DEVIL SURVIVOR 2  You changed my world.   作:ルーチェ

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Prologue 平穏の土曜日 -3-

車は衆議院南門の角を左折し、正門で衛視のチェックを受けた後に議事堂を約半周する形で裏側へ回る。

衆議院側の裏にジプス東京支局へ続く秘密通路があるのだ。

ジプス東京支局の出入り口はいくつかあるが、平時は議事堂裏口にある専用エレベーターのみを使用する。

他の出入り口の使用は緊急時に限られたもので、使用できる人間も一部のジプスの局員だけである。

マコトがエレベーター脇の認証システムにIDカードをかざすと、すぐにエレベーターの箱が地上階へやって来た。

レトロな鳥かご風の箱に3人で乗り込むと、一気に地下深くまで降りて行く。

専用エレベーターを降りて薄暗い通路を歩いて行くと、突如として明るくて広い空間へ出た。

眼前に広がるのは壮麗な円形のエントランスで、正面には大きな金色の時計が正確な時刻を刻んでいる。

壁面は図書館のように書棚が並び、本がびっしりと収められていた。

そのまま真っ直ぐに行くと司令室である。

広く吹き抜けの構造になっている司令室の天井は円形のガラス張りで、ヨーロッパの古いターミナルを彷彿とさせる。

ここの壁も書棚で、一生かかっても読みきれないほどの本で埋め尽くされている。

さらに目を引くのは大きさがバラバラな7つの時計で、縦一列並んでいる。

不思議なことにこの時計はそれぞれが特定の時間を示したままで止まっていた。

深い意味があるのだが、その意味を知っているのは局長のヤマトだけである。

司令室では内勤の局員たちがコンソールへ向かいながら、日々の業務をこなしていた。

明日が《審判の日》であることから、彼らはいつにも増して忙しそうだ。

さらにその奥には居住区がアリの巣のように広がっている。

ヤマトとミヤビ以外のジプス局員はこの地下の居住区に部屋を与えられている。

これなら緊急事態に備えてすぐに対処できるので非常に便利である。

かつてミヤビも両親と一緒に富士山にある龍脈施設内の居住区に部屋を与えられて暮らしていた。

とはいっても幼かった彼女にその時の記憶はあまりない。

居住区の中でも司令室にほど近く、限られた局員しか立ち入りが許されていない特別エリアに局長が寝起きする私室がある。

局長室というものも別にあり、日中はそこを執務室として使用している。

局長の私室の中がどのようになっているかは謎で、一部の局員たちの間ではその部屋は魔界に通じていて、ヤマトが魔界を統べているなどとふざけた噂が流れていた。

部屋の中は峰津院家の屋敷の彼の私室とさほど変わらない内装で、違うところは天井の低さと窓がないことくらいである。

もちろん魔界へ通じてはいない。

 

ヤマトは自分の留守中に起きた出来事をマコトに報告をさせた。

報告内容はほぼ問題ないのだが、転送ターミナルの調整が8割までしか済んでおらず、それだけが予定外のことであった。

それも担当者の菅野史(かんのふみ)が最優先で作業しており、徹夜で行えば明日の《神の審判》にはギリギリ間に合うだろうということだ。

転送ターミナルというのは人体を構成するすべての情報をデータに換算し、送信先で再構成することで人を瞬時に移動させる転移装置である。

詳しいところは製作者であるフミですら把握できていないシロモノだ。

これは峰津院家に代々伝わるオーパーツがその技術を可能にしている。

ジプスの本局と各支局及び龍脈関連施設への移動をスムーズに行うための装置であり、使用不可能となれば業務に支障が出るのは否めない。

ただし東京・名古屋・大阪間の往来はジプス専用の高速鉄道によって移動できるため、現在のところ計画の遅延や変更といった問題は起きていない。

ひとまずジプスの機能は順調に回っている。

あとは万全の体制で《審判の日》を迎えるだけとなっていた。

 

