寮の第一士官次室で昼食を取り、合同演習のためか、綾波も敷波も揃って訓練を早めに切り上げて、部屋でゆっくり寝転がっていた。
訓練の際に着替えた水兵服が、今度は潮ではなく、土の臭いを纏っている。
いつもと同じく、敷波はしばらく訓練の教導をしていた軽巡の神通がいかにスパルタかを語っていた。
曰く、言い方がキツいわけではなくて、真綿でじわじわと絞めつけられるように追い込まれる訓練のやり方で、言葉も理路整然としているから反論の余地がない。しかも駆逐艦が汗まみれで倒れる寸前になるほどのメニューをこなしてようやく、神通は額に汗を見せるか見せないかというほど体力もあって技術も熟練されている。だから私たちもあれぐらいできるように頑張らなきゃ。
最初は愚痴のつもりだったかもしれない敷波の言葉は、気がつけば尊敬のそれになって終わる。
言い方や言葉選びに差異はあるが、綾波も同じように結論付けて終わるだろう。
それは二人に限った話ではない。駆逐艦にとって、直属の教導である軽巡は尊敬に値する人たちばかりだと、駆逐艦は皆そう思っている。
話すのも疲れたのか、敷波がふぅと間延びした吐息を漏らす。
綾波も、壁に背中を預けて肩から力を抜いた。
いつもより早く訓練を上がったせいなのか、のんびりと落ち着いていられる時間が過ぎ去る感覚も、どこかゆったりとしている。
目を閉じて微睡みに沈みそうな心地良さを味わえる、穏やかな空気。
しかし次の瞬間には瓦解してしまうのが、最前線の日常でもある。
島全域に、サイレンが鳴り響いたのだ。
二人の視線が扉を向く。
提督からの連絡が表示される、艤装を着けているときの視界の表示枠に変わる画面――それが真っ黒に沈黙したままであることを願いながら。
『周辺海域にて敵反応を確認。
迎撃部隊を編成
駆逐艦 綾波
出撃準備 1600迄』
……画面の表示はそれだけだったが、たったそれだけで、さっきまで頭を一杯に埋め尽くしていたはずの気怠い心地よさが一瞬で吹き飛び、気がつけば立ち上がって靴を履き始めている。
ほぼ反射反応のように体が動いていた。
最前線の泊地――ショートランド島。
本土とは違い、敵の襲撃もよくあるため、周囲の島々に警戒システムを常時走らせている。おそらくはそのどれかが、敵の反応を捉えたのだろう。
「行ってきます!」
「あ、うん……行ってらっしゃい」
敷波の声が聞こえるか聞こえないか――それほど早くに綾波は部屋を飛び出す。港へ駆けこんでいく最中、同じく走る叢雲と一緒になった。
しなやかなガラス色の髪が揺れ、頭上では綾波にはよくわからない装置がふわふわと追従している。
「まさかあんたも出撃?」
「はい。敷波ちゃんは違っていたようですけど」
「そりゃ合同演習のメンバーと出撃要員は違うでしょうね!」
演習にも訓練にもいたはずなのに、叢雲の声には元気さとはまた違う熱がみなぎっているのを感じる。
画面が真っ黒なままを――呼び立てられないことをちょっぴりでも願っていた綾波とは、期待していたものが違ったのだろう。
むしろこうやって出撃へ向かっていることが誇らしげであると、叢雲の背中からはそんな言葉さえ聞こえてきそうだった。
ロビーをくぐり抜けて外を走り抜ける途中で、綾波は遠くに、黒い煙が細く立ち昇っているのを見る。
「あれは……ブイン基地の方ですか?」
「どこかの馬鹿が鍋でも焦がしているんじゃないの?」
叢雲の足は緩むことなく進んでいる。
近海とはいえ、ブイン基地が近いのならブイン基地の所属艦娘と合同の出撃であることだって教えてくれるはずだ。
それがないということならばおそらく、叢雲の軽口のように「気にしない」方がいいのかもしれない。
いつの間にか開いていた叢雲との距離と詰めるように、視線を戻した綾波はより腕を振って走る。
「綾波、到着しました!」
「同じく叢雲、到着よ!」
到着まで数分と経たなかった。暗くじめじめとした空間に、二人が賭けこむ音が反響する。
港と呼ばれていても、そこはまともな船着き場の形をしていない。
隔壁に隔たれたホールのような空間。向こう半分は海水が満ちており、こちら半分はコンクリートに固められた足場。
その端で装備の数々が脇に並べられ、脇で妖精さんたちが忙しなく動き回っている。
「おー、随分早く揃ったもんやな」
若干なまった言葉遣いの、少女然とした赤服が歩み寄ってきた。
