鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「証明してみせよう。貴様にならそれができるはずだ」


Stain

 あまりにも早かった。

 

『俺タチハ鉄屑ダ』

 

 雷と電の間に落ちた最初の砲弾は、二人ごと海にうねりを作り、艤装をひしゃげさせた。

 砲も魚雷も使えなくなる。それどころか、あとどれほど立ち続けていられるかもわからない。

 

 ……たった一撃が、もしどちらかに直撃してしまえば、暁と同じようになっていただろうことなど想像に難くない。

 

 駆逐艦ならば、たった一発で海の底へ連れて行かれる凶弾。

 

「違います! あの時と、今は!」

 

 対して比叡から飛び出た砲弾はレ級の周囲に大きな飛沫を作るも、飛び出た姿に傷一つ見えない。

 戦艦である比叡の砲撃でその結果なのだ。駆逐艦の砲撃が通用するのかどうかなどわざわざ試す必要すらない。

 

 しかし残された雪風と春雨には、手元にあるものを使うしか選択肢はない。

 

『変ワッタナア』

 

 レ級がどこか寂しそうに告げ、雪風と春雨の砲撃をものともせず猛進する。

 

 夜の暗闇――駆逐艦が本領を発揮できる時でありながら、単純な砲撃では歯が立たないと思い知らされる。

 

 雪風は生唾を飲み込んだ。

 沈まないと雪風は宣言した。そう信じているからそう言った。少なからず作戦が成功すると信じていた。敵を倒せるとも思っていた。

 

 ……だがレ級を前に、それが叶うと思うことができない。

 

 例え砲弾の全てを運良く命中させたとしても、レ級を倒せると思えない。

 

 比叡の砲撃音が轟いた。

 それはレ級の肉体を穿ち、咢から悲鳴にも似た絶叫が漏れ出る。

 

『ソウカ コレガ心臓カ……!』

 

 だがレ級は笑みをより濃く深くさせるばかりだった。

 痛みによろめくこともない。黒の服が破け青白い肌が覗き、赤い血を溢れさせても、レ級はただ真っ直ぐ進み続けることをやめない。

 

 ――数少ない望みは、比叡の巨砲と、残り少ない魚雷だった。

 

「雪風さん!」

 

 声に振り向けば、レ級との距離を詰める春雨の姿。間断なく小さな連装砲から弾を吐き出しながらレ級へ肉薄していく。

 快速の駆逐艦だからこそできる、夜戦での急接近。敵との距離を詰め、急所へ回りこみ、小さな砲を最大限の威力で叩きこむための戦い方。

 

 だが同時に、敵に近づく以上、狙われやすくなることを意味する。

 まさかレ級が気づかないはずもない。之の字運動をしたところで、距離が近ければ近いほどに当てられる確率も跳ね上がる。

 

 レ級の咢がそちらへ向かおうとしたところで、雪風はすかさず引き金を引いた。

 当たらなくても良い。一瞬だけでも、春雨が近づけるだけの時間稼ぎができれば――。

 

 放たれた弾は真っ赤な放物線を描いて、レ級の頭を小突く。

 レ級の目が一瞬だけこちらを向いた。

 

 その隙を春雨は見逃さなかった。

 レ級の後ろ側へ急速旋回。一瞬でもレ級の視界から消えることができれば充分。

 駆逐艦の本分である夜闇に紛れた高速移動での撹乱。

 

 人型であるならば、人体構造に則れば、背後からの攻撃には大小なりとも弱くなるはず。

 幸いにもレ級の攻撃は尻尾の咢に限られている。

 付け根――少しでも攻撃を制限できる一撃を与えられれば。

 

 春雨が完全に後ろへ回りこんだ。

 ほぼ接射同然の距離。これで効かないならば、もはや駆逐艦の砲撃に価値などなくなる。

 

 春雨の一撃がレ級の背中に爆炎を起こした。

 一度、二度、三度――回数を重ねるごとに巻き上がる黒煙に包まれ、レ級の姿が見えなくなる。

 

 それこそが命中している証左でもある。

 やがて春雨の連装砲が、がちんと歪な音を立てて弾を吐き出さなくなる。

 弾切れ。

 ただの重石となった砲を捨てて、春雨は黒煙から距離を置こうとするが、ふと視界にチラついたそれに目を奪われ、一瞬の硬直を許してしまった。

 

 黒煙をかき分けて振りかざされた、巨大な尻尾。

 

「どうして……っ」

 

 雪風や比叡からすれば、一瞬のことだった。

 

 春雨が砲弾にでもなったかのように、軽々と吹き飛ばされたのだ。

 缶の抗磁圧により、海面を水切り石のように跳ねる春雨。

 

