12 steps
泊地を、どこか暗然とした空気が漂っていた。
皆の声がいつもより小さく、言葉数も少ない。
思わず構えたカメラ――ファインダーの向こうに見えた景色を見て、青葉はシャッターを切ることなく下げる。
言葉が少なければ、新聞を彩る文字も減ってしまう。
泊地で一番のニュース。
それが目の前で起こっているが、青葉は記録できないと思ってしまった。
土に刺さった木の棒。釘で固定された紺色の帽子。
その前で両手を合わせる二人の駆逐艦姉妹を見つめる青葉の肌を、ショートランド島に充満する冷たく乾いた静けさがピリピリと焼いた。
「……あなたは、しないんですか?」
「見世物になるつもりはないからね」
青葉の横で、木の棒につけられているものと同じ紺色の帽子を被った銀髪の艦娘は呟く。視線が、ちらりとカメラへ向いた。
「お姉さんなのにですか?」
「あれは帽子を被った木の棒さ。響のお姉さんはあそこにいない」
姉妹である二人の背中を指差した響が、指先を少しばかり下ろす。
「もちろん、あの中にもね」
青葉はカメラから手を放していた。腹のあたりでカメラがぶらぶらと揺れる。
響は至極冷静に見つめている……ように、青葉には見えた。
木の棒はいくつも、いくつも並んでいる。
だがほとんどは、その真下に何も埋まっていない。
響の姉――暁の帽子がそうであるように、遺されたものはごくわずかだ。あるいはそれすらもないことも少なくない。
「さて、そろそろ戻るよ」
言葉と同時に、響は妹たちに背を向けてしまう。
引き止める言葉を見つけられないまま振り返った青葉に、響は一度だけ立ち止まって、青葉とは別の方――東を向いた。
泊地から少し北東に離れたところにある小島の北端。響から見えるのは海しかない。
「暁はきっと、あっちにいるよ。……他のみんなもね」
潮風が響の髪を持ち上げた。
帽子で目元を隠しながら、響はまた歩き始める。
……暁型駆逐艦四姉妹。ブイン基地にいた四人が、響だけを残してショートランドに転属され、一日と経たず三人は二人になった。
ブイン基地のバックアップで開始された作戦。前哨戦である強行偵察の結果は、失敗に終わった。
帰ってきた者は皆一様に艤装が使い物にならなくなっていたことを、青葉は知っている。
戦艦である比叡が顕著だ。しばらくの間、艤装は妖精さんに取り上げられたまま戻ってくることはなく、比叡自身も体を包帯でぐるぐる巻きにされてベッドに転がっている。
春雨も外傷こそないものの、比叡の横に並んでいる。
青葉が取材相手としてまともに取り合えるのは雪風だけだったが、雪風の説明も理路整然としない。
唯一青葉が書けた記事は、「比叡や雪風が深海棲艦と会話を行った」という、にわかには信じがたいことだけだった。
錆びついたヘリコプターが植物に覆われている。設えられているはずのヘリポートなど、もはや他の木々が生える場所と見分けがつかなくなっている。
いつから停まり続けているのか、重巡・鳥海は知らないが、庁舎の真裏だからこそ誰かが見ていそうなこの場所も、鬱蒼と生い茂る木々のせいで近づく者はなかなかいない。
だからなのか、艦娘同士の密会には使われる場所としては、知られていた。
受け取った書類を眺めて、すぐに目を通す。
「……これを、私がやるの?」
「そうらしいわ。報告されている戦力を考えれば、駆逐艦じゃ敵いそうもないってね」
叢雲はひらひらと手を振って、肩をすくめる。そう告げる叢雲自身が駆逐艦であるはずだが……その顔は皮肉気だった。
「嫌かしら?」
「そうじゃないけど……」
正直な気持ちからだった。艦隊旗艦を引き受ける。それは誉れでもある。
鳥海が抱く問は別のところにあった。
「あなたがやる理由もしっかり書いてあるわよ。ほらそこ『巡洋艦艦隊の編成における艦隊指揮及び……」
