グリューエルはパレスホテル近くにある美術館に寄り、並んだ絵画を足早に眺めていた。
岩、動物の皮、樹皮、布、紙、金属、それこそ身の回りにあるあらゆる材料に描かれた人の想いが、無限とも思える暗い回廊の両側に続いている。
ゆっくり見て回りたいのはやまやまだが、そんなことをしていたら時間が足りない。この絵画一つ一つにある歴史に思いを寄せてしまい、つい描いた人やその星のことを考えてしまうからだ。だから絵に囚われないよう流し見している。彼女には、これから人と会う予定がある。
以前、ここでグリューエルは一人の少年と出会った。正確には誘拐されて友達になった。その少年と再会するためである。一年前の彼の住まいは知っているが、今も同じところに住んでいるとは限らない。そこで渡したレシーバーで連絡を取った。また会えませんかと。
新しい住所を聞いて訪問するのも、向こうだって都合があるだろうしぶしつけ過ぎる。だから初めて会った場所で会いませんかと話した。――彼とその妹弟たちの環境は、ずいぶん変わっている筈だ。
暫らくして少年が現れた。齢は自分と同じくらいだが、背は以前よりもっと伸びている。あの時と同じに作業服にぶかぶかのジャケットを着ていた。
「リシャールさん、元気そうですね。」
「久しぶりグリューエル。今度は何しに来たんだい」
そう言ってから彼は気付いた。白鳳海賊団が辺境星系連合への出入りをまえに、髑髏星に来ていることを。
「あの時は、やけに度胸が据わって場慣れした子だと思ったけれど、きみ海賊だったんだね。道理で軍用のレシーバーを持ってた訳だ。でも、あれ? 姉ちゃんの話ではお姫様だって…」
顔にはてなを浮かべる少年に、グリューエルは笑顔で返す。
「うちの海賊団には聖王家の皇女も居ますから」
そう言えば、白鳳海賊団の首領はリーゼ皇女だと聞いている。今回その海賊団にギルドのボスも加わるって話だ。何でもありの海賊団に皇女も居ますの一言で納得してしまえる。
「ギャッピや妹弟さんはお元気ですか? それにシャホ爺さんも」
「ああ、みんな元気だよ。これからみんなに会っていくかい? 時間があればだけど」
「宜しいのですか?」
「全然いいよ。みんな喜ぶ」
無人バスを乗り継ぎ、髑髏星の上顎にあたる古い工場地区まで案内された場所は、見覚えのあるダウンタウンの鉄屑横丁だった。
初期に無秩序に増改築を繰り返して出来た、この要塞で最も古い区画のひとつである。いまも初期開拓ステーションの面影を残し、というより再開発に取り残された地区。どのダウンタウンの例に漏れず、難民や棄民、不法労働者、脛に傷持つ者など社会の最下層の人々が溜まる場所だ。だが自由、外のしがらみはここには無い。
しかしそれは、犯罪やブラックマーケットの温床でもある。辺りの空気がピリピリし、常に何かしらの不安と警戒感が漂っていた。身寄りのない小さな子供たちには過酷な場所だ。事実、人身売買や子供攫いが横行していた。以前訪れた時は、グリューエルも人買いに攫われそうになった。
髑髏星では、昔から人身売買は御法度だった。
髑髏星に流れ着いた人々はその被害にあって来た人が多かったし、孤児となったグラント姉妹が、子供狩りが大嫌いだったことが大きい。それでも、人買い、子供攫いは後を絶たなかった。
それが一年前、紫紺の戦魔女の異名を持つノエル・ブルーの身内が、その被害を受けたことで事態が好転した。児童誘拐と人身売買を生業としていたゲインズ・ファミリーが摘発され、間髪を入れずダウンタウンに大規模な手入れが入った。御法度に手を染めていた個人、組織が芋蔓式に摘発され、売買に手を貸していた商船や海賊船は、ギルドからの追放または問答無用で撃沈された。髑髏星の人身売買のブラックマーケットは壊滅したのである。
小さい雑多な商店、入り組んだ通路、所々明かりの消えた照明、不安定な人工重力。見たところ一年前と変わりがない。しかし、あのオドオドした張り詰めた空気が無かった。
「まあ、ここって――」
立ち止まった先でグリューエルは上を見上げた。
『宇宙の海は――』
インターホンから小さな声が聞こえて来る。ハッチの前でリシャールが言葉を返した。
『みんなの海。』
玄関代わりの宇宙船のハッチが開くと、三人の子供たちが少年目掛けて飛び込んで来た。
「にーちゃ、おかえりー」
「あっ、あん時のお姉ちゃんだ!」
