アーマードコアEX 女レイヴンの日常は、血と硝煙と愛に満ち 作:外清内ダク
ヨシュアは踵を返すと、一目散に走り出した。
どうやら狭い空間では不利らしい。
この通りを抜ければ、もう少し広い路地に出るはずだ。
心配なのは、自分のスラムに対する浅い知識だけだった。
この先が袋小路なんかになっていないことを、ヨシュアは必死に祈り、走った。
もちろんそれを黙って見逃すほど『坊や』も甘くはない。
地を蹴り、軽快な靴音を響かせ、恐ろしいまでの速度でぐんぐん迫ってくる。
銃口だけを後ろに向け、ヨシュアは数回引き金を引いた。
靴音は消えない。
当たるはずもない。
狙って撃っても当たらないのだから。
しかし、彼の目の前にはもっと広い路地が姿を現し始めていた。
たんっ、と小さな音がして、それっきり靴音は聞こえなくなった。
恐る恐る後ろの様子を伺う。
『坊や』は、空中に飛び上がり、さっきと同じように壁を蹴ろうとしている。
ヨシュアは慌てて身を屈めた。
刃が頭の上を飛び越えていく。
『坊や』はそのままの勢いで広い路地に飛び出すと、獣のように四つん這いで着地した。
銃弾が三発。
『坊や』が地面を転がり、その全てを避ける。
ようやくヨシュアも狭っ苦しいビルの隙間から抜け出した。
スラムの一角。
自動車がすれ違える程度の広さはある。
『坊や』が、飛んだ。
四本の手足全てで地面を蹴って。
右腕のナイフは、ヨシュアの喉笛ただ一点を狙っている。
畜生、これじゃあ本当に獣じゃないか。
意味のない愚痴を自分自身にこぼしながら、ヨシュアは上半身をひねった。
白刃が頬を浅くかすめる。
赤い液体が軽く飛び散る。
ヨシュアの蹴りが『坊や』を地面に叩き付けた。
そして右手に力を込める。
無防備な『坊や』に向かって、容赦なく飛んでいく弾丸。
ヨシュアは我が目を疑った。
『坊や』の、ナイフが生えていない方の腕……
鋼鉄によって造られた左腕によって、弾丸は受け止められていた。
馬鹿な、腕に金属を埋め込んでいる……
いや、腕を金属で造っているだと?
これではまるで……
――強化人間……? まさか、これが!?
考える暇すらも、『坊や』は与えてくれなかった。
倒れた状態から背筋の力だけで飛び上がり、右手を振るう。
ヨシュアは上体をそらした。
一突き目が鼻先をかすめる。
もう一度。
この位置でかわすのは無理だ。
そう判断して、後ろに飛びすさる。
今度は刃先が左腕を少し抉った。
トリガーを引きながら、もう一歩間合いを広げる。
弾丸は例によって左手に受け止められた。
距離は4メートル少々。
右にはビルの壁。
左は開けた道。
丁度二人の真ん中あたりに、ビルとビルの間の細い隙間がある。
この状況で、次はどう動く。
ヨシュアの脳が、考え得るシチュエーション全てを想定した演習を始めた。
奴の突きは、上か、下か、右か、左か。
飛んでくるか、地を這うように来るか。
それともどこかに飛び道具を隠し持っているのか。
そしてそれにどう対応すればいいのか。
避けるか。撃つか。蹴るか、殴るか。
それとも一目散に逃げ出すか。
『坊や』が走り、ヨシュアが身構える。
……と。
いきなり、予想だにしなかった因子が現れた。
右手の、ビルとビルの隙間から。
何気なく歩み出てくる一人の女。
まずい。
ヨシュアに向けられるはずだった刃が、その女に向いた。
永遠にも等しい一瞬。どうする。
撃てば女に当たる。
女をかばえば自分が刺される。
女を見捨てれば、使い捨ての盾になる。
ヨシュアが決断するよりも早く――
だんっ!!
