ラブダブル!〜女神と運命のガイアメモリ〜   作:壱肆陸

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146です。
Z編ラストスパート2週目です。サブタイトル変ですね、これやるのも随分久しぶりです。

前回のあらすじ、事務所爆発。
今回は誰も覚えてない第2章テーマ『仮面ライダーの素顔』総決算となります。ここからがクライマックスです。

よろしければ「ここすき」をお願いします!


第66話 Zはいずれ歌に/ *****の**

 

 なんとなく足が向くままに、穂乃果は探偵事務所の方角に歩いていた。すると何やら騒ぎになっていて、空を覆うような黒煙が見えた。

 

「なにこれ……事務所が……!」

 

 嫌な予感に駆られて息を切らした穂乃果が見たのは、燃え上がる木屑の残骸と化した切風探偵事務所だった。

 

「そんな……っ」

 

 敵の襲撃、としか考えられない。

 

 μ'sだけじゃなく、探偵の日々まで燃えていく。

 穂乃果の中で熱さを持っていたものは、何もかも彼女を置いて消えていく。

 

 ここに最初に来たのは海未と一緒に───と言ってもあの時の海未はダミー・ドーパントの擬態だった。

 

 とにかく、ドーパントを目撃して、軽率な気持ちでドアを叩いたのが切風探偵事務所だった。あれが全ての始まりで、今それすらも終わったのだ。

 

 そう、ドアを開けて犬に追われる永斗が……

 

「あれ?」

 

 違和感がある。はっきりと思い出せるのに、まるで誰かが描いた絵を見ているような、チグハグさ。その後は? その次の事件は? あの言葉は、あの時にいたのは、誰だった?

 

『だからそれ以外の全部を思い出せ。何もかもを見ろ』

 

 嘉神の言葉がリフレインする。

 事務所が無くなって、そこにあった敵の悪意が怖い。

 でも、目を背けちゃいけないのだけは、確かだと言える。

 

「うん……行かなきゃ!」

 

 それが穂乃果の中に最後に残ったものだから。

 穂乃果は燃える事務所に背を向けて走り出した。

 

───────────

 

「あのぉ……」

 

「いやー似合ってますね南さん! 次は……これ行ってみましょうか!」

 

「あの、こんなことしてる場合なんですか……?」

 

 ことりは鈴島に押されるがまま、服屋を巡って着せ替え人形になっていた。連打されるシャッターの渦中で、ことりは困惑を口に出す。

 

「服なら、持ってるものをいっぱい持って行くので……」

 

「何言ってるんですか、南さんは服飾の留学に行くんですよ!? 日本の代表として、です! 最先端を着込んで乗り込んでこそ、ビシッとジャパニーズの威厳が出るってもんです!」

 

「でも振袖は、やりすぎだと思うんですけどぉ……」

 

 鈴島が持ってくる服は奇抜なものばかり。

 穂乃果もこういうことしそうだなぁ、などと思っても今は笑えない。服の買い物なんて普段なら楽しくて仕方ないはずなのに、出てくるのは申し訳なさと溜め息ばかりだ。

 

「μ'sのこと、高坂さんのこと気にしてるんですか?」

 

「あっ、ごめんなさい! 楽しくないわけじゃなくて」

 

「気にすることないですよ。南さんたちはしっかり学校を守ったんです。円満解散ですよ! 留学のことを言ってたら、逆にパフォーマンスに影響が出てたかもしれません。南さんもそれを気にしてたんでしょ?」

 

「それは……」

 

「それに、離れ離れになるけど携帯は使えるし、メールもあります。高坂さんと仲直りだって、焦らなくなってすぐにできますよ」

 

 鈴島はいつもことりが欲しい言葉だけをくれる。

 留学に同行する件もそうだ。感謝なんていくらしてもし足りない。

 

 それなのに、なんだろう。この心の底に沈むような冷たさは。

 

「あっすいません南さん、電話です。特ダネかもしれません!」

 

 ことりが顔を上げた時には、鈴島はいなくなっていた。

 ダミーの携帯を閉じた鈴島は、誰の目にもつかない物陰で、自然な微笑みはそのままに目だけを『暴食』に戻した。

 

 気配の無い背中合わせの報告。

 切風探偵事務所が永斗の手によって爆破され、全てが無に帰った。

 だが、片島と獅子丸がファングメモリを捕獲したという。

 

「最高の状況ね」

 

 思わず声を出して笑ってしまう。

 わざわざ事務所を爆破したのは余裕の無さの現れだ。重要なものを持ち出す間もなく逃げた、これが分かっただけでも重畳。

 

 そして『F』のメモリが手中に収まった。

 ここから永斗の居場所を逆探知することは、恐らく不可能だろう。

 だがこれで最も恐れていた『F』の暴走のリスクは消えた。

 

「士門永斗は脅威ではなくなった、いいえそうじゃない。いま、彼を守る盾は何も無い。彼を必ず探し出す」

 

 彼が持ち出したであろうμ'sのメモリや『C』のメモリまで手に入るかもしれない。その食欲に従わずして何が暴食か。

 

「鈴島先輩?」

 

「後輩がスクープ掴んだらしいです! 次号の新聞は盛り上がりますよ」

 

 何食わぬ素振りで、その悦びだけは顔に残して、

 鈴島はことりと共に無意味なショッピングを再開した。

 

─────────────

 

 思い出を拾うために向かうべき場所。逡巡することもなく、穂乃果の足は無意識にそこへと歩き出していた。

 

 μ'sとしての活動のなか、忘れられない時間を刻んだ場所。屋上と探偵事務所ともう一つ、神田明神だ。

 

