アーマードコアEX 女レイヴンの日常は、血と硝煙と愛に満ち 作:外清内ダク
01 忍び寄る恐怖
黒い空。
あんなどろどろした色をしているのは、雨雲のせいだけではないだろう。
永い時をかけて汚染された自然環境は、五十余年前の大戦争『大破壊』によって止めを刺された。
極度に汚染された大気。
多くの有害な化学物質は酸性雨に混じって降り注ぐ。
少々浴びる程度ならどうということはないが、決して飲料水や各種用水に使えるレヴェルではない。
そんな地上を、三つの影が駆け抜けていく。
赤い巨人、青い蜘蛛、そして一台の大型トラック。
彼らは雨から逃げるように歩みを進めていた。
赤い巨人――二足AC『ペンユウ』のコックピットの中で、一人の女性が舌打ちをした。
瞳と髪の色は漆黒。やや幼さが残るが、アジア系の美女である。
リンファ、といえば地下都市アイザックシティでは名の知れたレイヴンだ。
舌打ちをした理由はただ一つ。
こんなに雨に濡れてしまうと、ACが金属疲労をおこしてしまうのである。
帰ったらメンテナンスをしなければならない。
『あっめあっめやっめやっめそうこうがぁ~』
通信機を通じて脳天気な歌が流れてきた。
いまトラックを運転している、リンファの専属メカニック、エリィの声だ。
『とろけてどろどろかなしいなぁ~』
「別に溶けはしないでしょ」
全く、今日はついていない。
希少鉱物の鉱山を制圧する依頼を受けて、知り合いのレイヴンを誘って出撃したはいいものの、いきなり雨が降り始めたのである。
このご時世、雨もばかにならない。
長時間うたれ続けると、金属疲労どころか体にも良くない。
と、いうわけで日をあらためることにしたのである。
『笑い事じゃないかもな』
今度の通信は青い蜘蛛、四足AC『ワームウッド』からのものだった。
昔とある事件で知り合った、リンファの同業者ヨシュアである。
『このままじゃ帰り着く前に溶けちまう』
「脅かさないでよ……」
『とけますとけます。あはははは』
リンファは溜息をつくと、この周辺の地形図をモニターに表示させた。
どこか雨宿りできる場所を探さないと、本当に洒落にならないかもしれない。
そのとき、リンファの視界の隅におぼろげながら黒い影が映った。
「……ヨシュア、北北西……距離約2キロ」
『なんだ?』
ペンユウの足が止まった。
黒い影が見えた方に向き直り、その映像を拡大する。
「なんだろ、あれ」
『大きいな……工場施設か?
……マップに載ってないな』
確かに拡大映像では巨大な直方体のように見える。
雨のせいではっきりとは見えないが。
いずれにせよ、しばらく雨露をふせぐことはできそうだった。
*
「ほぉ……これはこれは」
ワームウッドから降りるなり、ヨシュアは感嘆の声をあげた。
彼の言うとおり、この建造物は巨大な工場のようだった。
中はACが楽に活動できるほど広い造りになっている。
薄暗く、端まで見通すこともできない。
この広大な部屋でも、まだこの施設の一割に満たないだろう。
入ってくる時に破壊したシャッターから雨粒が入り込んでくる。
三人は機体を奥までしまいこんだ。
「随分広いわね」
「大破壊以前の施設だな」
ヨシュアは近くで埃をかぶっていた作業用MTを手でさすった。
埃が落ちて機種とシリアルナンバーが顔を見せる。
思った通り、見たことも聞いたこともない型だ。
「りんふぁちゃ~ん、おへやがありますよぉ~」
遠くでエリィの声がした。
振り返ると、部屋の隅のドアの前で彼女が手を振っていた。
どうやら、作業員の休憩所か事務室のようだ。
「たんけんたんけん。
あはははは」
「ちょっと、エリィ」
リンファの制止も聞かず、エリィはドアを開けて中に飛び込んだ。
ここがどんな施設なのか、危険なのか安全なのかすらもはっきりとはわからないというのに。
仕方なくリンファは彼女の後を追っていった。
その背を見送ってから、ヨシュアは床に目を遣る。
油を吸った埃が黒々と床を覆っている。
靴底にべとべとと張り付く感触が気色悪い。
その分だけ足形が残り、自分たちが歩いた道がはっきりと見て取れた。
ヨシュアは数歩前に出た。
その足下には一つの足形。
靴の大きさからしてリンファのものだろうが……問題なのはその隣にある奇妙な帯だった。
