DEVIL SURVIVOR 2 You changed my world. 作:ルーチェ
ミヤビとヤマトが大阪本局へ戻って来ると、食堂がパーティー仕様に飾りつけられていた。
テーブルの上には少ない食材にもかかわらず、サンドウィッチや寿司、お赤飯のおにぎり、カナッペやチーズの盛り合わせといった料理が並んでいる。
もちろんジュンゴ特製の茶碗蒸しも人数分ある。
さらに厨房の中ではヒナコとケイタがタコ焼きを作っていた。
厨房に業務用の鉄板が置いてあったというのだ。
さすがは大阪本局だ。きっと平時にはタコ焼きが日常的に提供されていたのだろう。
ジプス局員全員と民間人協力者たちが食堂に集まってパーティーが始まった。
各々がこれまでの7日間の苦労を振り返り、生きていることの喜びを噛みしめ合っている。
そして明日を迎えるにあたっての不安を打ち消すように、歌を歌ったり音楽に合わせて踊ったりしている。
食堂の隅にヤマトとミヤビの姿があった。
ヤマトは黙々とタコ焼きを食べ、皿が空になるとミヤビが厨房に焼きたてのタコ焼きを取りに行く。
それを繰り返しながら、ふたりは仲睦まじい様子でパーティーを楽しんでいた。
「こうして見ていると、私が駒のひとつでしかないと考えていた者たちも、強者であったのだと思えてくるな」
4皿目のタコ焼きを食べ終わったところで、ヤマトが感慨深げに言い出した。
「この7日間を生き延びたのは紛れもなく彼らが強者であったからだ」
「はい。ですがわたしやヤマト様を含め、すべての人間が強者でもあり弱者でもあるのです。この世界に完全無欠な強者などいません。優れている部分もあれば、劣っている部分もある。それを互いに補い合いながら、今よりもっと成長していくことが必要なのだとわたしは思います。わたしたちはこの7日間を生き延びました。でもそれは仲間がいたからこそであり、ひとりだったら生き延びられなかったでしょう」
「そうだな。そしてお前が私の間違いを正してくれたおかげで、私もこの仲間の一員として迎え入れてもらえたのだ。感謝している」
「感謝だなんてとんでもありません。…こんなことを言うと叱られるかもしれませんけど、わたしはあなたの境遇を哀れに感じていました」
「どういう意味だ?」
「今のあなたならわかるはずです。仲間の存在が人を強くし、孤独というものがどれだけ人を弱いものにするかを。以前にアルコルと話をしたことがあります。人間というものはその人を囲む何人もの他人によって形作られている。他人との関わりによって成長し、いくつもの価値観によって作り上げられるものであると。人間がひとりでは生きていけないというのは単にひとりでは寂しいというのではなくて、他人がいるから自分の存在を確認できるから。誰もない世界でたったひとり自分しかいなかったら、自分というものを認識できない。比べるものがあって、初めて自分が優れているとか劣っているとかわかる。他人との関わりがあって、初めて自分が自分という存在だと認識することができるようになる。つまり他人は自分を映す鏡だといえるんです」
「なるほど…」
「ここにいる仲間たちは他の仲間たちと交流することにより自分で正しいかどうかを考え、自ら行動する強い意思を身につけることができました。人を成長させるのは人との交流なんです。だからいくらあなたが優れた人間であっても、他者との交わりがなければそれ以上の成長は望めません。そうは思いませんか?」
「ああ、そうだな。私はこれまで自分が常に強者であると信じていた。強者こそが世界を統べる資格があり、私にはその資格があると疑うことはなかったよ。そんな私がお前に破れたのだ、お前の言うことこそ真理なのだと認めよう。そして理解するために努力もしよう」
