鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「あの義体、私に似てなかった?」
「似てねぇよ」


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 正午。呼び出された古鷹はドッグへと入る。

 ベッドと浴槽に満たされた薬液のある部屋――監獄のように殺風景な入渠設備がある一角に、それらとはまた別の装置が設えてあった。

 

 ベッドは入渠設備のものだろう。しかし張り巡らされている配線の数々は工廠にあるべきものだ。そしてそれを取り囲むように、大きな柵が用意されている。それこそ監獄じみた、内側から逃さないようにするための柵。

 

 青葉が腕を組んでじっと望んでいる隣に来て、古鷹も同じものを見る。

 ついさっきまで治まるのを待っていた悪寒が、再び背筋を駆け上ってくる。

 ベッドに横たえられた体。黒い髪。爆発に消えたのか黒く焦げた足には膝下がなく、内部機械が露出していた。

 

 ギリギリで柵の外側にいる夕張が、手元の装置を操作する。

 機械の体が、ばつんと電流の走る音と共に大きく跳ね上がった。制御の効かない電流に翻弄されるように全身をぶるぶる震わせ、寝転がった艤体は上体を起こして目を見開く。

 

 ――古鷹と、目が合ったような気がした。

 しかし電流が途絶え、艤体は勢いよく頭を打ち、動かなくなる。

 

 横の青葉が口を開く。

 

「遅刻してきたあなたのために、親切な私が説明してあげますと……二時間前、遠征艦隊が帰投したら、浜辺にあれが転がっていたって天龍から通報があって、良心的な駆逐艦四人組がここに持ち運んでくれたってわけ」

 

「あの子たちね」

 

 いつの間に背後で壁にもたれかかっていたのか、衣笠が親指を立てて、部屋を出ていく四人組の背中を指差す。

 丸みを帯びた黄金色の髪。片方に鈴付きの紐で結った紫色の髪。両脇に子供らしい赤い玉のついた紐がある桃色の髪。髪を結わず流れるように垂れ流している紺色の髪。いつも一緒にいる四人組だ。

 

「単に漂流物が流れ着いたなら、運が良いのか悪いのかわからない報告と思いますけど、問題はそれだけじゃないんです」

 

 ようやく古鷹の視線が青葉へ向く。艤体を神妙に見つめる横顔へ。

 

「……あの艤体には、始めから脳味噌なんて入っていなかったんです。本来脳核のあるべき部分には大きな電子部品が……えー、疑似電子脳核、ですっけ? 電脳と呼ぶべきものがぎっしり詰まっていた」

 

「つまりあれは――加古は、始めから機械だったと言いたいんでしょ?」

 

 古鷹の踏み込んだ言葉に対する驚きなのか、それとも肯定なのか、青葉は固く結んだ唇をこちらに見せるように振り向いた。

 重そうに唇を動かす。

 

「そしてあの艤体には、もちろん一欠片の脳味噌も入っていないんですが……その一部分に、どうやらゴーストらしきものが存在するそうです」

 

 ゴースト……幽霊の記憶。鋼鉄の艦船だったという記憶、あるいは魂。

 

 記憶が単なる記録と異なるのは、主観や気持ちがそこに介在するからだ。

 つまりそれが、単なる映像などではなくゴーストとして認知されること……それができるほどの感性と悟性と理性を持つ存在は、この世に二通りしか存在しない。

 

 人間、でなければ艦娘。

 そもそも線引が曖昧であるこの二つのどちらかである必要はない。

 加古は艤体をつけているだけの普通の艦娘であると、青葉も古鷹も思いこんでいた事実が裏切られたこともそうだが……。

 

 つまり青葉は、機械に、人間や艦娘と同じ魂あるいは心が宿っていることに驚いたと言いたいのだろう。

 

 

 会議室に映像が映し出される。

 疑似電子脳核――脳味噌の形をした機械の塊――モデリングされたホログラムだろう。一部分を指した線が伸び、名称が現れた。

 熱心に見つめながら腕を組む夕張。

 

「先程の通電確認で、艤体としての機能は大幅に減少していますけど、稼働は可能なんだと判明しました。

 そしてここに人格回路と記憶回路が並んでいて、その間に加古さんの心と思しきものもあるかと思うんだけど、ゴーストがある記憶回路の周辺が、ゴーストから生じたバグに侵食されているのよねぇ。浸水の影響もあるんだろうけど、この回路の地図を作成した上で調査してみないと、確証はないけどね」

 