背丈は綾波と同じほどだが、サンバイザーのような頭部の艤装と、その両脇に並ぶ太くて柔らかそうなツーサイドアップと、特徴的な見た目の彼女は、綾波たちよりもずっと高度な戦闘を得意とする艦娘だ。
龍驤――軽空母と呼ばれる艦娘の一人。
真正面に見つめ合う龍驤が二人を眺め、そして腕を組み、片手は顎に当てながら他のメンバーを見渡す。
綾波も、龍驤の視線を追った。
重巡の古鷹と姉妹艦の加古が揃って、人一倍大きな艤装をそれぞれ腕に取りつけている最中。海水の手前では、座りこんだ雪風が主機を妖精さんに取りつけてもらっている。
「なるほどなるほど……今日の面子はこないやもんかぁ……」
ショートランドでは、固定された艦娘編成を行うことは稀だ。
ほとんどの艦娘は呼び出された後で、艦隊の要員を知ることになる。
「お世話になってます」
「同じ艦隊でできるなんて光栄です」
「ええってええって、何も出ぇへんで」
胸を張って手をひらひらさせながら龍驤は言うが、こうしていれば次に会う時には飴玉をもらえることをしっている駆逐艦は、皆揃って龍驤を持ち上げる。
龍驤ので、かなり厚底の主機が背丈を持ち上げているが、それでほぼ同じ身長になる綾波は追求しない。
「んまっ、ウチがいるから、これが主力艦た……」
高らかに告げようとしたのだろうか……言葉の途中で勢いよく白煙を浴びせられた龍驤は言葉が続けられず、白煙が散るころにはすっかり咽こんでいた。
吸着型反応装甲粒子。単純な物理攻撃とは理屈が違う敵の攻撃から身を守るための作用が、その白煙を作る粒子に詰まっている。ちょうど龍驤の足元にいる妖精さんが掴んでいるホースから吐き出されたそれが、肌と服にまぶされたのだ。
「君ら、もうちっとタイミングなんとかならんかったのかいな!」
龍驤が叫びかかっても、妖精さんたちはどこ吹く風で去っていく。
綾波と叢雲がちらりと互いを見合わせ、どちらともが笑いをこらえていることに気づいてしまい、思わず笑い声が漏れた。
笑い声が反響する前に足先から頭頂までしっかり浴びせられ、二人そろって龍驤と同じように咳きこむ。
龍驤が文句を言いたくなる気持ちがわかった。
二人はそのまま歩き出し、並べられた艤装へと近づく。
すでに運び出されている缶――そのベルト・ホルダーに腕を通し、背中をくっつけた瞬間に、頭の中に『もう一つの自分』が入ってくる。
戦闘用プログラム。今、靴の上に妖精さんが取りつけている主機の操作や、砲、魚雷などを撃つ際の、制御プログラムなどが、缶に入っている。もちろん視界の表示枠もその一つだ。
缶を背負う前と後では、同じ艤装を同じように扱っているつもりでも、その結果が大きく変わってしまうのは、このプログラムの有無というのが大きな原因だとされている。
自分と同等かそれ以上に重い缶――背負った時の後ろへ倒れてしまいそうな重みがだんだんと薄らぎ、全身がそれ以上に軽くなっていくのを実感する。
その間に綾波が前へ進む度に、妖精さんたちの操るアームが足に魚雷発射管を着け、ベルトを締める。
最後に連装砲を受け取った時には、港の際に立っていた。
一歩先には水面。
出撃するという緊張感が、体ではなく胸の奥をぎゅっと締めつける。
ショートランドに迫る敵を迎撃するためだろうことは想像に難くない。
足を踏み出すと、不思議な感覚になる。
揺れる水面の上で、地面と同じように制止した状態で立つ。しかし主機を通じて、波の揺れだけは足に伝わってくる。
初めて乗った時はこの妙なくすぐったさによく転ばされていたが、今はそれよりも出撃を前にした緊張の方が大きい。
「皆さん、大丈夫ですか」
古鷹が声をかけ、全員が肯定する。
向かいの隔壁が開くのが見えた。
「迎撃艦隊、抜錨します!」
呼吸を整えて、綾波は声を張り上げる。そうするのが一番体に力がみなぎり、前に進むための気持ちを与えてくれる。
「綾波、出撃します!」
一斉に、綾波たち六人の艦娘は、暗い港から明るい空の下へ躍り出た。
港を出てしてしばらくは、視界に浮かぶ矢印の通りに動き続ける。
その間に、提督から送られてくる電文を読む。
『ソロモン諸島方面より出現。
敵は当泊地目がけて航行。現在ニュージョージア島南東を通過中。
会敵予想地点はベラ・ラベラ島沖北東。
本土、並びにブイン基地への襲撃を許してはならない。
貴艦らの勝利を祈る』
