アーマードコアEX 女レイヴンの日常は、血と硝煙と愛に満ち   作:外清内ダク

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最終話 緋色の瞳のラグ・ドール
01 動き出した狂気


 

 

 

 その日は朝から嫌な予感がしていた。

 

 虫の知らせとでも言うのだろうか。

 自分の身に何か危険なことが降りかかりそうな気がしてならなかった。

 それも、ちょっとやそっとの危険ではない。

 命に関わる……いや、下手をすればもっと大きな物にも影響を及ぼしかねない危険。

 

 背中を絶えず駆け回っているむずがゆい感触に耐えきれず、ロレンスはガレージへと向かった。

 

 彼が世界最強の座に着いてから、一体どれほどの年月が経っただろうか。

 彼の前に敗北の二文字はなかった。

 圧倒的な力で勝ち残り、生き残り、幾つもの命を深淵へと叩き落としてきた。

 

 それはあまりにも重い荷物だ。

 最強という名。

 ひとたびそれが地に落ちれば、大地は震撼し、数多の人間が押しつぶされる。

 

 ガレージの中には一体の鬼が寝そべっていた。

 漆黒の肌の鬼。

 彼の相棒として永年活躍しつづけてきたAC、『アビス』である。

 光の刃と光の槍を以て、幾重にも群がる敵を片っ端から屠ってきた鬼。

 

 彼はこの相棒を信頼していながら、また逆に恐れてもいた。

 いや、恐れの先にいるのは自分自身か。

 押さえきれなくなる破壊の欲求。

 それを増幅させ、解き放つのがこの相棒だ。

 

 ロレンスはアビスの側に立った。

 黒い鬼は微動だにせずに転がっている。

 

 お前は感じないか。

 ロレンスは相棒に問いかけた。

 この空気はなんだ。

 この重みはなんだ。

 

 まるで風を待つ帆船のようだ。

 風が吹かなければ、乾いて死ぬ。

 たとえ吹いたとしてもそれは嵐かもしれない。

 

 その時、彼は背後に何かを感じた。

 

 物音一つない。

 しかし、彼にはわかる。

 微かな息づかい。

 鼻をくすぐる匂い。

 普通の人間なら見逃してしまいそうな僅かな情報も、彼にとっては大声で呼ばれているに等しいものだった。

 

 振り返る。

 ガレージの壁に背中を預けて、佇んでいる女。

 

 漆黒の髪。

 漆黒の瞳。

 

 知っている顔だ。

 少し前に出会ったことがある。

 一体あいつが何の用だというのだ。

 彼には、全く思い当たる節がなかった。

 

「ハァイ、ミスター・ロレンス」

 

 女は高く透き通った声を投げかけた。

 子供のようでも大人のようでもある奇妙な響き。

 

 前に会ったときと同じだった。

 ある者はそれを鬱陶しいと感じるだろうし、またある者はそれを美しいと感じるだろう。

 

「お手合わせ願えるかしら?」

 

 ぞくり。

 

 ロレンスの背筋を悪寒が駆け抜けた。

 

 

 それがすべて災厄の始まりだった。

 

 

  *

 

 

 三人は今、かつてない窮地に陥っていた。

 

 汚れたパイプ椅子二つと、椅子代わりの木箱が一つ。

 それぞれに腰掛けているのは二人の女と一人の男。

 

 黒髪に黒い瞳のアジア系の女。

 三つ編みにした赤毛と小さな丸眼鏡の北欧系の女。

 そして、カトリックの僧服に身を包んだ糸目の男。

 

 珍しくチェックのクロスが敷かれた木のテーブルには、三人分のスープの皿が並べられていた。

 不思議な香りが鼻をくすぐる。

 

 そう、不思議な香り。

 コンソメともポタージュともトマトとも鶏ガラとも魚醤とも味噌とも醤油ともつかない、目の前のどろどろした謎の液体が放つ香りである。

 漆黒で皿の底が見通せないそのスープは、決して三つ星レストランの料理には見えなかった。

 

 ごくり。

 

 黒髪の女、リンファの喉がなる。

 スープが旨そうだったから、ではない。

 

 額を流れる一筋の汗。

 それは冷や汗か脂汗か。

 どっちにしろ、自分を待ちかまえる過酷な運命を前にして、彼女は神にでも祈りたい気分だった。

 