 

 

 

「ミヤビ、上のクズどもに会いに行くぞ。お前もついて来い」

 

ヤマトは自室で待機していたミヤビを呼び出すと、彼女を従えてエレベーターホールへと向かって歩いて行く。

ヤマトの言うクズというのは直上にある伏魔殿の住人たちのことだ。

ジプスのパトロンであるからヤマトも彼らを邪険にはできず最低限の接触に留めておいたが、さすがに前日の夜の呼び出しを無視するわけにはいかない。

 

「バカバカしいだろうが、これも仕事だ。我慢してつき合え」

 

ヤマトは苛立っていた。

ただでさえ忙しいというのに、意味のない会食に貴重な時間を割くのは腹立たしい。

さらに空席であった東京支局長にミヤビという若い女性が就任していたことを聞きつけ、興味本位で呼び出したのだからイライラするのも無理はない。

 

「しかしこれも最初で最後だ。まもなく世界は変わる。連中が傲慢に振舞っていられるのも今日までだ。私の目指す新世界にあのような輩は無用だからな」

 

「はい。これまでに積もり積もった汚泥のような社会悪を一掃することができる時が来て、わたしも期待に胸を弾ませております」

 

「フッ、やはりお前は私が見込んだだけある。長年務めた局員ですら明日という日を迎えて気持ちが畏縮しているというのに、お前はいつもと変わらず平然としている。堂々としたものだ」

 

「有史以来の大災害に見舞われるであろうという局面を迎え、不安がないわけではありません。上に立つ者として周囲に動揺を与えたり不安にさせたりするようなことがあってはならないと身を引き締めているだけです。堂々としているように見えるのはハッタリをかましているだけで、内心では他の人たちと同じく震え上がっております」

 

「そうなのか? だとすればお前の演技力はなかなかのものだ。これから会う連中は同じ空気を吸うのも我慢ならない賎劣な輩ばかりだが、お前なら上手く振る舞えるだろう。どうせあと僅かの命だ、連中には好きにさせてやるさ」

 

「……」

 

ミヤビは表情を変えなかったが心を痛めていた。

 

(たしかに今の政治は腐っているけど、だからといってあの人たちが死ぬことを望むなんて…。現役から退かせ、二度と政治の表舞台に立てなくするくらいで良いはず。どうせ新世界においてはあのような連中は自滅していくんだもの。いくら悪党であっても命は軽んじるものではないわ。しかしヤマト様は価値のない人間は死んでもかまわないと考えている。いくらクズのような人間といえど、命を軽ろんじてはいけない。どんな人間にも等しく生きる権利はあるのだから…)

 

ミヤビはヤマトに対して自分の意見を述べることも、彼の考えを否定するようなことも口にはしない。

それは峰津院に仕える人間として当然のことだ。

しかしこのままヤマトの理想とする新世界が現実となると、彼がひとりで共業(ぐうごう) ── 全人類の業を背負うことになってしまう。

それだけはさせまいと、ミヤビは思い悩んだ末に、すべてを失う覚悟で「最善の選択」をすることに決めた。

それが自分の身を滅ぼすことになるとわかっていても、ヤマトのためなら笑顔で最期を迎えられると信じているからだ。

 

 

 

 

ミヤビが連れて来られた部屋は議事堂の一角にあるVIP専用のラウンジだった。

クラシカルな内装は大正時代の貴族の館を思わせた。

そして中央にある丸テーブルの周りにはミヤビもテレビで見たことのある顔ぶれが並んでいた。

与党第一党である自明党の幹事長、内閣官房長官、外務省、国交省、防衛省、財務省、内閣府防災担当の各大臣という錚々たる面々だ。

彼らは食事中のようで、各人が伊万里焼の皿に載ったシャトーブリアンステーキと、ボトルのエチケット(ラベル)にロマネ・コンティと書かれている赤ワインを味わいながら歓談していた。

 

「お待たせしました」

 