地図に敵を示す赤の矢印が浮かんでは伸びて、今度はこちらを示す緑の矢印が伸びて、交差する。
交差した箇所に出た数値は1805。
つまり今からでも二時間ほどの時間を、こうして真っ直ぐ進み続けることになる。
本来なら、綾波ならば全速力を出せば一時間余りで到着するのだが、より重武装である重巡や軽空母と隊列を組むとなれば、当然遅い方に合わせることになる。
それを億劫だとは思わないが、わざわざ戦いに行くための重苦しい緊張を、より長い間強いられることは好きではなかった。
沈みゆく夕陽を見ながら、綾波は敵のことを思い出す。
――深海棲艦。
黒と白の化け物。正体不明。人を始めとする人工物へ常理を逸した攻撃。人類と同様に計画された戦闘。
これまでの人類が築き上げてきた歴史と栄華を、突如として破壊した存在。
彼らが生まれなかった頃には、艦娘も妖精さんもいなかったらしい。
ショートランド島で艦娘として目覚め、妖精さんと共に訓練を積んできた綾波には、その昔の方が到底信じられなかった。
――やがて日が落ち、それまで緩やかな弧を描いていた水平線に、一つのシルエットが見えた。
ベラ・ラベラ島。
藍と橙が入り交じる空の下。光のない島は異様に黒く浮かび上がって見える。
「よし、そろそろやな」
龍驤が空を見上げてすぐに、風を切るプロペラの音が降りてきた。
「ぃよっと! ほいお疲れさん」
龍驤が腰の大きな巻物を広げると、にわかな光がそこに生じ、鳥居のような〝門〟を形作る。
プロペラ音の正体である艦裁機たちがその門へ殺到し、潜り抜けた――ようには、綾波には見えなかった。
その門がまた別のどこかへ繋がっているのかと思えるほど、門をくぐった瞬間に、艦裁機たちも、プロペラ音も消えてしまう。
何度見ても不可思議な光景にしか見えない。
「ふん……そか、あちゃー。そりゃあ、しんどくなりそうやなぁ」
いつの間にか龍驤の肩に乗っていた艦裁機の妖精さんが囁き、耳を傾けた龍驤が苦そうな顔で空を仰ぐ。
「うちの艦裁機のみんなが見てきてくれたで」
龍驤は通信を介して全員に共有する。
「敵は三部隊。奥のはあまり見えへんかったけど、いっちゃん手前は最大でも〝ホ〟とか〝ヘ〟ぐらいらしいわ」
前にいる旗艦の古鷹が一度振り向いて手を振り、並んで進みながら鼻提灯を膨らましていた加古も、鼻提灯が割れて意識を戻していた。
「なによ、楽勝じゃない!」
叢雲が勝ち誇ったような声をあげる。
〝ホ〟や〝ヘ〟というのは、敵につけた便宜上の呼び名だ。コミュニケーションを図ったこともなければ、向こうが互いをどのように呼び合っているのかもわからない。
綾波が知る限り、敵と話したことも、話したことがあるという艦娘に出会ったこともなかった。
……どこかで囁かれている噂を除いて。
「ちゅーわけで、これからはもう夜戦みたいなもんやな」
軽空母である龍驤の艤装は、砲雷撃戦を行う綾波や古鷹とは変わったものになる。
艦載機の発着艦を可能とする甲板。また自分たちが飛ばした艦載機たちと相互にコミュニケーションを取り合うための管制塔――これら二つを備える必要がある。
龍驤の場合、腰の巻物が甲板、そして頭の艤装が通信装置として、それぞれ機能する。
艦載機という上空からの視点は非常に強力で、海面での移動しかできない艦娘たちにはできないことをも可能にする。
その一つが今しがた行ってきた偵察。
しかし、夜闇という劣悪な視界環境で艦載機を出しても戻ってこないことは予測がつくため、夜間はその行動のほとんどが制限される。
「ほな、みんな頑張ってーな。雪風はうちについてきてな」
「はい! 雪風、頑張ります!」
戦闘を直前にしても尚、底抜けに明るい雪風の声が通信でもやたら大きく聞こえる。
「旗艦古鷹、了解しました。全員速度上げ。龍驤さんと雪風ちゃんは後ろへ。綾波と叢雲は先行し、遊撃による攪乱に努めてください」
「了解です!」「了解したわ!」
綾波と叢雲の声が被さる。
二人が揃って足を踏み出し、主機の回転数をぐんと上げる。切り裂く海面の飛沫が大きくなり、足をぐっしょり濡らす。
先ほどより速度を上げたはずの古鷹と加古をあっという間に抜き去り、二人は海面と空の境目をじっと見つめた。
重巡と比べれば、駆逐艦は武装も貧弱で、攻撃をまともに与えられる相手も限られる。さらに攻撃を喰らった際にも、重巡洋艦ほど平気な顔をしていられないほど薄っぺらにしか装甲粒子を纏えていない。
