宇宙大学の始まりは、知識の記録庫としての宇宙船だったという。それを造った種族はもう存在しない。その宇宙船は、自分の文明が滅んでも、恒星の寿命が尽き星系そのものが消滅しても、知識は失われないようにと宇宙空間に送り出された。
それが何時だったかは判っていない。何百万年という気の遠くなるような時間の流れの中で、超光速のない時代に恒星間航行をし続け、幾度か違う知性体に再発見され、その知性体の発展の援けとなり興亡を見届けた。そして補修と知識の蓄積をし続ける。そのあいだに船は一隻でなく数隻の船団となっていった。出会った知的生命体ごとに記録庫としての船が造られていったからだ。知識は単一の文明でなく、多くの文明の集合体となっていった。
また船団は知性体との出会いのあいだに、永い放浪のなかで、いろいろな宇宙の出来事を見てきた。星の誕生や終焉、亜空間の裂け目、ブラックホール、実際にその場に立ち会わないと観測できない事象や物理法則の発見を蓄積していった。出会った知性体にとっては、それは望んでも手にすることが出来ない夢の宝箱だった。数十万光年先の現象を観察したとしても、光の壁を越えられなければそこに行くまでに自分たちの文明は終わってしまう。行けたとしてもその現象は既に過去の出来事なのだから。
やがて船団は、銀河系の中心で、自分たちと同様な多文明からなる共同体と出会う。
こんにちの核恒星系であるルビコン星団の中の五つの文明、それらが緩やかな星間連合を形作っている共同体。のちに銀河帝国と名乗ることになる知性体の集まりは、一つの国家としての纏まりを見せつつ、自分たちの星団から飛び出して行こうとしていた。そうしたなかで知識の船団と出会った。
星間共同体は、それが特定の文明だけに利することを怖れて、政治的利害関係から離れた学術研究機関を合同で設立し、そこに知識の記録庫の管理を委ねることにした。場所も各文明圏の外に置かれ、居住可能な無人の星系が選ばれた。これが今ある宇宙大学の前身である。
宇宙大学の知識は、等しく全共同体の財産とされた。記録庫が蓄えていた膨大な知識は、共同体の科学技術を飛躍的に発展させ、銀河系という大洋に漕ぎだすのに必須な技術を生み出した。超光速技術と、それを可能とさせる惑星一個分のエネルギーを叩き出す転換炉の開発である。航海に亜光速と冷凍睡眠が必要だった時間の壁と、あまりある膨大なエネルギーを手にした星間共同体は、銀河系に飛び出し、その版図を拡げていった。そして宇宙大学も、銀河帝国による様々な文明や宇宙現象との出会いの中で知識を増やしていった。
いま記録庫は安住の地を得て、再び知性体を見守り続けている。その文明は知識を保持し続ける資格があるか。――知性にはそれにふさわしい資格が必要――銀河帝国の興亡を。
もし知性体が資格を喪失した場合、そのときは、また記録庫は流浪の旅に出るだろう。
ユニバー星系第四惑星、タニア。
純粋に知識の保管と学術研究のためだけにデザインされた星。
安定したスペクトルG型の母恒星を持ち、気温や湿度も保存に適するように気候制御され、地軸や惑星軌道さえ調整されて四季の変化は乏しい。また常に科学技術の頂点を生み出している学問の星でありながら、むしろ装いは前時代的な開発当初の姿を残している開拓惑星である。
四つの大陸と多くの島々が散らばる海の星の静止軌道上には、開発物資搬入のためのプラットホーム『リング』の輪がそのまま残り、そこから古典的な軌道エレベーターが赤道上に伸びている。そのような惑星の姿は、今では、未だ亜光速の段階にある文明圏かテラフォーミングを始めたばかりの開拓惑星でしか見ることが出来ない。しかもその軌道エレベーターは現役で、現在も惑星タニアの玄関口となっている。
十数万年の歴史を持つタニアの街のなかでも、最古の都市アカシアは、記録庫としての宇宙大学の核心である。街の中心に聳え立つ円錐形の建物「ビブリオ」は、宇宙船だった時代からの記憶を保管し、いまも新たな知識を蓄え続けている。その記憶を維持し、蓄えた知識をいつでも利用できるよう情報を管理しているのがアカシアである。アカシアは、様々な記録媒体、例えば文字、彫刻、紐、口承、思念、様々なフォーマット(情報伝達手段)に対応できるよう学術体系が整備された都市。人文科学部門を中心に、情報工学、素粒子学、大統一物理学、超心理学らの各研究機関が置かれた。アカシアは巨大な情報工場なのである。
ためにアカシアは第一線で活躍している研究者や教授陣が多い。そんな教授陣が住んでいる地区を、学生たちは畏敬の念を込めて「閻魔横丁」と呼んでいる。自分たちの成績を順位付けする人種へのやっかみも多分にあるが。
その中でも特に勤続年数が長い学者たちが多い区画が、通称「地獄の一丁目」。