「……戦術構築と遂行能力を鑑みた結果、鳥海が旗艦に適していると判断する』……」
同じ行を指差す叢雲と鳥海。
だがすぐに鳥海の視線が戻ったのは、その上――全六隻から成る艦隊の編成だった。
いつか見た艦隊。いつか共に列を並べた者たちの名前だけで埋め尽くされている。
「また、この艦隊で戦うの?」
言葉にするつもりすらないと言いたげに、叢雲はまた手を振って答え、腰の位置まである雑草を踏み歩いて行った。
ヘリコプターで錆びつくショートランド泊地の紋章が、鳥海を見下ろしていた。
艦娘の本分は、深海棲艦と戦うことにある。戦い、遠く離れた本土を守り、そこに暮らす人々の生活を保つ責務を果たすためだ。
そして現在の、軽巡・夕張の仕事は戦うことではなかった。
併設された入渠ドックと工廠、その間を往復して、主な作業を行う妖精さんたちの働きを眺める作業。
作業に対して数が余るようならば足りないところへ動かし、また適度に疲弊させないよう休憩スケジュールも作る。そして彼らが行っている作業を眺め、少しずつ彼らの技術を学び入れていく。稀に人の力が必要になった際に助力する。
……言ってしまえば工場作業だった。
ドックの妖精さんたちは、先の戦闘で傷ついた艤装修理で手一杯だ。その後に、ほぼ全損同然となった戦艦の艤装も控えている。一方で工廠の妖精さんたちは材料となる資材が供給されない限り、作れるものがないため何もできることはない。きっと夕張の見ていないところ遊んでいることだろう。
本来なら提督が行うべき作業だが、ショートランドの提督は拒否し、代理として夕張が宛がわれた。夕張自身が艤装などのメカニックに興味があったから自ら立候補したものの、その生活ばかりが続くと飽きが来るのも否めない。
画面を見つめながら、手慣れた調子でキーボードをパチパチと叩く。
「んー……特に問題はなさそうね」
画面に表示されている数字の羅列は、二人の艦娘のデータだった。
重巡・古鷹、加古。
モニタリング用の筐体にいながらくーっと伸びをする加古の横で、古鷹の胴体には、今ようやく腕がくっついた。
肩の基部と腕の関節部の接合。神経代わりの電子回路と脳の接続。駆動部分の力加減や関節部分の可動範囲の調整。
多くの艦娘にとって艤装がそうであるように、古鷹と加古の〝艤体〟もまた同様に、機械でできている。
激戦を生きる艦娘にとって、誰かの命の喪失と同様に、自らの肉体の消失も充分考え得る話だ。大抵は入渠や高速修復剤で修復できるだろうが、それすらできないほど肉体がなくなってしまったら、どう戦い続けられるようにするか?
艤装の製作に関係する技術を用いた、義手や義足という結論へ至るのは、ある意味では当然でもあった。
艦娘である以上、誰もが艤装をつけることになる。艤装と脳の接続も必然であれば、それを同じ形式で腕や足も繋いでしまえば、より複雑な施術もリハビリも不要になる。
また、古鷹と加古に至っては艤装の形状も合わさって、こと腕においては他の艦娘より微細な調整と、リミッターの制御も必要になる。
古鷹が指を一本ずつ順番に閉じていき、できた拳をグッと握りしめ、パッと手を開き、力を抜く。肘の曲げ伸ばし、肩の上げ下げ――その一通りが画面に逐一報告されていく。
「どうだ古鷹? 何かあったか?」
「いいえ。問題なさそう」
夕張が聞こうとしていた質問を加古が問いかけ、古鷹はくっついたばかりの艤腕を見つめながら返す。
「加古は大丈夫?」
「おぉ! ばっちしだね」
「……よし、じゃあ古鷹さんも問題ないわね。これで定期メンテナンスは終了。お疲れさま」
体を組み直したばかりの二人が歩き出て、こちらに歩いてくる。
「ありがとな、夕張」「ありがとうございました」
「どういたしましてー」
笑顔で会釈を済ませながら、夕張の手だけは休むことなく提督へ報告できるようにまとめる作業に入っていく。