一メートル強の幅で、埃が帯状に拭い去られていた。
そして、数メートル離れて同じ帯がもう一本平行に走っている。
――これは、まさか。
ヨシュアは眉間にしわを寄せた。
神経が獣のように研ぎ澄まされていく。
ヨシュアはコートの中に手を差し入れ、拳銃を取りだした。
*
「エリィ?」
ドアの中は、やはり事務室のような場所になっていた。
デスクが二つと、その上に備え付けられた古くさい型のコンピューター。
簡素で古いがとりあえず必要な物はそろっている。
「エリィ、どこ?」
リンファはもう一度相棒の名を呼んだ。
返事は……ない。
辺りを見回してもどこにも人の姿はない。
ここにはいないのだろうか。
奥にもう一つドアがある。
どうやらそこからさらに奥に行ったようである。
迷わずリンファはドアをくぐった。
彼女が出ていったのを確認すると、エリィは隠れ場所から這い出た。
別に特別な隠れかたをしていたわけではない。
リンファが入ってきたドアのすぐ側で身をかがめていただけである。
それでも開いたドアの影になって、完璧に隠れおおせたようだ。
「ごめんね、リンファ」
エリィは落ち着いた調子で呟くと、デスクのコンピューターを起動した。
スイッチを押すとすぐさまハードディスクがキリキリと音を立てる。
古いが一応動くようである。
しかも電源も生きている。
指で眼鏡を直してからエリィはキーボードを叩き始めた。
その目はいつものエリィのものとは違う。
普段垂れ下がっている目尻はやや吊り上がり、瞳には冷たい光が浮かんでいる。
滅多に見せるものではないが、これがエリィの科学者としての顔である。
まるで精神分裂症のように、突然真剣になることがあるのだ。
コンピューターはエリィの操作に素早く応えていく。
思った通り古いのはみかけだけで中身は最新のものである。
エリィの表情が一層険しくなった。
ピッ。
小さな電子音。
画面にはパスワードの入力を求める文章が映し出された。
字数の指定すらないが、エリィの指は軽やかに踊る。
>Tesla Dudley
Your access was refused.
>Murakumo Millennium
Your access was refused.
エリィの手が止まった。
もう一つ、パスワードの心当たりはある。
しかしエリィはそれを入力するのをためらわざるを得なかった。
覚悟を決め、キーを叩く。
>Ellen Gabriela
Checking Password...OK,your access was accepted.
エリィは背筋が凍るような思いだった。
タチの悪い学者ジョークだ。
しかも笑えない。
ともかくエリィは表示された一覧表に目を通した。
専門用語の羅列……学生時代に習ったが、半分忘れかけていた単語が脳裏をよぎる。
知識というものは不思議なもので、それだけを思い出すことはできないらしい。
必ずそれを身につけたときの思い出が一緒に蘇ってくる。
エリィはリストの中にある項目を見つけた。
それは彼女の思い出にはない項目だった。
ファイルを開く。
画面いっぱいに表示されるデータ。
文章とグラフ、そして実写映像やイメージCGが混ざり合い、論文形式になっている。
びっしり書き込まれた文章を読む気はおきなかった。
適当に読み飛ばし、ページをめくる。
最後のページを見たとき、エリィは凍り付いた。
一枚の設計図……ナノメートル単位で刻まれた、極めて精密な図である。
――逃げなければ。
エリィは漠然と思った。
しかし次の瞬間、別のことにも気が付いた。
「逃げ場なんて、何処にあるの――」
「そう、逃げ場はない」
エリィは弾かれたよう振り返った。
一体いつの間に近付いてきたのか、彼女の背後には一つの人影があった。
「リ……!」
がっ!
人影は、エリィの口を左手で塞ぐと、もう片方の手で彼女の首を掴み、デスクに押しつけた。
エリィは淡い恐怖を感じながら、人影を凝視した。
少し彫りの深い北欧風の顔立ち。
黒髪と青い瞳が奇妙な美しさをも感じさせる。
男とも女ともつかない、まるで両性具有のような美しさだった。
「利用させてもらうぞ。お前の体をな」
そいつは、口の端を吊り上げて笑みを浮かべた。
まるで輝く氷のような、冷たい笑みだった。
つづく。