「ありがとうございます。…わたしはあなたが峰津院家の血に縛られていることが孤独の原因だと考えました。生まれ落ちた瞬間にあなたは国の守護者としての重責を負わされてしまったのですから。普通の子供とは違う生き方を強制され、誰かと一緒に食事をするという楽しさすら知らないで育ったあなたを寂しい人だと思ったこともありました。あなたと戦ったのは実力主義世界を阻止するためだけでなく、あなたに目を覚ましてもらいたかったから。つまりわたしは自分勝手な考えで、あなたが望んでもいないのにこの孤独から救おうとしていたんです。お節介だったかもしれませんね」
「いいや、そんなことはない。お前のおかげで私は救われたよ。私の周りの人間はすべて私のことを遠巻きにしており、一定の距離をおいて近づこうとしなかった。まあ、私が彼らを拒んでいたというのもあるがな。しかしお前だけは違った。私の懐に自ら飛び込み、私の価値観を揺るがせたのだ。恐ろしい女だよ、お前は」
「それは褒め言葉として受け止めておきますね」
「ああ、もちろんだ。お前は私がこれまで時間をかけて築き上げてきたものを良い意味ですべて破壊してくれた。善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。そして、一切の価値を粉砕せねばならない。…まったくそのとおりだ」
ニーチェの言葉を引用するところがヤマトらしい。
「私はお前によって一切の価値を粉砕された。この責任はお前にとってもらうしかないだろうな」
「はい。その覚悟なしにこんなことはできません」
ミヤビはそう言ってからひと息おいて続けた。
「わたしはこう考えます。世界改変という手段で個人の意識を強制的に書き換えてしまうのは簡単です。しかしわたしはそれではダメだと思うんです。ひとりひとりが自分の意思で変わろうとすることが重要なのではないでしょうか? 自分で考え、行動し、その先に変革がある。そうしないとまたポラリスによって人間はダメだというレッテルを貼られてしまうという気がします。そこでわたしはポラリスに世界回帰をお願いするつもりです」
「世界回帰だと?」
「はい。アカシック・レコードにはすべての記録があるのですから、過去のデータをロードすれば良いと思うんです。無の侵食によって国土は無残な姿となってしまいました。残された人々も少数です。この状況で新しい世界を創造するといっても限界があります。ならば悪魔やセプテントリオンの侵略のなかった時点までレコードを巻き戻し、やり直すことができるんじゃないかと考えていました」
「しかしそれではこの7日間の記憶も失くなってしまうのではないか?」
「そうですね。記憶は消えてしまうかもしれません。でもこの心と身体に刻まれた経験は消えることはないと信じています。人間の強い意思は不可能を可能に変える力を持っています。ならば絶対に忘れたくないと思えば、きっと忘れることはないでしょう。少なくともわたしは絶対に忘れません。忘れたくありませんから」
「フッ…お前らしい考えだな」
「きっとこの7日間の経験はそれぞれの新しい生活の中で活かされるはずです。…ただ、ポラリスが管理者である以上、ポラリスが満足できない世界であれば、再びセプテントリオンの襲来の恐れがあります」
「ポラリスの顔色をうかがいながら生きていかねばならぬということか?」
「しかし人間はいつまでもポラリスに管理される生き物であってはなりません。自分自身が己を管理できるようになることで、ポラリスの管理から抜け出せるでしょう」
「それが難しいのだがな」
「ポラリスを倒して管理者を消してしまうということも考えたことがあります」
「なんだって!?」
ミヤビが突拍子もないことを言うものだから、ヤマトは彼らしからぬ反応をしてしまった。
「だって、管理者がいなければ二度とこのような災厄が降りかかることはありませんから」
「……」
