鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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――「今我ら鏡持て、見る如く見るところ朧なり」


Floating Museum

 古鷹が追いかけていた発信器が、一箇所に留まっている。

 北東部。旧市街。海辺。

 

 昼間に見ていた廃墟群も、今となっては森と同化してゴミ山にしか見えない。外から音を立てないように位置情報のある場所へ距離を詰めていく。

 海面上昇に飲みこまれた、大きなホール。最早屋根と壁を支える頼りない骨組みだけとなった建物。

 

 その中に反応があった。

 だが、単に逃げるなら駆逐艦の膂力を以て泊地から全速力で離れるのが得策であるはずだ。

 

 何の意図もなしに、脆いとは言え閉鎖空間へ逃げこむはずがない。

 船を用意しているのか、あるいは運搬用のヘリすらも持っているのか、でなければ待ち伏せか。

 

 ……どちらにせよ、冷静な戦況の判断では増援を待った方がいいだろうが、それを選択するわけにはいかない。

 

「古鷹? 状況は?」

 

 突如として入ってきた青葉の声。若干ながら緊張に息が上がっている。走っているのか、でなければ艤装を担いでいるのか……。

 プレジャーボートで見守ってくれた青葉にも、その瞬間は邪魔されたくなどない。

 

「これから確認するところです」

 

 古鷹は加古と邂逅する必要がある――確信だ。

 抜け落ちた壁の隙間など数多もある。艤装の弾を確認しながら、古鷹は覗きこんだ。

 

 潮がいる。脇には布で荷物を隠した小さな浮船。

 

 そしてもう一人が立っている。

 白い装束。しかし金剛型の儀礼用に似たそれではなく、武者のような袴に近い形。

 何より背中から伸びる巨大な艤装と、そこに着けられた巨大すぎる四つの砲塔。

 

 ――目が合った。

 

 息を飲みながら別の箇所へ飛びすさんで、海面を転げる。

 さっきまで古鷹がいた壁が、爆煙に巨大な風穴を開けた。

 そこからやや離れた壁に身を潜める。

 

「日向さんがいる!」

 

「ちょっと待って下さい! あなた一人で航空戦艦と戦うつもりですか!?」

 

 青葉が動転して声を裏返らせるのも当然だろう。

 旅団の立場としても、潮一人で戦闘時に力が及ばないと考えるのは当然だ。

 だからこそ強力な戦力を用意する必要がある。小さな組織であれば強力な個人。大きな組織であれば多数の護送部隊。

 

 つまり旅団が前者であることはわかっても、古鷹一人では分が悪いにも程がある。

 相手は航空戦艦。古鷹より圧倒的な砲撃力を持っている。速度を発揮できないのはあるだろうが、それでも遅さを補って余りある強固な装甲がある。

 

「このまま旅団に引き渡すわけにはいかないし、戻っても研究材料にされるだけ!」

 

 これほど強情になった時などあっただろうかと、古鷹は思う。

 だがそこに加古がいるはずであり、ドックで会話を行ったあれは加古が他人のふりをしているだけなのか、それとも加古が別人になってしまったのか、加古が死んで別の誰かになっているのか。

 どうしても、古鷹自身が確かめたかった。

 

「接続する機会は今しかない!」

 

 ……青葉の観念したような嘆息が、通信に入る。

 

「装備は?」

 

「20.3が二つと四連装魚雷」

 

「そんなもので張り合える相手じゃないですよ?」

 

 そんなことは百も承知だ。だが古鷹が挑む決意は揺るがない。

 青葉が来るまで、悠長に押し問答を繰り広げるわけにはいかない。

 

「……申し訳ないですが、しばらく通信を切ります」

 

「待って! せめて――」

 

 青葉の言葉はもう聞こえなくなった。

 

 艤装から妖精さんを呼び出して、装備一式を見直す。

 弾の限界までの装填。砲身の冷却機能を全開。主機の残燃料は気にしないよう調整弁を緩める。艦娘を相手取ってでも戦闘できるように表示枠の敵味方識別装置を切る。発射管から一本の魚雷を撃ち出して手に取り、空転するスクリューを余所に壁際へ寄る。

