夜が開けたばかりだというのに、青葉は「原稿が待っているんで」と早々に帰った。
独りボートで仮眠を取った古鷹は、泊地の近くまでボートを戻してから、とある場所へ向かう。
昨日、少女二人が迷いこんだ北部――旧居住区。
特に何かがあるというわけでもない。本来なら、古鷹がここに来る必要もないはずだ。
泊地の設置に伴って民間人がブイン島へ移動させられ、残された抜け殻のような、寂れた家々が立ち並んでいる。ショートランド島では一番栄えていたところだったのだろう。数十ほど軒を連ねているところなど島ではここしかない。
だが街だった家々の一部も、時代と共に登ってきた海面に呑まれたものも少なくない。奥にある大きなホールなど、床板や扉は潮の満ち引きがあった時代に腐食し、今は屋根と壁だけになっている。
ほぼ赤道の真下にあるような島だ。気温は極めて高く、日差しも突き刺すように熱い。
照らし出される家々の白い塗装が、嫌に眩しかった。
立ち並ぶ出店の一つに、埃を被った麦わら帽子を見つけて、はたき落としてから頭に乗せる。
商店街を見ながら、人の姿を思い描いていく――。
――肌の焼けた白ひげの店主が古鷹に帽子代を求めて手を伸ばす。サングラスをかけた若い男がサーブボードを脇に抱えて商店街を見渡す。海に向かって一目散に走る子供。後を追いかける夫婦。家から顔を出した男が煙草に火を点ける。隣の店で鉄板を使って何かを焼いている女性店員。その横でもう一人の店員が食べ物を手渡す。渡された男性客が若い女性を引き連れてパラソルの下へ戻っていく。釣り竿を抱えた老人が商店街に目もくれずゆったりと歩み去っていく――。
――水着を来た茶髪の少女が、浮き輪とシュノーケルを持って走っていく。その先に同じく水着姿をした黒髪の少女がシュノーケルを受け取って早速頭につける。茶髪の少女の手を取って浜辺へ駆け抜け、茶髪の少女はたどたどしく手を離さないように追いかける――。
……聞こえてきそうだった喧騒が、踏み出した一歩だけで霧散して、先程の静寂を取り戻す。
誰もいない。出店の鉄板は錆だらけでベコベコになっており、出店の商品も山のように積もっていて陳列されているようには見えない。
溜息。
制服姿の古鷹は寂れた街を歩く。
玄関が壊された家を見つけて、中を覗きこむ。
――まだ寂れる前の玄関を開ける女性。中から舌を出しながら飛び出してきた犬。買い物袋を掲げて男性が新聞から顔をあげる。犬を追いかけて走ってきた子供が買い物袋の中身を覗こうと懸命に飛び跳ねる。女性が中へ入って、玄関が閉じられる――。
玄関をくぐれば、埃臭い空気が鼻孔を撫でた。
日差しでやけに暗く見える室内。ドアは壊れて床に散らばっている。テーブルも椅子も、原型こそ残しているがそれぞれの足が腐食に倒れている。埃と錆だらけのキッチンが、隙間からの陽光に反射した。
――そこに立っていたエプロン姿の女性が振り返る。コンロでは鍋が湯気を立てていた。奥の部屋からパンツにシャツをしまった茶髪の少女が飛びついて、笑顔で女性を見上げる。遅れて同じ部屋から寝間着姿をした黒髪の少女が眠たげに瞼をこすりながらよろよろと歩く。その手首を掴んで、茶髪の少女が脇を通り抜けて外へ飛び出ていく――。
二人の顔までは見えなかった。
……いつの間にかできていた握り拳から力を抜く。
あまり奥まで入ると床が抜けてしまうかもしれないと思い、家を後にする。
元・初雪だった少女が壁を撃ち抜いた家があった。
入って、穴の開いているところを見つめる。
――部屋の壁。飾られた時計。壁の真ん中に小窓があり、レースのカーテンが光を柔らかく部屋に取りこむ。ゆったりとした部屋着を来た黒髪の少女がテーブルで食事を取っていた。外着用にお洒落をした茶髪の少女が入ってきて、黒髪の少女は顔をあげて挨拶する。向かい合うように座った茶髪の少女が、料理を口にした――。
視線を下げれば、時計の針は止まったままで、周りにガラスの破片が散乱している。そうでなくとも小窓のガラスが床の至る所に散らばっていた。
……足早になるのをこらえる。
じゃりじゃり音を立てるガラスの音を聞きながら、踵を返す。
――街を駆け抜けていく二人の少女がいた。茶髪と黒髪が少し大きな家に入っていく――。
暑さとは違う汗が出ていた。
追いかけるように家へ入る。
――姿見の鏡を、麦わら帽子と白いワンピースの女性が踊るように見つめていた。茶色い髪が帽子から覗く。ぱっくり開いた背中に肩の筋が見えた。背後でドアが開く音に気づいた女性が振り返る。
今の古鷹と、まるで鏡写しのような姿。背丈も顔も同じ。期待に胸を膨らませた元気そうな笑顔。ただ一つ違うのは、両目の色が同じ茶色であること。機械が入って金色になってしまった古鷹とは違う、本来の色。
「ね、どう? 似合うかな?」
古鷹と同じ姿の女性は、古鷹と同じ声で問いかける。古鷹……その後ろにいるもう一人へ。
「ん? ああ、いいんじゃねー」
古鷹を、黒髪の少女が通り過ぎる。後頭部で組んだ両手。後ろで結った長めの黒髪。どこかで聞いた声。
……背筋が寒くなるのと、汗が吹き出るのは同時だった。
「ドアちゃんとしめてよ!」
「あぁ、悪ぃ悪ぃ」
そして黒髪の少女が振り返る。溌剌とした笑顔。白い歯をにんまりとよく見せる。その顔は――。
「加古っ……!」
伸ばした手は中空を掴んでいた。
誰もいない、日差しに暗く見える部屋の中。
ひび割れた姿見の鏡が、呼吸の荒くなっていた古鷹を切り刻んだ姿に見せる。
金色の目だけが、切り刻まれずに見えた唯一のものだった。
経験したことのない、恐怖とも呼べない恐ろしいものが、家中から冷たく胸を鷲掴みにしてくるのを感じる。
逃げ出すように家を飛び出し、麦わら帽子を無くしていたと気づいたのは泊地が見えてからだった。
遠征艦隊――本来ならば古鷹が引き連れる予定だった彼女たちが戻る。
戦闘には天龍。その後には敷波と、色鮮やかな敷波の妹たちがいた。朧、曙、漣、潮……帰りの岬に着いた四人組のうち、誰かがそれを見つけて指差した。
「お~い、どうしたお前ら……」
気怠そうに振り返った天龍の後ろを、どこか反応が乏しくなった敷波が着いていく。
「ね、あれ……」「もしかして」「そんなわけないじゃない」
ひそひそと言葉を交わしていく彼女たちの指差す方へ天龍が視線を向けて、目を向いた。
遠征の疲れも忘れてしまう勢いで駆け出しながら、天龍は残された五人へ叫ぶ。
「おい! 急いで庁舎に連絡入れろ! ダッシュだ走れ!」
岬の一つ、桟橋に引っかかる水兵服に、一つの身体が収まっている。
黒い髪。足がなくなって内部の機械が海水に晒されていた。
――艤体。つい最近になって失われたはずの一人が、そこにいた。
さて再び遅れたような気がしないでもないですが更新です。
元の映像だと映えるシーンは、小説である上に艦これというものを組み上げる以上台詞がどうしても必要になると判断しました。悲しいですね。
02/03:誤字報告ありがとうございました。