アクマの使徒になりました   作:草陰

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背後霊とイゴ少女/中

 

 

 

 

 玄関。シドの眼前には、右手に風呂敷包みを持ったシオンが立っていた。

 朝6時という早朝の来訪者に何者かとおもいきや、まさかの人物にシドは困惑を隠せない。

 ましてや、出会い頭にこんなことをいわれれば尚さらだ。

 

「弟子として身の回りのお世話をさせていただきにまいりました!」

 

「……そんなことを頼んだ覚えはないんだが?」

 

 シドの言葉に、心底不思議そうな表情を浮かべるシオン。

 

「囲碁の世界で下積みといえば、師匠の身の回りのお世話をするということでしょう?」

 

「え? あ、ああ。たしかにそう、だな……」

 

 そんなルールは知らない。

 しかし己より囲碁の世界に対して遥かに精通しているであろうシオンの言だ。きっとその通りなのだろう。シオンにしてみれば、早朝の訪問もシドの意を先んじて汲み取ったということか。否定もできず濁した答えを返すシドに、シオンは気づいた様子もなく満面の笑みを浮かべる。

 

「というわけで、今日より住み込ませていただきます!」

 

「ダメに決まってんだろ!?」

 

「なぜです!? 炊事洗濯掃除、一通りの家事はできると自負しております!」

 

「そういう問題じゃない! 男所帯に年端もいかない女の子を住み込ませるってのは、常識的に考えていくらなんでも無理! 無理だ!」

 

「無理、ですか……」

 

 目に見えてしょんぼりするシオン。

 どうにか断りきれた。と、安心して余計な言葉を重ねたシドはあまりにも甘く迂闊だった。

 

「シオンにだって生活があるだろうし、俺に縛り付けて負担をかけるような真似はしたくないし、もっとそのあたり余裕のある……」

 

 修行プランを考えるから待ってくれ。そういいかけた刹那だった。

 

「つまり私にとって余裕のある時間帯であれば、師匠のお世話をしに来てよろしいということですか!」

 

「そう、シオンにとって余裕のある時間帯であれば……って、え?」

 

「それでは平日は朝だけ、休日に泊まり込むということでこれからよろしくお願い致します!」

 

「は、え? 泊まり込む?」

 

「それでは早速朝餉の用意を! 台所をお借りします!」

 

 風呂敷包みを掲げながら台所へと向かっていくシオン。あっけにとられ、その背中をただ見送るシド。台所から食器の音が聞こえはじめ、ようやく頭が働き出す。しばらくその場で頭を抱えると、やおらつぶやいた。

 

「……平日の朝についてはシオンの気のすむようにやらせるとして。休日に泊まり込むのは断固として拒否、だな」

 

 シオンには勝てない。それがシドの出した結論だった。

 提案の片方を了承することで、もう片方は妥協してもらうしかない。

 そんな皮算用をしつつ、いい匂いがしてきた台所へフラフラと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 で、それから4日後。

 休日泊まり込みを拒否する話を切り出せぬまま、シドはずるずると朝食の世話をされていた。

 出される料理がどれも旨いから籠絡された? そう問われれば否定はしない。

 畳敷きの居間。シドとシオンは座卓に向かい合って座っている。

 テーブルの上には、卵焼きとおみそ汁に鮭の切り身、白いご飯が湯気を立てていた。

 

「「いただきます」」

 

 箸を手に取り、食事を始めるふたり。ふわふわの卵焼きを箸で割り、口に入れると漂う昆布の風味。オーソドックスなメニュー。だからこそ、シドにもそこに込められた一手間が理解できてしまうのだ。けれどなによりもシドが拒否できなかったのは――、視線を上げるシド。

 そこにある、シオンのうれしそうな表情だった。

 毎朝それはそれはうれしそうに料理を作り、うれしそうに食事を並べ、うれしそうにシドが食べている姿を見つめているのである。この顔を曇らせるなんて想像するだけでもトンでもないことだった。しかし休日に泊まり込まれるのも困る。優柔不断もいいところだったが、いよいよ明日はシオンに用事がない日。つまりは休日。もはや一刻の猶予もない。

 食後のお茶。さすがに話を切り出すしかないと、シドは意を決して問いかける。

 

「なあ、シオン」

 

「なんでしょうか?」

 

 ほほ笑むシオン。今日はいつにもまして上機嫌な様子だった。

 部屋の隅。畳の上にはシオンの生活用品一式が入っているであろうカバンが置かれている。

 ちなみにいまの時間は夜の7時である。うん、実はさっきのシーンって夕食だったんだ。

 一刻の猶予もないというかすでにゲームセットである。

 

(わかってた、わかってたさ……)

 

 このヘタレめといわれれば否定の言葉もない。が、これをチャンスだと冷静に捉えてもいたのだ。親しくなればなるほど、シオンも色々とシドに話してくれるようになるだろう。

 そうすれば、未だ張り付いている背後霊の未練を晴らすための手段が見つかる可能性も高まるはずだ。加えて朝だけの付き合いでは会話の時間もかぎられてしまうが、こうしてお泊りとなれば当然いつもより増える。このチャンスは断固として活かすべきだとシドは口を開く。