ヤマトの声で、話し声が止んだ。

そして列席者の中でもっとも高齢で上座にいた老人 ── 自明党の幹事長が彼に声をかけた。

自明党の幹事長は首相を影から操る永田町のボスと囁かれている。つまりこの国の頂点に立つ男である。

 

「峰津院君、遅かったではないか。先に始めさせてもらっていたよ。…ところでその可愛いお嬢さんは君のガールフレンドかね? 公務中にデートとは君も隅に置けないな」

 

ヤマトの後ろに立っていたミヤビを目ざとく見つけて、下卑た視線を送ってきた。

もちろんデート云々というのは冗談なのだが、今のヤマトには冗談は通じない。

 

(自分が東京支局長であるミヤビを連れて来いと命令したくせに、それを茶化すようなことを言うとは下衆な男だ)

 

ヤマトは苛立つ気持ちを抑え、努めて冷静に言った。

 

「彼女が東京支局長に任命した局員です」

 

老獪で醜悪な代議士たちの好奇な視線に怯まず、ミヤビは一歩前に出てお辞儀をする。

 

「紫塚雅と申します。お見知りおきの程、よろしくお願いいたします」

 

挨拶をすると、財務大臣がニヤニヤしながら訊いてきた。

 

「若いコとは聞いていたがずいぶんと若いねえ。君、いくつ?」

 

「17歳です」

 

「ほう、峰津院君と同い年か。最近の若いコは発育が良いねえ。さすがに18歳未満のコに手を出すわけにはいかないな、ハッハッハ…」

 

あからさまにセクハラ発言をする男にミヤビはムカついたが、ここは上手くかわすことにした。

作り笑いをしながら愛らしい少女の表情で言う。

 

「1年後、わたしのことを覚えていらっしゃったら、その時にはご連絡くださいませ。ここの下におりますので、すぐに御前に参りますから」

 

その答えが気に入ったのか、財務大臣は目尻を下げて気持ちの悪いうすら笑いをした。

その体型といい、顔といい、まるでガマガエルのようだ。

 

「では後で携帯の番号を教えてくれ。メアドも一緒にな。それから ── 」

 

セクハラオヤジがそこまで言いかけた時だった。

ヤマトの全身から氷のように冷たいオーラが発せられた。

ミヤビには斜め前にいる彼の表情はわからないが、機嫌がとても悪いことには間違いないと感じた。

 

「…と、とりあえずこの話はここまでにしておこう。我々も忙しい身なのでな」

 

セクハラ財務大臣はそう言って身をすくめる。

すると自明党幹事長がヤマトに向かって言った。

 

「君を呼んだのは他でもない。我々はこれまで峰津院家を庇護してきた。それは君たち一族に期待を寄せているからだ。その期待を裏切るようなことはしないでくれ」

 

「ご安心を」

 

ヤマトは申し訳程度の恭しさを添えてそう答えた。

自明党幹事長はさらに釘を刺す。

 

「我々がいる限り、峰津院家は影の支配者でいられるのだ。そのことを忘れるな」

 

「もちろんです」

 

ヤマトの真意を読み取れない愚鈍な永田町のボスは気を良くしてニヤリと笑った。

 

「それで良い。…ところで君たちも一緒に食事をどうかね? 君たちには我々のために働いてもらわねばならぬからな。すぐに用意させよう」

 

「いいえ、謹んでご遠慮申し上げます。明日という日を控え、まだ残っている雑務がございますので、長居するわけにはまいりません」

 

ヤマトはそう言って食事を辞退した。

雑務などないのだが、彼はなによりもこういった互いの利害関係だけで繋がっている連中との会食を嫌っている。

だからこういう切り返しで断るのは当然だ。

 

「そうか…それは残念だ。ではすべてが終わった後に、改めて祝いの席を設けよう」

 

「では失礼いたします」

 

そう言ってヤマトはミヤビを促して部屋を出て行った。

そしてドアを閉めたとたんに言った。

 