「春雨さん!!」

 

 比叡の絶叫。

 しかし波に揺られて寝そべる春雨から、声が返ってくる様子も、起き上がる素振りもない。

 

 どこまでも嘲るような声。

 黒煙から、黒い衣服をボロボロにされたレ級が姿を見せる。

 咢が、覗きこむようにして春雨の上に掲げられる。

 

 気を失っている春雨がこれから何をされるのか、想像したくもない。

 

「駄目です!」

 

 雪風が引き金を引き絞った。だが所詮、駆逐艦が遠距離から撃った弾が命中した程度で、レ級は身じろぎ一つしない。

 

「もう、絶対に、誰も沈めません!」

 

 それでも雪風は砲撃をやめなかった。その全てがレ級のあちこちに当たって火花を散らすも、しかしレ級はこちらを振り向かない。

 

『脈ヲ打ッテル』

 

 その声は笑っていた。雪風の仲間が殺されていくこと――雪風が背負う重い悲嘆に、レ級は悦楽を覚えている。自らの胸に手を当て、その膨張と縮小に喜んでいる。

 

 復讐の執念。

 

『高鳴ルナァ……!』

 

 高らかに笑い声をあげるレ級。

 

「駄目……」

 

 ……今更、雪風が近づこうとしても間に合わない。届かない。

 仲間を失う。それは雪風が今まで経験してきた中で、最も悲しいこと。身を引き裂かれるような悲哀と孤独の堆積。

 

「駄目ーっ!」

 

 叫ぶしか、懇願するしか、雪風にできることがなかった。

 瞑った眼から涙が散らばった。

 

『ソウカ コレガ生命……!』

 

 だからこそ雪風は気づかなかった。レ級にとっても不覚だっただろう。

 

 ――レ級の横っ面目がけて振り上げられた、比叡の握り拳。

 

「せぇいっ!」

 

 レ級の顔面が拳の形に歪んで、吹き飛ばされた。

 初めてレ級の身体が海面に落ちる。顔を上げたレ級へ全ての砲口が集中する。

 

「主砲、斉射!」

 

 大気が割れるかのような砲音。幾度となく繰り返され、轟く。

 

 戦艦が放つ接射。

 たとえ金色の目でも、見たことのない種別でも――戦艦の連撃に、かすり傷ごときで終わるはずがない。

 

『――ハ、ハハッ』

 

 砲煙の向こうから、それは聞こえる。

 

『ハハハハハハッ!』

 

 黒い靄の向こうから、レ級が顔を出した。

 全身の至るところに傷がある。抉れ、焦げ、ひしゃげている。

 それでもまだ、レ級は動き続けていた。

 

 レ級は比叡の肩を掴み、尻尾を比叡の体に巻きつける。

 

『ソウダ! ソレデイイ!』

 

 比叡が苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。

 比叡の肩に咢が噛みつく。比叡の装束に赤がじんわりと広がり腕を伝う。

 

 体格で言えば雪風より少し大きい程度――比叡を見上げ、胸に、己の耳を当てた。

 

『オ前ニモ心臓ガアル』

 

 何かに驚いているように、感動するように、レ級は囁く。

 

 そして咢に力が籠められた。

 

「ぐうっ……!」

 

 漏れ出る悲鳴が雪風に聞こえる。

 

 咄嗟に砲を構えたが、あまりにも接しすぎているせいで、当てられる気がしない。もし当たったとしても有効打になると思えない。

 このまま比叡が喰い千切られるのを見ているしかない……無力感が圧し掛かった。

 

「雪風、魚雷を……ッ!」

 

 苦痛に歪んだ比叡の声。

 確かにまだ残っている。だがそれを放つということは――。

 

 遠くの比叡に、視線を伸ばした。

 

「そうしたら、比叡さんが……」

 

「私ならどうにもできますから! 今のうちに!」

 

「でも」

 

「このままやられるより、ましです!」

 

 怯えるように、震える手で魚雷発射管を向ける。

 レ級と比叡、今となってはくっついて離れない、二人に。

 

「早く!!」

 

 声に驚き、固く目を瞑った。

 魚雷が放たれ海に落ちる。海を走る雷跡を見たくなかった。

 ――あの時と全く一緒だった。

 

 二人を巻き込んで魚雷が炸裂した。

 大きな飛沫となって周囲に飛び散り、水面に音を立てる。

 

 飛び散っているのは、魚雷の破片だけではなかった。

 比叡の砲塔を支える基部が、ちょうど雪風の近くに沈む。

 

「比叡さん!」

 

 駆け寄っていく。

 レ級がいるかもしれないとわかっていても、しかし雪風は比叡がどうなっているのか、見届けなければいけなかった。

 