だが駆逐艦には、それを補ってあまりあるほどの速さが備わっている。快速だからこそ為せる動きで電撃戦を仕掛けて敵を攪乱し、自分たちの戦闘ペースを構築する――それが駆逐艦の役目だ。
加えて、今は夜――視界が閉ざされるのは敵も同様だが、夜での戦い方を川内から叩き込まれている綾波にとって、これ以上ない絶好の機会となる。
夕陽が海の中へ落ちようとしている。
これから戦うことを、綾波も叢雲も怖く思っていないわけではない。
無論被弾すれば痛いし、最悪海中へ没する。だが生まれた頃からずっと戦うことを日常的にしてきた艦娘にとっては、この海が本来の居るべき場所とすら思えてしまう。
波をかき分け、風を切り、暮らしてきた島と、見たこともない本土の生活を守るために闘う。
それが綾波の日常だった。
「行くわよ!」
「はい!」
遠くに望む影へ腕を伸ばす。
識別装置が働いた。敵に相違なし。シルエットを囲う枠が表れ、進行方向と速度を読み、狙いを定める。
叢雲も、艤装についている砲身を前に伸ばしていた。
闇に紛れて、敵がこちらに気づいているのかどうかすらわからないが、砲が火を噴くところはまだ見えない。
砲撃。衝撃がビリビリと腕を揺さぶり、黒煙が砲口から溢れる。
その衝撃と臭いに驚いて尻もちをついていた頃もあったが、今は反動を受けても尚、しっかりと狙ったところへ弾を飛ばすことができるようになっている。
それは一つの自信にも繋がっていた。
見えなくなった砲弾は海面――ちょうど表示枠で爆炎を上げる。海面に没していたらあそこまで大きく火が上がることはない。命中したのだ。
心の中で小さくガッツポーズを取るが、まだ全身で表すには早すぎる。
「このまま突っこむわ」
「わかりました!」
さらに速度を上げようとしたところで、自分たちのではない砲撃音が耳に飛びこんできた。
回避行動――加速し、転ぶか転ばないかのギリギリまで進路を変え、体勢を低くして、波を立てながら滑走する。
主機によって海上を滑るように移動しているのだから、足を止めればその場で停止できる陸上とは勝手も理屈も違う。さらに言えば海上に互いを隔てる遮蔽物などあるはずもなく、隠れるなどということもできるはずがない。
だからこそ移動しながら攻撃されないように、自分が進んでいたであろう未来位置から逃げるための技術というものが、艦娘には要される。
そして綾波も叢雲も、水面に叩きつけられた砲弾が炎を上げることなく飛沫となって飛散する音をしっかりと聞いた。
之の字運動をしながら敵へ近づき、一番手前にいたその真っ黒な姿に照準を合わせる。
駆逐イ級。最初に見つけられた深海棲艦。人よりも一回り大きいが、これでも駆逐艦という小型の等級とされている。最も数多く出現し、最も多くの砲弾を吐いただろう敵。
大きな顎が開いた瞬間を狙って、その中目がけて引き金を引いた。
ほぼ同時に双方から響く砲声。綾波の真横を敵の砲弾がかすめ、服がぶわりと舞い上がる。
そして綾波の放った砲弾は、イ級の大きな頭部で爆発。
「やりました!」
最も多く見てきた敵は同時に、最も多く倒してきた敵だ。どこをどう狙えばどれほど損傷を与えられるのか、そのほとんどを覚えてしまうほどには何度となく砲弾を交わしてきた。最近では一撃で倒すことも増えてきている。
爆発の煙は、力をなくした敵が海面下に落ちることで見えなくなる。だから半身を海に入れているイ級の煙はすぐに見えなくなる……。
そう思っていた。
イ級の咆哮が轟いたのだ。まだ青白く光る目はぎらついている。その時になってようやく、倒せていなかったことがわかった。
「まだよ!」
イ級にまた別の爆炎が立ち昇る。
綾波ではない。叢雲が撃ったとすぐにわかった。
「しっかりしなさい! 気は抜いてられないわよ!」
罵倒なのか叱咤なのか、叫ぶ叢雲の声はどちらとも取れる。もしかすれば両方かもしれない。
視界の先で、叢雲が次々に砲撃を繰り返しているのが見えた。周囲でいくつもの飛沫が巻き上がっても、叢雲は進むのをやめない。
敵に囲われ、狙われているはずだ。そして装甲粒子をそこまで浴びきれない駆逐艦は、どれほど練度を高めても、一度でも被弾してしまえば致命傷になりかねない。それにも関わらず、叢雲は逃げる素振りなど見せない。その決して臆さないところが、叢雲の強さだと思っていた。