「でもわたしはその考えを改めました。古より人間は『法』というものによって縛られることで、秩序ある世界を保ってきたという歴史があります。人間はまだ完成された生き物とはいえませんから、何らかの手段で行動を律する必要があるでしょう。その手段としてポラリスには存在してもらいます。ただ管理者ではなく、アルコルのような監視者として存在してもらいたいんですけど」
「見ているだけで、手は出してくれるな…ということか」
「そのとおりです。そのためには人間が変わる必要があります。別にポラリスに媚を売るとか、迎合するというのではありません。人間には可能性がある。今はダメでもいつかは変わるのだと認めさせるんです。人間の可能性についてはこの7日間で証明して見せました。ならばそう難しいことではないはずです。もし再び人間が滅ぼされても仕方のない生き物だということになれば、その時は遠慮なくセプテントリオンを送り込んでもらいます。そうすればまたわたしたちのような人間が現れて、戦ってくれることでしょう。それがきっかけとなり、また人間は自分の過ちに気がつき、生き方を改めるはず。そうは思いませんか?」
「私には及びもつかぬ考えを持っていたのだな、お前は。どうりで勝てぬわけだ」
ヤマトは自分の想像を超える発想に驚くと同時に、ミヤビの才気に改めて感心した。
「やはりお前こそがポラリスに謁見する資格がある人間だ。こうして振り返ると、私は何と矮小な考えしか持たぬ人間であったか…。きっとポラリスもお前の願いなら聞き届けてくれるだろう」
「そうだね。ミヤビの意思が人間の…種の意思であるなら、ポラリスも認めざるをえないよ」
その声の主はアルコルだった。
彼は前触れもなく突然ヤマトたちの前に現れたのだ。
「新手の悪魔か!?」
アルコルの出現に会場内は騒然とし、マコトは急いで携帯をかまえた。
アルコルは床から5センチほど宙に浮いている。
ヤマトとミヤビは見慣れているから気にならないが、誰でも怪しむに決まっている。
宙に浮くことのできる人間などいない。
人間でなければ悪魔だと思うのは当然だ。
ヤマトとミヤビ以外のメンバーもマコト同様に携帯をかまえた。
「あの縞々、名古屋に現れた奴よね?」
アイリが呟くようにジュンゴに訊いた。
フェクダ戦の時にあの現場にいた人は姿だけは見ている。
しかし彼がセプテントリオンであることは知らないのだ。
「待ってください、みなさん! 彼は悪魔じゃありません。彼はセプテントリオンなんです」
ミヤビがセプテントリオンと言った瞬間、その場の空気が一瞬で凍りついてしまった。
その中でアルコルは言った。
「そう…私は第8のセプテントリオン、アルコル。だけど私は君たちと戦うつもりはない。私は君たちをポラリスの元に導くためにここへ来たのだからね」
「それはポラリスの意思なんですか? それともアルコルというあなた自身の意思?」
ミヤビが訊く。
「もちろんこれは私の意思だよ。私は君たちを…人間を消滅させてはいけないと確信しているから」
「セプテントリオンである貴様がポラリスの意思に反するというのか?」
ヤマトの問いに、アルコルは遠い目をしながら答えた。
「私はポラリスの下した裁定に疑問を持っていた。…はるか昔、君たち人間に自由の可能性を見た私はポラリスによって生かされるだけの脆弱な存在だった君たちに火や文字や絵といった君たちの欲するすべてを与えてきた。そして君たちは文明を持ち、文化を育み、自らの意思で生きることを可能にした。今や人間は自由だ。生物の中で無数の生き方が選択できる稀有な存在となったんだ」
「しかし皮肉なことに、その自由な精神が逆に人間の心に歪みを生んだ。思い当たる節があるだろう? 君たちが暮らしていた世界がどれほど混沌としていたか。…私はわからなくなったんだ。人間は自分の意思で自由に生きるのか、それとも再び管理される存在に立ち返るのか…。どちらが幸福なのだろうかと。もしかしたら私の行動がポラリスの裁定を早めてしまったのかもしれない。だとすれば私が君たちにしたことは善なんだろうか、それとも悪だったのだろうか…?」
