鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「仕事は見届けた。後は私が引き受けよう」


Vulture

 鳥海たちは一度、黒焦げになった大地へ視線を這わせた。

 黒焦げになっているのは木々だけではない。

 

 完全な人の形をした深海棲艦――すでに生命が失われ、艤装のようなものだけが残された黒い体を、じっと見つめるしかない。

 

「こんなに黒焦げじゃ、何だったかなんてわかりそうもないですね」

 

 青葉が首を横に振りながらお手上げをする。

 

「頭に二本の角。該当はありますか?」

 

「帰ってからじゃないと……何とも言えないですよね……」

 

 夕張の声も渋るようなものだった。

 

「本当にこれで終わったの?」

 

 衣笠が判断を促す。

 

 その疑問が浮かぶのも当然だ。まだ未知の敵かもしれない存在が、もしかすれば本来の目標かもしれない敵が、まともに見ることすらままならないまま倒されてしまったのだ。

 

 海はつい先ほどまで、異常な数の深海棲艦で溢れかえっていた。

 だがこの黒焦げとなった深海棲艦が黒焦げになった途端に、彼らは一斉に士気を失ったかのように逃げ惑った。

 

 それはこの黒焦げこそが彼らの指揮を担っていたという証左でもある。

 本来の作戦目標が撃破されたと見做していいのか、あるいはまだ別の場所に本来の目標がいるのか。

 

 今となってはわかるはずもない。

 

「……弾も燃料も残り少ないです。作戦の完遂ではないでしょうが、様子を見る必要はあります。とりあえず撤退しましょう」

 

「あいよー」

 

 戦いをやめることに関しては、加古は本当に動きが早い。

 

 ……あの時もそうだった。

 鳥海たちは作戦目標だったはずの敵へ攻撃し、反撃を許さない間に全てを撃破した。しかし後になって本来の目標の達成ではなかったと知らされる。

 

 むしろ鳥海がその場を離れた後こそが、戦いの始まりとなってしまった。

 一つの後悔が鳥海の胸を蝕む。

 

「あの赤い深海棲艦について調査をしてもらう必要がありますし、なるべく早く帰りましょう」

 

 他の艦娘も加古に追随しては追い抜き、再び鳥海と青葉が先頭になる。

 

 そこから数分も経っていないだろう。

 海に異変を見つけるのは、いつも青葉だ。

 

「さっきの白い船です!」

 

「えーっ! また!?」

 

 衣笠の呆れた叫び声と共に、その指が差す方角に全員の視線が注がれた。

 

 

『敵は強力だ。だが、任務は果たさなければならない』

 

 プレジャーボートのデッキの縁に手をかけながら、一人の深海棲艦は振り返る。

 顔はもはや顔はなくなり表情の一切は見えない。鋭い牙を持つ顎だけが顔の残滓だ。

 

『……アナタガ何ヲ考エテイルカ 私ニハワカルヨ コノ先 何ガ起コルカモネ』

 

 肉体と同化した艤装の全てが力をもたらす。

 肌は白く、人間の姿を捨て、赤い熱を孕んだ空気が纏わりつく。

 だがそれこそが勝利へ導く力の源。

 

『発言の意味が不明だ。作戦の遂行を』

 

 勝利のために飛び降りる。

 相手など誰でも良い。目に見えた六体の敵に、課せられた任務をこなすのみ。

 任務の遂行と達成である勝利……そのためなら自らが朽ちていくことに、何の葛藤もない。

 

 ……ないと、思っていたい。

 

『ヤッテミルサ アナタノ望ムママニ』

 

 

 軽巡ト級。

 鳥海がト級と距離を置くべく進路を変える指示を出した時に、古鷹が告げた。

 

「相手は一体ですから、このまま逃げちゃってもいいんじゃないでしょうか?」

 

「……」

 

 それでもいいかもしれないと鳥海は思った。

 何しろ相手は一体しかいない。まだヲ級を含めた赤い深海棲艦は残っているだろうが、そう数が多くないだろうことは想像に難くない。

 

 だが、帰路を辿っている時に襲い来るような敵だ。

 加えてまともに目標を完遂できなかった自分たちにできることは、次に味方が来ることがあった際の露払いだろう。

 

「ここで逃げても、彼らはどこまでも追ってくるでしょう」

 

 鳥海の視線は、ちょうど帰るべき方角へ走り去っていくプレジャーボートへ向けられる。

 まだ別の敵がいるかもしれない。

 