『坊や』は、女に腕を掴まれ、投げ飛ばされていた。
「……あらぁ?」
女の間が抜けた声が聞こえる。
地面に叩き付けられた『坊や』は、もはやぴくりとも動かない。
打ち所が悪かったのだろうか。
緊張の糸が切れ飛び、ヨシュアは肺にため込んでいた息を一気に吐き出した。
深呼吸。気分を落ち着かせる。
「どうしたんだい、シャオシュエ。騒がしいねぇ……おや」
男の声。
『坊や』を投げ飛ばした女の後ろから、もう一人の男が姿を現した。
その視線は、『坊や』に釘付けになっている。
しゅうしゅうという音。
不快な臭い。
ヨシュアも気づき、『坊や』に目を遣った。
そこにはあったのはただ一つ。
ぼこぼこと泡を吹きながら、緑色の粘液へと変貌していく『坊や』の死骸だけだった。
*
「いやぁ、到着するなり凄いものに出くわしちゃったねぇ、シャオシュエ」
「さすがは都会ねぇ、いろんな人がいるわぁ」
耐え難い臭いを放つ『坊や』のなれの果てから離れ、ヨシュアはなんとか呼吸を整えた。
普段ACの操縦ばかりしているせいか、こういう肉体労働からはすっかり疎遠になっていた。
息が切れてしょうがない。
「……なんで付いてくるんだ」
ヨシュアはぶっきらぼうに問いかけた。
『坊や』を投げ飛ばした女と、その夫らしき男に向かって、である。
改めてその風体をまじまじと見つめる。
変わった格好だ。
男の方は、黒い僧衣を纏っている。
首からは、銀色の十字架をぶら下げている。
野暮ったい黒縁の丸眼鏡。
糸のように細い垂れ目。
キリスト教の……それもカトリックの神父であることは間違いなさそうだ。
しかし、あの黒髪や黒い瞳はアジア人の証。
少なくともヨシュアは、アジア人の神父というのは初めて見た。
そして女の方。髪の色はやや茶色がかった黒。
瞳は漆黒だ。
なんの変哲もない、主婦その一といった感じのワンピースを身につけている。
こちらもアジア系のようである。
相当な美人だが、どこかで見たことがあるように思うのは気のせいだろうか。
二人に共通していたことは、いつ何時も、決して微笑みを絶やさないということだった。
「ええと、あなたはレイヴンの方とお見受けしましたが」
「……確かに」
まあ、見れば判るだろう。
いくら治安の悪い世の中とはいえ、堅気の人間がそうそう襲われたりはしない。
とりわけ、先のようなわけのわからない相手には。
「わたし、ヘイフォンと申します。
恥ずかしながら。東のホウシァン・シティで神の教えを説いております。
そして、こっちは妻のシャオシュエ」
「初めまして~。主婦一号でぇ~す」
ヨシュアの額を、一筋の汗が流れた。
あんまりにもこの二人の笑顔が目について、逆に恐ろしいくらいだった。
別に作り笑いというわけではないだろうが。
「実はわたしたち、家出した娘を捜してはるばるアイザックまでやってきたのですよ。
ですが何分地理に明るくないもので……
どう捜していいやら見当も付かない有様で。
どうでしょう、レイヴンさん。
お礼はいたしますから、娘を捜すのを手伝っていただけませんか?」
なろほど。
まあ、人捜しは探偵か興信所の仕事であって、レイヴンの仕事ではないような気もするが、大した問題ではない。
ようは金さえもらえれば何でもいいのである。
「報酬次第だ」
「おお! ありがとうございます!
お礼は、そちらの言い値で結構ですよ。
あなたに神の祝福がありますように」
ヘイフォンとか言う神父は、ヨシュアの目の前で十字を切った。
これは勘弁して欲しいものだ。
しきりにこういうことをされると……父親を思い出す。
そんなヨシュアの心中を知ってか知らずか、ヘイフォンは懐から一枚の写真を取り出した。
恭しく差し出し、こちらに見せる。
「これが、わたしたちの娘です」
写真を受け取り、視線を送る。
ヨシュアの動きが止まった。
そこには、見慣れたアジア人の女が、これでもかというくらいのジト目で写って……
いや、無理矢理枠の中に収められていた。
つづく。