熱気が肌を打った。
薄暗いライブ会場を埋め尽くす少女たちに、ただただ呆然とするシド。
「こんなに人気があったのか……、あのふたり」
「ふふふ、おどろいたネコ?」
シドの反応に、隣でほほ笑むネコ姉さん。どこか誇らしげなのは気のせいではないだろう。
会場入りしてからというもの、シドは呆然としっぱなしだった。
("我らはまだその域に達して"ない? これで?)
眼前で揺れている色とりどりのサイリウム、それを持つ少女たちの熱気はステージに向けられている。未だ不在の主役ふたりがあらわれるのを、今か今かと待ち望んでいるのだ。神アイドルを目指すというふたりの夢は、決して絵空事ではないと雄弁に語っている。
「……遠いなぁ」
無意識にこぼれ落ちた言葉。みっともないと思いながらも、シドは羨望を隠せないでいた。とっくに夢破れた自分と、いまもこうして夢に向かって輝いているあろまとみかん。観客席から暗闇に包まれたステージまでの距離が、シドにはまるで自分とふたりの距離のように感じられた。
「そんなことないネコ」
ネコ姉さん。シドの言葉をどう受け取ったのかはわからないが、その眼差しはとてもやさしかった。
「ふたりはアイドルである以前に女の子――。そう、好きな男の子に、こんな不器用なはげまし方しかできない女の子なのよネコ」
「それってどういう……」
「ことですか?」と問いかけようとした直後、聞き慣れた声が会場に響いた。
「デールデルビー!」
「ジェルジェルエーンジェル!」
パッ! とステージの中央にスポットライトが当てられる。降り注ぐ光の線に、浮かび上がるふたつのシルエット。その姿を確認すると同時に、前後左右から少女たちの歓声が爆発した。
すこしでもその姿を間近で見ようと、前へ前へと前のめりになる少女たち。背にかかる名も知らぬ少女の重み。やわらかな感触に気を取られかけたが、ふたたびステージから響いてくる聞き慣れた声に意識が傾く。
「ダークネス! 悪魔のしもべたちよ、呪われるがよい!」
「シャイニング! みんなに天の祝福をなの」
あろまはビシっと虚空を指差し、力強く声を張り上げる。みかんは胸元で祈るように両手を組み、やさしげな声でささやく。
「プリパラの門をくぐる者、すべての希望を捨てよ!」
「ううん! 魂は救われるエンジェル!」
鋭い眼光でともすれば威圧的に振る舞うあろまと、やわらかい笑顔で明るく希望を謳うみかん。ウラとオモテ。まるでリバーシブルのように対照的なかけあいを続けるふたり。その堂に入った立ちふるまいに、シドは目を奪われる。
「あろまと!」
「みかん!」
「「天使と悪魔があなたを!」」
「天国につれていくの!」
「いや地獄行き!」
「「我ら、アロマゲドン!」」
口上の終わりと同時、ステージが一気にライトアップされる。流れだすイントロに合わせて踊り始めるふたり。シンフォニックなメロディ。会場のボルテージは最高潮だ。「あろまー!」「みかーん!」「私も地獄につれていってー!」等と黄色い声が上がる中、シドもまた一心不乱にサイリウムを振り回す。さあ、ライブが始まる――!
***
ライブは大歓声とともに締めくくられた。
会場から出て行く人々の群れ。歩きながら「よかったねー」と興奮した様子で語り合う少女たちに、内心激しく同意するシド。シドはこのまま喫茶店にでも入ってしばらく余韻に浸りたかったが、そうはいかなかった。まず真っ先に、この感動を伝えるべき相手がいるのだから。
「ネコ姉さん」
「こっちよネコ」
会場から出てすぐに声をかければ、委細承知とばかりにネコ姉さんはふよふよと先導する。
つれられたのは控室が並ぶ通路だった。ピタリと立ち止まるネコ姉さん。
「ここから6つ目の扉がふたりの控室ネコ」
「はい」
「それじゃあ、あたしはここでお別れネコ」
「……え?」
あっけにとられるシド。何故? 問いかけるより先に、ネコ姉さん。
「あたしはいつでもここであのふたりに会えるけど、シドちゃんはちがうでしょうネコ?」
「それはまあ、たしかにそうですけど……」
だからといってネコ姉さんがいなくなる理由がわからない。
問いかけようとしたが、あっさり躱される。
「ふふふ、あとは若い人たちにまかせるネコ~。それじゃあまたあとでね、シドちゃん」
手を振りながら背を向けて去っていくネコ姉さん。
不可解ではあるが、ふたりの場所は教えてもらったし、実際シドに残された時間は短い。とにかく今はふたりの控室に向かうことにした。
「ひのふの……6つ目で、ここか」
扉の脇には『アロマゲドン』と書かれた表札プレートがついている。
ノックしようと右手を上げて、細い指が見えた。
