鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「考えてください。何のために戦うのか……」


Match the Bottom

 真っ黒な空間で、綾波は目を覚ました。

 最初は地獄か、でなければ可能性の低い天国かと思った。

 

 周囲を見渡す。ふわふわと身体が軽くなっているような感じがするが、動かそうとすると途端に重たく感じる。

 自分がどんな姿勢で、どこに向いているのかさえわからなかった。

 

「ここは……?」

 

 自分の声も聞こえる。

 だからこそ、綾波はそれを目にするまで気づかなかった。遥か遠くで揺らめく白い光が波間から除く月光であることを――自分が海中を漂っていることを。

 身体が重いのも頷ける。そう安堵に息を漏らそうとして、しかし思い出す。

 

 確実に味方だろう艦娘の艦隊。

 彼女たちから砲撃を受けたこと。その原因となる最初の砲声を、綾波が轟かせたこと。

 

 ――しばらく前に、綾波は夕立を轟沈させた。

 

 深海棲艦となりつつある彼女を救う手立てもなく、綾波は最悪の選択肢を取った。

 同じ艦娘を殺した自分が、以前と同じような顔で皆の前に立つことなどできないと思った。

 

 もし糾弾されても、同じ艦娘が報復に来るはずがない。むしろ艦娘に綾波と同じことをさせることが……自分と同じ罪悪感に脅かさせてしまうことが怖かった。

 

 何より、艦娘が深海棲艦になってしまうという事実に、皆を動揺させたくもなかった。

 

 だから泊地を離れ、そして拒絶の意志として砲撃を行った。

 

 罪の意識と哀れな思いやりに、より深い暗澹へ誘われてしまっている自覚などない。

 

 一人ぼっちになってしまう不安はなかった。

 艤装には幾多の妖精さんがいる。泊地ほど賑やかにはなれないだろうが、それでも寂しさを紛らわし、時が来るまで待ち続けるには良い話し相手だと思った。

 

 ――その選択による結果を共にしてしまうことを、妖精さんに告げないまま。

 事実を話すことのないよう、他の誰とも会わないまま、ただ艦娘としての本分を――深海棲艦との戦闘を続け、その果てに朽ちるのを待とうとした。

 

 しかし綾波が知ってしまった事実を、綾波だけが隠し続けていられるとは限らない。

 泊地に住む艦娘たちの間で、その噂は一つの真実として定着しつつある。

 

 だからこそ拒絶の意志表示だった砲撃に、それと気づかれないまま排除の砲撃で返された。

 それほどの砲撃を昼間に受けながら、今の今まで痛みも苦しさも感じず、ずっと意識のないまま、綾波は海の底をぼんやりと漂っていた。

 

 死に際の微睡みから覚めていくのを感じ、ようやく綾波は、自分がどうしてここで苦しくないのかを考えられるようになる。

 艤装の隙間から、妖精さんたちが心配そうにこちらを見つめていた。

 

 ……なんとなく、察する。

 妖精さんは不思議な力を使う。また綾波の知らないところで、綾波にはわからない力を使っているのかもしれない。

 運命を共にするとしても、先は長そうだと、微笑みを作る。

 

「大丈夫です。帰りましょうか」

 

 波間の月を見上げた時に、ふと気づく。

 心配気ではない、安堵に近い笑みを浮かべてこちらを見つめる一人。

 

 廃墟寸前だった基地、あるいは泊地に取り残されていた、綾波には正体のわからない、どんな力を持っているのかもわからない存在。

 他の艤装に住むのとは違う、船大工の青い法被を羽織る、鉢巻を巻いた妖精さん。

 

 彼女の姿が、だんだんと薄くなっていく。

 

「あ……」

 

 まるで沈んでいく夕立がそうだったように、存在を海に溶かしていく。

 

 伸ばそうとした手は、気がつけば届かなかった。

 正しくは届かなかったのではない。海上へ引っ張られているのだ。

 

「ま、待って!」

 

 まるで沈んでいく夕立がそうだったように、綾波の目から、その妖精さんがいなくなっていく。

 少しずつ明るくなっていく綾波の背中と対象的に、妖精さんは暗くなっていく海に滲んでいく。

 

「待ってください!」

 

 また大切かもしれない何かを失う。そんな予感が焦燥に駆らせる。

 目頭が熱くなったが、涙が出たのかどうかは海に混じり合ってわからない。

 

 それでも、まだ妖精さんが見えているうちに、何かを届けなければいけない。

 

「……きっと、あなたが助けてくれたんですよね!?」

 

 いけないと思った次の瞬間に、綾波の身体は夜空の下へ晒されて、ずぶ濡れの身体を月が照らしていた。

 へたりこんでも、海面を叩いても、艤装の抗磁圧が海中へ沈ませない。

 

「まだ、生きろっていうんですね」

 

 もういないだろう海の底に、さっきまでいた妖精さんに、綾波は何も届けないまま、また生き残ってしまった。

 

 溢れる涙の熱が、頬を伝って波紋を作る。

 

「……感謝ですね、本当に」

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