アーマードコアEX 女レイヴンの日常は、血と硝煙と愛に満ち 作:外清内ダク
ビルの最上階では、実直そうな男が額に汗を浮かべていた。
社長室の空調は、全力で冷たい息を吐き出している。
いつもより遥かに温度設定が低い。
社長がそうしたのだ。
自分がかいている汗が、冷や汗であるとも知らずに。
お陰で秘書は寒くてたまったものではない。
「ノーカー、噂が流れているぞ」
冷や汗をかいている実直そうな男、つまりネーベル・テヒニケン新社長モールは、先代から引き継いだ有能な秘書に愚痴をこぼした。
正確には愚痴でないのだが、秘書のノーカーにとってみれば受け答えは一つである。
「どのような噂です?」
「ハティーユとファが動いている……長老組と裏協定を結んだらしい」
「荒唐無稽ですな」
社長の懸念を、秘書は一笑に伏した。
「噂はでたらめだと?」
「信じる要素がありません。
仮にハティーユ達と何らかの取引をしたとして、一体長老組にどんな利益が生じますか。
利益が無いのなら長老は動かない。ご存知でしょう?
それに、あのハティーユとファが手を組むとも考えにくい」
確かに、表面上はそうである。
長老組には何の利益もないし、犬猿の仲で有名な二人にいたっては並んでいる姿を想像することすらできない。
だが実際は違う。オブリッチが会社を支配していた頃は、長老組は何も干渉してこなかった。
彼に任せておけば、自分たちに利益も入り、会社も円滑に動くということを知っていたからだ。
しかしオブリッチが死に、モールが権力を握ると、途端に長老組には金が流れなくなった。
モールの実直な性格が仇となったのだ。
そうなると、欲望の権化たる老人どもは暗躍し始める。
長老組が動けば、ハティーユたちにとっても好都合だ。
たとえ会社を二分することになったとしても、自分の手に実権が握られることになるのだ。
そういう流れに気付いていないのは、他ならぬモール自身だけだった。
「大丈夫……なんだな?
私はお前を信じるぞ」
「光栄ですな」
愚かな。モールは未だ、ノーカーの笑みが嘲笑であることにすら、気付いてはいなかった。
*
からんっ。
グラスの中で、氷が音を立てた。
中を覗き込む。
スコッチはもう一滴も残っていなかった。
「おかわりぃ」
不機嫌なところに、酔いが絡まっている。
リンファはグラスをカウンターに叩き付けると、自分はそこに突っ伏した。
かなり酔っている。
珍しいこともあるものだ。
普段あれほど酒に強いリンファが、数杯のスコッチでこんなことになるなんて。
とても信じられない。
さては。
隣の席でちびちび酒をすすっていたヨシュアは、グラスにスコッチを注ぐ男に目を遣った。
何か細工をしたな、このいんちきマスターめ。
そもそも、紅茶店にどうしてこんなに酒が用意してあるのか。
ただ、今は有難かった。
嫌なことがあったときくらい、気持ちよく酔わせてやりたいじゃないか。
「飲み過ぎだぜ」
「うるさいなぁ……どってことないって」
リンファは注がれた酒に口を付けた。
一口、こくんと飲み干す。
喉が小さく動くのが、隣のヨシュアにははっきりと見えた。
綺麗だ。
がらにもなくヨシュアはそんな風に感じた。
もちろん口にはださない。
思春期の小娘に、そんな台詞口が裂けても言えない。
「なんで連れてきたのよ」
「あの二人か?」
リンファは大きくかぶりを振った。
随分酒が回っているな。
普通に頷くこともできていない。
「お前の、親だからだ」
「頼んでない!」
グラスを脇に置き、リンファはカウンターに顎を付けた。
すうっと、寂しそうに目を細める。
久しく見ていない表情だった。
「自由になりたかった……
あたしはただ、自由になりたかったのよ。
でも分かってくれない。
親父も、母さんも、自分の生き方を押しつけるばっかり……
もうまっぴらよ。
あたしは誰かの持ち物じゃない。
自分で考えて、自分で決められる。
それなのに、どうして……どうして今更」
自分の酒を一気に飲み干す。
ヨシュアは空のグラスを丁寧にカウンターに戻した。
隣に目を遣る。
眠たそうな瞳で、頬を赤らめ、リンファがこっちを見つめていた。
畜生。
ときどき自分に嫌気がさす。
こんな小娘に惹かれてしまっている自分が、たまらなく情けなかった。
