アーマードコアEX 女レイヴンの日常は、血と硝煙と愛に満ち 作:外清内ダク
がちゃっ。
金属音が小さく響いた。
外から誰かが鍵を開けたのだ。
さっきからずっとパソコンと向き合っていた少女は、弾かれたかのように椅子から立ち上がった。
右手にある本棚。
左手にあるシステムラック。
どれも彼女の趣味である。
飾り気はない。
しかし、手入れは病的なまでに行き届いている。
塵も埃も小さな汚れに至るまでも、この部屋のどこにも残ってはいなかった。
それを改めて確認すると、彼女は満足した。
待てよ。
彼女の、一つに纏めた長い金髪が揺らいだ。
一房だけ混ざった黒髪が頬を撫でる。
うつむいた彼女の目に映ったのは、自分が着ているタートルネックのセーターと、藍色のデニムパンツだけだった。
もしかしたら、鍵を開けたのは彼ではないかもしれない。
彼女の心に、急に不安が押し寄せた。
なんとなく苦しさを覚え、胸を両手で押さえる。
そのまま彼女は元の椅子に座り込んだ。
ドアが開く。
彼女は目を閉じた。
見たくない。
見るのが怖い。
そう思った。
しかし次の瞬間、全ては吹き飛んだ。
「ただいま、アヤメ」
彼女は……アヤメは、はっと目を開けた。
白が最初に目に入った。
次に銀が目に入った。
ぼやける焦点を合わせると、ドアを開けて狭い部屋に入ってくる一人の男がそこにいた。
アジア系の顔つき。
見ようによって美しくも醜くもある銀色の髪。
全身を包む真っ白なロングコート。
アヤメは立ち上がり、彼に駆け寄った。
アヤメは渾身の力を込めて、彼の腕にしがみついた。
何も言わず、ただ彼の胸に顔を埋める。
確かに言葉はない。
しかし、これで十分だった。
これがアヤメの意志表現であることを、彼も知っているのだから。
彼は残された方の腕で、アヤメの髪を撫でた。
そしてもう一度、やさしく語りかけた。
「ただいま」
それと、ほぼ同時だった。
彼の後ろにあるドアから、もう一人の男が顔を出したのは。
「ツカサ君、帰ってきたんで……おや」
アヤメはその声に驚き、慌てて彼の腕から離れた。
その代わりに彼の影に隠れる。
ツカサと呼ばれた男は振り返ると、無粋な男に向かって忌々しげに吐き捨てた。
「何の用だ、コバヤシ」
「いや、失敬。お邪魔でしたかな」
コバヤシは微笑みを返すと、家の主の許しも得ずにずかずかと部屋に入り込んだ。
もちろん二人ともいい顔はしないが、あえて追い出すということもない。
彼が敵ではないことを知っているからである。
ネズミ色のあまりセンスの良くないスーツに身を包んだ真面目そうな男。
コバヤシの外見には、その程度の特徴しかなかった。
知らない者がみれば、どこぞの企業戦士かと思うだろう。
彼の地味さが、あえて作られた物であることを知る人間は、ほとんどいない。
「何の用だ」
「まあ、そう邪険になさらずに。
見てください、これを」
コバヤシはブリーフケースの中から一冊の雑誌を取りだした。
他愛もない、どこにでもあるゴシップ誌である。
「キャメロット」といえば、業界では一、二のシェアを誇る有名雑誌だ。
もっとも、普段なら到底彼らの興味を引く物ではない。
しかし今回だけは例外だった。
表紙には、一番大きな字でこう穿たれていたのだ。
「新人レイヴン宝条司、驚異の快進撃!
キャメロットだけの密着レポート!