過ぎていく二人に、夕張は問いかけた。
「もう何度か出撃して、これからまた出撃ですよね?」
ずっと屋内で画面や妖精さんの相手ばかりしていると、性格もじめじめしたものになる。何しろ妖精さんたちとしか主な会話がないのだ。それもあまり断片的にしかわからない会話。他の艦娘と話せる機会といえば今しかない。
「おぉ、そうだね」
加古の欠伸混じりの返答。古鷹も加古に合わせて立ち止まり、夕張を振り向いた。
画面から顔を上げて涙腺をぐっと指で押し、前傾した腰を、両手で前に押し出すように背筋を伸ばす。
パソコン作業ばかりで体が鈍った。妖精さんたちと新たに作った兵装も埃をかぶり始め、自身の艤装に至っては定期メンテナンスのみでしか触ることがない。
ストレッチも兼ねて、腰を捻って二人を向いた。
「いいですねー二人は。私なんか何のために艦娘しているかわからなくなっちゃって」
――久々に体を動かして、艤装をつけて、涼しい潮風を一身に浴び、新しい武器を使って、実戦でのデータ採取を自分で行いたい。
そんな欲求不満から出た言葉に、若干の厭味が混じっていたかもしれない。
しかし二人はキョトンとお互いを見つめて、揃って夕張を向いた。
「何言ってんだ?」
「夕張さんも、出撃ですよ?」
「あ、そうなんですね……」
端的に返した夕張はまたストレッチをする。
二人から視線を反らして再び画面へ視線を向けようとしたところで……ようやく理解が追いついた。
全身に電流が走るような衝撃にびくついて、思わず椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。
「……え、私が出撃ですかーっ!?」
「リアクション遅っ!」
加古の突っ込みに、古鷹がクスクスと笑った。
出撃用の港に六人が集まる。
「今回の旗艦を務めます。鳥海です。皆さんよろしくお願いします」
律儀なおじぎ。横一列に並んだ皆の視線は、前にいる鳥海よりも運ばれてきた艤装に向いていた。
「今回の作戦は、先日決行された比叡さんたちの強行偵察を元に、再度、敵の中心的な存在の打破です」
鳥海が眼鏡の端を持ち上げ、書類をかいつまんで読み上げる。
「強行偵察にて、駆逐艦一隻の轟沈及び艦隊ほとんどの大破・中破という戦闘結果から鑑み、今回は重巡洋艦を基盤とした高火力・高耐久力の編成が望ましいと判断されました――」
それを余所に、一列に並んでいた皆が揃って装甲粒子の白い煙を浴び、微かな煌めきを纏いながら艤装へ歩み寄る。
「どうですこの連装砲! 火薬量を増やし、飛距離と貫通力を高めながらも、砲身への負担が減るように微調整を重ねた私独自の……」
「へぇーすごいねー」「これ、排莢の位置が少し変わっているようですが……」「そうなんです! 以前のように後ろから出すのでは腕に当たった際に火傷してしまいますから、今回はあえて横から出るようにしておきました!」
鳥海の話は聞いていないのか、重巡洋艦の四人は誇らしげな夕張の自慢を聞きながら次々に艤装を装備していく。
「――また、今回の作戦は私たちのみで終わらせるものではなく、複数部隊による波状攻撃を前提としております。私たちがその第一波として、できる限り敵戦力を削ることに注力します」
「古鷹さんと加古さんの艤装も、艤体に合わせて稼働率と可動域を上げられるように調整しておきました。少し砲撃時の反動が大きく感じるでしょうけど、実際の振れ幅はコンマ以下に抑えてありますから、安心してください」「お、助かるねー」「夕張さん、ありがとうございます」「いえいえ、こればっかりやってきましたから!」
……もはや鳥海の話を聞いている者など一人もいなかった。
「皆さん、大切な作戦説明なんですから……」
注意しようと口を開いた瞬間に浴びせられる白煙が言葉を塞いで、持っていた書類を吹き飛ばし、眼鏡をずらした。