 夕張は椅子から立ち上がる。

 専門的な用語は古鷹には理解できない。だが夕張が言いたいことは理解できた。ゴーストと、艦娘が保有する魂が、バグという架け橋で癒着している。

 

「それじゃ私は、あれの検査の途中なんで」

 

「ご苦労さん」

 

 手をひらひら振ったのは龍驤だ。

 実質的な治安維持機構の司令塔を担う彼女にとっても、加古のことを詳細に知っておきたいからこそ、こうして召集されたのだろう。

 

「さーて、やるぞー」

 

 夕張が腕を伸ばして首からパキパキ音を鳴らしながら退出する。

 

 ……そのまま、龍驤も古鷹も青葉も、ホログラムから目を離せずにいる。

 さながら、帰投後に意識を失った仲間を見守るような視線。

 

 静寂。三人が一点を見つめ、話題を進めようという素振りすら見せない。

 衣笠は気まずさを感じる。他の三人が何を思って見ているのか、理解が追いつかなかった。

 

 加古は一度死んだ。そして全身余すところなく機械で作られたとわかった。そして今の夕張の説明で、心と呼ぶべきプログラムがあったと知らされた。

 ……だが結局それだけで、あの艤体は結局死体のようなものだと思っていた。

 自分たちの知っていた加古が機械であれ生身であれ、心があったかもしれないことを衣笠は信じているし、死んでしまった事実は揺るがない。

 

 最前線の泊地――衣笠にとって、度重なる連戦で命を失った仲間たちと加古は同列だった。仲が良かったことから来る悲しみを数えていけば、涙を流してしまい、戦っている余裕はなくなる。だがそんな猶予はこの泊地にはない。

 ……そのはずなのに、墓に埋めるでもなく感情を処理するでもなく、ただホログラムを見つめ続けている三人が、衣笠は気になった。

 

 古鷹には失礼だろうとわかりきっている上で、その質問を投げつける。

 

「もしかして皆さん……あの艤体に魂が残っているなんて、本気で思ってる?」

 

「ありえるね」

 

 即座に返答したのは姉にあたる青葉だった。それも、いつもの作った敬語ではなく、私室で話し合う時のようでいながら、いつにない真剣味を帯びている。

 

「艤装や艦砲にだって妖精さんが宿るんだよ? ましてあれは、ヒトの脳を模した、電脳というものを詰めこめるだけ詰めこんでる。魂が宿ったって不思議はないでしょ。それに……」

 

 青葉の視線が、ホログラムを見つめたままの古鷹にちらりと向かった。

 

「古鷹の艤体も、ほぼ同じ艤装を取り扱うんだから同じように、妖精さんが作っている。古鷹だけじゃない。それ以外の艤装や部分艤体……この泊地にいる全員が、工廠の妖精さんたちにお世話になっている」

 

 青葉の言い分は理解できる。妖精さんたちはかけがえのない存在だ。妖精さんたちがいるから艤装は動くし、海上を走れるし、弾が撃てるし、修理もできる。その妖精さんたちだって気持ちや心があって、艦娘と共に行動している。

 それが目に見えて手に触れることができるかできないか……結局そこの差でしかない。

 

「私たちが憂鬱な顔を並べている理由が、少しはわかった? ガサ。

 それに常識的に考えて、あんなに重い金属の塊が浜辺に打ち流されるなんてありえると思う? さっき夕張が説明した、加古の心と、記憶回路の中のゴーストと、取り囲むバグって何だと思う?」

 

「それは……」

 

 金属の塊が水に浮くわけがない。それこそ自分たちの主機がそうであるように、妖精さんの力を借りたりしなければ。

 加えて夕張の言った専門的な内容だ。電子的なものには疎い衣笠でも、それが何かしらの異常であることは推察できる。

 

 衣笠の代わりに答えを言ったのは、椅子に深く座り直した龍驤だった。

 

「もしかしたら、あの艤体はまだ生きているかもしれんっちゅーことや。機械なんや。呼吸もそこまで必要ないんやろう。

 今は反応がないんやけど、うちはそのバグってのが気になるんや」

 

 龍驤がバイザーを深く顔に降ろすと同時に、さっきまで黙りこんでホログラムを見つめていた古鷹が口を開いた。

 

「私と加古も、作戦の直前に、隅々まで検診を受けたばかりだった。死んだら艤体の回路も止まるはずだから、加古の記憶や心、ゴーストを取り囲んでいるバグは、生まれているはずがない」

 

「じゃあバグが生じる時があるとすれば、あの戦いの中か、でなければその後……その二つしか考えられない」

 

