茉莉香とリリィは、倒れ込んだジェニーに救急手当てしていた。バイタルチェックを行いつつ医療バックからマスクをジェニーに当てがい応急処置を行う。
一連の作業は手早い。茉莉香は弁天丸で、ミーサに何でもやらされていたし、リリィは、営業時に看護師のコスプレをしていたが、実際に救急救命の心得があるのだ。
リリィと茉莉香がジェニー・ドリトルを介抱しているあいだ、グリューエルは近衛隊のキャサリン小隊長に連絡を取っていた。状況確認と車を手配するためである。
他の部員たちが心配そうに見守る中、二人の処置でジェニーの意識は戻って来たが、顔が蒼白で強張っており、いまにもまた過換気症を起こしそうだった。
「先輩、落ち着いて。ゆっくり呼吸してください。吸って、吐いて、吸って…」
リリィがジェニーの呼吸を整える。言われるまま息を吐くうち、ジェニーの顔に血の色が戻って来る。
やがてすっかり気が付いて、当てたマスクを外す。
「ありがと…見苦しいところ見せちゃったわね……」
落ち着きを取り戻し、強がるジェニーだったが顔は強張ったままだ。
「…リン…」
小声で呟く。
「いま車を手配しました。学校のゲートからは出られませんので、非常手段を取ります。地下駐車所までお願いします」
グリューエルが携帯を畳み、ジェニーと茉莉香に伝えた。
「先輩、大丈夫ですから!」
リリィがジェニーを見据えて言葉を掛ける。部員たちも固唾を飲んで見守っている。
「茉莉香、ジェニー先輩を頼んだわ。」
チアキに言われ、うんと頷きジェニーの手を引く茉莉香。
「とりあえず、急ぎましょう。」
グリューエルに誘われ、三人は地下駐車場に急いだ。
教員の自家用車が並ぶ地下駐車場に、黒塗りのリムジンが待っていた。車のボンネットにはセレニティーの国旗が翻っている。外交官特別車だ。キャサリン小隊長が一行を見とめると後部座席のドアを開ける。一行が車に乗り込むと、素早く車は発進した。
駐車場から地下通路を走り、ハイウェイに出る。しかし一般車両が走っていない。ハイウェイを行くのは黒塗りリムジンだけだ。
ここは、新奥浜宇宙港の自家用滑走路まで一本道の、セレニティーの専用道路。茉莉香は黄金の宇宙船の時に走ったことがあった。
道すがら、茉莉香はリンの容態も心配だが、リンを襲った者が誰なのか気になっていた。
「リン前部長は、中継ステーションで襲われたそうです。犯人は不明、目撃者もありません。現場の監視カメラは動いていましたが、犯人の姿は映っていませんでした。リン前部長は…、血塗れの状態で発見されて、直ちに宇宙港のICUに搬送されたそうです。手配は加藤梨理香さんがして下さいました」
そんな茉莉香の心を読んだかのようにグリューエルが状況説明する。血塗れという所で少し言い淀む。ジェニーを気遣ってのことだ。
グリューエルの話に、ジェニーはくっと唇を噛み締めている。茉莉香は、そんなリン先輩の容態も気になったが、ふと疑問が浮かんだ。リンが襲われたのが、旅客船の中でなく、たう星系に着いた後だという所だ。
リン先輩は、ジェニーが用意したフェアリージェーンのVIP便を使わずに格安航空便を使ったそうだ。格安航空便ならセキュリティーも甘く暗殺者を潜り込ませることは可能だろう。なら、凶行は船の中で行われるのが現実的だ。現場は大混乱になるし、逃亡もそれに乗じてやり易くなる。
「現場の、監視カメラの映像です。ご覧になりますか?」
グリューエルがそっと耳打ちしてポータブルを差し出す。
茉莉香は、ジェニーに見えないよう気を使いながら映像を確認した。
旅客ウィングと思しき通路をリンが歩いている。
ふと立ち止まり、右手に持っていたケースを胸まで持ち上げたところでそれは起きた。何かを確認しようとしていた途端、ケースが壊れてリンが仰け反ったのだ。
仰向けに倒れたリンに血の海が広がっていく。一〇秒もしないうちに人が気が付き、救急隊が駆けつけて来てリンを運んでいった。映像はそこまでだった。
映像に顔を顰めつつも、かなりの手練れだ。と、茉莉香は思った。
これまでも侯帝派は工作員を送り込んで来た。だが、彼らはたう星系に着いた途端に排除され、自分たちは影すら目にしていない。「加藤茉莉香に関する不可侵協定」は、茉莉香を含む周囲まで完璧すぎるほど機能している。そんな中で、誰にも気とられずにリン先輩に近付き、暗殺を実行し、逃亡するなんて出来るのだろうか。