 

「……えーっと、シオンが囲碁を始めたのって、なにがキッカケなんだ? やっぱり、家族の影響とか?」

 

「いえ、家族に囲碁を打てる者はいません」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、それどころか過去に遡ってもまずいないでしょう。というより――、いるわけがないといった方が正しいのですが」

 

 シオンの意味深な言葉が引っかかった。すかさずシドは問いかける。

 

「なんでそこまでいい切れるんだ?」

 

「東堂の家はもともと武士の家系だったのですよ」

 

「それなら囲碁が出来て当然なんじゃ?」

 

 どこぞの書物で囲碁は武士の嗜みだと読んだ記憶があった。

 シドの指摘に、シオンは複雑な表情を見せる。

 

「お恥ずかしながら、見事なまでに武芸一辺倒の家でして……。碁石など摘んでる暇があったら木刀を握れと、そういう家でした。その気風は戦前まで続き、男なら軍役に就いてお国を守るのが誉れ、女ならお家を守るのが役目という、わかりやすいほど封建的な家だったそうですよ」

 

「なるほど……、歴史のある家なんだな」

 

「まあ、さすがにいまとなってはそんな気風も薄れましたし。だからこそ私もこうして好きにやらせてもらっているというわけですが。それで囲碁を始めたキッカケですが、あれは……」

 

 

 

 

 

 *** 

 

 

 

 

 

 シドは肩まで湯船に浸かると、深く息を吐いた。

 そこに重苦しいものが含まれているのは、決して気のせいではないだろう。

 

「ふう……」

 

 戦前、シオンの家が軍人を排出する家系だったというのは重要なヒントだと思った。

 おまけに囲碁が蔑視されていたというのも大きい。

 やりたかったのにやれなかった、これは立派な未練になるのではないか。

 軍服を着ている背後霊は、或いはシオンの親類縁者かもしれない――。そう考え、シオンにそれとなく戦争で死んだ親族はいないのか問いかけてみたら、「戦死者が出たことはない」そうだ。ぶっちゃけ背後霊がどうでもよくなるレベルのミステリーだが、そういうことだった。

 幽霊というのは死亡直前の姿で出るのがセオリーだ。となれば、無関係であろう。

 早速あてが外れて消沈したシドだったが、次に去来したのは「そりゃそうだ」という気持ちだった。目が覚めたともいう。目の前の出来事がなんでもかんでも都合よく繋がるなら、この世に未解決事件なんてものは存在しないのだ。となると、次に考えたのは。

 

(不味いよなあ……)

 

 シオンはいま、純粋に下積みだと考えて身の回りの世話をしているのだろう。だが実質その気のないシドからしてみれば、年端もいかない少女をいいようにこき使ってる後ろめたさしかなかった。いまのところまったく修行の催促をされていないが、それも己のことを信用しているからこそだろう。きっと師なら適切なタイミングで稽古をつけてくれる――、そんな信用がまた重い。

 風呂に入るまでシオンと他愛のない雑談をしたが、囲碁についてはほぼ独学なのだそうだ。これまで師と呼べるような人物もおらず、にも関わらず囲碁の世界大会で5年間王者として君臨していたという。現在は引退状態らしいが、その理由もすさまじいものだった。

 

『自分を倒せる者はイゴ10年先まであらわれない。だから引退して新しいことに挑戦する』

 

 傲岸不遜。しかし結果を出してしまっている以上、それは事実となる。

 まずまちがいなく東堂シオンは囲碁の天才だ。それに勝った背後霊はまちがいなくシオンに伍する天才であろうが、矢面に立っているシドはド素人である。だいたい首尾よく背後霊がいなくなったとして、そうなったときにシオンをどうやってリリースするつもりだったんだ? 考えれば考えるほどに、己が表だって師匠面している現状に胃が痛くなってきた。

 

(まったく、俺は一体なにを考えてシオンを弟子として受け入れようなんて考えたんだ? 背後霊だって難色を示したというのに)

 

 答えは分かってる。ほんの数日前の過去を振り返って、ため息をつく。

 

「……気付いてないだけで相当まいってたみたいだな、俺」

 

 独り暮らしである以上、シドは何もかも自活するしかない。

 けれどシオンがやってきたおかげで、食事を作る時間の分だけ余裕が生まれたのだ。こうして精神的に余裕が生まれ、いくらか冷静に物事を見れるようになったのだから皮肉であった。

 やることがないらしく天井の隅に張り付いて忍者ごっこしている背後霊を一瞥すると、シドは決意と共に浴槽から出る。慎重に左足から出るシド。いまや杖がなくてもある程度の歩行はできるが、それで油断してすっ転ぶなんてのはマヌケ過ぎる。

 その時だった、風呂場のドアが勢い良く開かれたのは。

 

「お背中流しにまいりました! もちろんタオルなんて無粋なものは巻いてませんからご安心を! さあ師匠! どうぞこちらにお背中、を……」

 

 相対するシドとシオン。もちろん湯気で大事なところが隠れるなんてことはない。

 さて問題です。このような状況で健全な大和男子であればどうなるか。そして健全な大和撫子であればどこに目がいくのか。答えはWebで!