 青葉が顎に手を添える。

 衣笠もあの戦いを思い返す。加古に異変はなかったか? もしあれば青葉の言う前者の可能性が出て来る。しかしなければ……。

 

「じゃあ、もしあれが……加古が生きていたとして、バグって何なのよ?」

 

 龍驤と青葉の鋭い視線が突き刺さって、何かを間違えたのかもしれないと思う。

 だが何を間違えたのかわからない。

 

「これはうちの憶測でしかないんやけど……君、その戦いで見てきたんと違うか? 報告の深海棲艦から、君らが考えた正体」

 

 赤い、発語する深海棲艦。報告書を作成したのは鳥海と青葉だが、その正体として皆の中に生じた共通の答え。

 それこそ、あんな敵の存在そのものがバグのようなものだ。

 

「! ……それだったら……っ!」

 

「言うたろ、あくまで憶測や」

 

 バイザーをあげて、龍驤は体勢を戻す。これ以上話していたところで憶測を越えないと判断したのだろう。話題を切り上げたとわかった。

 

「衣笠、叢雲と合流して発見現場に何か残されてないか洗い出しぃ。青葉は、もしあれがクロだったとして引き寄せられる深海棲艦に備えて警戒態勢を敷かせるんや」

 

 割り込むように古鷹が立ち上がる。

 

「私はもう一度点検を受けて、電脳の地図が来るのを待ちますが、明日には接続します」

 

 接続――普通の艦娘にはできない芸当だ。艤装と繋がる部分が電子的な繋がりができるなら、中継器さえ用意すれば、古鷹は同様に電子接続可能なものには全て繋がることができることになる。

 ……それが例え同じ艤体であっても。

 

 青葉が咄嗟に、歩み去ろうとする古鷹の背中を追う。

 

「ヤバいですよ。結果が出るまで待つってことも……」

 

「もしかしたら敵かもしれない。じゃなかったら別の誰かかもしれない。でも、加古かもしれない。あの艤体に居るのが何なのか、どうしても確かめなくちゃいけない。私が接続するまで、他の誰にも接続させないで」

 

 義務。責務。役務。でなければ使命。命令ではなく意志に、古鷹は駆られている。

 龍驤も青葉も否定などできず、部屋を出て行く背中を見つめるしかない。追って衣笠も割り振られた任務に向かって、部屋には二人だけになる。

 

 青葉がぼそりと尋ねた。

 

「龍驤さん。自分の体をいじらせている妖精さんや夕張を疑ったことは?」

 

「うちらにとって大切な存在や。きちんと話し合って信頼しとるもんに修理やら入渠やらを任せるが、任せているうち自身もヒトや」

 

「……疑いだせばキリがない、ですね」

 

 青葉も龍驤も揃って嘆息した。

 

 艦娘の体や脳味噌にまで、妖精さんの技術は刻まれている。

 古鷹は先程、加古と一緒に艤体の点検を受けたと言った。その点検にミスがあったら? もし機械の故障で結果が間違っていたら? それよりも最悪なのは、その際に妖精さんや夕張がもし、バグとなる原因を注入していたとすれば?

 

 ……誰にも気づかれないまま、ショートランド泊地は敵になるかもしれない艦娘だらけで埋め尽くされてしまうことになる。

 

 ――先日、二人の少女を犠牲にした解体処理の失敗が、人為的ではないかと疑っていた古鷹のように、青葉はそれが怖くなってしまう。

 仲間である夕張や、戦いを支えてくれる妖精さんを疑うことなど本来ならしてはいけないことだろう。だがあの艤体を前に、そうしなければ道を辿り違えてしまいそうな予感が拭いきれない。

 

 何が敵で、何が味方なのか? ――そもそもこの問題の大きさすら、把握しきれないのだ。

 

 

 部屋を後にして廊下を歩きながら、青葉は遠くに見えた背中に追いつく。

 

「古鷹」

 

 一瞬だけ目を合わせるが、会話を始めることはない。何かを考えこんでいる表情。自分の中へ没入しきっている顔。

 

 その間に階段を降り、すれ違った姿があった。

 潮。怯えるような、躊躇うような顔。

 臆病というよりは引っ込み思案。年齢相応に元気さが顔に出ている他の三人とは違い、元気ではなく落ち着きを見せ、どこか陰を感じさせる。

 

 思わず、青葉は思案してしまう。

 潮を含めた四人があの艤体を運んだのだ。壊れた機械の体。動かなかっただろうそれを運びながら、彼女たちは自分の未来と重ね合わせていないだろうか? と。

 