出来るとすれば、それは、不可侵協定の中の者。しかもプロの仕業であること。そこまで考えた時、茉莉香は混乱した。
白鳳女学院から宇宙港まで一〇分足らずの道のりが、ひどく長く感じた。
やがて宇宙港のターミナルビルが見えて来て、リムジンは素早く宇宙港の国賓専用玄関に滑り込んだ。
一行は慌ただしく集中治療室に向かう。
誰も居ない廊下を走り、『ICU』のプレートが掛かった病室に飛び込んだ。
「リン!」
ジェニーが叫ぶ中、ドアを開けた一行の目に飛び込んで来たものは――
ベッドに座って、ハーブティーを口にしているリンの姿だった。
リンの胸には、大きく血の染みが滲んでいる。それを見て、ジェニーはまた気を失いかけた。
「ジェニー先輩! しっかりしてください。胸に穴が空いて、お茶してる怪我人なんかいません。」
茉莉香がジェニーを諭した。
リンの方はといえば、みんな血相を変えてどうしたんだ? みたいな顔をしている。
その隣に、白衣姿のミーサが居た。ミーサは、え?もう来たの? と茉莉香たちを迎えた。
「どうしたもこうしたも、リン先輩が撃たれたと聞いて、慌てて駆け付けたんですよ。いったい何があったんです?」
茉莉香が尋ねる。
ジェニーはリンの胸を指差している。その視線を追って自分の胸を見遣ると、リンは「なんだあ!?」と仰け反っている。どうやらリンも目覚めてまだ間がないようだった。
「彼女、いま気が付いたばかりなの。だから着替えも未だ」
と、ミーサ。
「いやあ、HAL坊を抱いていたら、急にHAL坊が砕けて、胸に衝撃を感じたまでは覚えてるんだが、気が付くとここに居た。いま、気付けのハーブティーを飲んでた。」
「大丈夫、血糊です。」
弁天丸が営業でよく使う「リアルを演出する小道具」だ。どうやら、リンは麻酔銃を撃たれた様子だった。
茉莉香とグリューエルは、リンの無事な姿を見てひとまず安心する。ジェニーは足元がぐらついていた。極度の緊張が解れて気が抜けたのだ。
「ジェニー!?」
リンがジェニーを気遣い立ち上がろうとしたが、それよりも早く、ジェニーの方がリンに駆け寄っていた。
ジェニーはリンに抱き付くと、いきなり唇を奪った。
リンは突然の口付けに戸惑い、君の服が汚れると引き離そうとしたが、嫌嫌とジェニーがそれを許さない。
ジェニーの頬に涙が流れている。
「貴方が…、LCCなんか使うから…」
半ば泣き声のジェニーに、一言。
「――ごめん。」
そのまま二人は抱き締め合い、逃避行の時に見せたよりも、熱い接吻を交わす。――そんな二人に、思わず顔を赤らめてしまうグリューエル。
傍らには、見事にまん中を撃ち抜かれたノートパソコンが置かれていた。
穴は反対側まで貫通しており、これを抱えていたリンまで届いたという事だ。だが、HAL坊の砕けようは麻酔銃のそれではない。明らかに鋼弾によるものだ。けれどもリンは傷ひとつ負ってない。考えられることは、鋼弾に血糊と麻酔針が仕込んであり、ノートパソコンを破壊したのち、中の針だけが飛び出してリンを昏睡させた。あるいは、連射でノートパソコンとリンを別々に撃ったか。
先輩はHAL坊を胸に抱いていたから、仕込み弾を使った可能性が高かった。だとすれば凄まじい腕だ。一寸でも目測を誤れば、鋼弾がリンに届く。本当に胸に穴が空いてしまうのだ。茉莉香は、相手がかなりの手練れであることを確信した。――そして茉莉香の心臓を、冷たいものが鷲掴みにした。
そんな茉莉香を、ミーサが無言で廊下に誘った。
誘いのまま、熱い抱擁が続く病室を静かに離れる。
人気の無い廊下でミーサが告げた。
「あなたがいま考えていることは、半分当たっているけれど外してるわ。撃ったのは梨理香じゃない、鉄の髭よ。」
意外な名前に茉莉香は驚いた。鉄の髭は「不可侵協定」に関係する人物ではないからだ。
「梨理香は、例えお芝居だとしても、娘の友達に銃口を向けることは決してないわ。でも梨理香も関係してる。――お母さんを信じてあげて。」
そう言うと、顎で後ろをしゃくった。
振り返ると、母親の加藤梨理香がいた。
「――茉莉香さん」
母娘二人を残して、ミーサは立ち去って行った。
二人きりの所で梨理香が言った。