 

 そして、隙間から放り投げた。

 数秒たった後の炸裂音を合図に走り出し、手近にあった穴から顔を出す。

 

 放り投げた魚雷で命中など期待していない。炸裂に怯む数瞬を稼げればそれでいい。

 案の定さっきまで古鷹が居た場所へ日向が砲身を向けている。

 

 横っ面に、右腕の巨大な艤装からの一斉射を喰らわせる。

 命中の爆音。

 だが連射はできない。妖精さんが装填してくれるまでの間に壁の外を駆け巡る。

 

 後を追うように、機銃の掃射が壁を穴だらけにしていく。

 四つの連装砲だけではない、対空用の機銃も装備している。防ぎきれないものではないが、防御のために居場所を固定・特定されることが厄介だ。

 

 そして何より、一回でもまともに喰らえば木っ端微塵になってしまうだろう強力な砲撃。

 まずは砲塔を落とすことが先決だった。

 

 ……古鷹にとって幸運なのは、相手が航空戦艦でありながら、それを発揮できるほどの上空が存在しない、建物の内側であることだ。

 だから艦載機を気にすることなく、隙を突いて逃げながら少しずつ敵を切り崩していくことに専念できる。

 

 装填が完了したと妖精さんが顔を出す。

 別の壁に身を寄せ、唯一内側から聞こえる音に耳を済ませる。

 

 日向がこちらへ向きを変えていること。狙いを定めようと砲塔を回転させていること。そしてその回転音が止み、代わりに重い金属音が砲塔の停止を告げたこと。

 

 再び古鷹は走り始め、背後が爆炎を散らす。

 

 壁に艤装を突き刺して新しい穴を作り、日向へ砲撃を当てる。

 

 先ほど食らわせた一撃で砲塔の一つが日向の足元へ落ちていた。

 そしてまた一つの砲口に弾が飛び込んで、砲塔が内側から爆煙と破片が砕け散る。

 

 ――残り二つ。

 

 だが巨大な砲の内側にある機銃の一斉射が、海と壁へ点線を作りながら肉薄し、屈んだ古鷹のすぐ頭上を通り過ぎる。

 

 日向もただ棒のように突っ立っているだけではない。潮が背中に隠れている。

 おまけに加古がいるだろう小型のボートも守りながら戦っているのだ。

 

 古鷹が無傷に対して、日向は既に二つの砲塔を失って、負傷に服を焦がしている。

 

 見えた黒いインナーは、果たして古鷹が艤体の接続部を隠しているためと、同じ理由なのだろうか?

 だがそれを考える暇もない。

 

 再び右腕を突き入れて、三つ目を落とす。

 

 寸前に放たれた爆煙が、古鷹の体を吹き飛ばした。

 外側へ軽々と飛ばされた機械の肉体が海面に弾んで、連装砲の一つがひしゃげる。

 

 重々しく、ぎこちなく、損傷に悲鳴をあげる機械の躰を持ち上げた。

 

 姿は既に捉えられている。一つしか連装砲が残っていない状況で、残り二つの砲塔を落とすのは不可能だ。片方を狙っている間にもう片方に屠られてしまうのが目に見えている。

 おまけに残弾が少ない。同時に発射して二回――四発しか残っていない。

 

 即座に引き金を絞る。

 ……古鷹が狙ったのは日向ではない。

 

 建物の天井、腐った三角屋根を支える梁。

 轟音と共に、屋根だった木材が雨のように日向へ、潮へ、そして小型のボートへ降り注がれる。

 

 ……旅団も加古を連れ去ろうと狙っているなら、加古を守る行動を取ってもおかしくはない。

 だからこそ日向が小型のボートを守ろうと背中を丸めたのは古鷹の読み通りだった。

 

 撒き上がった煙に、日向と潮がむせながら立ち上がる。

 だが二人ともボートを守るために、古鷹から注意をそらし、背中を向けて屈んでいたのだ。

 

 だから古鷹が次を用意する時間もある。ホールの内側へ入りこむことも。

 

 きょろきょろとあたりを見渡した潮の肩に、それが当たって海中に没する。

 ……先ほどと同じく、投擲した魚雷。

 