 やがてすれ違った足音も聞こえなくなり、二人分の足音だけが階段に響く。

 耐えかねて青葉は口を開く。

 

「何を考えているんですか?」

 

「あの艤体、私に似ていませんでした?」

 

 それは思いの外すぐに帰ってきた。

 

「そりゃ姉妹艦ですから、似ているのは当然じゃ……」

 

「顔や骨格だけの話じゃなくて」

 

 つまり艤体の話であるが、外面的、物理的なことではない何かを、古鷹は似ていると言いたいのだろう。

 内面的な――つまりは電子的な、先ほど夕張の説明していた何かに、古鷹はシンパシーに至る何かを見つけていた。

 

 だがまともな艤体を持たない青葉が、それをわかるわけもない。

 

「何が言いたいんですか?」

 

「私ぐらい完全に艤体になると、考えてしまうことがあるんです。もしかして本当の自分はとっくに死んじゃってて、今の私は電子回路と艤体で構成された模擬人格――それこそ幽霊みたいなものなのかしら? いやもしかしたら始めから私なんてものは存在しなかったのかしら? って」

 

 青葉は気づいても表情に出さない。

 

 あの艤体が――加古が完全な機械であった事実を知って、古鷹は自分自身を疑い始めている。二人で互いを成立させていた人格や自己認識が、相手のまた別の一面を見つけてしまったせいで揺らいでいる。

 ――疑いだしたらキリがない。

 

「あなたの金属製の頭には、しっかり脳味噌がありますし、ちゃんと同等の扱いだって受けているじゃないですか」

 

 艦娘しか居ないこの島で、艦娘には艦娘としての扱いしかない。まだ少ししか見たことがない人間と触れ合えばわかるものもあるだろう。例えば、彼らがどのように艦娘を見ているのか、もしくは人権と呼べるものが艦娘に適用されているのか……だがそれはこの島にいる限り叶わない。

 

「自分の脳を直接見たことのある人なんているはずがない。周囲の状況で、私らしきものがある判断しているだけですよ?」

 

 古鷹が以前にボートで語ったように、自分が自分でいられるのは周囲のおかげであるかもしれない。だがそれを鵜呑みにして、その上で青葉を青葉と呼んでくれる人がいなかったら、青葉は自分が自分でなくなってしまうかもしれない。

 だが実際はそうではないと確信できる理由がある。性格や戦闘技能ではなく、自分が自分足り得るための、自分の記憶。青葉が『青葉』を名乗っていられる理由。

 

 ――ゴースト。

 

「……自分のゴーストが信じられないんですか?」

 

「もし艦娘の体にある神経接続用の機械そのものが、ゴーストを生み出して魂を宿すとしたら。その時は、何を根拠に自分を信じたら良いと思いますか?」

 

 一階に辿り着いた。

 古鷹は工廠へ向かうが、青葉は庁舎で他の艦娘へ呼集をかけなければいけない。

 

 黙って、去ろうとする背中を見つめる。

 ……考え始めれば止まるはずがない。疑うのと同様に。

 

 自分は自分でしかない。それ以外の何者でもない。その前提の上で自分が何者なのかわからなくなるのはよくあるが、古鷹は前提そのものを疑っている。

 

 周囲と記憶。精神的な自分を形成しているものを大別すればこの二つになる。だが在るはずのないゴーストに踊らされた昨日の少女たちを見ていれば、疑い始める気持ちもわからなくはない。

 

 自分ではない周囲というものは、時間が過ぎれば記憶でしかない。記憶そのものも、寝ている間に見ている夢と大差はない。青葉と古鷹が階段を降りたことも、あるいは今こうしていることも、もしかしたら夢の中かもしれない。

 現実と夢を隔てているものは、思っているより圧倒的に少ない。根拠や証拠などありはしない。

 

 自分が生身の肉体を手に入れている理由は? なぜゴーストの時と違う体を持っているのか?

 むしろ加古のように、形や使われている技術が違うだけで、結論は同じ機械だと言われた方が納得できる。

 

 ちょうどその状態に、古鷹は位置している。

 だが肝心の加古は機械であるがゆえに、今あそこにいる加古が本来の加古なのかどうかすらわからない。

 

 少しばかり遠退いた背中に追いついて、肩を引っ張って振り返らせる。

 

 驚いた表情をしている古鷹へ、静かに怒鳴りつける。

 ……ゴーストの頃、自分の慢心で沈めてしまった加古について、古鷹が悩ませる必要などないと言い聞かせるために。

 

「確かめてみますよ。あの艤体に何があるのか、自分のゴーストで」

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