DEVIL SURVIVOR 2 You changed my world. 作:ルーチェ
夜の帳が落ちた街の中を車は走っていく。
その流れゆく景色を眺めながら、ミヤビは考えていた。
(いつもと変わらない平穏な日常。しかし明日の今頃はすでにポラリスによる審判は始まっていて、人間に限らずすべての生物は力のないものから消えていく…。力のあるものが生き残り、力のないものが死んでいくというのは自然の摂理だけど、感情というものを持つ人間にとってはそれを素直に受け止めることは難しい。そもそも知恵や技術で補ってはいるものの、肉体的に劣る人間が生態ピラミッドの頂点に君臨することが摂理に反するものだわ。だからポラリスは人間を滅ぼしてしまおうというのかしら…?)
ミヤビは何気なく隣のヤマトを見た。
ヤマトはぼんやりと車窓の景色を眺めているようだ。
その視線の先には秋祭りの屋台とたくさんの客が楽しそうに歩いている光景がある。
大きな飾り熊手を抱えている者もおり、場所と時期から察するに新宿花園神社の大酉祭であろうと彼女は判断した。
(ヤマト様の目にはこの景色がどのように映っていらっしゃるのでしょうか? あなたの目にはくだらないちっぽけな人間たちが群れているようにしか見えないのかも知れませんね…)
ヤマトの脳裏にあるのは強者のみによって形作られる実力主義の世界。
彼の掲げる実力主義とは年齢や性別、容姿、学歴などを一切考慮せず、その実力によってのみ人を評価するもの。
適度な実力主義は組織内や集団における切磋琢磨や望ましい競争を誘引するが、ヤマトは「弱者は生きるに値しない」という苛烈極まりない思想の持ち主だ。
もし彼の意に沿った世界が生まれたなら、彼の目に止まることすらないような大多数の人間は、日々を生きることすら難しくなるだろう。
ヤマトの目の前を過ぎていく人々は、彼にとって救う価値のない者である。
事実、視線は車窓に向けられていても、彼の意識はそこになく、新世界の創造へと思いを馳せていた。
帰宅ラッシュ時と重なり、道路は混雑していた。
さらに信号によって車は何度も一時停車する。
それを忌々しいといった感じでヤマトは眉を顰める。
しかし車の横を通り過ぎた若い男女、正確には男性の持つ経木の箱に視線が注がれた。
まるで宝でも見つけたかのように目を大きく見開き、僅かだが身を乗り出している。
それが気になったミヤビはヤマトに声をかけた。
「ヤマト様、いかがされましたか?」
するとヤマトは自分が不自然な行動をしていることに気づき、悟られないように身を正した。
「いや、何でもない。…ところであの男が食べているものは何か知っているか?」
興味はないのだが、つい目に入ったので気になったという素振りでミヤビに訊いた。
「あれはタコ焼きという庶民の食べ物です」
「タコ焼き?」
「はい。小麦粉に卵やだし汁などを加えた生地に小さく切ったタコを入れ、特別な形状の鉄板で丸く焼いた料理です。関西、特に大阪では日常的に食するようですが、その他の地域ではお祭りなど特別なイベントの屋台で供されます。神社のお祭りで屋台もたくさん出ていますから、そこで購入したものでしょう」
「ほう…。しかし歩きながら食べるというのはいかにも下賤の者どもの料理だな」
馬鹿にしたような言い方だ。
彼のような上流階級のお坊ちゃんであれば、歩きながら物を食べるなど下品で許しがたいものなのだろう。
「そう思われても仕方がありませんが、こういう雰囲気で食べるからこその醍醐味というのもあります。それに案外美味しいものですよ。わたしは好きです」
ミヤビが肯定する料理であることもあって、ヤマトはタコ焼きにますます興味を抱いた。
「お前は食べたことがあるのか?」
「はい。わたしが峰津院のお屋敷に引き取られる少し前のことです。まだ健在だった両親と一緒にこのようなお祭りへ出かけ、屋台で買ったタコ焼きを食べました。…ただ、わたしにとってタコ焼きの味は両親との最後の思い出と重なって、特別な思い入れがあるものですから余計に美味しいものだという記憶になっているのかも知れません」