いつもと姿がちがうということを、シドはいまさらになって思い出したのだ。
(ネコ姉さんをなんとしてでも止めるべきだったか……)
我ながらすっとぼけてるとしかいいようがないが、すぐに気を取り直す。
ふたりならネコ姉さんの連絡先くらい当然把握しているだろう、確認してもらえばいい。
改めて扉をノックする。コンッコンッ。
「は、はいってよいぞ!」
即座にあろまのうわずった声が返ってきた。
おいおい誰だか問いかけるくらいしろよと不用心さをシドは心配するが。或いはこうして控室を誰かが訪れるのは、あろまにとって珍しいことではないのかもしれない。
扉を開くと、ソファーに座ったあろまが不敵な笑みで出迎え――、一瞬だけ眉をしかめかけて、またすぐに不敵な笑みを浮かべる。
「汝、我のファンか。くくく……、またひとり悪魔に魅入られし罪深き者があらわれてしまったか……。しかしあいすまぬな、今日は地獄に用事があるゆえ、握手はてばやく……」
「お兄さんよくきたなのー!」
「すませた……、え?」
キャッキャと笑顔で飛びついてきたみかんを受け止めるシド。
ここまであっさり見ぬかれるとはおもわず、シドの方が面食らってしまった。
「まさか……、シドか?」
目をまんまるさせたあろまが無性におかしくて、シドはいたずらな笑みを浮かべる。
「おう。ひさしぶりだな、あろま」
「う、うむ。ひさしぶり……、だな」
あろまの態度はどことなくぎこちない。
己が女体化したことがよほど衝撃的だったのだろう。しかたないか、とシドは内心苦笑する。
「お兄さんのおっぱいふかふかなのー!」
「ハハハ、存分に堪能するがよい」
あろまはシドの身体を見ながら、どういうわけか悔しそうな顔をしていた。
「ぐぐぐ……。我らよりスタイルがよいではないか……」
「ははは、うらやましかろう! ……まあ、俺としてはあんまりうれしくないんだけどな」
シドの顔を見上げて、ふしぎそうに小首をかしげるみかん。
「? ふかふかおっぱいなのにうれしくないなの?」
「……正直にいうと最初はちょっとうれしかった。でもすぐ冷静になったよ。いくら巨乳でも自分の身体じゃなあ……」
埋めさせるより埋めたいというのが偽らざる本音だった。なぜだか知らないがあろまの目線が急に冷たい。シドはゴホンと咳払いをしてごまかすと、続ける。
「つーか、俺とちがってあろまは自分の意思でその姿になったんだろう?」
「まあそのとおりなのだが……。もとは男のシドにスタイルで負けるというのは、なんかこうフクザツな……」
「いやー、べつにあろまが負けてるともおもわないが……」
きゅっと引き締まった腰回りに、すらりと伸びた手足。豊満さこそないが、いまのあろまは充分すぎるほどのスレンダー美人といえよう。
いずれにしたところで、プリパラという仮想世界におけるスタイルにどれだけの価値があるかは怪しいところだが――。
「――だいじょうぶなの! 心配しなくてもあろまだってふかふかおっぱいになれるなの!」
「ほう?」
「あろまのお母さんもふかふかおっぱいなの! だから将来ゆうぼうなの! それにさいきんちょっとふくらんできてて……」
「や、やめぬかみかん! シドも食いつくでない!」
あろまはシドに抱きついていたみかんを引き剥がし、うしろから羽交い締めにするが、みかんの口は止まらない。
「それにねそれにね! みかんのお母さんもふかふかおっぱいだから、きっとみかんもふかふかおっぱいになるなの! そしたらあろまといっしょにお兄さんをぱふぱふしてあげるなの!」
「ぱ、ぱふぱふなんかせぬわ!」
「っていうかぱふぱふってなんだ。あろまは知ってるのか?」
「え?」
信じられない。という目でシドを見るあろま。
その驚きたるや、みかんが腕の中から抜けだしたことにも気がついていないようだ。
「ど、ド◯ゴンクエストであそんだことがないのか? 国民的RPGだぞ?」
「ないなー。そもそもゲーム自体あんまり遊ばないんだよ。で、どういう意味なんだ?」
シドの真摯な眼差しに、あろまは頬を染めて視線をそっと逸らした。
「そ、それは……」
「それは?」
「む、むねで……」
自分の胸を両手で左右から挟みこむような動作をするあろまだが、そこで固まってしまった。
「胸で?」
「……う、ぐぐ。み……、みーかーんー!」
「み、みかんはわるくないなのー!?」
決して広くはない控室の中で、やんややんやと追いかけっこを始めるふたり。ひとしきり騒ぐと、先に体力の尽きたあろまがソファーに倒れこむ。このやりとりをみるのも久しぶりだと、シドはほほ笑ましい気持ちになる。