「ミーサはそう言うが、実際、私が撃ったも同じさ。」
否定しない加藤梨理香。
――どうして。
「依頼があったんだ、ラキオンからね。『ワイルドカードの確実な破壊と無効化』これが、パラベラムの受けた注文だ。」
パラベラム、それは鉄の髭が乗っていた宇宙戦艦の名だ。私達という事は、梨理香さんはいま鉄の髭の一味か、少なくとも関係者――。
ワイルドカードというのは、リンが使ったハッキングの方法。確実な破壊とはデータのこと、無効化がリン自身のことだろう。
「どうして! そんな依頼を承知したの!」
「私等が引き受けなければ、他の誰かが受けるだろうから。たう星系の外では、安全が保障できない。」
データは破壊しているが、リンは無事のままだ。
「じゃあ、ヤラセ? リン先輩には、事前に知らせてあったの?」
「いいや、知ってると不測の所作をされる危険があった。彼女の相棒に掛ける愛着を見るとね。だから黙って襲わせてもらった。相棒を壊してしまった事は、本当に申し訳ないと思っている。それに、怖い思いをさせちまった事もね」
「いくら狂言でも、度が過ぎるよ梨理香さん!」
「これは狂言なんかじゃない。本当にリンが亡くなったか人事不省になったと思わせることが必要なんだ。彼女が作ったワイルドカードは、それほど危ない代物なんだ。今の彼女は帝国のあらゆるものを支配できるんだよ」
民間企業はおろか、帝国公文書も帝国銀行の口座も統合参謀司令部も乗っ取り放題。銀河帝国を一瞬で破産させることだって出来る。喉から手が出るほど欲しい輩はごまんといるだろうし、帝国は全力で阻止しようとするだろう。
「ラキオンと言ったが、ほんとうの依頼主は情報部だ。これは、帝国政府自身からの依頼なんだよ。彼女は、たう星どころか銀河系のどこにも居場所はない。」
「!」
「申し訳ないが、あのデータは破壊させてもらった。」
きっぱりと梨々香は言った。依頼云々でなく、海賊の意思としてやったと
「これは、ステラスレイヤー以上の脅威だ。一二〇年前は阻止できたが、実際に使用していたらオリオン腕文明圏はどうなっていたか知れない。だが彼女は使ってしまった。」
「じゃあ、リン先輩はどうなるの? データは無くなっても、リン先輩の頭の中には残ってます」
「ハッキングを受け付けるコードを変える必要がある。それが出来るのは女王だけだが、変更にはコードの元が要るんだ。私掠船免状だよ」
私掠船免状、オデットⅡ世が核恒星系に行く必要がある。
「それまで辛抱して、彼女には死んだふりをしていて貰いたい」
もうひとつ、茉莉香は訊いた。
「お母さん、いまお母さんは海賊なの?」
「ああ。」
「お母さんは何をしようとしているの?」
遠くを見るように一呼吸置いて梨理香が言った。
「――宇宙の果て。果てしない先を見据える人間は、一人では足りない。」
それって。確か、海賊会議で鉄の髭が私に言った言葉…。
「宇宙の果てを見てみたいからさ」
そう言って娘を見詰める。
「精々気張んな茉莉香。それと、リンと彼女の思い人には謝っといてくれ。」
手を振りながら、梨理香は踵を返した。
一人残された茉莉香。
「そういってもなあ。リン先輩はともかく、ジェニー先輩に説明する自信ないよ。お腹痛い。」
複雑な思いを抱えながら茉莉香は病室に戻った。
病室に戻って目に飛び込んで来たものは、
ある意味、修羅場だった。
上半身裸で、モーレツに愛し合う恋人同士と、真っ赤になって硬直しているグリューエルの姿だった。
「ふっ、ふっ、二人とも何やってるんですうっ…」
思わず、声が仰け反る茉莉香。
「そ、そっ、それが…。服が汚れるからとリン先輩が上をお脱ぎになって、それなら私もって、ジェニーさんも脱いでしまわれて…、そのまま――」
グリューエルも声が上ずっている。顔を両手で覆っているが、指が微妙に開いている。
「グリューエルの前ですよ! しし、刺激が!?!」
強すぎる刺激に、女子中学生の目を塞ぐ茉莉香。だが自分も、耳まで赤くなってテンパってしまう。
抱き締め合い、お互いに手はあらぬところに――。
「だめえっ、…リン、みんなが見てる…」
「見せつけて、やろうぜ。ああっジェニー!」
衆目などまるで気にしていない。
どのような光景だったかは、このさい割愛させて頂く。