 しかし、穂乃果が長い階段を登った先には、既に先客がいた。

 

「凛ちゃん! 花陽ちゃん!」

 

「穂乃果ちゃん……」

 

「よかったぁー! 無事だったんだ……事務所、なくなってたから何かあったのかと……」

 

「死ぬかと思ったにゃ。だって爆発だよ!? 永斗くん何も言ってくれなかったし、凛怒ってるんだから!」

 

「でも瞬樹くんのおかげで皆無事だったの。瞬樹くんは……事務所が無くなったこととか、色々気にしてるんだけど」

 

 どうやら本当に事務所爆発の事件に巻き込まれていたらしく、ぞっとした寒さが穂乃果を蝕む。

 

 しかし、そこはやはり仮面ライダー。少し離れたときろで落ち込んで小さくなっているが、瞬樹はいつだって頼りになる。

 

(あれ、でも……やっぱり何か足りないような)

 

 花陽は瞬樹を一番信頼している。凛もまた、永斗を心の支えに置いている。それは穂乃果もそのはずなのだが───

 

「何しに来たのよ」

 

「にこちゃん」

 

 そこにいたのはもう1人、練習着姿のにこ。

 よく見ると花陽に凛も練習着を着ている。

 

「そっか、練習……続けてるんだ」

 

「当たり前でしょ。スクールアイドル、続けるんだから」

 

「えっ……」

 

「悪い?」

 

 ラブライブは終わった。にこ自身、あれだけ焦がれていた舞台を失ったのに、それでもまだ彼女の炎は消えていなかった。ただ純粋に、疑問が穂乃果の口から零れ出る。

 

「なんで……」

 

「好きだから」

 

 考えることなどない、そんな即答だった。

 

「にこはアイドルが大好きなの。皆の前で歌って、ダンスして、皆と一緒に盛り上がって……」

 

 彼女が語る憧憬には、微塵の迷いも無い。

 

「どんな辛いことや怖いことがあっても、例えどんな世界になっても! また明日から頑張ろうって、そういう気持ちにさせてあげられるアイドルが、私は大好きなの!」

 

 仮面ライダーたちがμ'sにそうしてくれたように。その言葉が隠れているような気がした。

 

 こんなにも真っ直ぐに自分の道を信じ、尊ぶことができる、そんなにこを見ていると心がざわついて仕方ない。

 

「あんたのいい加減な好きとは違ってね」

 

「そんな、私だって本気で……!」

 

 不意に出た自分の言葉に、穂乃果は驚く。

 だが、その先が喉に絡まって出てこない。それを見て、にこは心底落胆したように言う。

 

「あんたは私と同じだと思ってた。悔しくないの? 失敗したまま逃げて、怯えて縮こまって! あれだけ守ってやったのにそのザマかって、バカにされてもいいわけ!?」

 

「永斗くんはそんなこと言わないよ!」

 

「俺も言わないぞ! 騎士が天使を護るのは当然の使命。花陽だけでなく穂乃果、お前を守れたのは俺の誇りだ」

 

 いつの間にか立ち直っていた瞬樹が、膝をついて穂乃果の前に深く傅く。

 

「花陽に一目惚れしただけじゃない。俺は穂乃果が作るμ'sの気高さに、心を動かされたのだ。μ'sの剣として、己の弱さを乗り越え、未来を生きる妹にも出会えた。全て穂乃果のおかげだ、感謝する」

 

 あまりにも勿体ない言葉だ。突っ走って無理をして迷惑をかけて、みんなを傷つけたのに。

 

「……違うよ瞬樹君。μ'sがすごかったのは、私じゃなくて……」

 

 そうだ、すごいのは自分じゃない。

 どんな逆境にも負けず、己を貫き通せるみんなだ。

 すごいみんなに乗っかって、あんなに熱くて楽しい日々が過ごせたんだ。

 

 そんな情けない泣き言が出る前に、花陽が口を開いた。

 

「今度、私たちだけでライブやろうと思ってて……もしよかったら」

 

「穂乃果ちゃんが来てくれたら盛り上がるにゃ!」

 

「これがことりの旅路へ捧ぐ歌だ!」

 

「あんたが始めたんでしょ、絶対来なさいよ」

 

 こんなにすごいみんなが、穂乃果を見捨ててくれない。身勝手な情熱に、みんなを巻き込んでしまっただけの自分を。

 

 

 その嬉しさと、怖さを大事に抱えながら、穂乃果は次の目的地へと進んだ。

 

 

「なんだか、すごく久しぶりな気がするな」

 

 UTX高校。雪穂が進学を考えていた縁で偵察に行き、そこで見つけたのがA-RISE。つまりスクールアイドルだった。

 

「そういえばスクールアイドルを教えてくれたあの人、にこちゃんだったよね」

 

 思い出して穂乃果は苦笑いする。

 音ノ木坂が廃校になると聞いて、遮二無二走り回った。そして可能性を見つけたのだ。スクールアイドルという可能性を、見つけてしまった。

 

 そこから先は必死だった。まず仲間を集めたくて、ことりと海未に声をかけ、そしてもう1人。その時は清掃員をやっていた───

 

「ラブライブ、A-RISEが優勝したらしいわよ」

 

「絵里ちゃん!?」

 

「偶然ね」

 

 錆びついたように追憶が止まっている間に、絵里が穂乃果の横に立っていた。絵里は穂乃果に何も聞かない。ただ、その迷いに寄り添うように微笑みかける。

 

「そっか、A-RISE優勝したんだ。やっぱりすごいなぁ……」

 

「そうね。決勝ステージを見たけど、圧倒的だったわ。とても学生のレベルじゃない」

 