彼の問いにミヤビたちは何も答えられない。
ポラリスによる審判はアルコルによって引き起こされたと言えなくもない。
しかし彼は本気で人間のことを愛し、そして憂いているのだ。
彼に感謝すべきなのか、それとも憎むべきなのか。
それを判断できる者などいようはずがない。
アルコルは続けた。
「私は人間の可能性を見極めたかった。だから君たちに悪魔召喚の力を与え、セプテントリオンに対抗する力を身につけさせた」
「ということはニカイアと悪魔召喚アプリはあんたが作ったんだ?」
フミらしい質問だ。
「そう、私だ。君たちが死に顔動画と呼んでいるものは、未来を予知したものではない。ポラリスは万能の存在で、過去・現在・未来の情報をすべて管理している。私はその中から未来の情報を君たちに提供したにすぎない。つまりあの動画は来るかどうかわからない不確定な未来ではなく、来るべき未来の確定情報なんだ」
「でも死を回避することはできました」
ミヤビがそう言うと、アルコルは神秘的な微笑みを浮かべた。
「そうだね。君たちはその予定調和の未来を自分たち自身の力で変えてしまった。定められた道を意思の力と行動で変えてしまう君たちに、私は改めて人間の無限の可能性を感じたよ。…私は君たちに進む方向を示した。こうしてすべての困難を自らの力で乗り越えた君たちを見て、私は君たちが望む世界を創造する手助けをすることに決めたんだ。本来ならポラリスに対してセプテントリオンの私が逆らうことはできないようになっているはずなのに、私はこうして人間に味方し、ポラリスを敵に回すようなことをしている。これはポラリスのシナリオにあったことかもしれないし、人間の可能性が生み出した奇跡なのかもしれない。私は後者だと思っているけどね」
そう言って彼は真剣な目で全員を見渡した。
「君たちの望む世界はポラリスの意思に反するものだ。それを実現するためにはポラリスと戦わなければならないだろう」
アルコルの言うように世界回帰をすればまた同じことを繰り返すことになりかねない。
それはポラリスの意思に反する行為であることに間違いはないのだ。
「ポラリスと戦う覚悟はあるかい?」
ポラリスとの謁見に臨むということは単に人間の意思を伝えるだけでなく、戦うことによってその揺るぎない信念を示すことでもである。
ポラリスとの戦いとなれば、これまでのセプテントリオンとの戦い以上に激しいものとなることは容易に予想がつく。
しかしそれは覚悟の上で、誰ひとりとして表情を変えることはなかった。
そしてミヤビはアルコルに向かって強く頷いた。
「はい。人間の強い意思を示すために戦わなければならないのはこの7日間で経験済みです。相手が誰であろうとも、わたしたちは戦って必ず勝つつもりです」
ミヤビの言葉に今度はヤマトを含む全員が頷いた。
「我々は摂理さえ変える力を持っている。人間は己の手で自分たちの未来を勝ち取るさ」
ヤマトの力強い言葉にミヤビは励まされ、アルコルに宣言した。
「わたしたち人間は管理者に管理されるのではなく、自分自身で管理できるようになります。そして二度とポラリスが人間を滅ぼそうと考えることのないよう、努力していきたいと思います」
ミヤビの言葉を聞いたアルコルは嬉しそうに微笑むと言った。
「では明日正午、大阪本局のターミナルに集合してくれ。私がポラリスのいる場所まで案内しよう。ポラリスに勝てるよう、十分に休息をとり、心の準備をしてくれたまえ」
そう言って、彼はすっと姿を消したのだった。
◆
パーティーは片付けを含めて3時間ほどで終わった。
時計の針は0時を過ぎており、8日目が始まっている。
みんな疲れているだろうということでパーティーはお開きにし、アルコルの忠告どおりゆっくりと休むことにした。
