血相を変えた金剛と霧島が駆け、川内が居た場所へ向かう。
その横で高雄と愛宕が目を見開いて、事実を飲み込めないでいる。
「あの砲撃を受けていたはずじゃ……」
戦艦一人と重巡二人。その一斉射を食らって、並大抵の駆逐艦が生き残れるはずもない。高速での移動を可能にする駆逐艦ならば回避したという考えも浮かぶが、しかし彼女は陸に居たはずだ。
無傷でいられるはずなどない。
幻想を見ているかのような瞠目が、全員を揺さぶっていた。
「……綾波」
眼鏡を一度外し、霧島が頭を抱える。表示枠に『反応・乙』は健在だった。
艦娘とも深海棲艦とも判別ができない。見た目だけならばそうだろうが、しかしあの砲撃を生き抜き、深海棲艦である可能性が高いと判断された存在を、簡単に艦娘であると信じるわけにもいかない。
そもそも、艦娘を泊地側が深海棲艦だと判断するメリットが存在しない――そう、霧島は思った。
状況を飲み込めないまま、榛名が霧島に尋ねる。
「あれは、綾波さんでは……」
「それはノーね」
霧島が返すよりも先に、金剛が同じ表示枠を見ていたのだろう。
「反応・乙……霧島、ミスしたってわけじゃNothingでしょ?」
「はい。姉様」
眼鏡を掛け直しても、うずくまる姿が変わらないことが、霧島の頭を絞めつける。
状況を整理しながら、しかしそうであってほしくないという願いばかりが積み重なる。
「ただ、もし深海棲艦だったとしても、生きている事自体がおかしいですが」
「初めから、どこから湧いているかわからない連中ネ」
「それはそうですが……」
言い澱んで視線を反らす霧島へ、金剛がちらりと目を当てる。
金剛たちが出撃した頃に一度、霧島たちは彼女を水面下へ葬った――はずだ。
仲間を殺して、気分が晴れているはずもない。
再びやらなければいけないことで、罪悪感に潰されかけている。
「霧島は待機ネ」
金剛の決断は早かった。
合流により、一艦隊に十人もいる。あまりに多すぎて指揮系統が維持できない上、高雄と愛宕と五十鈴は損傷、川内に至っては弾薬の消耗が激しい。その上霧島も弾薬の消耗に疲弊、そして目標そのものに戦闘を十全に行える状況ではない。
「A.S.A.P.で艦隊編成ネ! 敷波は?」
「川内と一緒……」
気怠げな初雪の発言に、金剛の中でパズルのピースが一つはめ込まれる。川内が敷波を守っていた、と。だとすれば損傷か、でなくても姉妹艦である綾波に感傷か。
「初雪、悪いけど連戦してもらうネ!」
「ぇえ……」
疲労も溜まっているだろうが、先鋒艦隊の中でも初雪の弾薬損耗は一番抑えられている。
積極的に戦闘しない、ということも一因だろうが、それよりも命中率の高さが大きいだろう。
勤めて戦術的に考える金剛では気づかないだろう。
初雪が戦おうとしない理由を。
「霧島は川内と連絡を取って、高雄と愛宕と五十鈴を連れて後衛デース!