「フン…クズどもが。…行くぞ、ミヤビ」

 

赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、ヤマトはミヤビに言う。

 

「なかなかの演技だったぞ。あのセクハラに対しての冷静な対応はさすがだ。タダの小娘ならああはいくまい。それともあのような男のあしらいには慣れているのか?」

 

「ご冗談を。ジプスの肩書きを外せばわたしはタダの小娘にすぎません。それよりもヤマト様のご苦労が身に染みました。あの連中は未来永劫、自分たちだけは安泰でいられると信じきっております。ヤマト様の目指す実力主義社会では真っ先に不要とされる存在であるとも知らず、自分こそが強者であると思い込んでいます。まったく、勘違いも甚だしいことです」

 

「そのとおりだ。しかしこの腐った世界も私の手によって浄化される。強者のみによって形作られた美しい世界がこの手の届くところにまで迫っているのだ。…今に見ていろ。世界の理は私が書き換えてやる。有能な人間が正しく力を発揮できる世界こそが、この世界の本来歩むべき姿なのだ。ハハハ…」

 

そう言って魔王のような笑みを浮かべた。

 

「ところでお前も夕食はまだのはずだ。私はこれから出かけるが、お前もどうだ?」

 

ミヤビはヤマトの提案に驚いた。

ヤマトは食事の際に他人を同席させない。

ミヤビが知る限り、彼が誰かを誘って会食をしたという話は聞いたことがないのだ。

彼は幼い頃から常にひとりで食事をきてきたから、他人と食事を楽しむということを知らない。

ミヤビ自身もこれまで一度もヤマトと食事をしたことはなく、この提案には心の底から驚いた。

もちろんそんな素振りは見せず、平静を装って訊いてみる。

 

「それは食事をヤマト様とご一緒させていただくという意味でしょうか?」

 

「ああ、そのとおりだが。それがどうかしたのか?」

 

「いえ…ヤマト様と一緒に食事をするというのは初めてのことで、少し意外な感じがしたものですから」

 

驚いたとは言えず、想定外のことだったという言い方で誤魔化した。

 

「そういえばそうだな…。私は他人と食事をしたいと思ったことは一度もない。まあ雑事につき合わせた詫びのつもりだということにしておけ」

 

ヤマトの心境の変化は本人にすらわからないとのこと。

ならば深く考えることもないと、ミヤビは即座に答えた。

 

「職務の延長ということならお断りするわけにはまいりません。ご同行させていただきます」

 

これはミヤビにとって当然の答えであり、その言葉に特別な意味はなかった。

ヤマトの命令に従うのは彼女にとって呼吸をするのと同じく自然な行為で、そこには微塵の悪意などなかったのだ。

しかしヤマトにはその当然の返事に胸が少しだけ痛んだ。

その理由がわからず、彼はその理由のわからない腹立たしさについ感情を表に出してしまう。

 

「いや、気が変わった。私はひとりで行く。お前はこのまま支局へ戻れ」

 

態度の急変に驚くミヤビだが、ヤマトの命令は絶対だ。

 

「承知いたしました。ではお車を玄関へ回す手配をします」

 

ミヤビは携帯電話で運転手を呼び出し、配車の手配をした。

 

「ではこれで失礼させていただきます」

 

ヤマトにお辞儀をすると、ミヤビはひとりでエレベーターホールへと歩いて行く。

ヤマトはその後ろ姿を見ながら、理由のわからぬモヤモヤを抱えていたのだった。

 

 

 

 

支局内の食堂で夕食を済ませたミヤビは自室で寛いでいた。

ゆっくりできるのも今日限りで、明日からは命懸けの戦いが続くかと思うと気持ちが高ぶる。

それを抑えるためにお気に入りの紅茶を淹れると、それを飲みながら峰津院の屋敷から持ち出した『ファウスト』を開いた。

 

(この本がわたしの運命を大きく変えてくれたのよね…)