そしてそれぞれが思い思いのこと ── ひとりで心の整理をしたり、仲間同士で会話を楽しんだり ── に時間を費やす。
ミヤビはというと当然のようにヤマトに私室へと呼び出されていた。
「ヤマト様、入ります」
そう声をかけて部屋の中へ入ると、ヤマトはコートを脱ぎ、ネクタイを緩めた姿になってソファーで寛いでいた。
「待っていたぞ。こっちへ来い」
「でもその前にお茶を淹れますね。紅茶の茶葉の良いのを持ってきたんです。美味しい紅茶を淹れて差し上げますから、今度こそ飲んでみてください」
ミヤビはそう言ってお茶を淹れる準備をしようとしたが、後ろからヤマトに手首を掴まれて寝室へ連れ込まれた。
「な、何ですか?」
そしてベッドの上に押し倒され、その上にヤマトが覆いかぶさってきた。
「あの…これはどういう…?」
「今さら何を言う? 愛する者同士が愛情を深める行為に決まっている。東京での続きだ」
「で、でも…」
「私たちには時間がない。…まあ安心しろ、お前の意思を無視して無理矢理なことはしないさ」
「そう、ですか。安心しました」
そう言って、ミヤビはヤマトの顔を見上げた。
彼の表情は少し沈んでいるように見える。
「どうかなさいましたか?」
「もっと早くお前への気持ちに気づいていれば、違う未来があったかも知れぬ。お前を苦しめ、傷つけるようなことにはならなかったはずだ」
「…そうかも知れませんね。ですが後悔なんてヤマト様らしくありません。あなたは自分が正しいと信じる道を進み、結果こうなったんですから。わたしは今とても幸せです。そしてあなたが幸せだと感じていれば、それだけで十分ではありませんか?」
「ああ、そうだな。私も幸せだ。…しかし私たちに残された時間はあまりにも少ない。気づいたのが遅すぎたのは事実だ」
「いいえ、時間はたっぷりとあります。新しい世界でもわたしは常にあなたのお側におります。あなたのことだけを見つめ、あなたのためにこの身を捧げるという気持ちは絶対に違えることはありませんから」
「フッ…そうか。ならば憂うことはないな」
「はい」
そう言ってお互いに微笑んだ。
「もうすぐ世界が変わる。しかしまさか自分が思い描いた未来と違う方向に行くとは思わなかったよ」
「わたしは確信していました。ヤマト様ならきっとご自身の間違いに気づき、正しい形での実力主義の世界を創造してくださるでしょう、と」
「やはりお前は私の一番の理解者だ。私はお前なしには生きていくことはできそうにない」
「そのお言葉はわたしにとって最高の賛辞です」
そこまで言って、ミヤビは哀しげな目をして続けた。
「ですが、わたしはあなたが考えているほど善い人間ではありません」
「どういう意味だ?」
ミヤビはベッドの上に正座した。
同じようにヤマトも身体を起こして向かい合う。
「ヤマト様…わたしが死にたかったのは単に贖罪のためというだけではありません。あなたがわたしの手の届かない場所へ行ってしまうことに耐えられなかった。…それが真実です」
「…?」
「あなたの専属の使用人になれて、わたしはとても嬉しかった。愛情ではないけれど、あなたがわたしを必要としてくれている。あなたの側にいられる理由があればそれで十分でした。…でも人間というのは欲深いものです。側にいるだけで満足しているつもりでしたが、時が経つに連れて欲が出てきました。お慕いしている気持ちを伝えたい。できることならあなたのパートナーになって、共に未来を紡ぎたい…。叶わぬ願いとは知りながらも、溢れ出す気持ちが抑えきれませんでした。そしてあなたがミズホ様から峰津院家当主の座を譲られた時、わたしは決心しました。この命をあなたのために使う。それがわたしの愛の形であると。生きてあなたのお役に立ちたいという気持ちでいましたから、あなたに逆らうことになっても、その罪は一生かけてあなたのために働くことで償うつもりでした。その気持ちが変わってしまったのは、ある出来事がきっかけでした」
