宇宙大学に戻ったジェニー・ドリトルは、着いて早々、担当教官からの呼び出しを喰らった。
きっちり署名付きで大学ネットにクラッキングを仕掛けたのだ。大学当局からの召喚は覚悟している。だが呼び出したのは、学生課ではなくアテナ・サキュラーだった。
ジェニーが向かった先は、タニアの閑静な地獄の一丁目でなく、教授のゼミや研究室が並ぶ、通称『煉獄回廊』。宇宙大学の学生たち(雛っ子)が揉まれる場所という意味だ。ここはプライベートな住空間ではなく、機能一点張りの事務室と同じ。会社を経営しているジェニーにとっては、むしろ馴染みある雰囲気だ。
そっけなく「アテナ・サキュラー」の名札だけが掛かった部屋のドアをノックし、中に入る。
「あら、随分と緊張感のないノックね」
自宅に見られたような重厚さの欠片もない椅子に座ったアテナが、ジェニーを迎えた。
「私が呼び出した理由、解ってるでしょ」
開口一番、厳しい口調である。
「はい。」
「何てことしてくれたの。大学管理部はカンカンよ! というより頭を抱えてるわ」
叱責されるのは判る。大学当局が怒るのも当然だ。だが頭を抱えているとは。
「それって、どういうことですか?」
「これまで、宇宙大学がハッキングを仕掛けられた事は幾らでもあるわ。いま現在も盛んにアタックされてる。そりゃ知識と技術の宝庫ですもの、喉から手が出るくらい欲しい情報が星の数ほどある。でも、成功したためしがなかったの。ここのセキュリティーは、外の最新のものより五〇年以上の差があるわ」
ここで開発された技術が確かめられた後に帝国に出ていく。帝国発の技術が宇宙大学と同等というケースは、まず無い。
「それが、あっさり破られて、極秘研究部門の中枢まで侵入されて、足跡も残さずに書き換えをされちゃったのよ。システムエンジニアの教授も暗号の研究者もみんな蒼くなってるわ。管理部はお通夜状態。犯人の署名が無かったら、そこまで入られたことに今も気付かないほどに決められたんですもの」
そこでまた疑問が湧く。何故呼び出したのが大学当局じゃなくアテナ教授なのか。
「犯人の署名を見ると、一人はあなた。侵入先が、例の研究をしている超次元宇宙論研究室。――そこで、まず関係者である私が話を聞くことになった訳」
「先生が関係者とは?」
「タイムトラベルの関係者だということ。いま大学で進んでいる超次元跳躍研究の最大の貢献者は、タイムトラベルのデータをもたらしてくれた貴方なのよ。それに当局が査問に入るとなると、極秘の研究も時間跳躍の事実も広く知られる事になる。だから私が選ばれたの。それに、宇宙大学がハッキングを決められたなんて、公にしたくないもの」
つまりまだ大学は、知らんぷりしている訳だ。
「あなたがそれほど電子情報に長けているとは思えないから、一緒に署名してあった子がしたんでしょうけど、リン・ランブレッタって何者?」
「私の後輩です。大学当局はもう知っていると思いますが、九月からここで学ぶ予定です」
「まあ、新入生。だとしたら、宇宙大学は素晴らしい原石を得ることになるわね」
素直に喜んでいるアテナ教授。
「何でも電子情報技術の一点突破だったそうです。――あの、合格は、やっぱり取り消しになるんでしょうか」
「そんな貴重な逸材を逃すほど、宇宙大学はおバカじゃないわ。ここの方針知ってるでしょ」
「知性にはそれに相応しい資格が必要。ですね」
「その子は、見事に証明して見せた。大学入試の一点突破以上にね。まあ保護観察にはなるでしょうけど」
高校だけでなく大学でも、リンの保護観察処分は続く様だった。
「どうやってハッキングを決めたのか、話してくれないかしら。私も詳しくないけれど、うちのシステム、そんなにヤワな作りとは思えない。恐らく帝国の統合参謀司令部でも破れないんじゃないかしら。ハードだけでも星系一個分の出力が必要と思うから」
使ったのは、軍用のノートパソコン一個でしたとは、とても言えない。
「あの、筐体はそんな大層なものは使わなかったんですけど、その、ソフトにアレを利用したそうです」
「アレ?」
「私掠船免状…。リーゼが前に弁天丸に使ったのを見て、そのプログラムを改造したんだそうです。そしたら、大学サーバーもすんなり受け入れたって」
アテナは絶句した。
「あのプログラムを改造って…、プログラム自体解析を許すような代物じゃないのに…。相当な手練れのようね、貴方の後輩」
「そう思います。クラッキングされた弁天丸の電子戦担当者も、使われたプラグラム解析に匙を投げていましたから」
ウィザード級のクーリエでも、弁天丸のシステムでは解析できなかった。今とはまるで違う基本言語を使っているという所は摑めたのだが、内容までは無理だったのだ。リンは容量が大きいだけでシステム的に劣るオデットⅡ世で解析した。だが白鳥号に与えられた私掠船免状には相性が良かったらしい。確かに苦労はしたが、解析できない事は無かった。それをハッキングの手駒にしたのはリンの手腕だった。どんな船(システム)でも乗っ取ってしまえるプログラムだ。電子戦に利用しない手はない。
「あの言語は、銀河系で一番古いものなの。そして今あるプログラム言語の基礎になっている。だからあらゆるシステムがあの言語を受け入れるけれど、その逆はロゼッタ(翻訳)が無ければ無理。宇宙大学の情報システムも、あの言語を使っているわ。だからハッキングが不可能だったのよ」