ヤマトの知らないものを一方的に賛美するのも憚られ、ミヤビはそう答えて寂しげに微笑んだ。
彼女の両親が事故で他界したのはその翌月のことで、それから10年以上経った今でも鮮明に思い出されるのだ。
信号が青に変わって車が動き出した。
祭りの屋台や客らの姿はあっという間に後方へ過ぎ去って行く。
それに合わせてミヤビも過去の記憶を胸の奥に押しやり、今の状況について整理した。
(夕方のラッシュは考慮していたけど、祭りのせいで道が混雑することに気がつかなかったのはわたしのミスだわ。このままだと到着が予定より10分以上も遅れてしまいそう。ヤマト様の貴重な時間をわたしのせいで無駄にはできない。えっと…今いるのはここだから…)
ミヤビはタブレット型端末で地図を表示し、新たなルートの検索を始めた。
そして新たなルートを選ぶと、それを運転手に指示する。
その間ヤマトは何も言わずに彼女の様子を横目で見ていた。
(相変わらず指示しなくとも自ら考え、即座に行動する。ミヤビは私の望むことをいち早く察知し、完璧な形で実践する。私の手駒の中では最高の駒だ。あの事故がなければ彼女は才能を開花させることもなく、朽ち果ててしまったことだろう。あの事故はまさに天啓であったのだな…)
ヤマトは10年前の事故と、それに続くミヤビとの出会い、そして彼女が初めて悪魔召喚した時のこと思い出していた。
◆
峰津院家の管理する龍脈施設は全国各地にあるが、東京・大阪・名古屋の各タワーに龍脈を供給する主たる施設が富士山麓にある。
古くから信仰の対象となってきた富士山だが、それは日本という国の霊的守護の最重要地点であるからだ。
その富士山の急所とも言うべき場所に楔を打ち込み、各地へ流れる龍脈の量を調整している。
重要な地点であるからここを管理するためのジプス局員は特に霊力が高く、過酷な環境にも耐えうる強靭な体力と精神力を要求される。
ミヤビの両親はその資格を有しており、先代のジプス局長であったヤマトの父親に見出された。
優秀な局員であり、局長から期待されていたふたりであったから、もっとも重要な任務を与えられていたのだが、それがアダになってしまった。
事故というのは想定外の悪魔の出現によるものであった。
地震によって封印が解かれた土地から悪魔が地上に出てしまったのだ。
ミヤビの両親は技術者でありながら同時に優れた悪魔使いでもあった。
彼らは戦闘中に負傷し、さらに悪魔の攻撃によって暴走したシステムを回復するために命を賭したのだった。
両親そろって殉職したという悲劇に見舞われたミヤビは孤児となってしまったのだが、幼い彼女を引き取って育ててくれる縁者はいなかった。
なにしろジプスが極秘組織であるため、局員は親兄弟にも自分の仕事内容や住所を教えることはできない。
そういった理由で親族とは疎遠になり、結婚したことも電話で伝えただけであった。
もちろんミヤビが生まれたことも電話で伝えただけだから、祖父母にとって可愛いはずの孫娘は赤の他人に等しい存在である。
彼らは突然現れた孫を育てようとするはずもなく、ミヤビは孤児院に預けられることとなった。
そんな彼女を峰津院家で引き取ることに決めたのが当主のミズホであった。
ミヤビが両親に似て高い霊力を有していたという理由から、将来のジプスの戦力にするつもりで引き取ったのだが、ミズホの心の中に彼女に対して罪の意識があったのも事実である。
その証拠に立場上使用人という身分としながらも屋敷の母屋に部屋を与え、欲するものは可能な限り与えていた。
峰津院家の事情ゆえに同世代の子供のように学校へ通うことは許されなかったが、彼女はそれ以上のものを得ることができた。
なにしろ10歳で高等学校卒業程度認定試験に合格するレベルの学力と、神獣ビャッコを召喚するだけの力を備えるに至ったのだから。
そして
その出来事というのはとある深夜に起きた。
珍しく寝つけずにいたヤマトは本でも読もうかと書庫へ向かったところ、薄暗い廊下の床に一筋の光が見えた。
それは書庫のドアの隙間から漏れたものだとすぐわかり、彼は足音を立てずにそっと近づいた。