「ほんとだー」
その勢いから身を躱す十二歳前後の少女。――あの時と、まんま一緒だ。
「こんにちは、ギャッピさん。合言葉変えたんですね」
グリューエルが苦笑しながら挨拶する。そんな彼女を不思議に思いながら少女は迎えた。
「いや合言葉なんか必要ないんだけど、長年の習慣で。なんか変だった?」
「いえ、私たちが使っている合言葉と同じだったものですから」
ふーんという顔のギャッピ。
「にーちゃ、これ教えて―。がっこで出た宿題なんだけど、ノエルねーちゃ教えてくんない」
「私は星間史が専攻なんだ。数学は専門外!」
七才くらいの男の子がノートを拡げてリシャールにせがんで来る。それにつられるように紫紺の髪を持つ女が姿を現した。
「ノエルさん!」
「お姫様か、あん時ゃ有難うよ。ジャッキーの奴は捕まえられなかったが」
「まだ追い掛けてみえるんですか」
「そうだ。殺しても死なない奴だから、確実に捕える必要がある。それに、一度決めた仕事を中途で止めるのは、プロの意地が許さない」
ノエル・ブルー。背まで流れる紫紺の髪を持つ、プロの賞金稼ぎ。大型の携行火器を自在に使いこなし、紫紺の戦魔女の異名を持つ。
彼女もここ鉄屑横丁の出身だ。大きくなり出ていってそれっきりの若者が多い中で、彼女だけは育ったこのダウンタウンに度々帰って来る。
「いま加藤茉莉香もこの髑髏星に来てたんだったな。彼女に話したいことがある。ジャッキーについてだ。」
ジャッキーと聞いてグリューエルは緊張した。
「が、その前に片付けなければならない難問があってね。済まないが手伝ってもらえないだろうか」
そう言ってノエルは、男の子が持っていたノートをグリューエルに渡した。どうやら宿題を見てやってくれないかという事のようだった。
グリューエルは渡されたノートを見て、え?という顔になり、ノートの持ち主を見直した。
小学校低学年くらいの男の子である。
中身は学校で出された算数だ。だが、内容が小学校のそれではない。英才教育を受けているグリューエルがびっくりする位だ。それは、高校で習う程度のものだった。
髑髏星にはフェアリージェーン星間旅行会社の支店がある。旅行代理店も行っているが、ここでの主な業務は社会福祉だ。
身寄りのない子供たちに教育の機会を与える慈善事業である。一年前にフェアリージェーン社が、身寄りのない児童たちに基礎教育の提供を申し出て来た。まだ帝国が海賊ギルドを認めていない時で、きれいな経営方針で知られる会社がどうやって髑髏星と渡りを付けたのか人々は不思議がったが、それは企業機密である。
教員には宇宙大学の実習生などもおり、授業内容のレベルは高い。しかも義務教育以上を経済的理由で望めない子供等であるため、内容はかなりのハイペースで進み、中卒で大学の教養課程程度は済ませられる。これは中卒でも実践社会で役立つようにとの配慮からだった。受ける側にしても身一つで宇宙に生きる子供たちだ、基礎教育こそ受けていなかったが飲み込みが早い。
答えは解っているのだが、解答の導き方をどう小学校低学年に説明したらよいかと思案中のグリューエルに、ひょいとノートを取り上げたリシャールが弟に教え始める。
「ベクトルは春に習っただろ、それを応用するんだよ。ほら、この数式に公式を当てはめて――」
わかり易い解き方に、幼い弟の瞳がみるみる輝く。
「とっても上手な教え方ですね。凄く解り易いです」
グリューエルが胸に手を組んで感心している。
「いやあ、いまシュレーディンガーを習ってる所なんでね。波動関数と状態ベクトルは得意なんだ」
恐らくここの子供たちが、銀河系で最も高度な初等教育を受けているだろう。
「ジャッキーですって!」
海賊会議を終え、部屋に戻った茉莉香を待ち受けていたものは、一番耳にしたくない人物の名前だった。
「あのイカレポンチ、またオデットを狙っているって言うのか?」
リンも渋い顔をする。奴には苦い思い出がある。ハッキングの裏をかかれたり、高出力なスキャン波を浴びせられたり。
グリューエルに案内されたノエル・ブルーは、茉莉香たちに説明した。
「どうも奴は辺境星系連合から偵察を頼まれたが、それを蹴っている。なのに、動きが斥侯そのものなんだな」
不審な小型艇が髑髏星に近付くまで追っていたことを思い出す。
じゃあガーネットAからずっとつけていたピケットは、ルナライオン?
