七月、夏本番。あと一ヶ月もしないうちに夏休みが始まる。
ヨット部員たちがソワソワし始めている。
夏休みが待ち遠しいこともあるが、それよりも、いよいよインターハイが始まるのだ。ネビュラカップ・ヨットレース。去年、五年間の出場停止を経て出場し、惜しくも優勝を逃した白鳳女学院。今年はその雪辱をと燃えている。特にアイ・ホシミヤの気合の入りようは半端じゃない。ビスクカンパニーの横槍が入って大切なディンギーを壊され、それでも完走したアイだ。熱も入るというものだ。
茉莉香たち三年生にとっても最後の対外部活動となる。あとは後輩への引継ぎと追い出し航海ぐらいなもの。
次期部長はナタリアかな、と思っている。しかしそれは後輩たちが決めること。
問題なのは、白鳳ヨット部が海賊団を兼ねているという事だ。自分やチアキが卒業した後、誰が海賊団を率いるのか。新部長が? ヨット部に自分とチアキ以外海賊は居ない。いまの海賊団総帥はリーゼだが、彼女は中学部だし、なにより皇女なのだ。今回の騒動が収まったらいるべき場所に帰る身の人。では海千山千の海賊どもを前にして一歩も怯まないグリューエルか。それは――あまり考えたくない。彼女なら嬉々として受け入れそうだが、名前がセレニティー・海賊二重王国なんて付きそうで怖い。
まあ、最期の大会を存分に楽しんでから考えることにしよう、と思う所なのだが、茉莉香は、今年もネビュラカップには出場出来そうになかった。
何故なら、ヨット部に内緒でオデットを持ち出せるのは、この機会しかないからだ。
ヨット部員を大会に送り出してから、こっそり出航。というのが、ジェニーとチアキを交えて立てた計画だった。それならヨット部員たちを危険な航海に巻き込まなくて済む。乗組員は、迦陵頻伽やデスシャドウら海賊連から借りる予定だった。普段乗っている船と大分勝手が違う帆船だが、向こうはベテランだ、何とかなるだろう。弁天丸やバルバルーサから来ないのは、二隻ともオデットⅡ世の護衛に就くからだった。
そこまでの算段がついてから、茉莉香は期末考査に臨んだ。
日にちは決まっているのだから、追試は何としても避けなければならない。監察局やら海賊ギルドやらハッカー事件やら、何かとごたごたが続いた一学期後半で学業に集中し切れなかったが(いままで集中できた事あったっけ)、とにかく全力投球で臨んだ。
そして期末試験明け。
身も心も軽くなった面持ちで部室に向かう。
そこで、大きな番狂わせが待っていた。
「茉莉香、今度のネビュラカップだけど、急に会場が変更になったんだって」
サーシャが部室にやって来た茉莉香に注進する。
「へ、聞いてないよ?」
初耳の茉莉香。茉莉香だけでなく他の部員たちも寝耳に水の話だ。
「さっき大会運営本部からファックスが届いたところ。なんでも太陽帆船レースも兼ねるんだって。記念大会だって」
「記念大会?」
今年の年次計画には、そんな記念大会があることなど載っていなかった。
「ネビュラカップとソーラーセイル協会との合同だそうよ。ソーラーセイル協会には記念大会が計画されていたそうだけど、うちは所属してないから」
リリィが説明する。
「で、なんの記念大会? 何処に変更になったの?」
そう茉莉香が尋ねると、サーシャがファックスを読み上げた。
『聖王家・セレニティー修好二百年記念、ネビュラカップ二十周年記念大会。掃討戦争時の固い友情を顕彰して。
出発地、セレニティー青い姉。目的地、核恒星系セナート。
青の星銀河回廊からルビコン・セントラルまではカテゴリーⅡとする。
なお、ディンギー会場はセレニティー星系青の姉妹で行う。』
セレニティー! あんの王女(姉妹)‼
「でも、うちの参加はディンギーだけで、ソーラーセイルは無関係だよね?」
一途の望みを託して確認した。ディンギー競技が行われている隙に、こっそり出航という手がある。だが無慈悲な宣告。
「オデットも仮エントリーされてるよ。ソーラーセイル協会から参加要請が来てる。」
どういうことだと思っているところに、グリューエルが説明した。
「実は、リーゼが白鳳女学院に留学になってから、セレニティーに問い合わせがあったのです。ディンギーの大会とソーラーセイル記念大会を合同で開催できないかと。そこに白鳳には太陽帆船があると解って、大会組織委員会は是非とも参加をとのことです。お受けになりますよね」
「良かったねー。これで正々堂々とリーゼをお家に帰せる!」
素直に喜んでいるハラマキ。
「リーゼを押し立てて、一番でセナートに乗り込むですぅ」
ウルスラがガッツポーズにアホ毛を立てて宣言している。
茉莉香たちがこそこそ暗躍している間に、セレニティーの姉妹は先手を打っていたのだ。これで考えていた計画は御破算になった。
「ぐりゅううえるうううう」
恨み節にグリューエルを睨むが、本人はいたって涼しい顔だ。