「まあまあ」
艤装を身に着けた衣笠が振り返って鳥海へ歩み寄る。それでも衣笠の歩みががいつもと同じような軽さを保てるのは、艤装装着を条件にした、筋力の増強化が成せる芸当だった。
苛立ちに体を小刻みに震わせる鳥海の肩に、衣笠の手が乗せられる。
「どうせ作戦中もしっかり説明してくれるでしょ? だったら大丈夫よ」
ね? と笑いかけながらウィンクをする衣笠に、鳥海は呆れ半分で溜息をつく。
もう半分は、衣笠たちと、後ろで艤装を装備している彼女たちが一様に頷いているからこその、信頼だった。
懐かしく、また馴染みのある顔ぶれ。互いに気心の知れた気の置けない仲。
鳥海はあの時も艦隊を勝利へ導いた。その満足感を皆も同様に感じているのだろう。
だからこそ、それまでショートランドでは常識だった、編成された艦隊での、艦娘同士の希薄な関係性が、今回限りはそうではない。
今まで通りに肩筋を張っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
咳払いをして、鳥海は落ちた書類をまとめ直してから声を張る。
「それでは、出撃しましょう!」
「ほらー、鳥海もさっさと艤装つけてー」
「もうみんなつけてるからさ」
「はいそうですね! わかりました!」
苛立ち交じりに、鳥海は早歩きで艤装へ進んだ。
青空の下を、陣形を組まないままの艦隊が進んでいく。
静かな海。温かさの中に爽やかな潮風が髪と肌を心地良く撫で通っていく。
夕張がピカピカにした艤装も調子が良く、日差しをキラキラと反射している。
「んー。やっぱり気持ち良いですねー…………ねぇガサー」
かき撫でる風に髪を乱された青葉が反応してくれる相手を探し、結果的に名指しで求めた。
「まあこれでも、戦いに行くんだから不思議よね。全然そんな気がしない」
「皆さんわかってますか? 今回は苦戦するだろうと司令官さんが考えたからこの編成なんです。気を引き締めてくださいね」
鳥海の一声に艦隊は気怠げな返答。
「大丈夫だと思うけど……」「まあ夕張がいるしなー」
唯一しっかり返答した古鷹。腕の艤装を撫でながら一番気怠い声だった加古。
「にしても、この砲、他にもっと良いものあっただろ? 何も20.3じゃなくても……」
反応したのは夕張だった。
「まあ、私がいじれるのなんて他の艦娘も持っていて当然みたいな装備だけですからね。
やっぱり最初から高性能なものを、私が勝手にいじることなんてできませんし……」
……皆が言葉に詰まった。
つまり鳥海たちに宛がわれた兵装は余りものだと、夕張は発言しているようなものだった。
「じゃあ、これって……」
鳥海が顔を青くする。
「私たちに死んでこいとでも言っているのかねー」
「ちょっと加古! 縁起でもないこと言わないで!」
古鷹が怒って、加古は半笑いで古鷹から距離を離す。
「大丈夫だよ古鷹、帰りさえ気をつければいいんだよ。行きは大丈夫だって」
「……もう」
呆れた古鷹が二の句を告げず、加古がからからと笑う。
そこで鳥海の咳払いに、皆が耳を向けて一度静かになる。
「まだ敵の詳細が掴めませんが、覚えている限りでは、私たちが負けるはずはありません」
鳥海は器用に砲先で眼鏡を直す。
「与えられた装備で、できる限りの戦果を上げましょう」
――返答はなかった。
ただそれでもゆっくりと頷き、そして前を向いて、海を突き進んでいく。
「あ、そういえば天龍は?」
「確かこの時間帯なら、天龍さんは遠征ですね。龍田さんと駆逐艦たちと一緒に出ているから、今回の作戦のスケジュールには合わなかったんだと思います」
「そういえば入渠ドックにも最近見ていないわね」
「そっかー。さっすが青葉ーよく知ってるねー」
以後年内は毎週:月・木曜の更新を努め、4章までをちょうど年内に完結させる方向で勧めます。