「ジャッキーが髑髏星に向かっていると判って先回りしたんだが、そこで奴の足取りが消えている。そして現れたのが君たちだ」
「奴の狙いは君たちのオデットで間違いないだろう。奴がオデットと関わりを持ったのは単結晶衝角からだと聞いている。オデットのことを調べていて只の練習船でないと知り、独立戦争時の動きを洗ううちに降伏文書の存在を知った。オデットは独立戦争で植民星と帝国に深く関わっている。いちどオデットを奪われかけたことがあるだろう?その時奴はスキャンを掛けている筈だ。お得意のハッキングでな。でも内容までは解らなかった。オデットの記憶領域には、意味不明なフォルダやらが一杯あるんじゃないか?」
確かに、開けるのが怖いフォルダが沢山ある。しかも、オデットの行動によっては増えたりするから余計に怖い。その道に詳しいリンでも、おいそれとは触れられない代物だ。
「奴にとっては宝の山だ。そして今回、君たちが見せた強制乗っ取りと転送だ。恐らく喉から手が出るほど欲しがっている」
それだけじゃ無い気がする。オデットはジャッキーのご先祖様からの、因縁の船だ。
辺境星系連合との戦闘を前に、えらい厄介者が出てきたものだ。
ここに集まっている一同がウンザリという顔をしている。これをオデットでしたら、みんな同じ反応をするだろう。
「じゃあオデットを餌に、ジャッキーを捕まえるつもりなんですか?」
茉莉香が露骨に嫌な顔をした。
「君たちの同意と協力が得られれば」
「協力はしますけど、その内容によります。オデットを囮に使うなんて同意できません」
きっぱりと断る茉莉香。けれど頷きながらもリンが言った。
「でもなあ、囮で有る無しに関わらず、あのイカレポンチは確実にオデットにチョッカイ出して来るぜ。むしろここで、奴とは決着を着けるべきだと思う」
「危険すぎます。ジャッキーが近付けないよう、輪形陣で行くべきです」
囮とすることは、オデットが船団から突出することだ。それに気付いたグリューエルが反対した。
「でもね、輪形陣で固めても恐らくそれを擦り抜けて来るわ。茉莉香も見たでしょ、バルバルーサのデッキに着艦するまで、ルナライオンは気配すら見せなかったのよ」
以前弁天丸に投降すると連絡して来て、散々サーチしていながらもバルバルーサの着艦デッキに降りて来るまで捉えることが出来なかった。ステルスを解いて姿を現したパッチワークな船体を、チアキと茉莉香は見ている。
対抗するにはどうするか。
しばし茉莉香は思案した。そして決断した。
「解りました。オデットを囮にします。でも生半可な小細工では、あのジャッキーを出し抜くことは出来ません。ここは輪形陣で行って、その上でジャッキーにオデットを進呈します」
「茉莉香さん!」
トンデモな事を言いだした茉莉香にグリューエルが悲鳴を上げた。
「その上で、オデットをあのイカレポンチの籠にします」
「何か策があるようだけれど、最悪、本当に乗っ取られたらどうするつもりなの?」
それまで話の推移を見守っていたジェニーが聞いた。
「その時は、私が、弁天丸でオデットを撃ちます.」
一〇〇年後の後輩たちまで引き継がなければと言っていたジェニーに、茉莉香は言った。同時にそれは、人殺しもするという意味だ。
全員が言葉を失った。
「それで協力の報酬は何になりますか」
もとより取引などするつもりのない茉莉香だったが、プロ相手に無報酬の商談は失礼にあたるというミーサや百目の言葉から言った。
「残念ながら、こちらには支払う対価がない。このところ持ち出し一方なんでね。でも、報奨金が入れば支払える、と思う」
断腸の想いで返すノエル・ブルー。最後の言葉も歯切れが悪い。その報奨金でも、これは必要経費では賄えないからだ。