり、おそらくは妹でも連れてきたのだろう、とあたりをつける。
(とはいえ、ここはまだエントランスにすぎない)
そう、己はこれからプリパラ内部に入らなければならないのだ。シドはホッとして緩みかけた心をふたたび引き締める。視線を走らせると、頭上に「受付カウンター」と書かれた矢印のついた案内板。矢印を追って受付カウンターに目を向けると、入場待ちの女の子たちが列をなしているのが見えた。おののくシド。
(まさか、あれに並んでチケットを渡さなきゃいけないのか……!?)
いくら周りに男がいるとはいえ、あれに並んでいる男はさすがにいない。二の足を踏みかけたが、どうせ内部に入ればイヤでも女の子に揉まれるハメになるのだ。シドは萎えかけた心を奮い立たせるように、あろまから譲り受けた大切なチケットをズボンのポケットから取り出した。
(いざ、あの列に並ばん――)
「チケットを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……は?」
眼前に、メガネをかけた女性が立っていた。
目を白黒させるシド。ついさっきまで自分の近くにこんな女性はいなかったはずだ。混乱しながらも視線を泳がせれば、受付カウンターの向こうにいる受付嬢と、目の前の女性が同じ服装であることに気がついた。服装どころか容姿までうり二つなのには面食らったが、きっと双子なのだろう。つまるところこの人は――、目の前に立つ受付嬢がニコリとスマイルを浮かべる。
「チケットを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。どうぞ……」
いずれにせよ渡りに船ではあった。列にならばず済むならと、チケットを手渡す。
「はい。確認いたしました。それではめが兄ぃさん、よろしくおねがいします」
またもやどこからともなく、メガネをかけた男性がやってきた。おそらくは男性スタッフなのだろう。
「どうぞこちらへ」
丁寧な物腰でそういうと、男性スタッフは歩き始める。なすがまま先導する背中について行けば、いかにも『スタッフ専用』といった風情の無骨な扉から先に進んでいく。
「申し遅れましたが、私のことはめが兄ぃとお呼びください。シド様」
「どうも……って、どうして俺の名前を?」
「入場チケットに入力されたデータを読み取らせていただきました。あろま様からのご招待ですね」
「いつの間にデータを読み取ったんです? 受付嬢さんにチケットを見せて、めが兄ぃさんはすぐに来た。読み取ってる時間なんて……」
「私たちは人間ではありません」
「……は?」
「我々スタッフのことは、プリパラというシステムそのものが具現化した存在、とでもお思いください」
なにをいっているんだこの人は。シドのそんな考えが顔に出ていたのか、あるいはそのような反応も想定済だったのか、めが兄ぃさんは続ける。
「マトリックスという映画はご存じでしょうか」
「ええ」
「ざっくり表現するなら、あの映画に出てくる黒服のエージェントが私たちです。なんとなく、ご理解いただけましたでしょうか?」
「え、ええ……。まあ、なんとか……?」
仮想世界の秩序を守るために作られた番人たち。目の前の人物は自分も同じ存在だという。
「それはよかった。もちろん、彼らほど物騒な存在ではないのでご安心ください。話をもどしますと――、プリパラ内のありとあらゆる情報は常に中央サーバーに収集されております。収集方法は多岐にわたっており――、もちろん我々スタッフの耳目を通じて得た情報も含まれております。それらの情報を、我々スタッフは中央サーバーを介してリアルタイムで共有しており、これによって迅速かつ均質なサービスの提供を実現しているのです」
「はあ……」
「その上で先ほどのご質問へのご返答になりますが。データを読み取ったのは――」
受付嬢さんがチケットを受け取った瞬間か、とあたりをつけるシド。
「――シド様がプリパラに足を踏み入れた瞬間になります」
しかし事実は予想のさらに上をいっていた。
要するに、それだけ高度な監視システムが構築されているということだった。まさか全部が全部ほんとうのことをいってるとはおもわないが、すくなくとも情報が迅速に共有されているというのは事実なのだろう。であれば、いきなり目の前に受付嬢さんが現れたことにも説明がつく。めが兄ぃがエージェントってのは……、まあそういう設定なのだろう。そう結論付けるシド。