「私も負けていられませんね」
すぐに後を追うべく加速。目についた敵のほとんどに砲撃を繰り返し、命中せずとも表面を掠らせるか至近距離に落とすことで敵の警戒心を仰ぎ、その動きを徐々に制限――遊撃手としての役割をきっちりこなす。
常に動き回りながら、敵と距離を置きつつ、叢雲とは敵の隊列を挟んで反対側に位置取る。
所詮駆逐艦の攻撃など多寡が知れている。先ほどの一撃だって命中にも関わらず敵を沈めるには至らなかった。
攪乱を目的としているのだから、それは気にすることではない。
叢雲と綾波による両脇からの砲撃に挟まれ、敵は分散するでもなく真っ直ぐ進み続ける。応戦よりも回避を優先したのだろう。飛んでくる弾もさっきよりまばらだ。
――綾波と叢雲はこの時点で、遊撃手として十二分の役割を果たしている。
攪乱は敵を倒すことを目的としない。もちろん敵を倒せるのならそれに越したことはないが、駆逐艦だけでは荷が重い場合もある。
だからこそ遊撃という役割を、二人は担っている。
龍驤は偵察、そして雪風が龍驤の護衛。
残る二人の役割こそが、この迎撃の要となる。
――要撃。
敵の進行方向……綾波と叢雲が挟みこむ形で作り上げた、深海棲艦が通らざるを得ないルートの、真正面。距離を詰めながらも、腕を伸ばし、狙いを定める古鷹と加古。
それぞれの右腕を包んでいるような、あまりにも大きな砲塔の塊。
それらに満載された砲塔の全てが、一ヶ所に寄り集まった敵艦隊へ向けられていた。
「よし、狙って……」「ぶっ飛ばす!」
あまりにも重い砲音――さっきまで綾波たちの繰り広げていたそれが遊びだったと思えるほどに、重たい衝撃が音となって周囲にこだまする。それが飛来した時には、目標である敵から距離を置いているはずなのに、巻きあがった飛沫を頭から被っていた。
それだけで敵のほとんどが呆気なく海中へ沈んでいく。残った僅かな敵たちも無傷で済んだというわけではないだろう。
しかし彼らは進むのをやめない。体から黒煙を吐き出しながらも、撤退するという素振りは一切見せない。
「古鷹、ここは任せてくれ」
言うが早いか、加古はそのまま前進する。深手を負った敵が少しばかりならば、掃討程度なら綾波と叢雲にもできる。
「綾波、叢雲両名は先行してください。だけどこちらとの合流が見込めるまで交戦は控えるようにしてね」
しかし後にも敵との戦いが控えていることを考えれば、殊更弾を撃ち続けることになる駆逐艦は、ここぞというところで弾薬を温存しておくべきだと判断したのだろう。
「わかりました」「了解したわ」
古鷹に返答し、二人は頭の中から呼び起こした羅針盤に従う。
足元の水面が、後ろで繰り広げられている放火に明るく照らし出されていた。
「うおっしゃー! 行くぜえー!」
通信に飛びこんでくる大声。気合を入れるためなのか、いつも寝てばかりいる印象の加古は、戦闘になると途端にそれを覆す。
駆逐艦とは比べものにならない圧倒的な火力による、猛烈な攻撃。
重巡の攻撃などをまともに二度もくらって、軽巡以下で構成された艦隊が生き残れるはずもない。
後方で断続する砲声を聞きながら、二人はすぐ近くにいると思しき敵の第二派に備える。
もう日は完全に沈み、視界は真っ暗だ。
川内ならここで「やったー夜戦だー!」とうるさくなるだろう。綾波はふと思い出して苦笑する。
「なに笑ってんのよ」
隣で叢雲が囁いた。
「いえ、川内さんが来てたら喜んでいたと思いまして」
「ま、夜もこれから更けてくるでしょうしね」
言葉を交えながらも周囲への警戒を怠らない二人。
視界の隅にある赤白の針が頻繁に揺れている。
羅針盤――それに従っていても、それが本当に合っているかどうかは定かではない。外れることもあれば当たることもある。ただその可能性はないよりマシになるのだ。見渡す限り水平線しか広がらないこの海の上で、方位磁針としての羅針盤は元より、作戦の目標である深海棲艦の居場所を突き止めるための目標があるだけでも、闇雲に動き回るよりは効率的だ。
加えて夜となれば視野はかなり制限される。ただのさざ波が敵に見えてしまうことも、敵に全く気がつかないまま撃ち抜かれていた――なんてことがあってもおかしくはない。
「さ、私たちも古鷹さんたちに任せてばっかりじゃいられないわ」