「えー。海未ちゃんに聞いたよ。絵里ちゃん、前は『A-RISEも素人にしか見えないわァ』なんて言ってたのに」

 

「ちょっと、それ私の真似? もう……あの頃は、ちゃんと見てなかったの。ブランクも長くて、努力を再開して初めて壁の高さが見えたわ。恥ずかしいことにね」

 

 絵里はロシアにいた頃、バレエの天才と呼ばれていた。そのパフォーマンスを観た時は、穂乃果も感動したものだ。

 

「そうなの、私は……本当はいつも迷って、困って、泣き出しそうで。そのくせ見栄っ張りで、ずっと隠してた。自分の弱いところを」

 

 ある大会で挫折して以降、絵里はバレエを辞めたと聞いている。

 

「私ね、ロシアにいた時に仲のいい男の子がいたの。その子は約束したのに応援に来てくれなくて、ショックで……それ以来彼とは会ってない」

 

 そこから絵里の中で、何かが狂ったように変わり始めた。身の丈に合わないほどのプライド。それに振り回され、オリジンメモリまで呼応し、起きたのが雷獣事件だ。

 

「私は穂乃果が羨ましい。素直に自分が思っていることを、そのまま行動に起こせるところがすごいな……って。穂乃果みたいにできてたら、思いっきり泣いて、その子に怒鳴りに行ってやったのに」

 

 それができていたらきっと、絵里が苦しむことはなかった。メモリが暴走することもなかった。彼と疎遠になることも、無かったのかもしれない。

 

「っ、そんなこと……」

 

「穂乃果、私ね……本気であなた達を潰そうとしてた。でもμ'sは諦めなかった。あなた達となら、またやり直せるんじゃないかって思ってしまった」

 

 絵里をメモリの暴走から救ったのは永斗だ。

 だが、何度突き放しても食らいつき、凍っていた絵里の心を溶かしたのは、他でもない穂乃果の情熱。

 

 己の身勝手と弱さをさらけ出して吐いたみっともない言葉。それを当たり前のように受け入れ、差し出されたその手を、絵里は一生忘れない。

 

「私は穂乃果に一番大切なものを教えてもらったの。変わることを恐れないで、突き進む勇気。私はあの時、あなたの手に救われた」

 

 

 絵里と別れ、穂乃果は帰路につく。

 あれからも色んなところを巡った。μ'sのみんなと行った場所、練習で通った道。思い出すたびに、気持ちだけが大きくなっていく。

 

「私は、やっぱり……っ!」

 

 あの時と同じ。スクールアイドルに出会った時と。

 

 叫び出したい。今すぐに走り出したい。

 でも、その思いを誰にぶつければいい。

 

 あの時は海未と、ことりが、そうだった。

 でも喧嘩してからもうずっと喋ってない。

 

「絵里ちゃんはあんなこと言ってたけど、違うよ。すごいのはみんなの方だよ」

 

 穂乃果はただ始めただけだ。夢中になって走っていたら、いつの間にかみんながいた。それだけのこと。

 

「あ、お姉ちゃん。何してるのこんなとこで」

 

「雪穂。って……雪穂こそ」

 

 下に川が流れる橋の上で、穂乃果は雪穂とばったり対面した。雪穂が抱えるのは大量の買い物袋。この近くのショッピングモールにでも行っていたのだろう。

 

 それにしても、どう見てもおつかいのレベルではない。

 

「おこづかい大丈夫?」

 

「買わなきゃやってられないの! お姉ちゃんも大変だろうけど、こっちも色々あるんだから」

 

「そっかー、受験勉強だもんね」

 

 小さく「受験勉強ならいいんだけど……!」とぼやく雪穂に小首を傾げながらも、同じ方向に足を向ける前に、穂乃果はこぼすように雪穂へ尋ねた。

 

「雪穂は、私がスクールアイドル始めるって言ったとき、どう思った?」

 

「えぇ!? そりゃ……またバカなこと言ってるって思ったけど」

 

「うぐ……」

 

 辛辣。しかし言い返せない。

 

「でも、できないとも思わなかったな」

 

 雪穂は目線も合わせず、そのままの声色で付け加えた。立ち止まって驚いている穂乃果に、逆に驚いているようだった。

 

「だってそうでしょ。お姉ちゃんは昔から言い出したら聞かないし、できるまでやるじゃん。とにかく頑固!」

 

「そんなにかなぁ……」

 

「μ'sのステージを見たとき、『あぁ、また始まった!』って思ったもん。だから、今のお姉ちゃんがちょっと意外。お姉ちゃんも『楽しい』の怪物だと思ってたから」

 

 いくらなんでもの言い様だと思う。

 でも、『楽しい』という言葉は、乾いた土が水を吸うように、どこまでも自然に心に落ちていった。

 

「楽しい……かぁ」

 

 廃校をなんとかしたかった。

 そのためにランキングを上げたかった。

 ラブライブに出場したかった。

 

 一度に多くのものを失って、忘れてしまっていた。

 

 でも、それが解っても、体が悴んで動かない。

 これだけたくさんの言葉を、答えを貰っているというのに、心の欠けた部分から全部溢れていくようで───

 

「そうそう、そういえばこの橋だ。あの時も本当に大変だったんだからね」

 

 突然、雪穂がそんなことを話し始めた。

 

「橋……?」

 

 確かに今立っている場所は橋だ。しかし要領を得ない様子の穂乃果に、雪穂は信じられないと言わんばかりに頭を抱える。

 

「嘘でしょ……覚えてないの!?」

 

「え、私ここで何かしたっけ……?」

 

「……本当にこの姉は……! 10年は前だったかな、私まだ4つとかだったのに覚えてるんだよ!? お姉ちゃん、ここから川に飛び込んだんだよ!」

 