「きっかけ?」
「はい。あれは今から1年ほど前のことです、副総裁が自分の孫娘をあなたの伴侶にどうかという打診があったのを覚えていらっしゃいますか?」
「…良くは覚えていないが、そんなこともあったかもしれぬな」
「あなたにとっては些事であっても、わたしには衝撃的な出来事でしたので今でもはっきりと覚えています。あなたが結婚をするのはまだずっと先だと思っていたというのに、目の前に胸が張り裂けそうな事実を突きつけられてしまったんです。そう遠くない未来にあなたはわたし以外の誰かと結婚してしまう。そうなればあなたをお慕いする気持ちを完全に殺してしまわなければなりません。厄介だけど愛おしいこの恋心という気持ちを自ら殺して生き続ける自信はありません。そして死ねばすべての罪や苦しみから解き放たれる。気づかないようにと押さえ込んだ恋心が疼くたびに、死という永遠の安らぎを得たいという願望に囚われてしまったのです。それを死んで罪を償うなどというもっともな理由をつけて隠そうとしていました。わたしは弱い人間です」
膝の上でギュッと握り締められた両手をヤマトは優しく握った。
「自分の弱さを認められるお前は強い人間だよ。むしろ自分が強者であると信じて疑うこともなかった私の方が弱い人間だ。これは私自身の未熟さが招いたこと。お前は自分を責める必要などない。それにお前が私のことを好きだという気持ちを大事にしてくれていたと知り、天にも昇る心地だ。ますますお前のことが好きになったよ」
ヤマトはミヤビの手を離すと、今度は優しく彼女の身体を抱きしめた。
「お前のおかげで私は友人を持つことができた。しかし愛する女性はお前ひとりしかいないのだ。だから自分を大切にしろ。自分を卑下するな。なにしろお前はこの峰津院大和が欲したただひとりの人間なのだからな、誇りに思うが良い」
「ヤマト様…」
ヤマトの胸に顔を埋め、ミヤビは悲しい恋を終わらせた。
そんな彼女を労わるように、ヤマトは彼女の髪を指で梳きながら言う。
「こうしてお前といられるのなら、どんな世界になろうともかまわない気がしてきた。あれほど必死になって実力主義の世界を創るのだと叫んでいた自分が愚かしく感じられる」
「ええ、わたしもあなたと一緒なら、どんな世界であっても生きていけます」
「次の世界では一緒に食事をしよう。お前と会話しながらの食事なら、もっと楽しいものになるはずだ」
「もちろんです。お忙しいでしょうが、時間を作って一緒にお出かけもしましょう。そうです、お祭りに行って出来たての屋台のタコ焼きを食べましょう。きっとヤマト様にもお気に召していただけるはずです」
「ああ、約束しよう。それからお前の淹れる紅茶は新たな世界での楽しみにとっておく」
「はい、わかりました」
「それからひとつ教えてほしいことがある。お前が私に好意を抱いていて、その気持ちが行動となって現れたのだということはわかるのだが、それはいつからなんだ?」
ヤマトはミヤビが自分を好きになる理由やきっかけに思い当たる節がなかった。
単に身の上を哀れんで、それが恋愛感情に変わっていったというのであれば、やるせない気持ちにもなる。
別に知らなくても良いことなのだが、真実を知りたかった。
真実を知った上で、ヤマトは彼女を愛したいと思ったのだ。
ミヤビは困ったような嬉しいような複雑な表情で答えた。
「…好きになったというのがいつなのかと問われると難しいのですが、たぶん初めてお会いした時から好きだったような気がします」
「初めて、と言うと、お前が屋敷にやって来た日のことか?」
「そうです。あなたがわたしを見る目はとても冷たくて、少し怖かったのを記憶しています」
「それがなぜ好意に変わるというのだ?」