夜更けに書庫の明かりが灯っているというのは、掃除をした使用人が点けっぱなしにしたか、もしくは不審者の侵入のどちらかである。
前者である可能性が高いが、後者であることも考えての慎重な行動だ。
そしてドアの隙間から中を覗き込むと、床に座りながら懐中電灯の明かりを頼りに本のページをめくっているミヤビの姿が確認できた。
不審者ではないことはわかったが、なぜ深夜に書庫で本を読んでいるのか疑問に思い、ヤマトはドアを開けた。
ドアの開く音に驚き、さらに姿を現したのがヤマトであったことで、ミヤビは心臓が止まってしまうかというほど驚いた。
そして反射的に床に頭を擦りつけるようにして土下座をした。
「そこで何をしていた?」
特に怒っているのではないのでヤマトの声は普段と同じなのだが、ミヤビにとっては自分の人生がここで終焉を迎えるのだと言わんばかりに謝った。
「申し訳ございません、ヤマト様!」
「勘違いするな。別にお前を叱っているのではない。私はお前がこんな時間に書庫で何をしていたのか訊いているのだ」
その言葉にミヤビは土下座したままで答えた。
「本を読んでおりました。使用人が夜間に仕事以外で自室を出ることを禁止されていることは知っておりますが、読みかけの本がありまして、つい規則を破ってしまいました」
「使用人が深夜に~」という規則はヤマト自身も知っている。
もちろんミヤビが使用人であることも。
本来なら彼女に罰を与えるものなのだが、ヤマトは規則違反をしてまで読みたかったという本の内容が気になった。
「規則違反については私が決めたものではないので咎めはしない。ところで何の本を読んでいたのだ? ここには子供の読むような本はないはずだが」
そう訊くと、ミヤビは本を閉じて表紙を見せながら答えた。
「ゲーテの『ファウスト』です」
学問を究めた男ファウストが「結局何もわからない」と人生に悲観し、自殺しようとする場面から『ファウスト』の物語は始まる。
ファウストは悪魔メフィストフェレスに出会った。
「広い世界を全て経験させてやる」とメフィストは約束し、代わりに幸福の絶頂の言葉をファウストが発した(=満足した)時、その魂をいただく契約を交わす。
ファウストは魔法で若い頃の自分になり、少女グレートヒェンに一目惚れし、罠にかけ、たぶらかし、身ごもらせてしまった。
グレートフェンはファウストと逢い引きする為に母に飲ませた睡眠薬の分量を誤り、母を死なせてしまう。
彼女の恋愛に怒った兄はファウストと決闘するが、メフィストの手助けにより殺されてしまう。
やがてファウストは金に目がくらみ彼女を捨てるが、子を産んだ彼女は悲しみのあまり気が狂ってその子を殺し、死刑囚として牢獄につながれる。
当のファウストは、そんなこととは露知らず、酔いしれていた。
しかし、そこで彼は苦しむ彼女の幻を見る。
そしてメフィストの力を借りて彼女を助け出そうとするが、彼女は悪魔と手を結んだ彼の助けを拒み、牢獄にとどまりそして死ぬ。
第二部に入るとメフィストの手助けにより絶世の美女やすべての富を手に入れたりするが、年をとらない彼の前では、女性の美しさなど一瞬のもので、富も意味をなさないことを知る。
後に残ったのは、年をとらないが故の永遠の苦しみだけだった。
ある日、波に洗われる荒涼とした海辺の土地を眺めながら、民とともに荒れた地を整え、世界を作り治すことを思いつく。
この天地創造にも似た事業に生き甲斐を見いだしたファウストは「日々、自由と生活のために戦うものこそ、自由と生活を享受するにふさわしい」と悟り、ついに「この瞬間よ、止まれ、おまえはいかにも美しい」と叫び「満足」することができた。
賭に勝ったメフィストフェレスは彼の魂を地獄へ連れ去ろうとするが、天国から来たグレートヒェンの願いが聞き入れられ、ファウストは天使たちにより天国に導かれる。
大人でも難解なストーリーを理解できる者は多くない。
まして10歳の子供にはこの哲学的な内容を把握できるはずがないのだ。
だからヤマトはミヤビが嘘をついていると思った。
何か他のことをしていてそれを誤魔化すために適当な本を差し出したに違いないと考え、意地悪な質問をしてやろうとほくそ笑んだ。
