背後霊とイゴ少女/上
ミーンミーンと遠くから蝉の鳴き声が聞こえる。
季節は夏。外はうだるような暑さだが、エアコンの効いた店内にいるシド達にはまったく関係のない話だった。本音をいえば、節電のためにあまり低い温度に設定したくないのだが、一応食料品(生菓子)も扱ってるのでそういうわけにもいかなかった。
「それでねそれでね! 写真をズームしてみたら……その人の背中に幽霊がいたの!」
先ほどから昨日見たという心霊特番の話をしているみかん。
よほど面白かったようで、瞳を輝かせながらテーブルに身を乗り出している。
「とってもこわかったなのー!」
そう笑顔で締めくくるみかん。さっぱり怖がってるようにはみえないがご愛嬌である。
対するあろまは――、露骨にガタガタ震えていた。
「なんだあろま、実はホラーが苦手だったりするのか?」
シドが冗談交じりにそう声をかけてみれば、あろまは慌てて答える。
「な、なにをいっておる!? ホラーそのものは好きに決まっておろう! 我のキャラ作りのためにはかかせぬ資料だしな! ただ幽霊とかああいう心霊モノっていうか、じめじめしたジャパニーズホラー系統はどうも苦手で……なんてことはないぞ! 本当だぞ!?」
いろいろぶっちゃけてくれたあろまであった。
にしても――。盛ってるカップルが凄惨にコロコロされたり。キ◯ガイ一家に拉致監禁されてひどい目にあったり。ハエ人間になったり。拘束から抜け出すために自分の手をナイフでギーコギーコするホラーは大丈夫なのに、心霊モノは苦手らしい。
つーかキャラ作り的にはむしろそっち寄りなんじゃないのか? とシドは疑問に思わないでもないが、トーシロにはわからないこだわりがあるのだろう。
それにそんな些末な疑問を抱くよりも、いまはやるべきことがある。
「なああろま」
真剣な声。あろまも空気が変わったのを察したのか、真面目な表情で応じる。
「む?」
「実は内緒にしてたんだけどさ……。いるんだよ……」
これまた真剣な表情で言葉を重ねるシド。ただならぬ気配に、あろまの顔が緊張に引き締まる。
「……な、なにがおるというのだ?」
果たしていうべきか否か。そう迷っているような素振りを見せるシド。もちろん何一つ迷ってなどいない。沈黙することで、あろまの緊張感をさらに高めようとしているだけだ。事実、あろまの顔に浮かぶ不安の色は、どんどん濃くなっていく。状況は思い通りに推移している。釣り上がりそうになる口元を必死に堪える。やがて意を決したような表情で、手招きをするシド。あろまはにわかに躊躇した様子だったが、とことことテーブル席からカウンターまで移動する。シドはやおらカウンターから身を乗り出し、不安げなあろまの耳元に顔を近づけ――、ボソッとささやく。
「背後霊が、さ……」
小さく「ひっ」と悲鳴をあげるあろま。それでも気丈に振る舞おうとする。
「わ、我をおどかそうとしたってそうはいかぬぞ!?」
「我がご主人様をおどかすだなんてそんなそんな……。ほら、これから証拠だって見せるからさ。まずはほかの人にも見えるようにするぞ。10カウント~」
「え? ちょ……、え!?」
「10、9、8……」
突然の展開に慌てふためくあろまだが、シドのカウントは続いていく。
シドの目配せで、みかんがそろーりそろーりと動き出したことにも気がついてない。
わたわたとしている間に、その瞬間は訪れる。
「……1、0!」
「ひいぃ! 呪わないでー!」
「じゃじゃーん! なの!」
「……って、みかん?」
頭を抱えてしゃがみこんだあろまだったが、すぐにポカンとした表情になる。
カウントの終了と同時に、シドの右肩からひょこっとみかんが顔を出したのだ。
「くくく、見事に引っかかったなあろま! やーい」
「やーいやーいなのー!」
「え? え……?」
イタズラ成功! なにが起こったのかわかっていないあろま。
「だいたい霊なんてほんとうにいるわけないだろ。はっはっは」
「はっはっはーなのー!」
はやし立てるシド。首に抱きついてぴょんぴょん飛び跳ねながら、みかんも追従する。
あろまはぽかんとしていたが、ようやく担がれたと理解したのだろう。