(プリパラはエンターテイメント業。すなわち夢を売る仕事。イメージを守るのは大切なこと、だもんな)
シドがそんな風に考えていると、ふいにめが兄ぃさんの足が止まった。つられて立ち止まるシド。視線の先には、空港で見るような開閉バーのついたゲートが設置されている。ゲートの向こうには通路が続いており、おそらくその先が――
「このゲートより先が、プリパラタウンへ続く道となっております。ですがこのゲートを抜ける前に、こちらの個室にお入りください」
「個室?」
ついついゲートに気を取られてしまったが、いわれてみればすぐ脇に個室が置いてあった。メタリックな外装、側面に姿見が設置されているのを見て、個室写真機だろうかとあたりをつける。
(入場してから不審な目で見られないよう、顔写真付きのパスカードでも即席で作ってくれるのだろうか)
しかし――、シドはこの時まだしっかり理解していなかったのだ。このプリパラがいかにトンでもない、常識の通用しない施設であるかを。間仕切りカーテンを捲り個室に入って間もなく、シドはそのことをイヤというほど理解する。
***
「……信じられん」
姿見の前にはなかなかの美少女が立っていた。ショートヘアにぱっちりとした瞳。ボーイッシュという形容詞がふさわしい少女だ。上はノースリーブシャツにボタン付きのベストを着ており、胸元は今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。下はピッチリとしたズボンを履いているにもかかわらず、こちらにはあるべき膨らみが存在しない。シドが右手を上げれば同じく右手を上げ、ぎこちない笑顔を浮かべれば同じくぎこちない笑顔を浮かべた。
「マジで女になってる……」
個室に入ったら光を浴びせられ、出てきたらこの有様である。わけがわからない。
「さすがに男性のお姿のままお入れするわけには参りませんので……。どうぞご了承ください」
ペコリと頭を下げるめが兄ぃさん。
まさかこんな形で去勢されるとは夢にも思わなかったが、しかし文句はなかった。女の園に男のまま放り込むより、女にして放り込んだほうが諸々の問題をまとめて解決できてしまう。
ふつうは思いついても"やら"ないというか"やれ"ないのだが、やれてしまうのならこれほど合理的な手段もないだろう。杖どころか服や持ち物までどっか行ってしまったがあれはどうなってるんだろうなとかそういう疑問はどうでもいい。そう己に言い聞かせるシド。圧倒的な不条理を前にした人間は納得という名の諦観をするしかないのである。
「また今回シド様はゲストユーザーということで、我々の方で容姿データを設定させていただきました。こちらもどうぞご了承ください」
ということらしいが、正直それについてはどうでもよかった。
「……あのー、ちゃんと男にもどれますよね?」
おそるおそる問いかけたシドに、めが兄ぃさんは無言でニコリとスマイルを返した。
「それでは、プリパラタウンへ参りましょう!」
「あの、めが兄ぃさん? ちゃんと男にもどれるんだよね? ねえ!?」
なにはともあれ、女体化したシドはめが兄ぃさんの先導でプリパラタウンへと足を踏み入れたのであった。
***
ゲートを抜けた瞬間、光に包まれて、いかにも裏路地といった人気のない場所に出た。たしかゲートの向こうには通路が続いていたはずだが、男を女に出来るのならテレポートくらい余裕だろう。シドは幾分なげやりな気持ちでそう結論付ける。
「よく来たわねネコ」
声。視線を向ければ、ハローキ◯ィ風にデフォルメされた黒猫のぬいぐるみが宙に浮いていた。
(なんだこれは)
シドが疑問を抱くのと、めが兄ぃさんが口を開いたのは同じタイミングだった。
「こちらが本日、シド様のガイド役となる――」
「スカウトマスコットのネコよネコ。気軽にネコ姉さんって呼んでもらえるとうれしいネコ」
スカウトマスコットってなんだよ!? ぬいぐるみが喋ってる!? どうやって浮いてるんだ!? ネコのクセに化粧濃いな! 一瞬にして脳裏を駆け抜けていったツッコミを、シドは心の棚に収納した。ここでシドの心は完全なる諦観の境地に至ったのである。
ガイド役。おそらくはプリパラタウン内でおかしなことやらないよう、お目付け役も兼ねているのだろう。ともあれシドにとっては誠にありがたい話であった。勝手を知らぬ土地に裸一貫で放り出されて、ライブ会場にすらたどり着けませんでしたなど笑い話にもなるまい。