「貴重な太陽帆船が集まる場に、栄えあるオデットⅡ世が加わらないのでは画竜点睛というものです。それにオデットは船齢二百年というではありませんか、これも何かの縁かと」
「それに民間船のレースとあっては、当局も表立って来れないですわ。これ以上安全な航海は無いと思いますけど」
ヒルデまでもがとどめを刺す。
チアキが溜息をついて耳打ちした。
「外堀埋められてるわね。記念大会なら両家の人間も出席しない訳にはいかないでしょ。中学部だからって言い訳もきかない。去年は出場してるもの。」
そうなのだ。去年はグリューエルが開会宣言をして、ヒルデは準優勝している。それに主賓はセレニティー姉妹とリーゼ、受けるしかない。
「でも、セレニティー星系から核恒星系まで超光速跳躍なんて、ソーラーセイルでカテゴリーⅡの船ってそんなにあるの?」
茉莉香は素朴な疑問を口にした。
「多くありません。もともと星系内での移動の船ですし、外洋に乗り出せるクラスの帆船でも、わざわざ転換炉ブースターを持ってる船はごく僅かです。オデットⅡ世は特殊な例の様です」
でしょうねと茉莉香は思った。独立戦争時に海賊するために設えたエンジンなのだ。
「ですから、今回参加する船に応じて、特注でブースターをご用意させて頂きました。ブースターを装着できない小型船については、跳躍区間をカーゴで運ばせて頂きます。参加総数は一二〇隻。ほんとうは二〇〇隻と行きたかったのですが、そこまで集められませんでした。カテゴリーⅡについては、今回限りの特例で認められたそうです」
太陽帆船が一二〇隻。大小もあるだろうが、そんなにいるんだ。でも全銀河で一二〇隻しか残っていないとも言える。と、茉莉香は感慨に耽った。
聞けば、専用のブースターはセレニティー王国が用意するという。恐らく新鋭戦艦が買えるほどの出費だろう。しかも大会後はそれをプレゼントするそうだ。他に使い道もない代物だが、なんちゅう太っ腹だ。恐るべし、セレニティーの財力!
「C-68埠頭オデットⅡ世、船長の加藤茉莉香です。出航の許可をお願いします。」
一寸の間を置いて、スピーカーから流れてきたのは男性の声。
梨理香ではない。梨理香はまた家を留守にしている。行き先は聞いていない。
『こちら海明星中継ステーション、白鳳女学院オデットⅡ世のトランスポートとフライトプランを確認しました。現在、出航に支障となる船舶や障害はありません。オールクリアです。出航を許可します。――良い旅を』
前と同じフレーズだ。定型文でもあるのだろう。
「有難うございます。出航します」
C-68の閉鎖ドックのハッチが開き、細身の船体がゆっくりと宇宙空間に出ていく。
補助動力を使い、静止軌道に浮かぶ中継ステーションから離れる。
今回の航海に弁天丸とバルバルーサは同行していない。最初の目的地がセレニティーで、レース中の護衛は帝国とセレニティーの艦隊が行うからだ。だから茉莉香はチアキらと共にオデットに居る。
てきぱきと各々の役目をこなしている部員たちを、オブザーバー席から顧問のジェニー・ドリトルが見守っている。
ラグランジュ点L2ポイントに係留されている補助ブースターを取り付けて、オデットⅡ世は海明星管制宙域外縁のたう星系銀河回廊インターへと向かう。ここからカテゴリーⅠからⅡに切り替わるのだ。
「ブースター出力安定」
「目標座標、セレニティー青の姉妹星にセット完了。」
「周辺宙域、オールグリーン」
クルー達からの報告を確認して茉莉香は命令した。
「超光速跳躍!」
ゆっくり動いていたオデットのスピードが桁違いに早くなり、時空震の青白い光の中に、吸い込まれるように消える。
「亜空間に入りました。船体情報に問題なしです。」
ブリッジの中に安堵の息が洩れる。亜空間突入が船にとって一番危険な場面なのだ。茉莉香もほっと息をつく。
「じゃあ、ちょっと早いけどランチにしましょ」
そう言いかけた所で、いきなりアラートが鳴った。船内異常を知らせるものだった。
「カーゴ区画で異常警報!」
何事と、緊張が走る中でキャサリンから報告。
「生命維持装置がいきなり点灯しました。いえ、ずっと入ってる? 生命反応を確認。密航者です!」
密航者!って、グリューエルもヒルデもリーゼも、ブリッジに居るし…。
「体温三六,五℃。身長と体重は――」
そこまで言いかけた時、ブリッジに声が流れた。
『それは言わなくていい』
「リン!」
その声を聞いてジェニーが立ち上がった。愛するリン・ランブレッタの声だったからだ。
やがて、ブリッジに現れたリンにジェニーが跳ぶ。
両手を差し上げて向かえるリン。
そのまま抱き合う二人。
また濃密な光景が繰り広げられるかと心配した茉莉香だったが、二人はキスを交わすだけだった。それでもブリッジ内に黄色い声が飛び交ったが。
「どうしたの、病院に居る筈じゃなかったの? 日にちも知らせていなかったのに」
ジェニーが言った。