ぷるぷる震えながら立ち上がると、涙目で叫ぶ。
「な、汝らに呪いをかけてやる! 背後霊に取り憑かれてしまうがよい!」
「ははは、あろまになら呪われてもいいぞ」
「いいぞー! なの! おびえるあろまもかわいーなの!」
などというやりとりをした翌日のことであった。
朝。顔を洗うべくシドが洗面所の鏡と向かい合うと、背後に男が立っていた。
いや、正確には左肩後方にだがってそんなことはどうでもいい。
「……マジかよ」
背後霊が、取り憑いていた。
***
N◯Kではぼちぼち終戦記念日に合わせた特番を流すようになっていた。
それらの特番で見た旧日本兵の軍服姿そのもの。おまけにラフな着こなしと来れば、背後に立つ男がどんな来歴なのかぼんやり想像がついてしまう。対話を試みてはみたものの、口は動けど声は聞こえない。当然シドは読唇術など使えない。ならば紙とペンを渡して筆談させようとしたが、手がすり抜けて掴めない様子。そして残った意思疎通の手段はボディランゲージ。背後に立つ男もそれを即座に悟ったらしく、苦笑しながら両手を上げた。お手上げ。
現状に対する純粋なリアクションと、シドに対して悪意がないという意思表示だろう。ひとまずそれを信用してみることにする。というかするしかない。
不気味だ。死ぬほど不気味だ。すまねえあろま、今なら心霊モノがダメなお前の気持ちがよーくわかる。だから解呪していただけないでしょうか……。
まあ現実問題あろまにそんな力があるわけないのだが。「呪うぞ」が口癖の少女が本当に呪いの力を持っていれば、己なんぞもっと早い段階でひどい目にあっているはずだからだ。ちなみにそのあろまとみかんだが、お盆の帰省だったりで2週間ほど来られないらしい。
「……囲碁、打てるか?」
半ば現実逃避気味にそう訊いてみたところ、背後霊はコクリとうなずいた。ハッキリいって知らない男が背中にいるというこの状況は不気味でしょうがない。が、いるものはしょうがない。歩み寄る努力くらいはするべきだろう。
というか、しなければ早晩耐えられる自信がなかった。
(お互いに協力してなにかをやれば、すこしは親近感もわくだろう)
会話はできない、物は掴めない、ボディーランゲージは可能。その条件で協力できるなにか、と考えてとっさに思いついたのがボードゲームだった。
その中から囲碁を選んだのが某漫画の影響であることは否定しない。しかし背後の男はうれしそうだし、期せず良案だったようだ。
自室のデスクに座ってひさしぶりにノートPCを起動。『ネット対戦 囲碁』で検索をかけて出てきた候補の中からテキトーにひとつ開く。
規約をさらっと読み終えると、ハンドルネームとパスワードを登録する段階に入る。
(もちろんハンドルネームは【sai】に……。さすがにそれを名乗る度胸はねぇや。となれば)
極めて無難に【sid】というハンドルネームをつけ……ようとしたら、他に使っている人がいるということで使えず。というわけで、【sid2016】というなんとも締まらないハンドルネームでログイン。ちなみにシドは囲碁のルールなどこれっぽっちも知らない。
なので指し示された位置に碁石を置くだけのマシーンと化していたが、しかし立て続けに勝利の文字ばかり眺めていれば、さすがに見えてくるものがある。
「この背後霊、ふつうに強いんじゃないか?」
このネット囲碁にはランクシステムが搭載されており、標準設定では己と近しいランクのプレイヤーと自動的にマッチングするようになっている。背後霊の強さがよくわからなかったので、律儀に標準設定で下位ランカーとの対局から始めていたが、10連勝した時点で設定を変更。ためしに上位ランカーとのみマッチングするようにしてみた。
ちなみに最低ランクは18級で、17、16と等級は上がっていき、1級の次は初段となり、そこから上がって最高ランクが9段。そのうち5段から9段が上位ランカーだとこのネット囲碁では定義されていた。そして設定変更後、最初にマッチングしたのが9段のプレイヤーであった。
さすがにこれまでのようにサクッと勝利とはいかず、さすがに調子に乗りすぎたかと焦燥感に駆られながら打ちつづけた2時間後、対局を制したのは背後霊。