残りは着いてきてくださいネー!」
言うが早いか、金剛は進んでいく。気づいた榛名がすぐ横へ着き、長波と黒潮と涼風があしらうように手を振る五十鈴を見てそこに加わり、涼風に引っ張られた初雪が最後尾になる。
戦艦二人、駆逐艦四人。
「本当に……やるの?」
「喋れる深海棲艦がいるって聞いたんデース。なら可能性も、すごく高いネ!」
疑問を飛ばす初雪に、金剛が指を振って答えた。
しかしそれは相手が深海棲艦だと割り切った上での判断だ。コミュニケーションが図れたとして、結果を金剛は語っていない。
戦うことを、結果的に示してしまっている。
金剛が、うずくまる綾波の前に立つ。
ゆっくりと顔をあげる綾波――ずぶ濡れの顔でも、頬を伝う涙の線がまざまざとわかる。
「あなたは」
「最近ショートランド泊地に異動した、高速戦艦の金剛デース! 妹がお世話になりまシタ」
それが霧島のことだと綾波の理解が追いつくまで、そう時間はかからなかった。
儀式衣装にも似た服装は、彼女たち四姉妹だけのものだ。
「霧島さんの……お姉さん」
「That's right ! あなたと夕立が失踪したと聞いて、てっきり沈んだと思ってまシタ。どうやって今まで生き延びたんでスカー?」
艤装からひょいと顔を出した妖精さんを手に載せ、視線を落とす綾波。
妖精さんが心配げに見上げるが、頭を撫でられて表情が引っ込む。
「この子達のお陰です」
鼻で相槌を打つ金剛。納得できた様子ではないが、しかし理解できなかったという意思表示もない。
妖精さんを戻した綾波はゆっくりと立ち上がる。
その中で渦巻く感情に、金剛が気づいていないわけではない。彼女を撃ったのは金剛たちなのだ。恨んでいてもおかしくない。
だが綾波は努めて冷静に振る舞い、そして背を向ける。
背負われた缶。ぶら下がる艤装の数は駆逐艦とは思えないほどに多い。それだけの武器が必要な戦闘を、綾波が経験している証左。
「それでは、ごきげんよう」
――なるべく綾波は、他の艦娘と話さないでいようとした。攻撃されたことに動揺していたが、それを尋ねればまた根掘り葉掘り聞き返されるだろう。
言葉さえ通じれば誰とでも仲良くなれる、打ち解け合えると信じてやまないような金剛のにんまりとした笑顔。
いっそ話してしまえば自分は楽になるかもしれないが、しかし別の苦しみを与えてしまうことの方が、綾波は怖かった。
「綾波、一緒に帰りまショウ」
主機を走らせかけ、止める。
振り返りたくなかった――その明るい声で、手でも差し伸べていたら決意が揺らいでしまうことが怖かった。
「……行きません。一人で生きるって、決めましたから」
「ふーん」
何かに納得したような金剛の頷き。
「艦娘じゃなくっても、ですカ?」
「艦娘だからこそです」
……怯えるように立ち止まったままの背中を見て、金剛は思案する。
深海棲艦である可能性が非常に高い反応・乙――綾波はあくまで、自分が艦娘であるという自覚を持っている。
それが定かなのか、金剛にはわからない。
あくまで金剛の視界に映っている彼女は反応・乙であり、艦娘綾波でも、深海棲艦でもない。
しかし綾波の、泊地を離れて暮らそうとする理由が金剛には読めない。一度沈めたはずの彼女が、なぜ生きていたのかもだ。
泊地を離れて、まともなバックアップを備えているはずもない。例え妖精さんたちに愛されていたとしても、それが理由になるとは到底思えない。
「なぜデース? 艦娘なら、深海棲艦と戦って、泊地で提督と一緒に過ごすはずデース」
綾波が一度拳を握りしめ、しかし解けていく。
金剛のかけたカマに綾波は、より金剛にとって理想的で、最悪な形で答えを示した。
答えられない理由……金剛へ話したくない、後ろめたい理由があるという証左。
金剛が無言のまま右手を掲げる。それを合図に、艦隊の皆が艤装を構えた。
驚愕と動揺が、緊張となってひしひしと背中に打ち付けられる。
これから金剛が率いる艦隊は仲間殺しという所業を成すことになる。本来の敵である深海棲艦ではなく、味方である艦娘を、だ。
喜んでできるはずもない。
だがそうしなければ、艦娘が深海棲艦になるリスクが周知された今、綾波を綾波であると信じることができない。
例え彼女自身に艦娘である自覚があるとしても、それは自らへの強迫かもしれない――深海棲艦になりたくないと思っていながら、しかし深海棲艦へ染まっていく自分への抗いの表れとして。