 比叡は雪風を許してくれると言った。だがそれだけで雪風の気が収まっているわけではない。

 二度も比叡を沈めるわけにはいかなかった。

 

 ……飛沫が晴れ、姿が見える。

 装束がボロボロになって、肩を真っ赤に染めながらも、比叡はまだ立っていた。

 

 安堵の声が溢れてくる。

 比叡の体にしがみつき、見上げる。

 

「痛く、なかったですか?」

 

「このぐらいで、比叡はビクともしません!」

 

 痛みにひきつった笑顔の比叡が雪風の頭に手を乗せて、そしてもう一人に視線を向けた。

 

 揺蕩うようにレ級が半身を沈めている。尻尾もどこかに消え、レ級はぼんやりと二人を見上げていた。

 

『貴様ラノ勝チダ』

 

 消え入りそうな声。

 

 その傍らで、ボロボロになった雷と電が、春雨の体を持ちあげた。

 

『貴様ラハ知ラナイダロ? ソロソロ夜明ケダ』

 

「……知っていますよ。明けない夜はない。海の底にいると、気づかないでしょうけど」

 

 驚いたようにレ級が眉を上げる。

 

 哀憐が比叡の顔に浮かんでいた。

 

「眩しい朝日を、私たちは知っています」

 

 比叡の元に四人の駆逐艦が寄り添った。

 

 皆一様にレ級を見下ろす。

 

「あの頃の鉄の体とは違う。私たちには心臓があるんです。生きているんです」

 

 答えるつもりがないのか、レ級の視線は比叡ではなく雪風と合った。

 

『死神……』

 

「レ級さん。昔に、私たちって、会いましたか?」

 

 反応を示したのは、レ級よりも比叡だった。

 レ級と真っ直ぐ見つめあう雪風の頭を、比叡は見下ろす。

 

『一言ダケ 言エル』

 

 レ級の顎に海水が触れる。

 ゆっくりとレ級が沈んでいるのだと、その時になってようやくわかった。

 

『最高ダ 貴様ラ』

 

 そしてレ級の動きが止まった。目を合わせたまま、口を開けたまま、レ級は動かなくなった。

 

 ゆっくりと海水に髪まで浸して暗闇に沈んでいく。

 復讐を果たせなかった魂が、復讐以外の何かを得て、水底へ還っていく。

 ……その体が見えなくなった頃になって、雪風は比叡を見上げた。

 

「本当にレ級さんとは会ったこと、なかったんでしょうか? 殺されたとか、言ってましたけど……」

 

 比叡は答える代わりに雪風の頭を撫でた。さらさらとした髪の下にはまん丸の頭がある。

 

「雪風、あなたは本当にすごいです。

 何もかもを、倒してしまう――真っ黒に」

 

 比叡の声には、単なる称賛とは違う、ある種の畏怖があった。

 

 出撃の時と変わりない、無邪気で無垢な笑顔を浮かべて、雪風は答える。

 

「はい、雪風は絶対、沈みませんから!」

 

 比叡は恐れに口をつぐんだ。頭に乗せていた手が、思わず離れる。

 

 ――自分でも殺しきれなかった者を倒し、あれほどの戦いを経て目立った外傷は一つもない。

 他の駆逐艦はおろか、戦艦である比叡ですらボロボロなのに。

 

 鐘を突くような自分の心拍を片手でなだめ、ゆっくりと息を吐く。

 震え始めた手を懸命にこらえ、その頬に手を添える。

 

 不思議そうに雪風は頭を傾げていた。

 

「これからも一緒に、戦いましょう。あなたが、戦い続ける限り」

 

「はい!」

 

 元気よく返答する雪風……何のために戦っているのかすらわかっていないような顔で。

 

 雪風を視界から外し、他の駆逐艦へ目を配る。

 笑顔を作るのが精一杯だった。

 

「帰りましょう。作戦は失敗しました」

 

 電の胸に、紺の帽子がしっかりと抱き締められている。

 

「……大事な仲間も、失いました」

 

 眉を潜めて、比叡は帽子を受け取って、探照灯を装備していたところに引っ掛ける。

 

「だから私たちは、これ以上の損害を被らないために、泊地に戻り、入渠します」

 

 やがて春雨が目を覚ました。

 

 そして誰も何も言わなかった。

 目尻に涙を溜めて、でも泣き出すことはしなかった。

 ゆっくりと、一人欠けた艦隊は泊地へ戻っていく。

 

 登ってきた朝日が、彼女たちを照らし出していた。

 

 

――第2章『Stain』完




物語が一つの区切りを迎え、次の主人公を選びます。

……劇場版艦これ、どうなるのかな。
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