「この背後霊、実はメッチャクチャ強いんじゃないか?」
それ以降、シドの期待を裏切ることなく連戦連勝。一週間かからず最高ランクにまで登りつめたのだった。
「あーあ。こんなことなら日和らず【sai】ってハンドルネームにしときゃよかったかなー。あ、またシオンさんから対局依頼が来てる」
脳天気にそんなことをつぶやきながら、その後も背後霊に付き合ってネット囲碁をプレイしていた、ある日のことだった。
「いらっしゃいませー」
店番中。珍しく来店したお客さんにあいさつをするシド。
それも中学生くらいの女の子で本当に珍しい……、というか店長代理になってから初めてのことだ。こんな人気のない店に好きこのんでやってくる年頃の娘などいるわけがない。
少女はまっすぐレジに向かってやってくると、シドの目をまっすぐ見据えながら口を開いた。
「失礼。こちらに椏隈野シド殿という店員はいらっしゃいますか」
凛とした眼差しが印象的だった。
紫色の髪をサイドテールにしており、白いTシャツとスカートを履いている。すらりと伸びた手足は、少女らしい華奢さを残しながらも引き締まっており、なんらかのスポーツをやっているのが見て取れた。まずまちがいなく美少女に分類されるであろう少女。ひと目見たら決して忘れることはないだろう。そしてシドに心当たりはなかった。
「はあ、それなら俺のことですが……。どちらさまでしょう?」
困惑しながら答えると、少女の瞳がにわかに見開かれた。そわそわとした雰囲気が漂い出す。
「あなたが……。し、失礼しました。私の名前は東堂シオン。伽藍堂ではシオンと名乗っております」
「伽藍堂……ネット囲碁のシオンさん?」
「はい」
こくりとうれしそうにうなずく東堂さん。
シオン――、ネット囲碁で唯一チャットを介して交流している棋士。
9段の上位ランカー。初日に倒した例の上位ランカーがなにを隠そうこの人だった。三回ほど勝負を重ねたところでシオンの方からメッセージが届き、それ以来フレンドとして良いお付き合いをさせてもらっている。囲碁のことは知らないのでもっぱら日常会話を交わすだけの関係だが、妙に馬があって毎晩よく長話をしていたものだ。
(東堂シオン、ね……)
女子中学生であることは聞いていたが、まさか本名でプレイしているとは。
いささか不用心ではないのだろうか? しかし東堂さんも己にだけはいわれたくないだろうとすぐに考え直す。なにせ住んでる場所の話になって、「東京都◯◯区◯◯にある椏隈野商店に住み込んでる」とバカ正直に話したのがシドなのだから。
ちなみに、この店のことを話したのは昨日のことだ。その行動力に感心していると、東堂さんは不意に流れるような動作で膝をつき、すっと両手を差し出して三つ指をついて頭を下げた。
「弟子にしていただきたい!」
「……は?」
レジを挟んだ向こう側。
あっけに取られるシドの前で、東堂さんは見事な土下座をかましていた。
「ちょ……、なにやってんの東堂さん!?」
「私のことはぜひシオンとお呼びください!」
「いや、それより頭を上げて……」
「シオンとお呼びください!」
「だから」
「シオンとお呼びください!」
「……ああもういくらでも呼ぶから! シオン! とにかく頭を上げてくれ!」
「弟子にしていただけるのですか!?」
ガバッと顔を上げるシオン。喜色満面といった様子だ。
シドは頭痛をこらえるように眉間を揉むと、ゆっくり言い聞かせるようにいう。
「とにかく、そこのテーブルに座ろうか。俺も移動するから」
***
テーブルを挟み、シドとシオンは椅子に座って向かい合っていた。
「俺に囲碁の師匠になってもらいたい、ねえ……」
「はい、その通りです!」
背筋をピンと伸ばして元気いっぱいに答えるシオンとは対照的に、シドは眉間を揉んでいた。
(で、どうする? 実際にオファーを受けてるのはあんたなわけだが……)
チラと横目で背後霊を見やると、眉間にしわを寄せて難しい表情をしている。
やがてゆっくり瞳を閉じると、諦めたように静かにかぶりを振った。
(出来ることなら弟子を取りたかった、か?)
