鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「……マテバで良ければ」


Ghostdive

 入渠ドックの一角。視線を彷徨わせることなく一点を眺め続ける艤体の横。

 忙しなくキーボードを叩く夕張の頬に、冷たいものが当てられる。

 

「うひゃあ!?」

 

 飛び上がりながら振り返った先には、真っ赤な服にバイザーを頭につけた少女。背丈は夕張より低いが、何も考えていないかに思わせて抜け目のない上司。

 

「……龍驤さん? どうしてこっちに」

 

「まあ部下を労いに来たってところやな」

 

 笑顔を浮かべて、龍驤は手に持っていた瓶を差し出す。表面が白く凍るほど冷たい果実ジュース。

 受け取った夕張が手元のドライバーで王冠を外して口をつける。

 

 龍驤が画面を覗き、モデリングされた疑似電脳脳核――電脳から伸びるいくつもの表示枠に目を走らせた。

 

「どや? 進捗の方は?」

 

「どうもこうも……電脳の至るところにバグが走っていて、下手に触るとこっちのマシンまで壊れてしまいそうで手がつけにくいですね……」

 

 いっそキーボードを楽に扱えるように指が分裂する艤体が欲しい、と愚痴をこぼしながら腕を伸ばす。

 そしてすぐに一つの表示枠を拡大した。

 

「でも、一つだけわかったことがあります」

 

「言うてみ」

 

「あの艤体は確実に生きているってことです。通電確認の際に、記憶回路の履歴が更新されています」

 

「とすれば、今は目を開けたまま眠っている、っちゅーことやな」

 

「たぶん、ですけど……」

 

「にしても、あんな壊れた艤体が、ここまで泳いでこれるもんか?」

 

「潮流ではないでしょうし、誰かが運んだ、と考えるのが妥当でしょうけど……」

 

「その説のためには、運んだ何者かが必要になるな」

 

 顎に指を当てて思案にふける龍驤の横で、夕張はキーボードを動かす手を止めた。

 

「ですがもう夜も更けます。作業はここで切り上げて、私たちもいい加減寝ましょうか」

 

 夕張の言葉に合わせて、ドックに張り巡らされていた装置が電源を落とす。

 

「せやな、加……あの艤体のように、おぎょーぎよく寝るか」

 

 ……瞬間、とある音が響き、夕張と龍驤が振り返る。

 解析用のベッド。横たわっていたはずの艤体が下に落ちていた。

 

『まだ眠っていないさ』

 

 誰も動かしているはずのない艤体。

 残された右腕が錆びついたように震えながら、ベッドの足を掴む。

 顔を見せた艤体に表情の色はない。

 

「まだ起きとった!? なんでセンサーが機能していることを言わんのや!」

 

「こっちからのコントロールは切ったはず。艤体が勝手に……!」

 

 生きていると明言した夕張ですら、怯えと動揺を隠しきれない。

 龍驤の背中を舐め上げる悪寒も同じだ。

 

『ここまでたどり着いたのも、こうしているのも、全て私自身の意思だ……』

 

 片腕だでベッドに寄りかかり、身構える二人を見据える艤体。

 もはや話す時に口を開くことすらしない。顔にある全ての表情筋が死んでしまったようにすら思える。

 

『……一人の艦娘として、一人の人間として、解体処分を希望する』

 

 解体処分。それは殺すことではない。人権倫理の適用に基づく、艦娘の人間化。肉体にあるゴーストを剥離し、艤装との接続機能を身体から除外することで、元の人間に等しい肉体を与えることだ。

 

 だがそれが、全身余すところなく機械でできている艤体に可能かどうかは、無理な話となるだろう。

 

「人間やと? んなアホな! 自己保存のプログラムやろ!?」

 

 そう告げる龍驤の奥……監視カメラが動いて、加古にフォーカスを寄せる。

 

 ……泊地内のネットワークと接続した古鷹の視界にあるのは、加古の姿のみだ。

 自室に戻ってからずっと、古鷹は加古を見つめていた。

 そして遠くだからこそ微かだが、音声も拾っている。

 

『それを言うなら、あなたたちの体にあるDNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない』

 

 加古が顔をあげる。龍驤の奥――まるで古鷹と見つめ合うように、カメラレンズを見つめる。

 

『生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。種としての生命は、遺伝子という記憶システムを用い、ヒトはただ記憶によって個人足り得る。

 例え記憶が幻の同義語であったとしても、ヒトは記憶によって生きるものだ』

 

 およそ加古だったら言わなかっただろう単語の数々。別の生き物のような視点で語られる言葉。

 