放っておけば彼女は深海棲艦になってしまうかもしれない。
いや、もしかしたら既に――。
金剛が砲撃とともに右手を降ろし、全員が駆け出すのと、綾波が振り返ったのはほぼ同時だった。
綾波の振り向きざまの一発が、砲口から中に侵入して炸裂。
砲塔が一つ、黒煙を噴き上げて使用不能になった。
「Shit!」
しかし金剛の放った砲弾は、至近距離であるにも関わらず虚空を通り過ぎてどこかへ消えてしまう。
「どうしても、戦うしかないのですね……」
即座に距離を離していく綾波を追いかけるように、四人の駆逐艦が金剛の横を通り過ぎていく。
「いけるネ? 榛名」
「はい。そのつもりです。敗率はほとんどないでしょう。ですから……」
「反応・乙は深海棲艦だと判断しマス。同じ仲間だったデスが、一度沈めた船が浮上することはありえまセン。
まだ彼女が綾波でいられるうちに、海へ還すのデス」
「……お姉様、その命令は残酷では」
「これ以外、手立てがないネ」
戸惑うような榛名の問いかけに苦々しく返す。
詭弁ではなく本音だった。
金剛にも動揺はある。同じ艦娘のようにしか見えない彼女を殺すなど、してはいけない。
金剛は冷酷ではない。合理的に判断して行動する、旗艦の義務を果たしているだけだ。
その上でまだ綾波としての心が中に取り残された、深海棲艦だと判断した。
綾波が綾波でいるうちに――艦娘として備えている理性を損なわないうちに、深海棲艦に対する憎しみを彼女へ向けないうちに、悲しみで葬送できるように。
だが他の艦娘が、その気持ちをすぐさま受け入れて行動できるはずもない。
後ろめたさに真っ直ぐ向けられない砲撃が、あの綾波に当たるはずがない。
最初は涼風だった。
「ちょっ、嘘だろ!?」
一瞬で後ろに回り込まれて、缶に的確な一撃……主機を回すことはできても、そのコントロール機能を一瞬で奪われてしまった。
したり顔で後ろから飛びかかったはずの長波が、艤装の力でもない、ただの格闘技の投げ技で軽く放られてしまう。起き上がろうとした時に砲撃を浴びて、器用に砲と魚雷発射管だけ撃ち抜かれ、攻撃手段を失う。
やや遠目から狙いを定めた初雪の砲弾が、綾波の放ったそれと共に空中で炸裂した。初雪が驚きに目を見開く――綾波は今、初雪の砲弾を、受けるでも交わすでもなく、同じ性能の砲で迎撃を行い、それを成功させたのだ。
「狙ったの? 綾波……!」
爆炎の向こうから飛び込んできた綾波が、初雪の缶を狙って涼風の二の舞いを作る。
しかし直進する綾波の真後ろに、黒潮が回り込んでいた。綾波の背後にべったり張り付きながら、狙いを定める。
「これなら……どうやっ!」
砲と缶が擦れ合うほどの至近距離からの接射。綾波ほど器用に航行不能へ追い込むことは難しいだろうが、それでも弱点の一つである缶を撃たれて航行に支障が出ないはずもない。
しかし黒潮が引き金を引く寸前で、綾波は急停止した。正確には急停止ではなく、後ろへ軽く跳ねたのだ。
突如として激突してきた缶に、黒潮の連装砲が弾かれてそっぽの砲口へ弾が放たれる。
そして――
「んばっ」
缶に顔面から飛び込んだ黒潮は、そのまま脳震盪を起こして卒倒する。
榛名が目を瞠る。
四人の駆逐艦が、同じ駆逐艦に軽くいなされてしまった。
それもほぼ無傷。弾薬の損傷すらあまりしていないだろう。
「これは所謂、ピンチですね」
「そうですネー」
綾波がいなした四人は誰もが、戦闘不能か航行不能でまともに戦闘ができなくなったが、彼女たち自身に負傷を与えられたというわけではない。
殺さずにそうできるだけの余裕が、今の綾波にはあるということだ。
驚異的ともとれる戦闘能力――もはや単なる駆逐艦の領域を超えている。何か――単なる艦娘だけの力とは思えない何かが、今の綾波には絡んでいる。
そうとしか金剛には思えなかった。
こちらを見つめてくる綾波。
とても深海棲艦とは思えない、理性を灯した目。何かの覚悟と決意を秘めた瞳。
すかさず、残された砲口から一斉に砲弾を吐き出し、綾波が水柱に閉じ込められる。
「やりましたか?」
「それで終わったら呆気ないネー」
次弾装填までまだ時間がかかる。金剛が構えを取るのと、綾波が水柱から飛び出てくるのは同時だった。
「お姉様!」
榛名が金剛を庇うべく前に出た。
向けたはずの砲塔が何度かの衝撃に照準を乱される。