……ふふふ、なかなか刺激的な見出しじゃないですか」
「アリーナ管理委員会じゃあそんな雑誌が流行ってるのか」
「ああ、いえ。これはあくまで個人的な趣味でして」
コバヤシは雑誌を差し出した。
しかし、男が……司が受け取ろうとしないのをみると、残念そうにそれを元のブリーフケースへと収めた。
その間に司はきびすを返すと、さっき入ってきたばかりのドアに手をかけた。
「司くん」
司の足が止まった。
「アリーナの1位は強敵ですよ。
あなたが思っている以上に」
司は肩越しに振り返り、コバヤシに冷たい視線を投げかけた。
そこに含まれるのは侮蔑か嘲笑か、あるいはもっと複雑な感情なのか。
彼がふと横に目を遣ると、アヤメが心配そうな瞳で彼を見つめていた。
「大丈夫だ、アヤメ。俺は負けない」
アヤメの頭をそっと撫でると、司は微笑んで見せた。
しかし彼女の表情は変わらなかった。
うつむいて、ただじっとしているだけである。
「ACを片づけてくるよ。すぐに戻るから」
彼の声は優しかった。
しかし、不十分だった。
アヤメの心の隙間を埋めるには。
司が出ていったあと、残された二人はしばらく無言で立ちつくしていた。
静寂が支配する時間。
それをうち破ったのは、コバヤシの方だった。
「アヤメさん。どうやら」
コバヤシは眼鏡のずれを直した。
「あなたの気持ちも、私と同じのようですね」
*
ピピッ。
暗い廃工場の中に、響き渡る電子音。
司は手元の液晶盤を確認した。
どうやら、燃料は全て抜き取れたようである。
彼の愛機からパイプを抜き取り、燃料タンクの蓋を閉じる。
彼の手入れは適切で、正確だった。
あとは、機体全体に埃よけのビニールシートを被せれば終わりである。
司は脇に畳んでおいてあるシートに歩み寄った。
そういえば。
彼の脳裏に過去の光景が浮かんだ。
忌まわしい過去。
忘れたい過去。
捨て去ってしまいたい過去。
でも捨てられない過去。
親父も昔、同じことをしていた。
宝条司。
彼の父親は機械工だった。
それほど腕がいいというわけではない。
かといって勤勉で努力家、というわけでもない。
言ってみれば二流だった。
母親はその助手をしていた。
二人がどうやって出会ったのか、彼は知らない。
もう調べようもないし、別段知りたいとも思わない。
どうせ、ろくでもないことなんだろうから。
ただ、人から多少のことを聞いたことはある。
彼の両親はかつて、不良グループの一員だったらしい。
不良グループなんていうと可愛らしく聞こえるが、中身は下手なテロリストよりタチが悪い。
窃盗、恐喝を手始めに、強盗、強姦、果ては殺人に至るまで……悪名は止まることを知らない。
司の銀色の髪も両親が常用していた麻薬の影響だと、医者から聞かされた。
彼は両親を恨んだ。
奴らさえまともな人間であれば。
ガードの厄介になるような人間でなければ。
彼が孤児院に送りつけられることもなかったのだ。
あの地獄のような孤児院に。
そう……司は生きながらにして地獄を見た。そう思った。
収容されている孤児から、生傷が絶えることはなかった。
孤児院を管理している連中――「先生」と呼ばれていたが――の乱暴に、少しでも刃向かおうものなら、柱に縛り付けてしまうのである。
餓死するまで。
年頃の少女達はほとんどが「先生」の玩具にされていたし、少年達は悲鳴を上げるサンドバッグにされた。
そこで彼は、一人の少女と出会った。
金髪で、虚ろな目をした少女。
歳は彼より2つほど下だった。
そして奇妙だったのは、一言もしゃべろうとしないことだった。
彼も噂は聞いていた。
なんでも、両親を目の前で惨殺されたショックで、失語症になったらしい。
そのあまりの異様さに、誰一人として彼女の友人になろうという者はいなかった。
「先生」たちも、彼女にだけは手を出そうとはしなかった。
彼女は孤独だった。
でも司だけは知っていた。
彼女がただでさえ少ない自分の食事を残し、それを柱に縛り付けられ、明日にも飢え死にするかもしれないという子供に与えていたことを。
そしてその子供が死んだとき、ただ一人物陰に隠れて密かに涙を流していたことを。
司はそれを見て思った。
自分が彼女を守ろう。
彼女が他の何かを守るように、自分は彼女を守ろうと。
それがアヤメである。
そして三年前。
彼はついに行動に出た。
丁度大企業同士の抗争が激化していた頃である。
彼は混乱に乗じて、アヤメとともに孤児院を脱走した。
廃棄されていたロボット……MTを自ら修理し、傭兵の真似事をして生計を立てた。
ACを買えるほど金が貯まって、正式に傭兵組織「レイヴンズネスト」に登録されたのは、つい一年前のことである。
レイヴンズネストに登録された傭兵は、「レイヴン」と呼ばれる。
そのレイヴン達が自分の腕前を競い合う闘技場が存在する。
バトルアリーナである。
アリーナを管理しているのはレイヴンズネストと、第三者のアリーナ管理委員会と呼ばれる組織だ。
アリーナ管理委員の中でも比較的有力な位置にいるコバヤシに、実力を認められたのは幸運だった。
司はアリーナという手軽な金儲けの手段を手に入れたのである。
生活はぐんと楽になった。
住処にしている廃工場に、アヤメがくつろげるスペースを作ってやることもできた。
そうだ。
彼は信じている。
幸せな生活をしていれば……幸せを感じ続けていれば、アヤメはきっと良くなる。
きっとショックから立ち直ることができる。
そう信じていた。
嫌な過去を振り払うかのように、司は頭を振った。
そのまま床においてあるシートに手を伸ばす。
その時、なにかが視界の端で蠢いた。
顔を上げ、そっちに目を向ける。
それは灰色のスーツに身を包んだ、コバヤシの姿だった。
「では、わたしはそろそろ失礼します」
司は変な顔をした。
彼は本当に、あの下らないゴシップ誌を見せに来ただけだったのか。
だとすれば、アリーナ管理委員というのは、そうとう暇な職業のようである。
「そうそう、あなたに依頼が来ていたみたいですよ。
受けてみてはどうです?
まだ次のアリーナ戦までには間がありますし」
司が肩をすくめると、コバヤシは少し微笑んだ。
そしてそのまま後ろを向くと、固い靴音を響かせながら廃工場を去っていった。
つづく。