 鳥海は再び赤いト級へ視線を向け、眉根にしわを寄せた。

 

「敵を撃破します」

 

 ト級が砲撃を始めた。

 手前で飛沫が巻き上がり、頭のすぐ横を砲弾が通り過ぎる。鼓膜が揺さぶられ、その度に肌が泡立つ。

 

 たった一体の敵でも、六人いるこの艦隊へ臆せずに砲を向けている。侮っているわけではない。むしろ多くを相手取る覚悟を決めている方が攻撃が鋭くなる。

 勝てないとわかっているはずの戦いでも相手は逃げる機会を伺うことすらしない。真っ直ぐに立ち向かってくる。

 

 恐ろしいと鳥海は思った。

 

「撃て!」

 

 発砲。全員から放たれた赤い光が飛んでいく。装備は一級ではないとしても、この艦隊の皆が弾を外すほど練度が低くないことはわかっている。

 爆煙と水柱が立ち上った。

 

「やったわね!」

 

 衣笠が声を上げた。

 当然だろう。六人の艦娘――それも大半が重巡洋艦が放った砲弾だ。そのほとんどが命中したならひとたまりもない。水柱が晴れる頃には海中に没している。

 

 そう鳥海は思っていた。

 水柱に穴が開いたのを見るまでは。

 

「きゃっ!」

 

 衣笠の艤装に爆煙が広がり、袖が燃えて落ちる。

 

 さっきまで飄々としていた青葉の表情が変わる瞬間を、鳥海は見た。

 刹那に衣笠の前へ出た青葉が、沈みゆく水柱へ砲を向ける。隙間から原型を留めないほどボロボロになったト級が見えた瞬間……引き金が絞られ、その胴体が貫かれる。

 

 赤い炎と共に、ト級の身体がバラバラに炸裂する。

 

 いつもの気さくさが作る笑顔ではない――もっと重いものをキツく引き締めた青葉の瞳に、水面へ溶けていく炎が移っていた。

 

 だがおかげで一つの危機が去ったと思えたが――。

 

 青葉が顔を上げてすぐ、全員の耳にもそれが届く。

 艦載機が飛び回る羽虫のような音ではない。

 もっと重いものが空を飛ぶ、バタバタと分厚いプロペラの回転音。

 

 見上げた鳥海は、その機体に戸惑う。

 

「あれは……!」

 

 ヘリコプター。それもショートランドで見た、あの錆だらけと全く同じ形。ショートランドのはもう動かないだろうが、あれは違う。

 

 そこから、二つのシルエットが飛び降りた。夕日が水面に触れている今でも、特徴は掴める。黒い体から赤い空気を纏っている。

 

 

 着水に舞い上がった白い飛沫が夕日に煌く。

 

『僕タチマデ担ギ出スナンテ 相当手詰マリダネ』

 

『アナタ昔カラ私タチノコト嫌ッテマシタカラ』

 

 愚痴のようにぼやきながら、二人は眼前に迫りくる敵を見やる。

 六体――格好の敵。敵の数も、その姿も関係ない。その全てを打倒し、勝利を水平線に刻む。

 暁ではなく黄昏だが。

 

『文字通リ プロジェクトニ全テヲ捧ゲタッテコト? 身体モ脳髄モ ツマリ心モ?』

 

 勝利こそが生存であり、唯一の存在証明だ。でなければ彼らが存在している価値がない。勝つことのみのために彼女たちは生み出されたのだ。

 彼女たちを率いる〝男〟も重々承知している。

 

『発言の意味が不明だ。敵を確認。攻撃開始』

 

 二人は号令に従う。変わり果てた姿となっても、志だけは変わらない。敵の詳細などもどうでもいい。

 二人はただ敵を撃破するだけだ。

 

『要ラナイヨネ 心ナンカ! ソレデ勝テルッテイウンナラサア!!』

 

 

 二体――共に、赤いリ級。

 

「まさか空からなんて」

 

 古鷹が驚愕を口にする。

 

 船だけではない。深海棲艦という名前も、定義も、打ち壊されたようなものだ。

 

「一体倒してすぐに、立て続けに来るってことは……」

 

 夕張が額に冷や汗を浮かべながら鳥海を向く。

 鳥海も頷いた。

 

「計画通りということですか」

 

「いよいよ、なりふり構わないってことね!」

 