昼間ならば、勝ち気に微笑む顔が見れたことだろう。叢雲の声は強く張られていた。
日が沈んだ後。幸いにも今日は月が丸に近く、夜空に冴え冴えとした輪郭を浮かべている。
夜闇よりも暗い黒と青白く光る眼球を、二人が見逃すはずなどなかった。
「こちら叢雲、第二波を発見……行くわ!」
一瞬で、横にいた叢雲は背中を見せる。
「ちょっ……叢雲さん」
再び綾波との挟撃を図ろうとしたのだろう。
急いで綾波は注意をこちらに引きつけるべく撃ち、すぐに叢雲の反対側へ回ろうと向きを変えた。
その時だった。
一度とはいえ、綾波が砲撃を行ったからこそ敵はこちらを向く――そう思っていたのがいけなかったのか。
敵の砲撃の直後。海面の炸裂とは別の音が耳に飛びこんできた。
鋼と鋼が激突する音。海中ではなく海上で弾が爆発する音――被弾を意味する音。
離れたところで見えた爆炎の赤が、夜の海を一瞬だけ明るく照らし出す。
――そこに煌めく、鈍く輝く髪も。
背筋を悪寒が駆け抜けた。
「叢雲さん!」
たった一度の、一発の被弾。重巡や戦艦ならともかく、駆逐艦にとってはそれさえ命取りだ。ましてやそれがもし戦艦級の放つ大型弾で、当たり所が悪ければ、原型すら留めずにバラバラになるなんてこともおかしくはない。
即座に引き返して爆炎のあった方へと向かう。それにつれて焦げた鉄と火薬の臭いが鼻腔を焼かんと入りこむが、綾波は突き進んだ。
目の前で味方が沈んでしまう瞬間など、艦娘ならば誰も見たくない。
「来ないで!」
鋭い叫び声に驚いて踏み留まらなければ、今通り過ぎた空を切る音が、爆発に変わっていたかもしれなかった。
「――こちら叢雲。敵より被弾。砲塔を片方やられたわ。魚雷も撃てそうにないわね。でもそれ以外はほとんどかすり傷よ」
ノイズがちらつくも、鈍く研ぎ澄ました声音は変わらず、そこにある。
叢雲の姿は見えなくても、通信から聞こえる声が、安心をくれた。
「こちら古鷹。そろそろ合流できます。綾波は周囲を警戒しつつ後退を――」
古鷹の通信の途中で、すぐ近くでまた海面が爆ぜる。
気がつけば周囲を見渡していた。
――見えた。大きな白波が一つ。迂回するように距離を置いて、綾波よりも後ろに。
綾波のすぐ近くへ砲撃を落としながら、たった一体で叢雲と綾波から逃げ出そうとする。
腹の底からこみ上げてくる熱いもの。自分でも気づかないうちに、綾波は連装砲を強く握りしめていた。
ただ、綾波がその熱を自覚することはない。
自覚する前に、衝動に身を任せるほど、綾波はまだ幼かった。
「綾波です。敵一体がすぐ近くに。追います」
制止する古鷹の声は、今の綾波には届かない。
主機の回転数を最大限まで上げて、その波を追いかける。
その姿を捉えられるかどうかを考える前に綾波は引き金を絞っていた。
命中とまではいかないが、それでも体躯の隅に炎を抱きながら減速したところでようやく識別が働き、枠に表示される。
軽巡ホ級。
駆逐艦である綾波よりも、一回りも大きな艦。
だが、そんなことなど今はどうでも良かった。
進路を変えないままに体の向きだけこちらに向けたホ級を追い、綾波は狙いを定める。
敵の砲撃がすぐ近くを穿つ。
衝撃で缶が背中で震えるのも構わず、綾波は砲撃を繰り返した。
一発がホ級を捉え、しかし火花こそ散らしても、未だ海中へ墜とすことは敵わない。
二発目でようやく、動きを鈍らせることができた。
だがまだ、ホ級は進み続けている。
綾波は迷わず、太腿で上を見上げたままの魚雷発射管を前へ倒した。
片足の魚雷を全て――四本あるそれを放つ。
海中にそれが落ちた瞬間、放射状を描いてあっという間に夜闇の向こうへ消え、海面が膨れ上がったような爆発に飲みこまれたホ級が、姿を消したのを確認した。
そこでようやく、綾波を急き立てていた衝動のようなものが、汗と一緒に体の外へ滲み出ていくのを感じる。
強張っていた肩から力を抜いて、綾波はくるりと振り返る。
「やーりましたぁ!」
夜闇の中、例え他の艦娘が見えなくても安心できるのは通信があるからだ。
だからこそ綾波は返事が来ると思っていた。
そうでなくても戦闘ならばそこには爆炎の明かりがあり、砲火の明滅もあるはずで、大凡の位置は掴めると思っていた。
しかし返ってくる声はなかった。
それどころか爆炎も砲火もなく――どこか遠くから、こだまのように聞こえるだけで、どの方角から聞こえているかなども、全くわからない。