「『ファウスト』とは恐れ入ったな。それでお前はどこまで読んだ?」
「第二部の途中です。海辺の土地の干拓事業に乗り出すところまで読みました」
読んでいたというのは嘘ではなかったようで、それも半分以上は読み終わっているらしい。
しかし読んだといっても理解していないのでは意味はない。
「ほう…ではそこまでのストーリーの中で印象深いシーンは何だ?」
「それは…」
そう言ってミヤビは口を閉ざした。
案の定、理解していないのだとヤマトは思ったが、それが自分の思い違いであることにすぐ気づかされた。
「牢獄に繋がれたグレートヒェンが悪魔と手を結んだファウストの助けを拒み、自らの罪を死によって贖い、清らかな魂となって天国へ迎えられるという第一部の最後の部分です。悪魔の手を借りて生き長らえるよりも、清い心のままで死んでいくというのはいかにも素晴らしく見えますが、わたしにとっては共感できるものはありません。彼女は罪人だから死ぬのが当然であるといえばそれまでです。しかし彼女には何もなかったから、容易に死を受け入れられただけだとわたしは考えます。むしろ生きる目的を持たなかったゆえに、死が魅力的なものに感じたのかも知れません。例えば扶養すべき肉親がいるとか、また果たすべき志がある等の理由があるのなら絶対に死ねません。生きなければならない理由があれば、ファウストと共に逃げて生き延びようとするはずです。彼女に罪があるというのなら、それは母親や嬰児を殺してしまったことより、自ら生きることを拒否したことにあるとわたしは思います。そういった理由からこのグレートヒェンという女性は、わたしには愚かでつまらない人間に感じました。わたしならこんな無様な生き方、そして死に方は絶対にしたくはありません」
ミヤビの言葉にヤマトは目を見張った。
自分と同じレベルで物事を考えられる人間がすぐそばにいたこと、それが自分と同じ10歳の少女であったことに愕然としたのだった。
普通の人間ならグレートヒェンの行動を賛美し、悲劇のヒロインの姿に感動したと答えるだろう。
しかし彼女はそれを否定し、大義のためにはあらゆる犠牲も厭わず、自らの魂を悪魔に売り渡してでも成し遂げる覚悟を持っていることを暗に匂わせた。
ヤマトは他人に無関心であったが、生まれて初めて面白いと思える人間と出会った。
それがヤマトとミヤビの人生を大きく変える出会いになるとは両名とも知る由もなかった。
しかしこの出会いがなければミヤビは峰津院家にとって都合の良い道具にしかならなかっただろうし、ヤマトも自分のために命を賭してまで行動できる有能な側近を得られなかったはずなのだ。
ヤマトは少し考えて、ミヤビに課題を与えた。
「最後まで読み終えたところで、お前がこの作品から何を得たのかを私に説明してみろ。私が満足できる内容であれば、今後お前がいつでも自由に本を読めるようにしてやる。どうだ?」
ミヤビはすぐに首を縦に振って返事をした。
「はい、承知いたしました!」
彼女にとって本が読むということは新たな知識を得ることと同時に、友人のいない寂しさを埋めるものであった。
これからは日中の自由時間だけでなく夜間にも読めるようになるというのだから張り切らないわけがない。
しかしヤマトには彼女の心中を察することなどできないから、彼女の態度が不思議で仕方がない。
「そんなに嬉しいのか?」
「もちろんです。わたしはすべてにおいて貪欲なものですから、得られるものは何でも取り込みたい。知識、知恵、経験…このお屋敷でたくさんのことを学ばせていただいておりますが、それだけでは満足できずにいます」
「フッ…お前は面白い奴だな。それで得られたものをどうするつもりだ?」
「それはわたしを引き取ってくださった旦那様と次期当主のヤマト様のために使います。旦那様はわたしに期待なさっています。その期待にお応えできないようでは、わたしは生きている価値などないのです。わたしはグレートヒェンのようにすべてを失い、死ぬことによって救われるなどという生き方をするのはゴメンです。わたしには成すべきことがあります。わたしは悪魔と契約しても峰津院のために生きる覚悟ですから」