 それは確かに大事件だ。しかし、この橋は柵が高く、子供では越えようと思わなければ越えられないはずだ。

 

「……なんで?」

 

「そんなの、えっと……なんでだったっけ。でも大変なのはそこから! 色んなところで大暴れして迷惑かけて、それから毎日ここに来るからおかしくなったって大騒ぎで……!」

 

 だんだんと説教じみてきた雪穂の言葉が、鼓膜から遠ざかっていくのを感じる。沈む太陽と揺れる水面、橋の上から見える光景に、記憶が吸い込まれていく。

 

 そうだ、確かに覚えている。

 

 振り返っても見えなかったもの。強くなる想いが擦り抜けていく記憶の穴。大事なものの中に埋もれて浮かび上がった、誰かの形の空洞が、ある。

 

「雪穂、ごめん。先に帰ってて」

 

 足が勝手に動いていた。

 身を乗り出して、柵の上にいるその姿に───手を伸ばす。

 

 

 

 

「だめぇっ!!」

 

 いつものように友達と遊んでいて、冒険ごっこをして、いつものように遠くまで行きすぎて迷子になった。そんな幼い穂乃果のよくある日常。

 

 そこで見たのは、橋の柵の上に立った、自分と同じくらいの小さい男の子だった。

 

 彼は穂乃果の声を無視して、重力に従順に体を前に倒す。橋の下は何人分もの高さの先にある深い川。

 

 だから、穂乃果は川へ落ちる少年を助けようと、自分も橋から飛び出した。

 

「───は?」

 

 空中で穂乃果は少年の手を掴んだ。

 

 そして、気がついたら、穂乃果はびしょ濡れで川岸にいた。いま思い出したが穂乃果は泳げない。それなのにここにいるということは、

 

 背を向けてどこかに行こうとしていた彼を、穂乃果は腕を掴んで止めた。

 

「あぶないよ、こんなことしちゃダメ!」

 

「なんだお前。勝手に飛び込んだのお前だろうが」

 

「だってあぶないもん! そんなことしたら、しんじゃうんだよ!」

 

「死にてぇんだよ。死ねたことねぇけど」

 

 息をするようにそんなことを言う彼に、意味が分からない穂乃果は聞き返す。

 

「しんじゃったら、もうともだちに会えないんだよ?」

 

「そんなのいねぇ」

 

「お母さんやお父さんとも会えないんだよ?」

 

「生まれた時に捨てられた。育て親ってのは毎日俺を殴るイカれ野郎って意味だ、二度と会いたくねぇ」

 

「ごはんも食べられないし、遊べないし……」

 

「生ゴミを盗んで逃げる生活が楽しいなら、お前がやってみろよ」

 

 こいつもそうだ、虫酸が走る。

 温かい寝床があり、黙っていても綺麗な食事が出る。当然のように愛を享受して健やかな成長が約束されている。

 

 下水道のネズミなんて見たこともないくせに、無垢であることを傘に自分の物差しで接してくる馬鹿。

 

 腹が立つ。死ねばいい。殺してやりたい。

 

「こんな世界もう生きてたくねぇって言ってんだ。わかったらさっさと消えろ、殺すぞ」

 

 きっと生まれて初めて向けられる悪意に、穂乃果の目から大粒の涙が溢れる。

 

 泣けば許されると思っているなら、そこで夜まで泣いてればいい。そう立ち去ろうとした少年だったが、

 

「まって!」

 

 再び腕を引かれ、思わず振り返ってしまった。

 穂乃果は泣きながら、鼻水まで垂らして、それでも少年のくすんだ瞳から目を離さない。

 

「いっしょに行こう!」

 

「は?」

 

 何度引き剥がそうとしても、脅かしてみせても、穂乃果は絶対に食らいついてきた。そうしているうちに、いつの間にか公園に。

 

 そこには、穂乃果の友達らしき2人がいた。

 

「ほのかちゃん、その子だぁれ?」

 

「ことりちゃん! えっとね、さっきあった子で、名前なんだっけ!」

 

「……無い。なんだよこれ、離せ」

 

「ナイくんだね、わたしはことり! よろしく! ほらうみちゃんも」

 

「しらないひと……」

 

 名前が無いことの意味が分からないのか。

 別にいい。少年だって人の名前なんか気にしたことはない。

 

 片方は木の陰に隠れていた。少年を怖がっている、というよりただの人見知りか。

 

 なんでこんなことに付き合わされているんだ。全員殴って黙らせてやろうか。歯か腕の一本でも折ってやればもう舐めたことを言わなくなるだろう。

 

「じゃあみんなでオニごっこしよう! ナイくんオニね!」

 

 そんな少年の怒りなど知ることもなく、勝手に物事を進めて3人は逃げ出した。オニごっこ、というと要は捕まえればいいのは分かる。

 

「───あ? これで満足か」

 

 数秒で全員をとっ捕まえた。

 当たり前だ。大人たちから毎日逃げる日々、温室育ちの恵まれた連中とは違う自負がある。

 

「えぇー! はやすぎるよー! ずるい!」

 

「これでいいだろ、もう付き纏うな」

 

「まだだよ、つぎはわたしがオニ!」

 

 まだ続ける気なのかと、呆れも湧いてこない。

 でも逃げていいというのなら、願ったり叶ったりだ。捕まえられるものならやってみろ。

 

 少年は公園から飛び出し、逃げる。

 

「こんなもんだろ」

 

 川に飛び込んだあの少女は追いかけていたようだが、ちょっと本気で走ってやった。もう諦めて家に帰ってるだろう。

 