 赤毛の女と僧服の男――エリィとヘイフォンも、大体似たような様子だった。

 自分のスプーンを固く握りしめ、黒光りするゲル状の物体を見守っている。

 

 果たして、これは口に入れていいものか。

 一流大学を首席で卒業したエリィにも、その答えは全く見えなかった。

 

「さあ、めしあがれぇ♪」

 

 母親の言葉。

 リンファの母シャオシュエは、娘のエプロンに身を包み、お玉杓子を手にして佇んでいた。

 ずっと顔に張り付いたままの笑みからは、何一つ感情らしきものを読みとることはできなかった。

 

「……なんで母さんに料理させたんだよっ」

 

 父の耳元に顔を近づけ、リンファが囁く。

 

 三年前に家出するまでは、15年もの間一緒に暮らしてきた仲である。

 母親の料理の腕前が如何ほどのものか、知らない道理はなかった。

 それは父親にとっても同じ事。

 いや……もう20年以上も連れ添っているヘイフォンの方が、彼女のことには詳しいはずである。

 

「仕方ないじゃないですか……シャオがやりたいって言うんだから……」

 

 問いが問いなら、答えも答えだ。

 決してシャオシュエの耳には届かないくらいの小声でぼそぼそと答える。

 そこには絶望と諦めと、そして微かな恐怖が混ざっていた。

 

「ほんとは?」

 

「……朝起きたらもう終わってました」

 

「やっぱり……」

 

 ぺきっ。

 妙な音が響く。

 シャオシュエの方からである。

 

 リンファとヘイフォンが、目だけを動かして様子をうかがう。

 お玉杓子にはいくつもの亀裂が走っていた。

 なんて握力だ。さすがは太極拳の達人。

 

 そしてそれよりも恐ろしかったのは、微笑みを張り付けたまま歩み寄ってくる母の遅さだった。

 

「め・し・あ・が・れ~♪」

 

 まずい。

 これは本当にまずい。

 今、母が手加減無しのベア・ハッグなど繰りだそうものなら……

 肋骨が折れるか肺が潰れるか。

 いずれにせよ、ろくな結果は待っていない。

 

 しかしこれを食べるというのは……

 

「親父……責任もって食べろよ」

 

「わ、わたしがですか!?」

 

 ついつい声のトーンが大きくなる。

 背筋に走る悪寒。

 彼のすぐ後ろには、妻の平べったい笑顔が迫っていた。

 

 ごくり。

 娘がそうしたのと同じように唾を飲み込む。

 仕方がない。

 覚悟を決めるより他……ない。

 

「リンファ、父さんのことを忘れないでくださいね……」

 

 別れの挨拶を済ませ、スプーンを手に取る。

 ペンダントにした十字架を握りしめ、神への祈りを捧げる。

 おお、主よ。

 願わくば、この哀れな子羊を救いたまえ。

 

 祈りは終わった。

 神や天使が光臨した形跡はない。

 やっぱりか。

 そうそう都合良く助けてはくれないものだ。

 

 手の震えを抑えながら、ヘイフォンはスープをすくい取った。

 それは確かに漆黒の液体だったはずなのだが、光を当てる角度を変えると不思議な金属光沢を放ち始める。

 見た目には、水銀か融けた鉛のようである。

 

 それを口元まで持っていってから、ヘイフォンはふと顔を上げた。

 娘の愛機『ペンユウ』が、その赤い巨体を横たえている。

 

 お前はいいね。食事しなくて済むんだから。

 馬鹿げた妄想にひとしきり耽ってから、ヘイフォンはついにスプーンを口の中に入れた。

 

 ぴたりと、彼の動きがとまる。

 見つめるリンファ。

 見つめるエリィ。

 なぜか見つめるシャオシュエ。

 

 ひくっ。

 ヘイフォンのしゃっくりが木霊した。

 

 どさっ。

 彼の体は、支えを失って床に倒れ込んだ。

 それっきり、ぴくりとも動かない。

 

 一体、どんな味だったんだ。

 父親の無惨な亡骸を見つめつつ、リンファは汗を拭った。

 昔エリィの料理を食べて記憶を失った男がいたが、これはそれ以上だ。

 食べた瞬間に即死するなど。

 いや、それはすでに料理ではなく毒物である。

 

「まあ! お父さんってばあんまり美味しくて感動しちゃったのね♪」

 

「それ絶対違う」

 

 リンファの言葉など、もちろんシャオシュエの耳には全く届いていなかった。

 

 

 

つづく。

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