 興奮よりも緊張が先行しているのだろう。鳥海に被せるように衣笠が声を張った。

 

 あまりにもタイミングが良すぎる。

 六人を相手に、合計して三体といえど、それでも幾度となく繰り返されている戦闘で疲弊を重ねていることに変わりはない。

 

 高度を取りながら過ぎ去るヘリコプターを見やり、鳥海は向かってくる二体のリ級を望む。

 

「連戦で辛いでしょうが、ここを乗り切らなければ帰ることはできません」

 

「わかってるよ!」

 

 身を躍らせたのは加古。遅れて古鷹。

 

 砲撃のタイミングはほぼ同時だった。

 ほぼ同じ直線上を、全く形の違う砲弾がすれ違う。

 

 一撃がリ級の片腕を跳ねる。衝撃にリ級がバランスを崩す。

 そして古鷹の砲塔が爆ぜた。

 

「っ! まずい!」

 

 爆発の勢いによろめく古鷹の前を、加古が守るべく立つ。

 

 加古に狙いを定めていたもう片方のリ級が、砲撃することは敵わない。

 青葉が、咄嗟に砲撃を飛ばしていたのだ。

 

 命中ではなくとも、手前で起こった激しい飛沫を被り、突っ切るようにリ級の姿が前に出る。

 

 伸ばされたその腕を、夕張が狙った。

 真っ直ぐ加古へ伸びていたはずの腕が砲弾の威力に逸らされ、放たれた弾は明後日に消える。

 

 その間に体制を立て直したもう片方が青葉の近くに水柱を作る。

 

「古鷹さん大丈夫ですか?」

 

「はい。まだ予測の範囲内です」

 

 二人だけの敵とはいえ、連携の密度が尋常ではない。

 六人いるこちらが、ギリギリで数の優位を保てている程度しか戦力としての差がない。

 

 装備にも一つの原因があるだろう。いくら夕張が改修を施したとはいえ、余り物のような装備だ。一発あたりにコストのかかる魚雷など装備しているはずもない。当初の作戦では複数艦隊による波状攻撃を考えているにしても、重巡の艦隊にしては貧弱すぎる装備だ。

 加えて、いくら最前線である泊地でも、頻繁に戦闘を繰り返したわけではない艦娘ばかりの寄せ集めのような編成。

 

 だが音を上げるようでは、艦娘は務まらない。

 いくら言い訳をしたところで、勝つか負けるか、生きるか死ぬかの戦いに絶対は存在しない。

 装備も編成も、これがあれば絶対に勝つことができるというものなどない。

 

 だからこそ如何なる時でも可能性と希望は詰まっている。

 

 鳥海の放った一斉射が、一体に火球を作った。

 そしてもう片方がそれを庇うべく前に立ち、接近を試みていた青葉と衣笠に牽制を入れる。

 

 だがそれも長続きはしないだろう。

 ……牽制射撃を入れられながらも、青葉と衣笠は砲撃を返したのだ。命中打ではない。だが近くで巻き起こる炸裂に視界を奪われ、気を逸らされる。

 

 その隙に、古鷹と加古が正面から突っ込んでいく。真っ直ぐ進みながらの砲撃でも、正面という敵から狙いやすいところに居続けるのは肝が冷える思いだろう。古鷹に至っては砲塔を一つ失っている。右腕の巨大な艤装と一体化した砲塔がなくなることは単純な攻撃力の低下だけではなく、防御の要である艤装の弱点をさらし続けることにもなる。

 

 リ級の砲撃が二人を襲った。

 

 飛び散る火花に視界を遮られ、反動に体が押され、艤装にひびが入るのも構わず、二人は猛攻の中で狙いを定める。

 古鷹と加古が手を握り合うのを見据える鳥海。

 

 二人の砲弾がその両腕に爆炎を作って、消し炭に変えた。

 

 倒れ込むリ級の後ろから、庇われていたもう一体が顔を見せる。

 見せたその瞬間に、黒焦げの額が衝撃で仰け反る。

 

 夕張がずっと待っていたのだ。

 

 青葉と衣笠が、夕張に続いて両脇から屠る。

 

 古鷹と加古が弾薬補充のタイミングを稼ぐために一度停止。

 

 燃え盛る相棒を背中に、両腕のなくなったリ級が周囲を睥睨する。

 

 鳥海はずっと、古鷹と加古の後ろにいた。

 二人の巨大な艤装に守られながら、そして周囲の間断なきフォローがなければ、こうして接近することはままならないと判断したのだ。

 