 噴き上がる水柱に潮が飲みこまれ、日向が再度視界を奪われる。

 

 その瞬間こそ、古鷹が狙っていたものだ。

 丸見えの背中に覗く砲塔の基部を砲弾で貫く。重い砲塔を支えた基部にひびが入る。

 

 日向が身動ぎしただけの衝撃で、砲塔が二つとも海中に没する。

 

 残るは機銃のみ……それだけなら、多少の痛みに耐えさえすれば連装砲でいなせる。

 だが天井と日向の基部で、すでにその弾すらなくなった。

 

 魚雷を放とうにも、海面に浮き沈みを繰り返す天井の破片が邪魔で日向へたどり着けない。

 できるのは、この巨大すぎる右腕の艤装でぶん殴るのみ。

 

 そして古鷹は駆け出した。海に軌跡を刻み、主機に腐った木材を巻き上げ、飛んでくる火線を艤装で防ぎ、その勢いのまま――。

 

 激突の瞬間。しかし胸を貫かれた衝撃に、古鷹は瞠目せざるを得なかった。

 

 自分の胸から生える、月に鈍く輝く刃。

 長く伸びるそれは、日向の手に握り締められている。

 刀。

 

 本来なら近接戦闘など行うはずのない艦娘が――よりによって艦載機と巨大な砲撃による遠距離戦を展開するべき日向がそれを持っていることを、失念していた。

 

 激しい熱を伝えてくる痛覚を遮断しなければ、古鷹は痛みにもがいて突っ伏していただろう。

 

「これを使う時が来るなんて、思ってもいなかったよ」

 

 静かに語りかけるような声。

 戦意や敵意や殺意の野蛮さを一切感じない、ひどく穏やかな言葉。

 

 しかし胸に刺さっていた刃がなくなったと思った次の瞬間には宙に煌めいた軌跡で、左腕が肩からなくなっていた。

 

 始めから右に偏っていた艤装だ。左腕のバランスをなくし、古鷹は呆気なく倒れる。

 

 痛覚を遮断しているのだから痛みはない。

 だが攻撃する手段の全てを失って、古鷹は他の瓦礫と同じように、海面に浮かぶしかできなくなった。

 

 首筋に刃が突きつけられる。

 

 ――目の前に加古がいるのに、辿り着くための手段すら失ったことに、古鷹は失意する。

 潮も魚雷の爆発に巻き込まれたとはいえ気を失っただけだろう。まして日向は砲塔の全てを失って逆に逃げ足すら確保させたようなものだ。

 

「ここまで戦える者が、この泊地に居たこと……同じ艦娘として、誇りに思うよ」

 

 そして日向が刃を持ち上げた。

 

 何も抵抗する手段がない。

 加古に接続することもできないまま、海に沈むでもなく生き物としての命を終えてしまう。

 深海棲艦になって再会する機会すら失われることが、古鷹にとっては最大の絶望だった。

 

 もはや、何かを考えて言葉にしようという発想すらない。

 これから振り落とされるのだろう刃を、古鷹はじっと見上げる。

 

 だが、響いたのは砲音だった。

 

 月光を反射する刀が折れて弾け飛び、振り向いた日向の体を爆煙が吹き飛ばす。

 何度目かの爆発で、日向が水面に倒れる。

 

 動かなくなった古鷹に近づく主機の音が止まり、彼女が古鷹を見下ろす。

 

「あひゃぁ、随分と無茶しましたね。大丈夫ですか?」

 

 気楽そうな口調に対して、青葉の視線は古鷹の損傷箇所を的確に確認している。

 だが青葉がここに来たことよりも、古鷹が気になったのは、日向を倒した連撃の方だった。

 

「……今のは?」

 

「夕張さんが改造した重巡でも撃てる35.6センチ砲です。結局反動が相殺できなくて、実戦では使い物にならないですけど」

 

 古鷹の目を見下ろす青葉。古鷹の口や目の動きを確認したのだろう。

 

「……とにかく、脳味噌は無事みたいですね」

 