「まてーーーっ!!」

 

「嘘だろ」

 

 足を止めたらすぐに後方から声が聞こえてきた。

 並の大人だったらとっくに巻いている距離だ。どんな執念をしている。

 

 気味が悪くなって少年は再び走り始める。

 大通りに出た。背の高い歩行者の間をすり抜けていくうちにも、後ろから聞こえる声が途切れない。

 

「あっ、しんごうあかい時はわたっちゃダメなんだよ!」

 

「知るか!」

 

 赤い歩行者信号を無視し、走る車を避けてショートカット。少女は信号が変わるのを待つのを待っていた、今度こそ巻いたはずだ。

 

「あっ、ほらあの子。あそこにいるよ!」

 

「おじさんありがとう!」

 

 歩行者から逃げ先を聞いて追いかけてきやがった。目立ち過ぎたのが祟ったが、それにしたって気味が悪い。

 

「……そうかよ、だったらやってやるよ!」

 

 歩道橋に登る。そして、そこから道路を走るトラックに飛び乗った。いくらなんでも車の速さには追いつけまい。そう少年は思っていた。

 

「あのトラックを追いかけろ!? どういうこと穂乃果ちゃん!?」

 

「おねがい! いいからおいかけて!」

 

 それがどうだ。知り合いの運転手を見つけたのか、卸売業者の車でトラックを追いかけてきた。

 

 トラックを降りてショッピングモールに逃げ込んだら、当然あいつも追ってくる。しかも迷子案内で従業員まで使ってきた。

 

 それからも逃げた。逃げ続けた。

 もう意固地になっていた。今まで誰からも逃げてきたんだ。どんな大人だって『どうせ子供のやることだ』と途中で匙を投げた。誰も少年に向き合わなかった。

 

 それなのに、あいつは何をしても諦めない。

 負けてたまるか。幸せの味を知っている奴なんかに。

 

 とっくに日が沈んだ。息を切らすまで走った。

 周囲に人影は無い。少年はいつも眠るような湿った暗闇の中で腰を下ろす。

 

「───つかまえた……!!」

 

「クッソ……なんなんだよ……お前……!」

 

「へへ……わたしのかち!」

 

 彼女は暗闇を掻き分け、少年のもとへと辿り着いて大の字になって倒れ込んだ。

 

 少年も同じだ。立ち上がる気力すら湧かない。

 

 負けた。それなのに、久々に感じる息の苦しさが、妙に熱く感じてしまった。叫びたいほど悔しいのに、ムカつくのに、この少女に手を上げる気にはなれない。

 

「しぬなんて、言っちゃだめ!」

 

「……そんなこと言うためかよ」

 

「だって、ナイくんわるいひとじゃないもん! だからまたあそぼう! あしたもまってるから!」

 

 そう言ってふらふらになりながら、それでも大きく手を振って少女は帰って行った。

 

「悪い人じゃない……なんだそれ。誰が行くかよ」

 

 やっぱり何もわかっちゃいない。どいつもこいつも嫌いだから、生き残るためには何でもしてきた。それも疲れて、死にたいと思った。

 

 でも、確かに嫌だ。こんな不幸を強いた世界に何もせず、誰にも知られないまま消えていくなんて。そんなの悔しいじゃないか。

 

「死んだら負け、か」

 

 生まれて初めて、心から負けたと思った。

 その悔しさが、血液のように熱く滾っている。

 いつか必ず、この世界に牙を剥いてやる。

 

 だから、この熱が冷めるくらいまでは生きてやろう。

 

 

 

『思い出したな』

 

 穂乃果が気付くと、そこにはあの頃の少年が立っていた。だが、その言葉は違う誰かが発している。その誰かを、穂乃果はたぶん知っている。

 

 それは、今まで穂乃果たちを守ってくれた力そのもの。その『左側の片割れ』。

 

『お前の“熱”は病と同じだ。誰彼構わず感染って周り、いたずらに人を未来を変えちまう』

 

「私のせい……」

 

『そう、お前がアイツを生かしたから、止まった歯車は動き出した。お前がいたから、適合者は不自然なほどに一カ所に集まった』

 

 やっぱりそうか、不思議とそう思ってしまった。

 それは穂乃果の内から感じる、その“意志”の微かな気配と声が教えてくれた。

 

『今、お前たちがこんな目に遭ってるのも、世界がメモリで滅茶苦茶になったのも、全部お前が悪い。お前はそういう“意志”に選ばれたんだ』

 

 彼がそういうのから、きっとそうなのだろう。

 μ'sを始めたのだって穂乃果で、そのせいで不用意に皆に夢を与えて、そのうえで壊して傷つけた。誰が何と言おうと、それは穂乃果のせいだ。

 

「でも、生きてくれてて嬉しかったよ」

 

 思い出して、やっと確信が持てた。

 穂乃果は少年に手を伸ばす。あの日と同じように。

 

「私はたくさん間違えたかもしれない。でも、μ'sを作ってよかった! みんなに会えてよかった! 歌うのが好きになれた! あの日、君にまた会えたから、今の私があるの!」

 

『お前が生かした怪物は、世界を壊すぞ。この先の物語は地獄だ。そんなものにまた仲間を巻き込む気か? お前はまだ罪を重ねる気か?』

 

「私がやったことが罪だとしても、絶対後悔しない! またみんなで乗り越えたいから! 君がいれば、もう怖くないから!」

 

 穂乃果の腕が少年の姿を突き抜ける。

 蜃気楼のように霧散した影の先に、あの日と同じように彼は立っていた。

 

「───そこにいたんだね」

 

───────────

 

 

「ごめんね、急に呼び出したりして」

 

「いえ……」

 