「みかんもソファーにすわるなの! お兄さんはまんなかにすわるなのー!」
「え? おう」
というわけで、あろま、シド、みかんの席順に座った。
身体を起こしつつ、息も絶え絶えにあろま。
「み、みかんよ……。お茶をたのむ……」
「わかったなのー。お兄さんも飲むでしょなの?」
「ああ、たのむ」
おそらくプリパラ側が用意したのであろう、眼前のテーブル上に置かれたピッチャーとコップ。みかんはそこから3つのコップを取って並べると、ピッチャーからお茶を注いでいく。「どうぞなのー」とそれぞれの前に差し出されたコップを受け取ると、それぞれ飲み始める。
「ふう……」
ちょこんとソファーに座り、ひとごこちついた様子のあろま。シドは改めて問いかけた。
「で、ぱふぱふって……」
「それはもうよい!」
「お、おう」
ダンッ! と音を立ててテーブルに空のコップを置くあろま。ガルルと髪を逆立てながらのかつてない剣幕に、シドもここは引かざるをえなかった。コホンとかわいらしく咳払いをするあろま。仕切り直し、ということらしい。
「どうだシドよ。我らのライブはすばらしかったであろう」
身をわずかに乗り出し、上目づかいで問いかけるあろま。ともすれば傲岸不遜。言葉だけ聞くならとても自信に満ちあふれている。けれど、その表情の奥に隠し切れない不安の色があることをシドは感じ取っていた。素人目に見て、あろまのステージでの立ち振る舞いは実に堂々たるものだった。そんな少女でも、やはりだれかに評価されるというのは緊張するものなのかもしれない。
早く安心させるためにも、良かったことを伝えるべく口を開きかけて。
「ここまで――、"足を運んだ"価値はあったであろう?」
シドははっと息を呑んだ。
おそらくはポロッとこぼれたあろまの言葉に、シドはすべてを察した。
(つまりはそういうこと、だったのか)
あの日、あろまの前でうっかりこぼした苦悩はまちがいなくシドの本音。けれど、それだけだ。だれだって生きていれば苦悩の一つや二つは持っていて、それは自分自身の胸の内で折り合いをつけて生きていくしかない。すくなくともシドはそう考えて生きてきたし、断じて人様にさらけ出していいものではないと思っていた。ゆえにあの日のことは、シドの中ではみっともない記憶として深く刻みつけられている。
(だってのに……)
脳裏で鮮やかに再生されるあろまたちのライブ映像。あれだけの観客がいて、その実たったひとり――、己を励ますためだけに送られたライブだったのだ。かつてシドにとってバスケがすべてだったように、今のあろまにとってはプリパラがすべてのはずだ。その気もちが痛いほどわかってしまうからこそ、篭められた想いの深さもまた痛いほどわかってしまった。対して、自分はいったいなにを返せるというのか。感謝の言葉? ちがう。そんなのは自己満足にすぎない。
アイドルとしてあろまが最も望んでいるのは、そう――。
「――ああ、最高のライブだったぞ!」
満面の笑みとともに、シドは心からの賛辞を伝える。あろまの顔にもパアッと笑みが咲く。
「そ、そうか! まあ当然であろうな!」
「ほんとうに……、ここまで"足を運んで"よかったよ」
「あ……」
目を見開くあろま。じわっと目元に水滴が浮かんだように見えたが、すぐに後ろを向いてしまった。ぐしぐしと両手で目元を拭うと、ふたたびシドと向き合う。
「う……うむ! うむ! だがなシドよ! 我のげんかいがこの程度などとかんちがいするでないぞ!」
目元をすこしだけ赤くさせながらも、瞳には力強い光をたたえている。
きっとあろまはこれから先、もっともっと輝いていくのだろう。これからもそばで見続けていたい――、純粋にそう思った。
「ああ、これからも特等席で活躍を見させてもらうさ。なんたって俺は悪魔の――」
いいかけて、シドは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「――あろまの使徒だからな」
「――うむ!」
笑い合うシドとあろま。こんなに屈託なく笑えたのは、いつ以来だろう。
さあ、もう退屈に腐ってなんかいられないぞ。シドは肚を決める。これからも己を磨き、輝き続けるあろまの側にいたいのなら、相応の生き様を見せなければなるまい。まずはそう――、後輩に連絡してバスケ部の仲間たちと向き合うところからはじめようか。
「……して、汝はあのライブのどこがよかった?」
「そうだな……」
いずれにせよ、今は努力家でかわいらしいご主人様との会話を楽しもうじゃないか。
真剣な眼差しを向けるあろまに、シドは改めてライブの具体的な感想を口にするのであった。
〆