Today
鉄底海峡と呼ばれる場所がある。
ソロモン諸島、ガダルカナル島北部の海。
幾多の艦船が、百年以上前に起こった人類同士の戦いによって海底に堕ち、朽ち果てていく場所。
豊かな自然が溢れる島々に囲われた、寂れた海の真ん中。
一体の深海棲艦が身体を起こした。
いや、生まれたのだ。
白い身体と髪。二本の角。赤い瞳。艤装にも似た飛行カタパルト。
――飛行場姫、と前世に名づけられたそれは、どこに向けるでもなく、次々と艦載機群を空に放っていく。
海と同じ青の空を、黒く埋め尽くすほどの群れはやがて散り散りになり、空の蒼に飲まれて、消えてしまう。
……何度となく繰り返される戦い。
またその一巡が、廻り始めようとしていた。
すっかり錆塗れであちこちか欠け落ちた出撃用特殊カタパルト。
本来なら分厚い天蓋に覆われていた空間に、降り注ぐ陽光が空気中にある埃を煌かせていた。
すでに使う者がいなくなって久しい空間で、妖精さんが忙しなく動き回っている。
艦娘の出撃準備。
ゆったりとした足取りで、彼女はカタパルトの上に立つ。
塗装が剥げ落ち、ひびが走っていても、機能はまだ死んでいない。
カタパルトの穴から噴出された白い光が彼女を覆う。波にも煙にも見える装甲粒子。
以前所属していたところとは違い、妖精さんが直接ホースを持ってきて浴びせられるわけではないことに、彼女は若干の驚きを覚えながらもしっかりと艤装の隙間まで浴びる。
ボロボロになったはずの体をここで癒やした。
そして、同じ意識を持ち、同じ体であるはずなのに、まるで別の身体へ変貌を遂げてしまったのだ。
生まれ変わる、としか表現しようのない現象に狼狽し、しかし受け入れてから数日が経つ。
……千切れてしまったはずの髪も、今となっては元通り、いやそれ以上に長くなってしまった。
自分のことなのに、その理屈を理解できていない。理解しているのは妖精さんたちだけだろう。しかし妖精さんたちの言葉は理解できない。意思疎通を図ることはできても、より詳細なコミュニケーションを図れるほど、妖精さんの言葉を知らなかった。
最後に砲を受け取り、形の少し変わった缶を背負い、カタパルトに身を任せる。
以前は自らを奮い立たせるために叫んでいた掛け声すら言わなくなってしまった。それすら忘れてしまうほど、綾波は妖精さん以外の誰とも話さなかった。
話さなくても、今の綾波にはいつも声が聞こえているのだ。
今までは戦いでしか聞こえなかった声。
戦意への熱気と勝勢に盛る掛け声が、頭の向こうのどこかから、不快感なく綾波を最適へ突き動かす衝動になってやってくる。
決意に研ぎ澄まされた瞳を、日が照らす。
日はまだ浅かった。
真っ直ぐ南へ――本当ならば向かいたくない場所へ、綾波は向かっていく。
因縁の場所と言ってもいいだろう。それでも辿る進路は変わらない。
他の追随を許さぬ速さで海を駆け抜けていく綾波。
進路に敵の小さな群れを見つけ、気づかれる前に魚雷を一斉に放つ。
放たれた魚雷は勢いよく海中に落ち、雷跡を走らせる。炸裂に巻き上がる水柱を突き破って猛進する。
足の先まで届きそうな長さになった髪が速度になびく。
今までとは違う、赤いラインの走る水兵服が風にばたばたとはためく。
そして、たった一人の少女が躍り出る。
アイアンボトムサウンド――『彼女ではない綾波自身』が眠る場所。
その姿を捉えると同時。砲を構えた。
飛行場姫。数多の深海棲艦の群れを率いる、一つの中継地点にして強力な一個体。
いくつのも時間を超えて、艦娘と戦い続ける存在。
放った砲弾はそこへ至る前に、綾波目掛けて群がる数多の艦載機の群れに呑まれてしまう。
数え切れないほどの大群。それこそ砲弾全てを注ぎ込んでも間に合わないほどの、強大な軍勢。
愚かしいほど直進してきたそれらを避け、振り向きざまに弾を浴びせ、次々に海水へ浸していく。
機銃の妖精さんが顔を出して、綾波に合図を送る。
……装填に割かなければならない時間を作らなければいけない。
ちらりと飛行場姫を見やり、再び連装砲を構えた瞬間だった。
また別の方角から飛んできた弾が、綾波の胸を穿つ。
痛みよりも驚きに、綾波は呻いた。
装甲粒子を飛ばし水兵服を焦がす砲弾の衝撃によろめき、肉薄してきた一体の艦載機に手を載せてバランスを取り戻す。
空に渦巻く艦載機の群れを背に、飛行場姫が綾波を見て笑った。
所詮、獲物の一匹としか綾波を捉えていないのだろう。
だからこそ浮かべられる余裕の表れ。
しかし綾波も無策で来たのではない。
独りでも、とある因縁を断ち切らなければいけない。
連装砲に居た妖精さんにそれを渡し、装填してもらう。
そして、飛行場姫へ引き金を絞った。
再び津波のように襲い来る艦載機群。
しかし同時に、眩い光が周囲を包んで――。
年内最後の章にしてターニングポイントが始動します。