「どんな親だって、いないよりはましなんじゃないのか」
リンファは目を閉じた。
まどろんできたらしい。
最後の言葉。
呆けた瞳で見つめていた言葉。
火照った肌で受け取っていた言葉。
耳には聞こえていなかったかもしれない。
紙幣をテーブルにおいて、ヨシュアは立ち上がった。
二人分の酒代よりも少し多い。
「目が覚めたら、酔い覚ましに苦いのを飲ませてやってくれ」
紅茶店が本業のマスターは、無言で紙幣をポケットに納めた。
全く、徹底して無愛想なことだ。
レイヴンしか集まってこないのがそのせいだと、気付いているのだろうか。
気付いたところで、急に愛嬌を振りまき始めるような男でないのも確かだが。
からん。
ドアの鐘がなる。
ヨシュアは一人、紅茶店カラサキを後にした。
さて。
少し、野暮用がある。
もうあれから数時間……そろそろ来ていてもおかしくない。
記憶を頼りに歩く。
細い路地。地面の汚物。
眠ったままの浮浪者。
間違いない、この道だ。
そしてあの先にあるのは……
コートの中に手を入れる。
触れるもの、拳銃。
慎重に、ヨシュアは角から向こう側を覗いた。
しばらく前に『坊や』と死闘を繰り広げた通り。
ちょうど奴を倒した辺りに、一台の車が止まっている。
ワゴンタイプである。
その後部トランクから、細いホースが伸びている。
二人の男が分担して機械を操作しているのが見える。
吸い取っているのだ。
あの、緑色のどろどろした液体を。
やはり、来ていたか。
死体の――いや、兵器の残骸を回収しに来ているのだ。
あの車には、見覚えがある。
古い型だし偽装もされているが、あの特徴的なシャーシーの形状は、間違いない。
ネーベル・テヒニケンという企業が数年前に発表した、『ゲヒルン』という名の汎用作業車だ。
あれ一台で部隊の「脳」……すなわち「ゲヒルン」を担えるとかで、かなり売れた車である。
大企業、か。
背筋に妙な悪寒を感じ、ヨシュアは身震いをした。
嫌な予感がする。
何かが、自分にとってとてつもなく巨大な何かが、すぐ側まで迫っている。そんな気がした。
*
「どういうことだ!?」
その暗い部屋に足を踏み入れるなり、ノーカーは声を荒立てた。
恐ろしいくらいの剣幕で迫る先は、一人の金髪の女である。
金髪の女は面倒そうに椅子から腰を上げた。
澄んだ冷たい声が響く。
「どういうこと、って?」
「C-8居住区のスラムで噂が流れている。
強化人間が現れた、とな。
痕跡は回収したが……なんのつもりだ。
今『ゲシュペンスト』を表に出せばどうなるか、わからないほど馬鹿ではあるまい!」
金髪の女、アシャンタは妖艶な笑みを浮かべた。
こつり、こつりと靴音を響かせ、ノーカーに歩み寄る。
淡い香水の匂いが鼻をついた。
綺麗な色のマニキュア。
細く白く美しい指がノーカーの頬に触れる。
優しく肌を撫でていった。
「大丈夫……あれは『ゲシュペンスト』じゃないもの。
あいつはただの『ミゼラーベル』」
指が頬から離れた。
代わりに腕をノーカーの首にまわし、そっと引き寄せる。
唇と唇が触れ合った。
アシャンタは彼の中に入り込むと、そこで激しくのたうった。
無反応。つまらない。
そう感じるなり、アシャンタは舌を自分の口の中に戻して、唇を離した。
「あなたにプレゼントがあるの」
アシャンタはノーカーの手首をつかんだ。
手のひらに一枚のカードを握らせる。
それはIDカードのようだった。
ACなどを操縦するときに、搭乗者が正規の者であるかどうかを判別するために使うカードだ。
「『イミタティオーン』よ。大切に使ってね。
今夜、あなたにとってまたとない好機が訪れるから」
「好機、だと?」
妖艶な笑みが、悪魔の微笑みに変わった。
背筋に走る冷たい感触。
アシャンタは最後にノーカーの首筋にキスをしてから、デスクの横に掛けてあったコートを手に取った。
ついさっき彼が入ってきたドアの前に立つ。
重い音がして、ドアは勝手に開いた。
向こう側の光が入ってくる。
アシャンタのシルエットが映し出された。
後光だ。これではまるで。
「楽しい……とっても楽しいパーティーよ」
ドアが再び閉まる。
暗黒を取り戻した部屋の中で、ノーカーはいつまでも、一人佇んでいた。
瞳の光は、決意か、それとも狂気か。
答えを知る者は、どこにもいない。
つづく。