ジェニー・ドリトルは、古色蒼然とした静かな街路を歩いていた。ここを訪れるのは三回目になる。以前と変わらず街に学生の姿はない。そもそも人がいない。閑静な住宅地の昼下がりといった佇まいだ。ただ、何の変哲もない建物が奇天烈な色で塗られていたり、家の前に駐車しているものが、人力車や蒸気自動車だったり、折り畳み式のはばたき飛行機だったり、そもそも乗り物なのか理解に苦しむ物体だったりするが。
時代劇に出て来るような、惑星開拓民の住まいといった官舎のひとつに足を止めた。古びた壁とびっしり覆ったツタが時代を感じさせる。相変わらずあまり手入れのされていない前庭を通り、玄関のノッカーを叩く。
『どなた?』
玄関わきの伝声管から、くぐもった女性の声がした。
「一年生のジェニー・ドリトルです。再試のレポートを見て頂くて伺いました。それと、ひとつ聞きたいことが――」
ガチャリとドアが開いて、中年の女性が姿を現した。
「そろそろ来る頃だと思っていたわ。いらっしゃい」
官舎の主、アテナ・サキュラーがジェニーを中に入れる。
家の中は、庭と同様だった。
「年代物が多いから、ひっかけないようにお願いね」
植物を薄く剥いで繋ぎ合わせたものの巻物や、動物の皮で出来ている書物が、所狭しと積み重ねられ、博物館に展示してあるような遺物が、廊下といわず家中に散乱している。相変わらず片付いた様子はない。むしろ増えている気がする。
「先生、そのうち家に居場所がなくなりますよ」
「片付けてはいるんだけど、そのぶん実家から送られてくるのよ。物置の一つとでも思っているみたい」
ゆっくりと、荷崩れが起きないよう足場に気を付けながら奥へと進む。
居間も、まあ相変わらずの散らかりようだった。だが意外と雑多な感じがしない。物で溢れ返っていることはゴミ屋敷と同じなのだが、それぞれが系統立って意味を持って置かれている。それに生活の匂いがまるでしないのもあるかも知れない。
「先生、普段はどんな料理していらっしゃるんですか」
レポートを手渡しながらジェニーは尋ねた。
「ん、昼と夕は外(学食)で済ますことが多いから。家にいるときは冷蔵庫からレーション出してレンジでチン。食べたらゴミ箱(原子分解機)にポン」
それは料理とは言わない。長命種といえば長い時間の中に生きて、凝り性な人が多いと聞くが、それは興味がある分野だけで、他の場面では以外と野放図なのかも。何となく担当教授の食生活が心配になる。
「あら、研究テーマを変えたのね」
レポートには『経済面からみる、私掠船の活動と社会的影響について序論』とあった。
「オリオン腕統合戦争時の歴史については、未だに開示されていない事が多いので。その点、経済に絞れば数値としてデータが残っていますし、現にいまも活動している私掠船がいます。私の専攻も経済学部ですし」
「そうね。私たちの知っている歴史がアレじゃ、証明することが出来ないものね」
本当は栄光ある統合ではなく、帝国の恥部を抱えた戦争だった歴史。いずれ明らかになる日が来るかもしれないし、このまま闇に葬られたままかもしれない。少なくとも今ではない。一二〇年という時間は長いように思えるが、歴史の闇が明らかになるには足りないのだ。
「先生、レポートを読んでいただいている間に、何かお造りしても宜しいでしょうか」
「別に構わないけど、今日の晩御飯はシリアルで十分だわよ」
「長命種の帝国貴族ともあろう方が、御自分の食生活管理もなさらないようでは困ります。――キッチン借りますね」
ジェニーはパタパタと台所に消えた。
冷蔵庫を開けると、見たことのない食材が詰まっていた。
「レギアンド産ポストルテーゼ? 南桑菜? ゴッグワンド乳? 繚蘭香?」
一つ一つ手にして品名を口にするが、覚えのない名ばかりだ。
『ああそれ、造ってみようと思って集めたものだけど、暇がなくてね』
と居間からの声。
賞味期限を確かめると、ゆうに十年以上の余裕があった。でもこれで何が出来るんだろう。思案していると、キッチンの上に紙切れがあった。食材名が冷蔵庫のものと一致する。どうやら先生が作ろうとしていたレシピのようだった。
ジェニーはレシピを参考に調理に取り掛かった。
が、材料の捌き方が分からない。ボンレスハムに似たレギアンド産ポストルテーゼは、動物肉の燻製のようだったが、切ってみると魚の練り物のようにも見える。南桑菜は見た目からも野菜の一種だろう。ゴッグワンド乳は乳製品なのだろうが固形物だ。まあバターやチーズも固体か。繚蘭香は香草やスパイスの類。ジェニーは見た目と名前から類推して、調理の手順にあたりを付けた。
レシピ通りに下ごしらえをして、グリルで焼き、鍋を火に掛けて煮込む。
人のいない居間で、アテナはゆっくりとレポートに目を通している。時折ページをめくる音がキッチンにも聞こえて来る。