 そして今、鳥海は残された一体の前に立つ。

 

「……あなたたちの、所属はどこですか?」

 

 すでに戦う術のないリ級に語り掛ける。砲口を向け、脅すように。

 

 そのくせ自分の表情に悲痛を隠しきれないまま。

 

「何のために、戦っているんですか?」

 

 じゅうじゅうと燃え盛ろうとする炎が海水に掻き消されていく音を振り返り、沈んでいく相棒を見つめるリ級。

 なくなった両腕の先から、機械の部品がこぼれていた。

 

『……ヒドイ冗談ダネ』

 

 水面の向こう側へ行ってしまった相棒を憂いながらだろうか、声は沈んでいた。

 

『オ前タチモ 僕タチモ』

 

 そして、瞳のない目でリ級は鳥海を見上げる。

 

 お前たち――紛れもない鳥海たちであることは疑いようがない。

 今になって青葉の言葉がわかる。このリ級たちは――赤い深海棲艦たちは、以前は艦娘だったのだろう。

 

『勝タメニ人形ニナッタッテイウノニ ソレデ コノザマ』

 

 すでにこのリ級は、鳥海の問いかけに答えるつもりはないのだろう。

 自らの死を自覚して、ただ言いたいことを並べている。遺言なのか後悔なのか、判別することはできないが。

 

 引き金にかけた指に力を籠めるために、迷いはなかった。

 

 腹を貫かれ、背中から赤い炎をまき散らすリ級は……笑っていた。

 

『何ガ望ミダッタカナンテ モウ覚エテナイケドサ ……ハハハ ハハハハハハ!』

 

 リ級は海中に飲まれていく。ゆっくりと、まるで下から引っ張られているかのように。

 頭の先が海面に触れるまで……リ級はずっと、声を上げて笑い続けていた。

 

 

 

 夕日も海面からなくなっている。空にうっすらと赤が覗くだけだ。

 極寒に取り残されたような底冷えのするおぞましさが、まだ残り続けている。

 

「勝つための人形……」

 

 最後のリ級が放った言葉。

 艦船でなければまともな人間でもない。人形ならば艦娘はまさしくその通りだろう。それも彼女たちのような人を模して造られた機械ならば猶更に。

 

 自分たちも、果たしてそうなのだろうか?

 まともに勝てる見込みのない武器を持たされ、死地へ駆り出されて、いつ終わるとも知れない戦いに明け暮れている。

 

 青葉が、艤装の壊れた部分を撫でながらぽつりと声を漏らす。

 

「最初の敵は、知っていたんでしょうか? 自分が捨て石になること」

 

 それは作戦としての囮だったのだろうか?

 勝つための囮。鳥海たちに弾を損耗させるためか、士気を下げるためなのか。

 

 いずれにせよ最初の軽巡ト級が鍛え上げられていたとしても、一体で六人もの艦娘に対抗できるはずもない。

 もし自分が死ぬことをわかっていても、戦場に駆り出されるのなら――むしろ死ぬことを前提として作戦を組まれいているなら、自分は勇んで往けるだろうか?

 

 ――鳥海には、恐ろしくてできない。

 寒さに震えるような口をぐっと噛んでこらえて、両手で自分を抱き締めるように腕を掴む。キツく、痛いと思っていても、まだ足りないと思う。

 

「さあね……自分が勝つつもりだったんじゃない? 少なくとも、動きに迷いはなかったんだし」

 

 衣笠が鳥海の代わりに答えた。

 

「……そうですね」

 

 そうしておく。そう思っておく。それが一番、ト級の――ト級になる前の誰かのためになるだろうと思った。

 すでにいなくなったヘリコプターとプレジャーボートの行った方角を見やりながら、古鷹が鳥海を見つめる。

 

「あの男性は……」

 

「でもこう、一斉に襲ってきたんだ。もうあまり、残っていないのかもな」

 

 古鷹の声を遮った加古が大きく伸びをして、鳥海に指示を仰ぐ。

 

「そうですね」

 

 ――プレジャーボート、そしてヘリコプターにいるかもしれない男性の声。

 

 今それを考えては、先に進めないだろう。

 今考えるべきは、あの赤い深海棲艦に背負わされた痛々しい任務のことだ。

 

「終わらせましょう、彼女たちのミッションを」




というわけでこの話のあと、2話で3章が終わります。
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