 

感慨深げにページをめくるミヤビ。

 

(それまでもミズホ様はわたしに欲しいものを与えてくれた。でもヤマト様からはもっと多くのものを与えてもらった。それもこの本のおかげだわ)

 

深夜に書庫でこっそりと読書をしていたのを発見され、叱られるどころか許しを得て自由に本が読めるようになった。

そのおかげで彼女の読書欲はほぼ満たされ、それに伴い知識の幅も広がっていった。

当時でさえ家庭教師が彼女の学力に舌を巻いていたというのに、日々目に見えて成長していく彼女に手が余るようになった。

そこでヤマトは彼女が12歳になったのを機に自分専属の使用人にし、自分の授業に彼女を立ち会わせることにした。

同席させることで、同じ学問を与えようとしたのだ。

ヤマトは生まれついて王の器を有していた。

物心ついてすぐに著名な大学教授や学者などを屋敷に招いて講義をさせ、普通の子供が読み書きを覚える小学校入学の頃には高校レベルの学力や知識を得ていた。

さらに6歳の時に生まれて初めて悪魔召喚を試み、魔獣ケルベロスを召喚させたという天性の霊力の強さも示した。

そんなヤマトが認め、自分の側に置きたいと考えたのだから、ミヤビはヤマト同様に幼い頃から強者の片鱗を見せていたことになる。

ヤマトという伯楽に見出されたミヤビはまさに千里を駆ける名馬であったのだ。

ヤマトにとって大のお気に入りのミヤビであったから、常に自分の目の届く場所にいさせた。

別々に行動するのは睡眠・入浴と食事の時のみである。

睡眠と入浴という究極のプライベートに同席させないのは当然だが、なぜか食事にもミヤビを同席させることはなかった。

そんな彼が食事に誘ったのだから、ミヤビが驚くのも無理はない。

 

(ヤマト様はなぜあんなことを言い出したのかしら? いくらバカバカしい仕事であったといっても、あれは東京支局長としての仕事だもの、気を遣うことなんてないのに。だけどお詫びだといっても、どうして食事を一緒にしようという気になったのかわからないわ。彼にとって食事はひとりでするものであって、他人を同席させないプライベートな時間だというのに…)

 

そんなことを考えながら大きくため息をついた。

 

(あの方の気まぐれであっても、食事に誘ってもらえたのは光栄なことだった。それなのに急に気が変わってしまった。もしかしたらわたしの態度がお気に召さなかったのかしら? わたしは仕事ならどんなことだってする。それはあの方だって良く知っているはずよ)

 

それからミヤビは自分の知っている峰津院大和という人物を思い浮かべた。

 

(ヤマト様はジプスの長に相応しい人物だわ。ジプス局員はヤマト様とわたし以外は全員成人で、その年長者が若い局長に従って任務を遂行している。もし局長が単に峰津院家の人間だからという世襲のみで選ばれたのであれば納得できない局員も出るでしょう。しかしそんな気配はない。すべての局員があの方のカリスマ性に惹かれているのね。わたしもあの方のことを尊敬している。あの方のことを良く知らない人は横柄とか尊大、高慢とか不遜だと言うけど、それはすべてあの方の優れた部分を認めており、自分が敵わないと思うからこそ口から出る負け惜しみでしかないのよ。それだけあの方は偉大な存在なんだわ。あの方は馴れ合いを嫌い、孤高であり続けることで自己を保っているように見るのはわたしの勘違いではないはず。あの方の一番近くにいるからわかるの。ヤマト様に一番必要なのは優秀な人材ではなく、あの方のことを心から愛し、彼をプライベートで支えて一緒に未来を築ける人。…そういえば午後のティータイムの時、あの方は楽しそうに誰かのことを考えていらしたわ。新世界創造の後に勝利の美酒を共に味わう相手と言っていたっけ。わたしが心配なんかしなくても、あの方には大切な人がいらっしゃるんだわ。きっとその方は今頃安全な場所ですべてが終わるのを待っているんでしょうね。その方に心当たりはないけど、ヤマト様が選んだ人なのだから、素晴らしい人に違いない。だからわたしはヤマト様のために正しいと思うことをするだけ。わたしにできるのはそれだけしかないんだもの)