「わたしはあなたの氷のような瞳が忘れられませんでした。それからしばらくして怖かったというのは単純な恐怖という感情ではなく、畏怖であったということがわかりました。初対面であっても、あなたの生まれついて持っている才能やカリスマ性といったものに無意識に気がついていて、それに対し敬意を抱いていたんです。将来わたしがお仕えする人はすごい人なのだから、それに相応しい人間にならなければいけないと思い、学業により一層身を入れることになりました。…というのが半分。あなたに気に入られたいがために自らを磨いたというのが半分です。わたしの献身的な行動は好きな人に振り向いてほしいという乙女心によるもの。浮ついた気持ちがあったのだと言ったら怒りますか?」
「いや、怒るはずなどない。理由はともかくすべての行動が私のためであったというのだ、嬉しいに決まっている」
「それを聞いて安心しました」
「…しかしそんな昔から私のことを好きだったとは、まったく気づきもしなかった」
「知られてしまったら、わたしはもうあなたのお側にはいられなくなってしまいます。だから必死になって隠し通しました。そして普通に恋愛して、結婚するという幸せを掴むことができないのならばと、自分なりの形で恋を成就させようとしたんです。それはさっきお話したとおりです」
「苦しかったのではないか?」
「はい。苦しかったですが、わたしは自分の選択に自信がありましたから、後悔はしていませんでした。むしろ苦しければ苦しいほど幸せなのだという気持ちになっていったくらいです。悲劇のヒロインに酔っていた…というところでしょうか」
ミヤビは自分で告白していて苦笑いする。
「今わたしは限りなく広くて奥深い世界の中心にいて、世界が大きく変わる瞬間に立ち会おうとしています。それはわたしが峰津院大和という人間に出会えたからです。ヤマト様はわたしの世界を変えてくださいました。もしあなたに出会うことがなければ、わたしの世界は今よりずっと狭くて薄っぺらなものだったに違いありません。何も知らず、何の力も持たないちっぽけな人間のままでいて、自分が生まれてきた理由を見つけることもできずにいた。そしてわたしは人を…あなたのことを愛することもなく、存在したという痕跡すら残さずに消えていったことでしょう」
ミヤビがそう言うと、ヤマトは彼女の髪を愛おしそうに撫でながら言った。
「私がお前の世界を変えたと言うが、お前こそ私の狭隘な世界を変えてしまった。いや、私だけではなく、友人たちの世界を広げたのもお前だ。そして全人類の世界を変えようとしているのもお前なのだ」
「責任重大ですね」
「ああ。しかしお前ひとりにすべての責任を背負わすことはない。私にも背負わせてくれるのだろ?」
「はい、よろしくお願いします。…ああ、嬉しい。こうしてヤマト様と一緒にいて、幸せな未来を思い描くことが現実になるなんて」
嬉し涙を目に浮かべたミヤビはヤマトの顔を見上げた。
「お前の涙は美しいな。嬉し涙ならいくらでもかまわないが、哀しい涙であれば私がその原因を取り除いてやる。…と言っても、これまでの涙の原因は私が作ったものだったがな」
「それならこれからは嬉し涙の原因をたくさん作っていただきます」
「ならば今からお前を泣かせてやろう」
ヤマトはベッドから降りるとリビングルームに向かって歩いて行った。
そして1分もしないうちにヤマトはミヤビのもとへ戻って来た。
「どうかなさったんですか?」
「お前が喜ぶものを持ってきた」
怪訝そうな顔をするミヤビに、ヤマトはそれだけ言ってミヤビの横に腰掛けた。
そして小さな革製のリングケースから金の指輪を取り出す。
「これは…?」
「我が峰津院家の当主が伴侶となる相手に渡す指輪…つまり婚約指輪だ」
「婚約ですって!?」