「……あれ?」
無線封鎖の指示など、綾波はまだ聞いていない。
通信装置を再起動してさっきまで一緒にいた人たちを呼び出しても、全て無駄に終わってしまう。
全ての通信が、繋がらないのだ。
綾波にとってそれは唐突で、すぐには受け入れられない。
熱帯であるソロモン諸島にいながら、綾波は一人、寒気を感じずにはいられなかった。
「もしかして私、はぐれてしまいましたか?」
その問いかけに肯定する者など、一人たりともいるはずがない。
艦隊のメンバーと連絡を取り合うことができない。
司令部までの通信などとっくに途絶えたままだ。
目を凝らし暗闇を見渡しても、月に照らされた海面がちらちらと煌めくのみ。
すぐ近くに島が見えた。それも二つ。片方は先ほど通り過ぎたベラ・ラベラ島だとすれば――。
月を見て、網膜に地図を呼び起こし、時刻を確認――座標を定める。
本来の進路から大きく横に逸れていることがわかった。だとすれば進路を元に戻せば出会えると思うのは当然だ。
主機の回転を速め、島に背を向けて進む。
……やがて、遠くに小さな明滅を見つける。
だがそれが親しい仲間の光ではないことも、すぐにわかった。
深海棲艦――何体かが隊列を組んで、こちらへ向かっている。
全部で群れが三つあると、龍驤が言っていたのを思い出す。
まともに戦闘をして、無事なまま終われる自信などあるはずもない。迂回しようとも思ったが、いくら複数とはいえ、迎撃任務として海へ出たというのに、それを成さないわけにもいかない。
向こうもこちらに気づいているのか、いくつかの駆逐艦が顎を開くのがわかった。
こうなってしまえば、もう逃げられはしないだろう。
多勢に無勢。自分一人だけが取り残され、そして多くの敵たちを相手取らなければならない、絶望的な状況。
どこか、懐かしさを覚える高揚感が綾波を持ち上げる。
……頭のどこかで、声が聞こえてくるようだった。
先頭にいる奴へ砲撃。すぐに向きを変えて之の字に入ると同時に、裾が敵の砲弾に掠り、破けてしまう。
何体いるか……少なからず片手の指で足りるほどではないことだけで十分だった。
敵が散開する。複数に対してこちらは綾波一人だけなのだ。早々に囲ってしまえばいいと判断するのも妥当だろう。
だが、綾波もそうされない立ち回り方を熟知している。
横へ広がっていく片方に全速力で接近しながら砲撃。
速ければ速いほど波の揺れが激しくなり狙いにくくもなるが、その程度で外してしまうほど、綾波の潜ってきた場数は少なくない。
砲弾が当たった瞬間を見つめる前に、綾波は次の敵へ照準を定めていた。そして放った一撃が、また敵を爆炎に包んで沈める。
動き回ることを決してやめず、飛来する砲弾をかわし、綾波は一瞥する。
囲い込もうとしてくる敵は、必然的に弧を描いて並ぶことが多い。ならば弧の端に位置し、弧の外側から回り込むように撃破していけば、戻ろうとする敵の動きも合わせて、直線状に敵を置くことができるため、都合が良くなる。
深海棲艦よりも、綾波のほうが速く動けるのだ。だからそのように立ち回ることも可能である。そんな確信があった。
次の瞬間には、一直線に突き進んでいた。
囲まれそうになってもおかしくない状況――おそらくこれは、綾波にとって危機的な状況だと頭でわかっていながら、焦る気持ちはなかった。
いつの頃かも覚えていない記憶が鮮明に蘇ってくる。
その時も敵に囲まれる中、綾波だけで重苦しく砲塔を回転させながら闘っていた。
体の中に、怒号を散らしていた乗組員たちの言葉一つ一つが染みこんでいるとすら思えるほど、ありありと思い出せる。
あの時の意志の強さが、綾波に囁く。
闘わなければならないと。
すでに、二体を海中に沈めている。
囁いてくる激情に対して、綾波自身は冷めきっていると自分で思ってしまうほどに、冷静に判断し、的確に攻撃していく。
だが、不思議な心地良さがある。さっきの怒りではない、熱を持った気持ちが湧き上がる。
興奮。
川内から習ってきた技術が体に馴染んでいるからだろうか、自然と出せる。それは川内から教わった通りの効果を示し、敵の撃破に繋がっている。
引き金を引く。これでもう、目に見える敵は残り少なくなっていた。
今はもういないはずの、鋼鉄の体だった頃の幽霊たちが背中を押してくれるようだった。