 

ヤマトに心酔しきっているミヤビには、彼の頭の中にある人物が自分だということに気がついていない。

自分は側近といえども所詮使用人であり、峰津院のためにすべてを捧げることこそが使命であると教育されて、それだけの価値しかないと信じているからだ。

 

エントランスの大時計が二三〇〇時を報せる鐘を鳴らした。

今から翌朝の〇六〇〇時までは一部を除く局員全員が休みを取ることとなる。

司令室は静寂を取り戻し、館内の照明も一段階落とした明るさになった。

まさに嵐の前の静けさといったといったところだ。

各々が最後の平穏な時間を過ごすことになる。

ミヤビも東京支局長としてできることは全部やり終えている。

大阪本局のターミナル調整は突貫作業で行われ、明日の正午頃には完了するだろうという報告を受けているので、そちらも心配はない。

あとは局員たちの心構えだけである。

ヤマトが自ら選んだ精鋭ばかりなので明日を迎えるにあたって覚悟はできているだろう。

問題は各支局の人員が約30名という少なさだ。

これは歴代の為政者が峰津院家の力を恐れて規模を縮小したせいである。

ヤマトに言わせればジプスの局員は《神の審判》を生き残ることができる者たちだけで構成されているということだが、間違いなく犠牲者は出る。

ヤマトは犠牲を伴うのは当然であり、局員の命を惜しんでいては人類が滅びの道を辿るだけだと言うが、それをいかに少なくするかが自分に与えられた命題であるとミヤビは考えている。

ヤマトの命令に忠実に従うだけでは犠牲が大きい時、もっとも犠牲を出さずに済む道を即座に探さなければならない。

それが自分にできるかどうか…それを彼女は憂いていた。

 

 

 

 

その頃、ヤマトもまた憂いていた。さっきのミヤビとの一件が原因である。

 

(なぜ私はあのようなことを言ったのだろうか? 私が他人を食事に誘うなどありえないことだ。たしかに雑事につき合わせた詫びの気持ちであったが、食事でなくとも別のことで埋め合わせをしてやるということもできた。それにあれは彼女にとって仕事の一環であり、気分を害しただろうと私が気遣ってやることはないのだ)

 

同じことを何度も繰り返し、自分の気持ちを落ちつかせようとするが、胸の奥に妙な引っ掛かりがあってすっきりしない。

 

(そして彼女は同行すると言ったのに、私自身でそれを断った。彼女の職務の延長だから断れないという言葉を聞き、なぜか胸が痛んだ。当然のことだというのに、どうしてそんな気持ちになるというのだ? 私は彼女を喜ばせたかったのか? それを仕事だから命令に従うという彼女の態度に腹が立ったというのか? そもそもなぜ私は彼女と食事したいと思ったのだ…?)

 

ヤマトには自分の理由のわからない言動が不愉快で、腹立たしいというか、何かに八つ当たりしたくなるような感情が湧き上がってくることがある。

 

(私がこうして混乱する時は決まってミヤビが関わっている。彼女は大事な駒だ、手放すわけにはいかない。彼女が私に混乱をもたらすといえど、彼女にはポラリスとの謁見に至る道を拓くのに不可欠な存在なのだからな。そして新世界でも私の側にいてもらわねばならぬ)

 