その際の爆煙で、綾波の足から滑り落とされるものに、榛名は気づけなかった。
砲撃の風圧が、立ち込める黒煙を吹き飛ばす――しかしすでに綾波の姿はなく、気づいた時には、榛名の足元まで雷跡がたどり着いていた。
短い悲鳴と共に、榛名が魚雷の炸裂に包まれる。だが戦艦級の榛名が魚雷を一発食らった程度で航行不能に陥ることはない。
金剛は暗闇の海を見渡そうと目を見開いた瞬間――眩い光が金剛の眼前で輝き思わず顔をかばってしまう。
「……照明弾!?」
その間に、砲塔の一つが爆発に火球を広げた。
目が真っ白に眩んで周囲が見えない。今さらに砲撃を喰らえば金剛も駆逐艦たちと同じように戦闘行動ができなくなってしまう。
……だが目が夜闇を思い出すまで、次の砲撃は来なかった。
当然だ。金剛が綾波を見つけた時には、その背中は遠く小さくなっていたのだから。
元々、綾波に戦う意志などないのだろう。
戦いを避けているのは味方を殺したくないから……いかにも優しさに溢れた綾波の考えそうなことだと金剛は悪態をつきそうになる。
「逃げるんじゃ、ないワ!」
砲声が轟き、火線が暗闇を駆ける。それは魚雷発射管を掠め、缶の一部を抉る。だが決定打に至らない。
いくら速力のある高速戦艦といえど、駆逐艦に追いつけるはずもない。
……逃げられてしまう。綾波にとっては味方と戦わずに済んで本望かもしれないが、それが後になって新たな深海棲艦として理性を失えば、綾波の意志を彼女自身で踏みにじることになる。
そして艦娘は――金剛たちは容赦なく敵意を向けて殺さなければいけなくなる。
「待つデース! それがあなたの答えになっちゃ、いけないんデース!」
しかし声は届かない。届かないほど離れた場所に綾波はいる。
逃げられてしまう……そう、金剛が諦めかけていた時だ。
「綾波いぃーっ!」
喉を裂きそうに悲痛な叫び声がこだまする。
聞き覚えのある声だからだろう、綾波も立ち止まらざるを得なかった。
いつの間に目覚めたのか……敷波が一直線に走っていた。
砲も魚雷発射管も取っ払い、とにかく早く綾波へ追いつけるようにした姿が、金剛の目に飛び込む。
兵装を何もつけていない。だが今の綾波にとって、近づいてくる艦娘全てが敵と見做されてもおかしくないと思った。
いつ深海棲艦になってもおかしくないような存在――それどころか、まともにバックアップのない環境で生きてきたはずなのだから、深海棲艦でなければ説明のつけられない能力を秘めているに違いない、と。
敷波が綾波の前で立ち止まり、肩を揺らしながら、通信も開かずに口を開いたのが見える。
「駄目デス敷波!」
下手な刺激を行われる前に、砲弾を走らせた。
敷波に憎まれる結果になろうとも、艦隊を守れるのなら構わないと。
疲れに肩を揺らして膝に手を置いて、それでも語りかけようと口を開く。
敷波の耳元では、川内が通信を開けと怒鳴り散らし、通信だけ開いて返答しないままにする。
だが先に声を出したのは綾波だった。
「どうしてですか……皆さんと、戦いたくなんてないんです!」
初めて会った金剛よりも、同じ部屋で過ごしてきた敷波を前にして、戦いで抱き続けていた後悔を堰き止めることができなくなった。
「あたしだってそうだよ!」
ようやく息の整い始めた敷波が頭をあげて、綾波を見つめる。
乱れた呼吸に揺れていた肩が、今度は嗚咽に震える。敷波の表情がくしゃりと潰れて、涙が目に浮かぶ。
「あたしだって戦いたくないよ。でもなんで……」
溢れてくる涙をい拭い、震える声で尋ねる敷波。
それは綾波にとってあまりにも唐突で、皆に知ってほしくなかったはずのことで、そして予想の外を超えることだった。
「なんで、深海棲艦なんかになっちゃったのさ……」
「え……」
口を突いて出てきた驚きの一声が、その後に続かない。
綾波が深海棲艦として扱われていた。そう思われて、だからこそ金剛は綾波と戦おうとした。
綾波も以前、夕立にそうした。
深海棲艦になりつつある夕立を見て、彼女が敵になってしまう前に、艦娘のままでいられるようにした。
だがその扱いをまさか、自身が受けているとは思っていなかった。
だから驚愕に追いつける言葉がなくなる。ただのオウム返しになってしまう。
「私が……深海棲艦ですか……?」
驚愕が敷波へ届く前に、綾波の身体は激しい爆炎に包まれることになる。