ヤマトは初対面に近い彼女に期待をしている自分に驚いていた。
さっきの言葉から彼女の価値観を感じ取ったが、本人の口からはっきりと聞かされ確信した。
彼女が欲するものを与え続ければ峰津院への忠誠心は高まり、彼女の成長を促せば峰津院の宿願を叶えるための最強の駒になるだろうと。
3年前に父親が部下の子供を引き取って特別扱いしていたことに疑問を感じていたが、これでその理由がわかった。
彼女は来るべき《審判の日》を迎えるにあたって欠かせない駒のひとつに成りうると考えたからなのだと。
普通の子供が3年間で自分に影響を与える存在になったのは単に特別な教育を与えたからだけでなく、本人にそれを受け止めることができるだけの器があったから。
そしてその器は限りなく大きくて深い。注げば注いだだけいくらでも受け止めることだろう。
ヤマトは読書をするよりも充実した時間を過ごし、その夜は気持ちの良い睡眠を得られたのだった。
そして翌日の午後、ヤマトが午後のティータイムを楽しんでいるとミヤビが訪ねて来た。
目的は昨夜の課題の
しかしヤマトは彼女が普通の少女ではないことを思い出して部屋の中へ招いた。
彼女は午前中に家庭教師による授業、午後は2時間ほど礼儀作法や霊力の調整などを学ぶのが日課となっている。
つまり午後の課題を終えて真っ先にやって来たのだ。
「ずいぶんと早かったが、全部読み終えたのだろうな?」
ヤマトは教師が生徒に質問するように訊いた。
「はい。朝食の片付けの後と午前中の授業の合間の15分間で読み終えてしまいましたから」
「何だと? まだ残りはずいぶんとあったはずだが」
「でも全部読み終えました。そして昼食の間に考えをまとめ、ヤマト様に無様だと思われないような感想を言えるように準備は万全にしてあります」
「ほう…自信たっぷりだな。ならばさっそく私を納得させてみろ」
ヤマトは自分の向かい側にあるソファーを彼女に勧め、ミヤビは腰掛けると深呼吸をしてから口を開いた。
「まず『ファウスト』という作品が難解だという理由は内容が難しいからというのではなく、単にファウストがメフィストにあちこち連れ回されているために、読者が迷路に入り込んでしまったかのように迷ってしまうだけのことです。どんなに複雑な迷路でも道はひとつだけですから、惑わされずにいれば内容はそれほど難しくないことに気がつくはずです」
「なるほどな。それはもっともな話だ。それで?」
「これは神と悪魔のゲームに巻き込まれたファウストという人間の
ミヤビは自分が感じたことについて正直に話した。
彼女はまだ10歳だ。
その歳でこれだけの感想を持つことができること自体凄いことなのだが、ヤマトは自分を基準 ── 彼はすでに大学レベルの学力を身につけている ── にして彼女を判断しようとしていた。
そんな彼が満足げな笑みを浮かべた。
「私も1年ほど前に『ファウスト』を読んだが、お前とほぼ同じ感想を持った」
「え?」
「好き勝手をして、最後には自分に都合の良い妄想で自己満足して、その代価に魂をファウストに奪われるはずが、神の愛によって救われるなどという安易な結末には納得できないものがあった。…まあ、これは我々が日本人であり、キリスト教の価値観とはそぐわないことによる違和感にすぎないと言ってしまえばそれでおしまいだがな。そして人間はまもなくやってくる神の審判とやらで滅ぼされてしまうことになっている」
「……」
「キリスト教の救いの教理の定義は『神の恵みによる罪の永遠の罰からの解放であり、神による悔い改めの条件と主イエスにある信仰を、信仰によって受け入れた者に無償で与えられるものである』といったところだろう。しかし現実の神は人間に対して何も与えず、永遠の罪から解放などしてはくれない。それどころか己の思い通りにならないという勝手な理由で滅ぼそうとする敵である。だからこそ我々は悪魔と契約してでも神に抗い、勝利して新たな世界を創造する道を選んだのだ」
「おっしゃるとおりです。神に救いを求めるのは魂が弱い証拠。この作品から教えられた唯一の真理は『強者でありたいなら自分を失わずに未来を見据えろ』ということ。学ぶものは少なかったですが、この真理を得たことで時間の無駄にはならなかったと安堵しています」