「何を驚いているのだ。お前は新しい世界でも常に私の側にいる。私のことだけを見つめ、私のためにこの身を捧げるという気持ちを絶対に違えることはないと言ったはずだ」
「はい…」
「そして私はお前なしには生きていけないと言った。愛し合うふたりが一生を共にする、つまり結婚するという意味であろう。東京の屋敷から戻る時、これだけは持ち出さねばと思ったのでな。…異論はないな?」
「はい、もちろんです」
「ならばこれはお前のものとなる。さあ、手を出せ」
信じられないといった顔のミヤビ。
しかしヤマトが冗談を言ったり人をからかったりするような人間ではないことを彼女は良く知っている。
彼女は遠慮がちに左手をヤマトに預けた。
「私の6代前の当主が婚約者に贈った指輪がその子へと受け継がれ、代々の当主が婚約者の女性にこの指輪を贈るという習わしになっている。…ミヤビ、私はお前を峰津院家の一族に迎える。それを承諾するならば、この指輪を受け取ってほしい」
峰津院家の人間になるということの重さをミヤビは良く知っている。
この国の霊的防衛を担う役割の峰津院一族にとって婚姻は非常に重大な問題である。
歴代の当主はヤマトのように強い霊力を持ち、同じく霊力の強い女性を伴侶としてきた。
龍脈を使えるだけの霊力を持つ子孫を残すことがその女性の唯一絶対の責務なのだ。
単純に愛情だけで結ばれることができない一族であるから、一般人のような家庭を築くことはできない。
しかしミヤビはヤマトに劣らぬ霊力を持っている。
ふたりの間に生まれる子供なら両親に似て優秀な悪魔使いになるだろうし、ジプス局長としても立派にやっていけることだろう。
そしてふたりは愛し合い、強い絆で結ばれている。
ならば結婚をためらう理由などひとつもない。
「はい。お受けします」
ミヤビはこれ以上ないというくらい幸せそうな顔で答えた。
それを見たヤマトも満面の笑みを浮かべる。
これまで誰にも見せたことのない自然な笑顔だ。
彼を知る人間がその顔を見たら信じられないと言って目を丸くすることだろう。
なにしろミヤビですら初めて見る表情なのだから。
「ありがとう、ミヤビ。これで私は人生の最後に『この瞬間よ、止まれ』と叫ぶことができそうだ」
ミヤビの左手の薬指に鈍く輝く指輪が嵌められた。
人間は努力をすればその分だけ報われるのだと信じていたミヤビだったが、ヤマトの心だけは求めても絶対に得られないと諦めていた。
しかし彼女は自身の努力と誠意によって手に入れることができたのだった。
彼女は自分の生き方に間違いがなかったのだと確信し、愛しい人の名を呼んだ。
「ヤマト様…」
何度も口にした名前であったが、あまりにも感慨深くて涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
その涙をヤマトは唇で拭ってやる。
「ミヤビ…お前を愛している。だから一生側にいてくれ」
「はい、わたしは永遠にあなただけのものです」
ミヤビが微笑むと、ヤマトの顔が近づいてきた。
ミヤビが目を閉じると、唇にヤマトの唇が重ねられた。
触れるだけのものであったが、永遠に誓いを違わないという証のキスだ。
そしてふたりはひとつに溶け合ってしまいそうなほどしっかりと抱き合い、幸せな未来を夢見ながら深い眠りの中へ落ちていったのだった。
ヒロインは「世界回帰」をポラリスにお願いし、さらに「管理者ではなく監視者になってもらいたい」というおまけも頼むつもりです。
はたしてポラリスはそんな都合の良いお願いを聞き届けてくれるのでしょうか?
またヒロインはヤマトに死のうとした理由・その2を話します。
彼女が思い込みで勝手に空回りしているように思えますが、本人は必死です。
言いたくないことですが、自分のことを信頼し、愛してくれるヤマトに内緒にしておけなくなってしまいました。
ヤマトも自分にだけは本心を明かしてくれる彼女のことがますます好きになったことでしょう。