或いは、これこそがこの背後霊を成仏させるための重要な選択肢だったのかもしれない。すっかり慣れ親しんでしまっているが、本音をいえばこの背後霊には消えてほしい。そして背後霊にかぎらず霊が消えるパターンといえば、なんらかの未練を晴らした時と相場は決まっている。
(初めて未練たらしい感情を見せたんだ、できることなら取らせてやりたいが……)
しかし現実問題どうやって指導するんだ? という話だった。それは彼も理解していて。だからこその苦渋の決断であることはシドにもわかった。ならばここは断るべきなのだろう。後ろ髪を引かれる思いだったが、泣く泣く断りを入れるべく舌を回す。
「あー……、俺もまだまだ高みを目指して修行の身。だれかに教えを説けるほどの器では……」
それっぽい言葉で煙に巻こうとしたが、しかしシオンはそこまで甘い相手ではなかった。
「教学相長! 正しき師と弟子の関係はたがいを高め合うもの! あなたほどの人物がより高みを目ざすのであれば、今すぐ私を弟子に取るべきです! さあ!」
「お、おう」
かなり気合の入った売り込みっぷりについ心が揺れる。
もしも囲碁がちょっとでも出来たのなら反射的に許可を出していたかもしれない。
どうにか口を開く。
「し、しかしどうしてだ。これまでチャットしてた時はそんな素振り見せもしなかったじゃないか」
「それは……」
「それは?」
にわかに言いよどむシオンだったが、次の瞬間カッと目を見開くと声を張り上げた。
「オーラを感じたからです!」
「お、オーラ……!?」
「そう! オーラです! 隠しきれぬ万夫不当のオーラ! あなたこそ私が探し求めてきた師であると直感したのです!」
なるほどさっぱりわからん。
そもそもド素人の俺にそんなオーラなんてものがあるわけ……、はたとシドは気づく。
(……もしかして背後霊のことを感じ取った?)
仮にそうだとすれば話は変わってくる。
シオンの突然の来訪も、この背後霊に惹かれてやってきたのだとすれば――? まともに考えれば発想の飛躍もいいところだろう。が、前提として背後霊という超常現象の存在があるのだ。そこから起こるすべての出来事はつながっていると考えても決して考え過ぎではないのではないか。つまり現状を打開するためにはシオンを受け入れる必要があるでFA。見事な推理だと関心はするがどこもおかしくはない。
「……よし、わかった」
「では!」
身を乗り出そうとするシオンを、右手で制する。
「キミのことは弟子として受け入れよう。ただし、すぐに囲碁は教えない。俺が良いというまでは下積み生活になるが、それでもいいか?」
「かまいません! この東堂シオン、天地神明に誓ってあなたの期待に背くことはないでしょう! イゴよろしくお願いします!」
今度こそ立ち上がって胸を叩くシオン。かくしてそういうことになった。
細かいことは明日にでも伝えるということで、そのまま今日のところは帰ってもらった。背後霊のなんだか心配そうな眼が気になったが、大丈夫、これからなにもかも上手く回っていくはずだ。まずは師匠らしく振る舞うための準備期間として、3日ほどあればいいだろうか。
そんな風に算段を立てた――、翌日のことだった。
「弟子として身の回りのお世話をさせていただきにまいりました!」
唖然とする俺の前に、笑顔を浮かべたシオンが立っていたのは。