 ある日、穂乃果は講堂に海未を呼び出した。

 ずっと練習をサボり続けたのが大きく、感覚を戻すために『当日』まで時間を使ってしまった。

 

 講堂───忘れるはずも無い、μ'sが最初のライブをした場所。僅か6人しかいない観客しかいないステージを『彼ら』は必死に守り、その思いに応えるように最高のライブをした。

 

「ことりちゃんは?」

 

「今日、日本を発つそうです」

 

「……そうなんだ」

 

 そんなことも知らなかった。本当に自分は何も見ようとしてなかったのだ。嘉神があぁ言っていた意味も、今ならわかる。

 

 だからもう、何からも目を離さない。

 

「私ね……ここでファーストライブやって、ことりちゃんと海未ちゃんと歌った時に思った。もっと歌いたいって、スクールアイドルやっていたいって」

 

 穂乃果は何も言わないで海未に、今の全部を、その思いの丈を叫ぶ。

 

「やめるって言ったけど、気持ちは変わらなかった。学校のためとか、ラブライブのためとかじゃなく、私好きなの、歌うのが! ……それだけは譲れない」

 

 海未はやはり何も言わない。ただ黙って、穂乃果の言葉に耳を傾ける。

 

「だから……ごめんなさい! これからもきっと迷惑かける。夢中になって誰かが悩んでるのに気づかなかったり、入れ込みすぎて空回りすると思う。だって私不器用だもん! でも、追いかけていたいの! ワガママなのは分かってるけど……私!」

 

 もうこの胸の熱さを誤魔化さない。

 この先に何が待っていても突き進むことを恐れない。恐れたくない。そこにある景色をみんなで見たいから。

 

 腹の底から沸く思いを、必死に言葉にする穂乃果。その姿は、あまりにも穂乃果らしくて、海未はつい笑ってしまった。

 

「なんで笑うの! 私、真剣なのに!」

 

「ごめんなさい……! でもね、はっきり言いますが───」

 

 少し顔にシワを寄せながらも、海未の言葉から目を背けずにいる穂乃果に、もう一度吹き出してしまった。

 

「穂乃果にはずっと昔から迷惑かけられっぱなしですよ」

 

 昨日の天気でも言うかのように、さらりと海未はそう言った。

 

「ことりといつも話していました。穂乃果と一緒にいると、いつも大変なことになると。どんなに止めても夢中になると全然聞こえてなくて」

 

 ぐうの音も出ない。穂乃果もそれを受け入れてもらうつもりで来たのではあるが、こう改めて言われると恥ずかしくなってきた。

 

「大体、スクールアイドルだってそうです。私は本気で嫌だったんですよ。どうにか辞めようともしました。穂乃果は全然気づいてなかったでしょうけど」

 

「……ごめん」

 

「ですが、穂乃果は連れていってくれるんです。私やことりでは、勇気がなくて行けないようなすごいところに」

 

 海未は穂乃果の立つ壇上に登り、今までのライブで共に見た景色を思い出す。想像するだけで泡を吹きそうだったその景色に、今はもうすっかり魅了されてしまった。

 

 迷惑だと何度も思った。文句だって何度も言った。

 でも、引っ張られて進んだ道を後悔したことなんて、一度も無い。

 

「私が怒ったのは、穂乃果がことりの気持ちに気づかなかったからじゃなく、穂乃果が自分の気持ちに嘘をついているのが分かったからです」

 

 穂乃果は折れないと知っている。海未はずっとこの時を待っていた。この時がきっと来ると、穂乃果の強さを信じていた。

 

「穂乃果に振り回されるのは、もう慣れっこなんです。だからその代わりに、連れて行ってください。私たちの知らない世界へ!」

 

 穂乃果以外の誰もが理解していた。

 自分の熱を他人に分け与え、引っ張っていける。人の人生を容易く変えることができる。それが穂乃果だけが持つ才能なのだと。

 

 だから、それがどんなめちゃくちゃな未来でも

 

「さぁ、ことりが待ってます! 迎えに行ってきてください! ライブまでもう時間がありません!」

 

「でも、ことりちゃんは……!」

 

「私といっしょですよ。ことりも引っ張って行ってほしいんです。ワガママ言ってほしいんです!」

 

「ワガママ!?」

 

「そうですよ。有名なデザイナーに見込まれたのに残るなんて……でも、そんなワガママを言えるのは───」

 

 ───また罪を重ねるのか。

 彼の姿をした囁きが浮かんできた。ことりの人生をひっくり返すことになる。その責任を背負えるのか。

 

 そんなの、もう迷わない。

 

 後悔なんてしない。後悔なんて、させない!

 世界をおかしくしてしまうくらい、この熱を全開に!

 

「運命の分岐点行き、特急竜騎士号。乗れ、穂乃果!」

 

 講堂の外でマシンライバーンと共に待機していた瞬樹。飛ばすバイクに跨がり、目指すのは空港。

 

「それは困る。いま大事な時なんだ」

 

 もう少しというところで、バイクの行く先を塞ぐ赤黒い殺気。肩にコネクタを刻む殺し屋───キル・ドーパント。

 

「そこを退け! 我らは友を迎えに行かねばならん!」

 

「それが困るのだが、これ以上は失言になる。言葉を慎んで斬り刻ませてもらおう」

 

「貴様は知らんだろうが、前の俺とは違うぞ赤き悪魔よ! 穂乃果、貴様は先に……ことりのところへ急げ!」

 

 エデンに変身した瞬樹がキルを食い止める。飛び交う斬撃、殺意のやり取りに満ちた領域。しかし、穂乃果は一切臆することなく、死線の上を駆けていく。

 