敵からの砲火が見えた。方角など確認したわけでもないのに、どこに落ちるのかがよくわかる。
体をひねれば、ちょうどそこを弾が通り過ぎて海面に着き刺さる。
対して綾波が撃つ弾も、いつ、どこに撃てばいいのかが手に取るようにわかる。
それはただの感覚でしかない。視界に浮かぶ未来位置予測枠とは見当違いのところにも撃っている。
だがそれらは吸いこまれるように敵のど真ん中を撃ち抜き、爆発を起こし――残っていた敵の全てを倒した。
「……ふう」
一息ついて、綾波は深呼吸する。
たまに、こういうことがある。
鋼鉄の体だった頃の記憶とどこかが重なると、芋づる式にその時の乗っている人たちの声が聞こえてくる。
本能や勘とでも言うのか、体の芯から響いてきたそれは心地良く綾波の中に満ち、意を任せている間は、自分が負けるだなんて恐怖心を微塵も感じないでいられる。
実際にそうして、綾波は戦ってきた。
ショートランド泊地に在籍する駆逐艦の中で、彼女は上位に食いこむほどの戦果を上げているという自覚はなくとも、それに伴う実力が、彼女にはある。
そして缶から油が漏れていないか、砲弾や魚雷はどれほど残っているのか、装備に乗っている妖精さんたちのご機嫌もしっかり確かめ、綾波は再び進路に戻るべく進む。
――その途中で、耳に違和感を覚えた。
「こちら古鷹です。綾波さん、聞こえますか?」
通信が繋がったのだと自覚した時には、古鷹が喋り終えていた。
「はい。聞こえます。一人で出すぎてしまってすみませんでした!」
「それについては後でしっかりお話ししましょう」
「……はい」
いつも古鷹はゆったりと笑顔を浮かべている印象で、怒っているところを見たことがない。
それだけに怒ると怖そうと思いながら、続く言葉を聞き入れる。
「あんた、古鷹さんを怒らせたら後が怖いわよ?」
続いて飛びこんできた声に、綾波は安堵する。
「叢雲さん! 大丈夫でしたか?」
「大丈夫も何も、あのあと一発も喰らわなかったわ。その代わり、こっちの全員が少しずつ喰らったけど、全員大した傷じゃないわよ」
「おほん……叢雲」
「は、はいっ!」
古鷹のわざとらしい咳払いに、叢雲が驚いて素っ頓狂な声をあげる。
おそらくこれが、古鷹が怒っている時の声音なんだろうなと思う。
「私たちは現在、敵の第三波まで撃退することに成功し、帰還の最中です。
あなたも合流して」
……ふと、引っかかる言葉があった。
「すみません。実はさっき、私、敵の艦隊と戦ってきたところだったんですけど……」
「……え?」
古鷹が疑問府を声にしてすぐ、加古が加わる。
「待てよ。私らは第三波まで、やったよな?」
「そう、なん、やけどなぁ……一匹も逃さんかったで?」
龍驤も疑問符ばかりが頭に浮かんでいるのだろう。記憶を確かめつつ、喋っているようだった。
「とにかく、その話も後でしましょう。綾波、お疲れさまです」
埒が明かないと判断したのだろう。古鷹が話題の舵を取った。
後でできる話なら、今この疲弊しきっている状況で行う必要はない。
それよりも、綾波がそうだったように、別の深海棲艦と鉢合わせになってしまうリスクを考えたのだろう。
「まぁ、そうだな。それじゃあ疲れてるだろ。さっさと帰って寝ようぜ」
「もー、加古はいっつも寝ることばっかり」
古鷹が軽口を叩いて、ほんの少しだけ、綾波も落ち着きを取り戻す。
確かに、綾波自身も疲労を重ねているのが遅れてわかってくる。
加古の言う通り、帰ればぐっすり眠れそうだと思った。
しかし視界に文字が浮かび上がって、綾波は思わず立ち止まる。
『特別任務
該当艦:綾波
深海棲艦1体の排除。
緊急を伴うため、追加での出撃では間に合わないと判断。
また、先の迎撃任務に従事していた他艦は即時帰投せよ。
安全のための勝利を祈る』
――提督からの電文だった。
同じものが古鷹たちにも送られていたのだろう。どよめきが耳に入ってくる。
「綾波、一人だけ……?」
「そう、みたいですね」
綾波自身も戸惑いを隠し切れずに、生返事をしてしまう。
「……とりあえず、向かってみます」
「ええ、私たちは先に帰りますけど……綾波さん」
「はい?」
突如として引き締まった声音に変わった古鷹に、少しばかり綾波は驚いてしまう。
「必ず、帰ってきてくださいね」
「……はい!」
心配げに振る舞ってはいけないと気丈を装う古鷹の声に、綾波は強く返事しながら羅針盤を呼び出す。