 

「……きゅう」

 

「ちょ!?」

 

 シオンは一気に顔を真っ赤にして、その場に崩れ落ちた。

 沈黙。シドはとりあえず風呂場から出ると、バスタオルで身体を拭いてから腰に巻き、深く息を吸って吐いてから眼下に視点を落とす。

 

「……さて、運ぶか」

 

 両手をそれぞれシオンの背中と腿に回して一気に抱き上げ、裸体を見ないように運び始める。

 腐っても運動部員だったシドにしてみれば少女など軽いものだった。

 

「……この歳にもなるとさすがに出るとこ出てるなあ。っていかんいかん……、足元に集中しろ足元に……。……足元に集中しなくちゃいけないんだから、見てしまってもそれは不可抗力だよな……っていかいかんいかん……。……でもちょっとくらい胸に手が触ってしまうのはしょうがないよね。じゃないと持てないし……、うん……」

 

 えっちらおっちら自室まで運ぶと、パイプベッドに寝かせて毛布をかけてやった。

 服を着せるべきか迷ったが、理性さんと相談した結果それはやめたほうがいいという結論が出たので勘弁してください。もっとも季節は夏、エアコンも回していないのでこれで風邪を引くことはまずないはずだ。シドはとっとと寝間着の短パンと半袖に着替えると、デスクの椅子をベッドのすぐ横に移動させて座った。特に理由はないが左手を開いたり閉じたりしながら、独りごちる。

 

「ったく、男子高校生にとって女の裸なんて凶器みたいなもんだってのに……。いや、それだけ焦っていたってことなのか……?」

 

 口にしてハッとする。

 焦っていないように見えていただけで、やはり内心ではシドがいつまで経っても囲碁を教えないことに焦っていたのだろう。

 だからシオンは初心な癖にこんな無茶をしてまで己の歓心を得ようとしたのではないか。

 

「ぜんぶ、俺の浅慮が招いた結果か……」

 

 シドはガクリとうなだれる。自己嫌悪に包まれかけた時、ポンと左肩を叩かれた気がした。

 視線を横に向ければ、背後霊がシドの肩に手を乗せていた。やさしげな表情。

 

「……励ましてくれているのか?」

 

 コクリとうなずく背後霊。

 背後霊が物に触れることができないというルールは、宿主であるシドの肉体にも適応される。だから決して手の温かみも感触も感じることはないはずなのに――、いまこの時、たしかにシドはそれを感じていた。

 

「そうだな、自己嫌悪に浸ってる場合じゃないよな」

 

 まずこれから考えるべきことは、自分の都合で振り回した少女の献身に報いる方法だ。

 やはり手っ取り早いのは背後霊と意思疎通する手段を見つけることだろう。これまで意図的にそういった手段を見つけることを避けていたが、いい加減に現実と向き合う時が来たのだ。

 そう――、最悪この背後霊と生涯共生していく可能性と。

 

「……んっ」

 

 考え始めたところで、シオンが目を覚ました。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 シドと服を着たシオンは座卓を挟んで向かい合って座っている。

 気まずそうにうつむくシオンに、シドはすっと頭を下げた。

 

「悪かった」

 

「え?」

 

 困惑した声をあげるシオン。すぐに状況を察したのか、あわてはじめる。

 

「か、顔をお上げください師匠!」

 

「しかし、俺がなかなか教えないせいで焦れてあんなことをしたんだろう? シオンが倒れたのも俺の責任だ」

 

 シオンの性格であれば、師に頭を下げさせたとあれば二度と同じことはやらないだろう。

 もちろん純粋に申し訳ない気持ちもある。が、そんな打算があるのも事実だ。

 

「けれど、シオンも俺の弟子であるからにはもうすこしどっしり構えてもらいたい。それとも――、俺が信じられないか?」

 

 シオンはなにかいいたげに口を開きかけて、すぐに真一文字に閉じた。師に対して余計な言い訳はしない。ということだろう。

 代わりにシオンは表情を引き締め、シドの瞳をしっかり見据えた。

 

「師匠の判断にまちがいはない、私はそう信じています。今回のことは申し訳ありませんでした」

 

 頭を下げるシオンに、シドは鷹揚にうなずいた。

 

「……うむ」

 

 うむじゃねーよボケが! 何様だ俺は! 眩しい。眩しすぎる。シオンから向けられる、一切の淀みなく信頼しきった瞳にシドの良心が痛い痛い。しかし己は風呂場で決意したのだ、これまで以上に師として"らしく"振る舞おうと。でも痛い。

 そっと胃を押さえていると、シオンの声。どこか困惑した響きにシドは眉をしかめる。

 

「ところで――、先ほどから師匠の隣にいるそちらの方は……?」

 

「――え?」

 

 震える声で「……見えるのか?」と問いければ、シオンはおずおずと頷いたのであった。

 

 

 

 

 

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