「疑似記憶って、どういうことですか?」
暗く狭い部屋と安っぽいスチールの机。天板を見下ろして、自分の影と向き合う少女。
困ったように眉をひそめる衣笠。客観視しようと努めて壁に背を預ける夕張。
「だから、あなたが見たっていう仲間も敵も、海を走っていたことも戦争も、全部偽物の記憶で、夢のようなものなの」
「そんな、でも……」
「仲間も敵もいないわ。あなたの頭の中にだけ存在する戦争なのよ」
……吹雪だった彼女についているのは嘘だ。それは過去にあった事実であり、艦娘である衣笠たちに等しくある記憶だ。
だが、艦娘ではない人間にその記憶は重すぎる。鋼鉄の船体だった――それこそ幽霊のような記憶を、普通の人間が許容できるはずもない。
だからどうにか織り合わせをつけさせるための嘘を衣笠はつく。そして夕張もそれに加担するべく、一枚の紙を机に置いた。
「あなたの記憶で、あなたが仲間として覚えていたものを出力したわ――」
それは嘘ではない。ゴーストの可視化は断片的には可能だった。実際に吹雪の艤装に残留しているゴーストから抽出したものの一部が映されている。だが人の意識に直接投影する可視化が可能であっても、それを等しく客観的な記録に残せるわけではない。
記憶の画像・映像化は不可能であるという結論は出ている。
だが信じ切った少女は紙を隅から隅まで凝視して、手を這わせる。探し物を見つけようとする素振りだが、紙にしわを作って終始する。。
「確かに、確かにいたんです……仲間たちが……助けを求めてたんです……」
少女の声が引きつる。涙滴が落ちた。震える手が拳を作って、紙がしわくちゃになる。
少女の瞠目を見ていながらも、優しさを装った冷酷な思いやりで、衣笠が追い打ちとして尋ねる。
「その仲間の名前は? 敵とはいつどこで戦って、そして勝敗はどうだったの?
……そこに写っているのは、誰と誰?」
一面が真っ黒だった。暗い影に何かが紛れているわけでもない。端から端まで、全て同じ色数値の黒。
どこにも少女の記憶と繋がるものはない。あるはずのない幽霊の存在を――ゴーストを信じこんだ末路など、悲惨なものばかりだろう。
長いような短いような沈黙の帰結に、少女はぼそりと呟いた。
「……その嘘夢、どうやったら消せるんですか?」
夕張と衣笠の目が合う。
信じ切っていた記憶が嘘だとわかり、それから逃れるため現実に帰ろうとする。当然のことだろう。
しかし問題そのものが、元より解体処理の失敗というイレギュラーから生じている。
衣笠と夕張がついている嘘は彼女を説得するためでしかなく、納得させるためではない。
だから彼女の望むことをなるべく提供してストレスをかけないように誘導していたが、こればかりは本当のことを伝えることが一番親切なのだ。
「残念だけど、今の技術ではとてもおすすめできないわ。お気の毒だけど」
くしゃくしゃの紙を握って震える拳に衣笠が手を被せて、優しく握りしめる。
少女が静かに嗚咽し、暫くの間、止むことはなかった。
壁面には窓枠がある。巧妙に気づきにくいよう作っているが、部屋を覗きこむことができる。
古鷹と青葉が一部始終を眺めていたが、奥歯を噛みしめる音が青葉から聞こえて、古鷹は思わず顔をあげる。
「あの子は、吹雪だったんだよね?」
「そうです。吹雪の記憶だけが残留した女の子。混じり合ったゴーストが、剥離できないまま意識を取り戻してしまった子です」
「助けを求めていた、って……」
「私のゴーストも覚えています。あの子は私が殺したようなものですから」
苦渋に悔やんでいる青葉の顔から目を逸らして、古鷹はわずかに話を脱線させる。
「つまりあの子は、自分が仲間と信じていた敵に殺されてしまったと」
「信じこませたのは私です。私が吐いた嘘ですから」
懺悔しても償えるわけではない。あの少女は吹雪ではない。吹雪という艦娘はもう泊地にはいないのだ。
「……けど、青葉もそれを信じていたんでしょ?」
「それは――」
咄嗟に何かを返そうと顔を上げた青葉が、しかし反論できないことに俯く。
古鷹の視線は再び、机に突っ伏して震える少女へ向かった。
「――私のゴーストもすでにああなっている、ということですかね。嘘や幻に取り憑かれていた、と」
「そして私も加古も、青葉が信じた夢を信じた……しかも、二度も」
古鷹は思い出す――鳥海に旗艦を委ねた帰り道。全く同じ二の舞いを演じた古鷹と加古。結局、何も変えられなかった空虚な絶望が胸を重く掻き回す。
「青葉がそれぐらい信頼できるってことは、ゴーストや疑似体験なんていう嘘じゃなくて、事実なんだよ」
「疑似体験も夢も、存在する情報は全て現実であり、そして幻なんです」
だから自分のことなど信用するな、と青葉は言いたいのだろう。
どれほどゴーストに恵まれていようと、どれほど察知の勘に優れていようと、どれほど機械の体に身を包んでいようと……艦娘は一人という単一の存在であり、そして主観を持っている。
主観は記憶を元に、脳に入ってくる情報を処理し、判断し、行動させる。それが新たな記憶になる。
自分が戦ってきたことも、ゴーストも、いなくなってしまった加古も、いるかもしれない妄想も、話し合った夢も、全ては主観で地続きに記憶へ繋がっている。
記憶となってしまえば、全てが真実であり虚実になってしまう。
古鷹はふと、とある疑問に行き着く。
――ならば、主観やゴースト、あるいは加古の記憶や古鷹自身の認識も、同様なのではないか?
――今の機械の身体が、ゴーストの鋼鉄の身体と違っていて、その間に、青葉と同じような生身の肉体だったことが、あったのだろうか?
疑いだしたら切りのない迷妄を切り上げようとしても、どうしても付き纏う。
加古の笑顔と共に、脳裏に貼りついている。