シドはペコリと、ネコ姉さんに頭を下げる。
「椏隈野シドです。今日はどうぞよろしくおねがいします――、ネコ姉さん」
「あーんもう! 礼儀ただしい子だネコ~! ネコ姉さん、さっそく気に入っちゃったネコ!」
黄色い声をあげるネコ姉さん。すばやくシドの手を取ると、存外力強く引っ張る。
「さ、行きましょうネコ!」
「え? あ、それじゃあめが兄ぃさん、行ってきます!」
「いってらっしゃいませ」
うやうやしく頭を下げるめが兄ぃさんに見送られ、シドはネコ姉さんに引っ張られていった。
***
「ネコ姉さんって、あろまとみかんのマネージャーだったんですか」
「うふふふ。だからシドちゃんのことはふたりからよく聞いてるわよネコ。いつも楽しそうに話しててほほ笑ましいったら。だいぶお世話になってるみたいねネコ」
「そんな! むしろこっちの方がお世話になってますよ。あのふたりのおかげで今も店が続いてるようなもんですし」
「おおげさねえネコ」
くすくすとほほ笑むネコ姉さん。シドなりの冗談だと思っているようだが、大マジである。あのふたりがいなければ、入院することになった時点で祖父は店を畳んでいた可能性が高い。
「そういえば、シドちゃんってばバスケットのすごい選手だったらしいわねネコ」
「……昔の話ですよ」
「そうなの? あろまったらシドちゃんに会えてすごくよろこんでたのよネコ」
「へえ……、そうだったんですか」
やはり――。そんな気はしていたが、あろまはシドのことを以前から知っていた。
「あ、でもね。あのお店がシドちゃんのお祖父さんのお店とは、あろまも知らなかったのよネコ。つまりあろまがシドちゃんと出会ったのはあくまでも偶然。うーん、運命を感じるわネコ~」
「素敵!」と、身体をくねらせてハートを飛ばすネコ姉さん。
「小学1年生の時、お父さんに連れられていった総合体育館でシドちゃんの活躍を見たそうよネコ。すごくきれいなフォームでシュートを決めたんだ、って。それはもう瞳をキラキラさせてね、とってもとってもうれしそうに話してたわネコ」
「……そのシュート、サドンデスで決めたっていってませんでしたか?」
「ええ、いってたわネコ」
今からおよそ5年前。総合体育館での試合となれば、シドに思い当たるのはひとつだけだった。己の人生で最も輝いていた瞬間。あれをあろまが見てくれていたのだ。うれしいような、かなしいような。言葉にできない感情が胸に過ぎる。無意識に右足に視線がいきかけて――
「それでね、ネコ」
――ネコ姉さんの声にはっと顔を上げる。
「あ……、ああはい。なんでしょうネコ姉さん」
他愛のない世間話をしつつ、ネコ姉さんに先導されながらシドは歩いていく。裏路地から出ると、一転して活気にあふれた路地を歩いて行くと、ふいにネコ姉さんが止まった。
「これがプリパラTV――、各種ライブ設備がそろった施設よネコ」
視線の先には、ガラス張りの大きなビルが建っている。
「ここにいる女の子たちは明日の神アイドルを目指し、日々この場所でしのぎを削っているんだネコ。ほかには、テレビで流れているライブ映像もここから発信されているのよネコ。ここがなければプリパラは成り立たない、まさにプリパラタウンの中枢施設というわけねネコ」
「へえ……」
しのぎを削る――。つまり勝者もいれば敗者もいるということだ。たくさんの少女たちの感情渦巻く悲喜劇がこのビルの中で繰り広げられ、今この瞬間にも演じられているのだろう。途端、眼前のビルから漂いはじめる情念。シドは圧倒される思いだった。
「そして――、ここで今日あの娘たちのライブがあるというわけネコ。さ、シドちゃん。着いてきてネコ」
「……うっす」
「ダメよ~、シドちゃん」
「?」
突然のダメ出し。怪訝な表情を浮かべるシドに、ネコ姉さんはウインクする。
「せっかくかわいいお顔なんだから、もっと可愛らしくしないともったいないネコ♪」
「は、はあ……。きをつけます」
しんき臭い顔をしている自分を励ましてくれたのだろう。いい人……ネコだと思う。
たしかに今の己は美少女といっても差し支えない――。が。かといって可愛らしく振る舞うなんて冗談ではない複雑な気分のシドであった。返事をした時に頬が引きつっていなかったことを祈りながら、ネコ姉さんの背についてプリパラTVへ入場する。