「わお♡ ジェニー先輩、ぴんぴんしてる」
「ご無事だったんですね。心配していたんですよ。お見舞いに行っても面会謝絶だって」
「もう会えないのかなって、寂しくて、心配で――」
事情を知らない部員たちがリンに詰め寄る。ナタリアやリーゼは涙を浮かべて、ヤヨイなんかは泣き出している。
「ごめん。」
「フリーフライトチェックで、念入りに調べたつもりなんですけど、どうやって忍び込んだんです?」
この機に乗じてテロリストが何か仕掛けるかもしれない。あるいはアサシン・アンドロイドがと、今回は綿密に船内チェックをしていた茉莉香だった。
「これのお陰さ」
と、真新しい軍用PCを見せるリン。
「お父…いや、鉄の髭さんから送られてきた物なんだけどさ、凄いんだぜ、HAL坊の一〇〇倍のスペックがある。並の戦艦なら乗っ取ってしまえる代物だ。これで監視モニターや茉莉香の動きをチェックさせてもらった。あとは隙に乗じて忍び込んで適当にダミーを噛ませて――」
襲った相手をさん付けすることに訝しんだ茉莉香だったが、手口がまるでエージェント並みだ。
「聞けば、私の作ったプログラムを無効にするには私掠船免状が要るそうじゃないか。でも、女王でも無理だと思う。元になったプログラムを大分改変してあるからねえ。私が受け入れコードを打ち込まないと弾かれる」
「でもワイルドカード・プログラム、あ、これ帝国側がそう呼んでるんですが、HAL坊と一緒になくなったんじゃ。…まさか、コピーが!?」
「いや、コピーはないが、残っているんだな。ここに」
と、自分の頭をコンコンと指差すリン。
「それで、解除用のプログラムを組んでおいた。今ならまだワイルドカードとしても使えるぜ」
リンが襲われてから三週間余り、時間は十分にあったが、リンの手元にはオデットも私掠船免状も無い。つまりあのプログラムを記憶と知識だけで再構築したという事だ。
「まさか、またクラッキング――」
「もうしないさ。流石に戦争をおっぱじめるつもりは無いよ。大量殺戮のは引き金は引きたくない。それにしても、そんなにおっかないプログラムだったとはねえ…」
そう言って頭を掻くリン。
「それで、オデットが引き返せないタイミングで出てみえたと」
副長席でチアキが言った。
海明星管制宙域ならステーションに戻れる。だが亜空間に入ったら目的地まで一直線だ。航路変更もできるが、それは非常事態の時のみ。海賊船なら軍務に準ずることから比較的自由度が高いが、民間船ではまず無理。各船舶がそんな勝手な航行をしていたら、管制の意味がないし事故も起きる。今のオデットⅡ世は海賊船ではなく、レースに出場する練習船なのだ。
もっとも管制宙域内であっても引き返せなかっただろう。リンが降りれば、リンがピンピンしていることが知られてしまう。
リンは照れ笑いしながら頭を掻いていた。
「先輩が病院から抜け出す姿やオデットに忍び込む姿、誰かに見られませんでしたか?」
「いやあ大丈夫だと思うよ。病院や中継ステーションもクラッキングしておいたから」
ほっとするチアキ。先輩の腕なら大丈夫だろう。変装も男装すれば美青年にしか見えない。
「このまま行くしかないわね」
そう言うチアキだった。
ジェニーはリンが姿を隠さなければならなかった事情をみんなに説明した。
襲撃依頼が情報部によるものだと聞いたときの、リーゼの衝撃は大きかった。
「そんな事になっていただなんて…知りませんでした。なんてお詫びしたらよいか」
「いや、リーゼは関係ないぜ。これは私とジェニーがやった事、クラッキングは事実なんだし、造ったプログラムがそんな代物だったなら、帝国政府が危険視するのは当たり前のことだ」
「だから、身の証しを立てなければならないんだ。まあ確かに情報テロだったんだが、これは帝国を危機に陥れようとしたものじゃないってね。そのためにも私が行かなくちゃならないんだ。身を案じてくれたのは嬉しいけど、水臭いぜジェニー」
「御免なさい。」
「でも、先輩がオデットに居ると解ると、この先面倒ですね。」
「まさかとは思うけど」
セレニティーの警備を疑う訳ではないが、不特定多数の者たちが大会に集まって来るのだ。その中に暗殺者が紛れ込まないとは限らない。皇女の警備を口実に情報部自身が乗り出して来ることだって考えられる。
「オデットの係留は王室専用ポートをお使いください。皇女様のお召艦ですもの当然ですわ」
そうグリューエルが言った。
「ただ、誠に言いにくいのですが、セレニティーにいるあいだ、リン先輩には外を出歩かないで頂きたいのです。帝国に借りは作りたくありませんから」
王国の賓客として安全は保障できるが、テロリストを匿ったとなると帝国政府に負い目が出来る。
「解った。セレニティーには迷惑かけるな」
頭を下げるリンに、済みませんと申しわけなさそうなグリューエル。
「ここでネビュラカップの様子を見物させてもらうよ」