 もう恐れなくていい。ただそこを目指して進め。

 

────────────

 

「よかったんですか、挨拶も見送りもなしで」

 

「はい……みんなに会ったら、泣いちゃいそうですから」

 

 空港の展望デッキで、鈴島の言葉にことりはそう返した。

 

「今日はμ'sの───いえ、高坂さんもいないので名前は変えるかもしれませんが、そのライブをするそうです。南さんも、他の皆さんも、新たな一歩を踏み出すめでたい日になりますね」

 

 知っている。見に来てほしいとも言われていた。最後のステージとして、一緒に踊ってほしいとも言われていた。

 

 でも、ことりは逃げるようにその日のフライトを選んだ。

 

 母の見送りも全部断り、穂乃果とも最後まで会わなかった。夢に向かって進むはずなのに、どうしてこんなに後ろめたく、苦しいのだろう。

 

(でも、もう変えられないよね……)

 

 フライトの時間が近い。そろそろ搭乗手続きをしなければ。

 

 勝った、そう鈴島は───暴食は人知れず笑う。

 士門永斗は見つけられなかったが、焦ることは無い。ここまで何もさせなかった時点で十分だ。

 

 搭乗手続きをすればそこからは不可逆。彼女がどう心変わりしようが、搭乗までは確定する。飛んでしまったらもう煮るも焼くも自由。

 

 もう賽は投げられた。運命は変えられない。

 誰もがそう思うのだろう。でも、

 

 彼女は───高坂穂乃果は、そんなルールなんて簡単に壊してみせる。

 

「───ことりちゃん!」

 

 歩き出していたことりの手を、穂乃果が掴んだ。

 間に合ったのだ。穂乃果の声が、手から伝わる熱さが、ことりを夢へと引き戻す。

 

「穂乃果ちゃん……!?」

 

 でも、そんなの許されるはずがない。

 応援してくれた人、この話を現実にしてくれた人、みんなの期待を裏切ることになる。迷惑をかけてしまう。

 

「ことりちゃん、ごめん! 私……スクールアイドルやりたいの! ことりちゃんと一緒にやりたいの! いつか、別の夢に向かう時が来るとしても!」

 

 そうだとしても。これが間違っているとしても。

 

「行かないで!」

 

 その往路を遮って、穂乃果がことりを正面から抱きしめた。

 

 やっぱりここにいたいなんて言えなかった。まだμ'sをやっていたいなんて、そんな勝手なこと言えるはずないと、ことりは静かに納得してしまった。

 

 でも穂乃果が、いつもみたいに手を引いてくれたなら。

 もう、気持ちが抑えられない。

 

「ううん……私の方こそごめん……! 私、自分の気持ち、わかってたのに……!」

 

 ことりの目から涙が溢れて止まらない。

 ずっとこうなることを期待していた自分が、卑怯で、弱くて、嫌いだ。でもそんなことりと一緒に、何もかもひっくり返すと穂乃果は言ってくれた。

 

 穂乃果の言う通り、いつか本当の終わりは来る。

 だったら、行けるところまで行きたい。その終わりが今だなんて嫌だ。

 

 これからも、みんなで望む夢だけを見て、一緒に───

 

「ダメですよ、南さん。今更そんなこと」

 

「鈴島先輩……ごめんなさい、でも私! 本当は……本当に、穂乃果ちゃんと一緒に……!」

 

「この世で一番許されないことって、なんだか分かります? 高まる期待の中で運ばれた料理が、目の前で取り上げられることよ」

 

 鈴島の表情が、変わった。

 声の一つ一つさえ嗜虐心と欲望に満ちている。同じ空気を吸って、同じ形をしていることが信じられないくらい、その存在感はもはや人間じゃない。

 

「そんな……鈴島先輩……が……?!」

 

 そこにいたのは、空腹の怪物。

 鈴島はガイアドライバーを掲げ、そのベールを脱いで欲望に満ちた笑みを曝け出す。

 

 正体に気付かれようがもう構わない。津島瞬樹もキルが足止めしているし、ここまで来ていれば話は同じこと。消えるのが2人に増えただけ。

 

 

「オオカミの川渡りのパズルは、私の勝ちよ。さぁ……いただきます」

 

 怪物の荒い吐息が迫る。

 ことりが膝から崩れ落ちるのを、穂乃果が支えて受け止めた。

 穂乃果は目を背けない、もう恐れない。

 

 だって、穂乃果は知っている。

 

 

 

 

 

 

「───やっと油断したな」

 

 その時、世界が歪んだ。

 次元の薄膜が叩き割られ、尖った亀裂が広がって黒が射し込む。存在を取り戻したその剥き出しの殺意は、呼吸するよりも先に、

 

 嗤う暴食の顔を、殴り砕いた。

 

「ッあ゛……!? どうして……!」

 

 世界が塗り変わり、困惑に包まれる。

 でも穂乃果は知っている。穂乃果が諦めない限り、絶対に守ってくれる、クールで口の悪い彼の『名前』を。

 

 

第66話

 

 

「───アラシ君!」

 

 

Zはいずれ歌に/ 切風アラシの帰還

 

 

「声が聞こえた。自分がどこ彷徨ってるかも分かんねぇ時、お前の手の温もりを感じたんだ。あの時と同じように」

 

 少年も───アラシも思い出したのだ。

 事務所のドアが叩かれるよりも前に、出会っていた。あの時の出会いがあったから、空助にも出会えた。永斗にも出会えた。

 

 出会いでしか人は変われない。空助の言葉。

 独りで死を待っていた名もなき少年の世界に、最初に踏み込んできたのは穂乃果だった。

 