ミヤビが安堵していたのはそれだけではない。
ヤマトが自分の話を真摯に聞き、同じ考えを持っていると言ってくれたからだ。
自信のない人間の言葉では説得力がないと考え、自信を持つために十分に考えをまとめて言葉を選んだ。
とはいえ相手がヤマトであるから少なからず緊張し、全力を出し切ったとは言えない状態だった。
しかしヤマトは彼女の出した答えに十分満足しているようで、普段は見せない笑顔を見せて彼女を喜ばせる言葉を告げた。
「約束どおりお前がいつでも自由に読書ができるよう父上に頼んでおこう。…ああ、お前なら書庫から本の持ち出しも許してやってもいいだろう。ただし睡眠時間を削って日常生活に支障があってはならぬ。よいな?」
「はい! ありがとうございます!」
ミヤビはまるで洞窟の奥で宝物を見つけた冒険者のように目を輝かせ、全身から嬉しさが伝わってくるほどの笑顔を見せた。
屋敷の外へ出ることもなく、ただ黙々と勉強と悪魔使いになるための訓練、そして使用人としての仕事をすることが今の彼女のすべてである。
それが読書の時間が増えることによって彼女の世界は広がっていく。
乾いた大地に雨水が染み込んでいくがごとく彼女は知識を吸収し、それが心地良くてたまらないのだ。
ミヤビが引き取られて3年経つが、ヤマトは彼女のことを殆ど知らなかった。
しかしこれがきっかけとなり、彼女のことを常に気にかけるようになったのだった。
そしてそれからひと月後に彼女が悪魔使いとして目覚める場に立ち会うこととなった。
ジプスの霊力開発機関で訓練を受けていたミヤビが悪魔召喚可能であるという報告を受けたヤマトは、彼女に悪魔召喚をさせることにした。
悪魔召喚は命に関わることなので成人に限って行われる。
未成年で悪魔召喚を試みたのは6歳の時のヤマトが唯一の例であった。
彼はレベル56の魔獣ケルベロスという高位の悪魔を召喚し、周囲の大人たちを震撼させた。
峰津院の血を引く彼だからこそできた快挙であるが、そのヤマトがミヤビの才能を可能だと判断した。
ヤマトはミヤビの持つ霊質だと神獣・龍王・霊鳥などが召喚しやすいので、レベル13の神獣ヘケトやレベル14の龍王マカラ、レベル16の霊鳥モー・ショボーあたりを召喚するだろうと考えていた。
ジプス局員の多くは1年から1年半ほどかけて霊力を鍛える訓練をし、それでいてやっとレベル10から15程度の悪魔召喚が可能になる。
彼女はまだ1年には満たないが十分に訓練を受けているので彼らと同レベルの悪魔を召喚できるだろうと考えたのだ。
しかしミヤビは良い意味でヤマトを裏切った。
彼女はいきなりレベル53の神獣ビャッコを召喚したのだ。
悪魔との契約は呼び出した者と呼び出された悪魔が直接戦い、それに勝つことで主従契約を結ぶ。
悪魔に対し人間が力でねじ伏せるというものだ。
しかしそれはレベルの低い悪魔に限ってである。
レベル50を超える高位の悪魔になると簡単には召喚できない上に、戦って力を見せるという手順を踏むことができない。
呼び出された悪魔の意思によるものが大きいのだ。
つまり悪魔自身が召喚者を自分の主に相応しいかどうか決めることになる。
通常、ジプスの召喚システムで悪魔使いが悪魔を召喚する場合、本人の霊力レベルより悪魔のレベルが一段階か二段階下のものを呼び出すよう調整されている。
悪魔よりも力が弱ければ殺されてしまうから、悪魔使い本人の方のレベルが高いのは当然の処置である。
もちろんまれに本人よりもレベルの高い悪魔を呼び出してしまうケースもある。
だからヤマトは焦った。
ビャッコが彼女を主として認めなければ、まだ防御魔法が満足に使えない彼女はビャッコに喰われてしまうしかないのだから。
ヤマトはこの想定外の事態に対処すべく魔獣ケルベロスを召喚し、ビャッコが彼女に牙をむく前に片付けようとかまえた。
しかし流れはさらに彼の想定外のものとなった。
ミヤビはビャッコに怯えることもなく対峙し、数分間の睨み合いの後にビャッコが彼女に屈したのだ。