ヤマトはミヤビのことを駒扱いしているが、他人とは一線を画する扱いをしている。

それが個人的感情によるものだと本人は気がついていない。

その証拠にミヤビのことだけを名前で呼び、他の人間は姓でしか呼ばない。

たしかにミヤビは誰よりも優秀で忠実な部下であるが、彼はそれだけで特別扱いするような人間ではない。

ヤマトとミヤビは人格形成される成長期にごく限られた人間とだけしか接触がなく、誰もが壁にぶつかる思春期の悩みや苦しみを知らずに育ってしまった。

頭脳は並の大人以上のものになったが、心の成長は未熟であることに本人たちは気づいていない。

教えてくれる大人がいなかったのが彼らにとって不幸だといえよう。

もしふたりに道を指し示す大人がいたならば、ヤマトは思い悩むことはなかっただろうし、ミヤビも悲愴な覚悟をせずとも済んだかもしれないのだから。

 

 

 

 

そしてもうひとり憂いている者がいた。

”それ”は見た目こそ人間と同じだが、性別や年齢がはっきりせず、なんとも形容しがたい不思議な雰囲気を醸し出している。

東京タワーの鉄骨に腰掛けながら、人類の繁栄の象徴ともいうべき夜景を眺めていた。

そして十数分前にミヤビと交わした会話を思い出す。

 

 

「ミヤビ…輝く者よ。やはり君はヤマトと同じ道を進もうと言うのだね?」

 

「はい。あの方があってのわたしですから。今までずっとそうだったように、これからも同じ。わたしの進むべき道に変更はありません」

 

「君はヤマトの考えが正しいと本当に思っているのかい?」

 

「いまさら何を言うんですか? わたしがヤマト様の専属使用人となって以来、ずっとあの方と共にあり、行動を見守ってきました。わたしがあの方に従うのは自分の意思。誰に強制されたものではありません。そしてわたしの選択は間違っていないと自信持って言えます。わたしは最後まであの方と共にあり、あの方のために全てを捧げる覚悟です」

 

「そこまで言うのなら私が何を言っても意思を曲げることはないね?」

 

「もちろんです」

 

「私は君と…輝く者とは戦いたくはない。しかし君がヤマトと同じ道を進むというのなら、私は全力で止めるだろう」

 

「その覚悟もできています。あなたがセプテントリオンである以上、戦いを避けて通れるとは思っていませんから。…ところであなたはわたしを輝く者と呼びますが、ヤマト様こそがシリウス、輝く者です。わたしはその伴星にすぎません」

 

「シリウスとは人間が言うおおいぬ座アルファ星のことだね? あの星は太陽を除けば地上から見えるもっとも明るい恒星だ。それに例えるなんて、面白いね」

 

「それもあなたが人間に与えてくれた知恵や知識のおかげです。わたしはあなたが人間を…人間の文化を育ててくれたことについてはとても感謝しています。だからその感謝の気持ちを込めて、全力で人間の強い意思を示してあげましょう。あなたが慈しみ、育てた人間が神に抗う様子を見ていてください、アルコル」

 

「そうか…。それならもうしばらくはタダの監視者として君たち人間を見守っているよ」

 

 

アルコルは寂しげな笑みを浮かべた。

 

(私が育てた人間たちが神に逆らうとはね…。私もポラリスが下した裁定には疑問を感じている。君たちなら摂理に逆らって自分たちで未来を切り開くことができるかもしれないと信じていた。…だけどヤマトが創ろうとしている世界は私が望むものではないよ。ミヤビ…君は本当にヤマトの考えが正しいと信じているのかい?)

 

アルコルはすっと立ち上がると足を一歩前に踏み出した。

そこには足場になるようなものは何もない。

彼は空中に浮かんで大きく腕を広げた。

 

「さあ、人間よ。神の審判はまもなくやってくる。神の与えし試練を乗り越え、人間の意思を示してみせるがいい。そのための武器は与えた。その盾と矛を使って、摂理を覆してみせてくれ!」

 

その声に呼応したかのように、街の夜景は一層輝いて見えたのだった。

 

 

 






アルコルが登場しました。
ヒロインであるミヤビはすでに彼のことをアルコルと呼んでいますので「憂う者」という表現は今後も出てきません。


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