「……俺は、人間が嫌いだ。俺が嫌いだ。今まで吐いてきた言葉は空助の受け売りばかりで、本当は傷つけることしかできねぇ」

 

「うん……私もいっしょだよ。いろんな人を傷つけてきたし、これからもそうだと思う」

 

「怒りや憎しみはあっても、愛するとか守るってのがどういうものか分かんねぇ。こんなヤツが一緒にいても、いいのか?」

 

「もちろん! これからも一緒に戦って、アラシ君!」

 

 なんで忘れてたのだろう。こんなにも大きな恩を。生まれて初めて貰った温かさを。

 

「ありがとな。ずっとそうだった……お前に会えて、俺は───生きてもいいって思えたんだ」

 

 何度間違えたってもう迷わない。どれだけ罪を背負ってでも戦い抜く。例え自分が世界に拒絶されたバケモノだとしても、貰った愛に報いて必ず守ってみせる。歯向かう敵は全て噛み砕いてやる。

 

『近づく奴らを区別せずに牙を剥く…なんだそれカッケーじゃねーか! 決めた、今日からお前の名前は……』

 

 貰った名前の意味を、ようやく理解できた。

 装う必要なんて無かった。これが、『切風アラシ』だ。

 

「ありえない……オリジンメモリの力で『デリート』を突破したというの……!?」

 

「なんだ生きてやがったか、随分な厚化粧だな」

 

「理由を聞いてるのよ。許せるわけないでしょう、一度腹に収めた食事が勝手に出てくるだなんて!」

 

 数メートルは吹き飛んで壁に打ち付けられていた暴食が、半分ひしゃげた顔をさらに怒りで歪ませる。もはや隠さない怪物の形相を、鼻息で笑いながらリズム感の無い足音が近付いてくる。

 

「誘ったんだよ。生き物が一番油断するのは食事の時、ってね」

 

「……ッ、まさか……!」

 

「君は色々考えてただろうけど、僕は最初から何もする気は無かった。事務所もファングも捨てて、僕に集中させることに終始した。アラシのことは任せたんだよ、μ'sとアラシ自身にね」

 

 彼は信じていた。『F』に意識を奪われた自分を呼び戻した彼女たちなら、必ずアラシを救い出せる。彼女たちが起こす奇跡には再現性があるのだと。

 

 整えられてない髪を、凛から貰ったヘアピンで留め、眠そうな眼をこすりながら彼は現れる。2人は視線を合わせない。合わせずとも、通じている。

 

「遅ぇぞ永斗」

 

「そっちこそ、おかえりアラシ」

 

 アラシと永斗、2人で1人の探偵が並び立つ。

 

 何も言わずとも、永斗なら今ここに必ず来る。何もしなくとも、アラシなら必ず戻ってきてここ勝負を仕掛ける。

 

 信頼を超えた関係が、いま再び集った。

 掲げるダブルドライバーと、右側───サイクロンメモリに、左側───ジョーカーメモリ。

 

「ほのちゃんとことりちゃんは行って。今日はライブなんでしょ? 見せてやろうよ、μ'sの復活ライブ」

 

「邪魔だからさっさと消えてろ。安心しろ、もうお前らがコイツの顔を見ることはねぇ」

 

「うん、わかってる。行こうことりちゃん、みんなが待ってる!」

 

 逃さない。欲のままに手を伸ばす暴食に、アラシの脚が振りかざされる。その動作には欠片も躊躇が無い。

 

「来い暴食、ぶっ殺してやるよ」

 

 何のてらいも無く、中指を立ててアラシは言い放った。爽やかな殺意とも言うべき矛盾が浮かび、身震いが止められない。

 

 この前とは違う。恐れすら感じた、全部を捨て去った生来の怪物。それがあの時の狂気を宿したまま、己を肯定してここにいる。

 

「いいわ、もう一度平らげてあげる。私を妨げるもの全て、闇も光も(ほしいまま)に───私は『暴食』、飢え満たされること無き略奪の大罪!」

 

《キメラ!》

 

 ガイアドライバーが黄金のキメラメモリを喰らい、合成生物の記憶が顕現する。百獣の王の姿を模した、無数の悪意蠢く食欲の権化、キメラ・ドーパント。

 

「前はどっかの脳筋が単身突撃して負けたらしいけど、今は天才の僕がいるからね」

 

「うるせぇ。黙って力寄越せ、半分だけな。行くぞ……相棒」

 

「はいはい、面倒くさいなぁ」

 

《サイクロン!》

《ジョーカー!》

 

 キメラが能力を解放。展開される緻密な破壊を避け、アラシと永斗は自身のドライバーにガイアメモリを叩き込んだ。

 

 そして叫ぶ。

 2人で1人の探偵が戦士へと変わる、その号砲を。

 

「「変身!」」

 

《サイクロンジョーカー!》

 

 緑の風が吹き、黒き稲妻が走る。

 永斗の意識がアラシへと移り、足元からその姿が書き換えられていく。

 

 揺れる黒煙の中で赤い複眼は輝き、爆風に乗ってたなびくマフラー。地球の記憶を纏った2色の超人、仮面ライダーW(ダブル)が再誕する。

 

『これを言うのも久しぶりだね』

 

「そうでもねぇよ、いいからやんぞ」

 

『あのさぁ、もっとエモを大事にしようよ。そんじゃ……』

 

「『さぁ、お前の罪を数えろ!』」

 




切風アラシ復活!
連載開始からずっとやりたかったこのサブタイトル。元ネタあります。これしか無いと思ってた。勝手に感慨深くなってます、すいません。

次回、ついにVSキメラ・ドーパント!
最序盤から暗躍し続けた暴食との最終決戦です。

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