「だから、監察局にも侵入できたんですね」
「監察局にもアレを送り付けたの? だったら銀河じゅうのお尋ね者じゃない。でも宇宙大学は関係ないから」
まるで他所事のように受け流すアテナ。それは、宇宙大学は治外法権だからだ。学生や大学関係者だけでなく、入学前の新入生にも「大学が認めた者」として適応され、帝国政府は身柄を拘束することが出来ない。
「実は、そうでもないんです。」
と、ジェニーは、ルヴァンシュ・ネメシスとラキオンとの癒着を話した。彼が今回の騒動の中心人物であるらしいこと。宇宙大学出身者であること。そして、ラキオンを通して重力制御に関する技術を辺境連合に渡した疑いがある事。
それを聞いたアテナの表情は硬かった。
「そうなの…。前に話したと思うけど、宇宙大学も、世俗から切り離された象牙の塔ではないという事だわ。ここの研究を外に持ち出すことには強い制限が掛かってて、基本許されない事なのだけれども…」
宇宙大学と外との技術差は相当な開きがある。
ために宇宙大学が特定の勢力と結びつきを持つことを銀河帝国は禁止している。それは帝国自身にとっても例外ではなく、他勢力が大学と結びつきを持てば大変な脅威となる一方で、帝国がその知識を独占すると、傘下にある星系政府に警戒と疑念を生み出して帝国崩壊の危機となる。そのための安全保障が治外法権なのだ。銀河帝国は宇宙大学に干渉しないが、宇宙大学も外部には関与しない。これは、銀河帝国が宇宙大学と出会った時からの大原則なのだ。
「でも、いくら宇宙大学出身だといっても、一介の卒業生に大学最新の研究を持ち出すことが出来るのですか」
「出来ないわ。たとえ大学院を修了してても無理でしょうね。知性にはそれに相応しい資格が必要よ。その知識に触れられるのは大学に残る決心をした研究者以上の者だけよ」
宇宙大学は、帝国中枢や星系政府に俊英を送り出してきた。その者たちは帝国のまたは故郷のエリートとして活躍している。しかし知識の深淵に触れようとするなら大学に残る。だがそれは宇宙大学を終の棲家とする覚悟がいるのだ。最新の研究成果を持って大学を去ることは許されない。研究者が大学を去ろうとするには、研究から離れて最短でも一〇年の待機期間を必要とされる。外部との技術差が大きければそれだけ待機期間は長くなる。ものによっては、寿命が尽きても待機期間が終わらないケースもあるのだ。
とくに、社会への影響が大きい科学技術分野の研究者は、外部との接触も著しく制限される。アテナのように、人文系の研究者なこともあるが、教授でありながら帝国貴族で元老院議員でいられる研究者はごく少数なのだ。
「恐らく超次元跳躍研究のスタッフの誰かが横流しした。ネメシスという人物が、大学時代のコネを使って唆した。自分の知的好奇心で大学に残ったけれども、それだけでは満足できない研究者もいるという事よ」
全銀河のエリートが集う宇宙大学でコネを作ろうと思っていたジェニーには、複雑な思いにさせる言葉だった。
「ネメシスが横流ししていた技術は、そうそう表に出せる代物じゃないのに。考えたくないけど、研究の中枢にいた学者が手引きしたとしか思えないわね。大学の腐敗も根が深いという事か。でも、渡ったのが重力制御だけでなく単結晶というのも気になるわね」
そう思案に耽るアテナに、ジェニーが突然振った。
「なら、やっちゃいましょうか」
「やっちゃうって、何を?」
「こそこそ隠し事しているから、儲け話になるんです。通気が悪いと旨味も腐りに変わる。小遣い稼ぎ程度なら目も瞑れますけれど、帝国の内紛に乗じて荒稼ぎしようなんて度が過ぎています。そのために可愛い後輩が危険な目に遭いました。私の会社も大損害です。」
「儲け話を価値の無い物にしてしまえばいいんです。腐った旨味は腹痛の元、きっちりリスクがあることを思い知ってもらいます。」
「だから、何するつもり」
向こう見ずな目をした教え子に、一抹の不安を覚えてアテナが訊く。
「重力操作と超次元宇宙論を、情報公開します。」
「それは、大学でも超極秘の研究よ。ただの学生に過ぎないあなたが公にすることは許されないわ!」
間違いなく査問。良くて放校処分、悪くすると監視付きで一生大学から出られない。
「あら私、宇宙大学の学生ですけれど、白鳳海賊団の顧問でもありますのよ。研究データのマスターは、リンが持っています。もう海明星に着く頃です。白鳳海賊団の総帥がそれを見た時、どういう反応を見せるか。恐らく私と同じ決断を下すでしょうね。皇女は、それだけの見識を持ったお方です」
アテナは、これまで数えきれない数の学生を受け持って来た。その中にはユニークな視点を持った学生もいた。極めて優秀な学生もいた。しかし皆、宇宙大学の学生であることを外した子はいなかった。だが、この教え子はどうだ。容易に宇宙大学の肩書を捨てることを躊躇わない。まるで取るに足らないものであるかのように。
「象牙の塔? 帝王の目帝王の耳? 宇宙大学にも監察局にも、しっかり落し前は着けてもらいます。その後は――、宇宙大学と帝国の自浄努力に期待します」