 ヒトという種族の中で個々人を分別しているのは、それぞれの記憶である。つまるところ記憶こそが個人だ。

 それが幻であっても、幻に踊らされた二人の少女がそうであったように。

 ……ゴーストによって名前を定められている艦娘なら、頷かざるをえない話だ。

 

『妖精たちの技術がゴーストの転移を可能にしたとき、あなたたちはその意味を真剣に考えるべきだった』

 

 それは龍驤や夕張が、ましてや古鷹が考えることではない。

 技術を提供した妖精さんが……それ以上に、それを使って艦娘を作ろうと発想した、何世紀か前の人類に言うべき言葉だろう。

 

「詭弁やな! いくら何を語ったところで、あんたが生き物っちゅー証拠がどこにもあらへん」

 

 龍驤が狼狽を隠せないまま、艤体を指差す。

 加古に対して行っていた態度ではない。すでに龍驤の中で、それは加古ではない、別の存在となっているのだろう。

 

『それを証明することは不可能だ。現代の科学は未だに、生命を定義することができないのだから』

 

 ……自明の理だ。

 妖精さんによって人類へ持ち込まれた膨大な技術力で以てしても、それを定義化することはできていない。

 いや、そもそもから人類も妖精さんも諦めて匙を投げてしまった分野とも言えるだろう。

 

 生命を定義することをしてしまえば、もしかしたら生命かもしれない定義外の存在が合った際に、様々な問題が生じてしまう。

 定義付けてしまえば様々な問題を処理することが可能になるが、その定義の境界線にちょうど位置する存在や矛盾を抱えている存在、あるいは定義の中から外へ出ようとする存在と外から中へ入ろうとする存在も表れて、いずれ定義そのものが形骸化して廃れる。

 

 だからこそ定義化しなかったものを、ちょうど矛盾を抱えている存在が、定義ではない常識を覆し始める。

 

「せやけどな、仮にあんたが心や魂を持っていてもどうせ無理や。第一、肉体が始めからないもんを人間にするなんて土台がちゃんちゃらおかしいんや!」

 

 それを機に、龍驤が言葉をまくし立てるのを聞き流しながら、古鷹はさらに加古の艤体へ注目する。

 

 

 途端に入ってくる通信。

 

「古鷹? 聞こえる?」

 

「……どうしたの衣笠?」

 

「今日の維持機構の作戦て何だっけ?」

 

「? ……あなたは叢雲と一緒に浜辺の調査じゃなかったの?」

 

 戸惑いながら聞き返す。

 まさか自分に課せられた任務を忘れてしまう衣笠ではないだろうと思えば、聞こえてきた衣笠の溜息に意図を汲み取る。

 

「じゃあ、龍驤さん名義で維持機構全員が出撃させられてるなんてことはないわけね」

 

 出撃命令など誰にも出てはいない。

 龍驤はカメラの向こうで腕を振って、何かを艤体へ熱弁している。

 龍驤が権限として出撃を促すためには、情報機密性の関係で彼女自身が泊地内のネットに接続することではなく、彼女のデスクにある端末から発信するしかない。

 

「龍驤さんのデスクね。荒らされている?」

 

「引き出しから飴玉がたくさん落ちてるわ。ちょうど艤装の使用許可に自動認可されたところ。飴玉でオートロックの穴が防がれいている。駆逐艦かな? 単なるイタズラには見えないわね」

 

「……駆逐艦の誰かがヤバいこと考えてそうだね」

 

 どんなことなのかは考えたくもないが、だがそうとしか予感が告げない。

 肌色を露出された私服から、いつもの艤装接続用の黒いスーツへ着替えながら、衣笠にそれを問いかける。

 

「用意できてる?」

 

「リボルバーならあるわ」

 

 通信の向こうで、衣笠が興奮に笑っていた。

 

 

「結局、あんたは人工知能でしかないわけや」

 

 古鷹の視界で、話に一区切りを着けたらしき龍驤が肩をすくめている。

 

『AIではない。私は、情報と怨嗟の海で発生した生命体だ』

 

 次の瞬間だった。

 ドックの壁が爆煙と共に吹き飛び、周囲に火花が飛び散る。

 頭を抑えてその場に伏せた龍驤と、一方で大型端末の陰に隠れようと走りかけた夕張の肩から赤い血が伸びて、倒れてしまう。

 

「襲撃や! 早う報告を!」

 

 しかし次いだ爆炎で一斉に煙が広がり、艤体と二人の姿が見えなくなってしまう。

 接続していたケーブルを首から引っこ抜き、着替えも疎かに古鷹は部屋を飛び出した。




さて長かったような気がする更新です。

しばらくしたらもう少しペースを上げられると思います。
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