それはヤマトがケルベロスを屈服させた時と同じで、ビャッコはミヤビの足元に近づくと頭を下げた。
その光景はその場に居合わせたヤマトや研究員たちの時間を止めた。
青白く光を放つ魔法陣の中央でビャッコがミヤビに頭を垂れ、彼女はその頭を優しくなでる。
その神々しい姿にヤマトたちは心を奪われてしまった。
ビャッコは四神のひと柱である。
すなわち彼女は生まれつき神を従えるだけの力を持っていたという証明がされたということになる。
そして後に詳細な検査と調査をした結果、彼女の悪魔使いとしてのレベルはすでに60にまで達していたことも判明したのだった。
ここでヤマトは愕然とした。
悪魔召喚の訓練を受けたとはいえ、それは1年足らずのこと。
それでビャッコという自分とほぼ同レベルの悪魔を召喚できるほど、ミヤビは強い霊力を有していた。
賢く、年齢以上の高い学力も身につけた。
彼女は生まれつきの強者であったのだ。
ヤマトは思った。
(ミヤビは両親の事故さえなければ私と出会うことはなく、出会うことがあったとしてもそれはずっと先のことだろう。そうなると誰も彼女が強者であることに気づきもせず、彼女の才能は市井の中で埋もれてしまった可能性が高い。また偽りの強者によって利用されるか、その力を恐れた者によって才能を握り潰される恐れすらあった。私は運命や神の導きなど信じぬが、こればかりはそうとも言えぬ。敵である神などに感謝する気はないが、何かに礼を言いたい気分だ)
そしてヤマトは身震いした。発展途上である彼女の才能を生かすも殺すも自分次第。
たぶん彼女以上の悪魔使いにめぐり合うことはまずないだろう。
この最強の駒となる逸材をどう扱うかが神との戦いに大きく影響する。
それを考えるだけで身体の底からフツフツと何か熱いものが沸き上がってくるのをヤマトは感じていたのだった。
◆
(ミヤビは私の期待を裏切らない。それは7年前から変わらず、これからも変わることはないだろう。神の審判を経て新世界を創造した後も、こうして私の隣にいるのは…)
そう考えながらふと無意識に隣に座っているミヤビの顔を見てしまうヤマト。
彼女は真っ直ぐに前を見つめていた。
知的で端正な顔立ちをしているミヤビ。
峰津院家で身につけた高度な学問や上流階級の立ち居振る舞いが、生まれ持った彼女の資質を極限にまで磨き上げたと言って良いだろう。
「優れたものは美しく、愚かしいものは醜い」という価値観を持つヤマトがこれまでの人生で「美しい」と感じたのはミヤビの存在だけであった。
しかし彼女をクイーンの駒として完成させたものの、所詮捨て駒のひとつであることに変わりはない。
最悪の場合は彼女を犠牲にしても自分の野望を完成させるという覚悟もある。
ただその覚悟が揺らぐ瞬間があるのは否めない。
(ミヤビがいない新世界において私はファウストのように「この瞬間よ、止まれ」と叫ぶことができるだろうか…)
そんな不安が頭をよぎり、その心の変化が表情に現れてしまった。
僅かに眉を顰めただけなのだが、それをミヤビに気づかれた。
「ヤマト様、何かございましたか?」
「あ、いや…」
「予定より5分ほど遅れていますが、もうまもなく議事堂の正門です」
「あ、ああ…わかった」
そう答えてヤマトは視線を窓の外に移す。
ミヤビに見とれて意味のないことを考えていたことを悟られずに済み、ヤマトは安堵した。
(今は余計なことを考えずに我が一族の宿願を叶えるのみ。そのための犠牲ならばすべて背負ってみせるさ)
総理官邸を右に見ながら、ヤマトほくそ笑みながら思った。
(貴様らが国の中枢で好き勝手していられるのもあと数時間。それまで泡沫の夢を見ているといい…)
オリジナルの逸話を入れてみました。
10歳の子供にゲーテの『ファウスト』は難しすぎますが、7歳から峰津院家での教育を受けており、読書が好きな彼女なら読もうという気になると考えたからです。
(実際、作者自身も子供の時から難しい本を読んでいたので、できないことはないと思います)
ヤマトとタコ焼きネタは切り離せないものなので、ここで入れてみました。後でも「重要なアイテム」として出てきます。