コトコトいう俎板の軽やかなリズム、じゅうじゅうと肉が灼ける音、ぐつぐつと物が煮える音、この家で久しく絶えていた音がキッチンからしてくる。
やがて料理の匂いが家じゅうに漂ってきた。
どこか懐かしく、気持ちを安定させて、それでいてワクワクしてくるような優しい香り。
苦節三時間。料理が出来上がる頃には、アカシアに夕暮れが近づいていた。
「遅くなりました。思ってたより下準備に手間取ってしまって、それに煮込むのに時間が掛かりました」
出来た料理をテーブルに並べる。今日の夕食とアテナが言っていたシリアル・ライスは添え物に拝借した。
「私も丁度読み終えたところよ。よく出来ているじゃない。物証も押さえてあるし、C-といった所かしら」
――評価は及第点だが平凡より下。
「序論とあるからには、現状の分析から一歩進んで、そこから導き出される推論の展開が欲しいところだわね。――あら?」
感想を述べたところで出された料理に目を引かれる。
「アリシア文明のベネ料理だわね。一万五千年前の家庭料理よ、よく知ってたわね」
「これが、そうなんですか?」
「私も初めて目にするわ。これが作れるって事は、本当はあなたメトセラ(長命種)だったのね」
「先生のレシピを見て作ったんです。私も初めてですっ」
ヨット部だけでなくメトセラからも長命種扱いされるとは。そんなに老け顔なのかしらと心配になる。
煮込み料理を口にしてみると、匂いと同じ懐かしい味がした。見ず知らずな知性体の料理なのに舌に合う。
「この料理、はじめての味なのに、前にも食べたことがあるような気がします」
ずっと昔に、伯父との確執を知る前に食べた味。
「それは、これが家庭料理だからよ。気負いもてらいもなく日々の糧になった食べ物、家族の団欒に並んだ料理。そんな味に、種族や文明の違いはそれ程変わらないわ」
「きっと家族の笑顔の中で楽しまれているんでしょうね」
ジェニーの感想にアテナの手が止まった。
「それはもうないわ。アリシア文明は文献の中だけだもの」
えっ、とジェニーの手も止まる。
「手工業から産業革命を経て、原子物理学を使い始めた頃、滅んだのよ。同一文明内での戦争によってね」
古代史の授業で習ったことがある。知性体は段階を踏んで文明を発展させるが、宇宙に出ようとする段階でよくある陥穽。その知識を十分に理解していない未熟なうちに次のステージに上がろうとすると、手にした技術に酔い自滅する。原因は環境破壊や戦争などいろいろあるが、知性体が等しく同じ文明だという認識不足から来ている。銀河帝国はそのような文明内抗争まっ只中の星に出会い、無理矢理レスキューした例もあるが、基本内政不干渉だ。そのまま自滅の道を進んだ星系も多い。アリシア文明は、銀河帝国に見出された時には既に滅んでいた。文明の段階は違うが、自分たちオリオンの腕文明圏も同じ間違いを犯すところだった。一万五千年どころかたった一二〇年前に。
「アリシア文明も、私たちのように未来を知っている者が居れば、今も続いていたんでしょうか」
「さあ、未来は変えられないから。あなた達の場合は、すでに確定している未来があったから変えられたのでしょう。それに当時代人の意思選択もあった」
――未来からの情報伝達があった場合、当時代人の選択は未来に責任を負えるか――
「未来からの情報伝達があって、それが誰も望まない未来の姿だったら、当時代人はその未来を避けようと努力するわ。でも、それは未来の改変。その結果は変えてみなければ分からない」
「例えば、大量破壊兵器が使用されて、沢山の人が死ぬと知ったとしましょう。その事実を前に大量破壊兵器が使われないように出来たとしても、大量破壊兵器の悲惨さは使われて初めて実感することが出来る。でも改変された時代人はそれを体験していない。大量破壊兵器の本当の怖さを知らないのよ。だから、いずれはその兵器は使われることになる。より大規模に、多くの悲劇を生み出しながらね。それも未来からの情報伝達による選択の結果。――どう。責任を負える? 」
そこから導き出される課題。
――未来における情報伝達が、当時代人の選択の結果である未来に責任が負えるのかという現実的課題――
「ジェニー例題ですね。」
自分の名前がついている、アテナ教授の研究テーマだ。先生は若い頃からずっと答えを探している。
「統合戦争時の選択は、ひじょうに幸運な稀有な例なの」
「そして、それに往々に人々は忘れてしまう…」
様々な歴史を見てきたその長命種は、無力感で寂しそうだった。
日常の話が出ただろう。仕事の様子、買い物で小耳に挟んだ特ダネ、学校での出来事。暖かい煮込み料理を囲んで、今日あったことを喋り合っていた人々はもういない。
「大切なことは、過去の経験をどう現代に生かすかという事なんだけどね。」