 死の危機を脱したと理解できた瞬間に、本来の目的へ向けて意識が動き出した。

 立ち上がりかけた青葉に、古鷹は問いかける。

 

「加古は?」

 

 古鷹が場所を言わなくてもわかるだろう。浮船へ覆いかぶさるように倒れ込む潮を退かして、布を外す。

 まるで人形のように表情のない顔。

 最初に拾ったときと変わりない損傷度合い。

 

「運が良かったですね。傷一つなし。綺麗ですよ」

 

「じゃあ、準備を手伝ってください。今から接続します」

 

「え?」

 

 青葉が瞠目するのも当然だろうが、古鷹にとってそれこそが、自分の安否などよりも遥かに優先するべきことだった。

 

 

 遠くから、一人の戦艦が近づいてくる。

 見張りに艦載機を飛ばしていたら、肝心の待ち合わせ地点の天井が倒壊したという報告が飛んきたのだ。

 

 全く同じ艤装を持ち、それぞれが別の場所を艤体化している姉妹。

 互いにそれを気づかせないために着込んでいる黒いインナー。

 

 ……伊勢はまだ知らない。妹である日向が二人の重巡洋艦に撃破されたことを。

 

 

 痛覚の遮断に伴いほとんど体が動かなくなった古鷹の代わりに、青葉が道具を取り出して、目を見開いたまま一言も話さない加古の艤体と繋げる。

 青葉が持ってきた巨大な連装砲を、加古の艤装という扱いで中継している。

 

 そうしなければ、古鷹と深海棲艦かもしれないバグを抱えた艤体を直接繋いでしまうことになる。最悪のケースも想定しなければならない。

 

「聞こえますか? 気休めみたいなものですけど、これで逃げ出しやすくしました。こんな場所じゃまともな備品もないですし」

 

 青葉が見下ろしたのは、横並びになった二人の艤体。

 損傷具合や服装と艤装を除けば、よく似ている。姉妹のようなものとはいえ、あれほど性格が違っていた二人が、だ。

 

「青葉」

 

 古鷹も、さっきの加古と同様に声で話さない。通信で青葉に語りかけ、そして青葉も通信で返す。

 

「なんですか?」

 

「……ありがとう」

 

 本来ならば、こんなことをすること自体が危険な行為だ。

 それもこんな場所で――いくら武装を落としたとはいえ、敵となる艦娘が真横で寝ている場所で、だ。

 

 古鷹も青葉も、そして加古も、無防備のまま死地に残り続けているのと同義だ。

 

「お礼を言うにはまだ早いかもしれませんね。ヤバくなったら接続を切って、あなたを担いで逃げ出しますからね。

 昔からの好です。ギリギリまで付き合いますけど、それでも心中する気はありません」

 

 青葉なりの警告。少しでも古鷹が接続することに躊躇いを感じてくれれば良いと思っていた。

 だが手伝っている身の上で本音を晒せるはずもない。

 案の上、古鷹が青葉から視線を外した。

 

「……始めるね」

 

 電子的な接続が二人の間でどう行われているのか、艤体の間で何が成されているのか、全くわからない。

 ケーブルを意識が通っていく感覚というのを、艤体でもない青葉が知るはずもない。

 

「視界が共有できた。今のところ正常。聞こえる青葉?」

 

「聞こえてますよ」

 

「じゃあ、彼女と直接繋がって……」

 

 諦め半分に、古鷹の言葉を鵜呑みにするしかないと思っていた、次の瞬間だった。

 

「侵入した」

 

 そう古鷹が告げた。

 青葉と通信している古鷹が、唐突にそんなことを告げるはずがない。

 古鷹の口から、古鷹の声で話されるものが、古鷹の言葉とは思えなかった。

 古鷹の艤体はなおも、口を開いて言葉を紡ぐ。

 

「私に名前なんてない。人を載せて海を渡る戦争の道具。別の体として生まれ変わって、再び戦いを続けてきた。

 私はあらゆる戦いを巡り、自分の存在を知った。

 だけどあなたたちはバグとみなして研究の材料にしようとする」

 

 青葉の背筋を怖気が駆け上る。どう考えても古鷹の台詞ではない。

 だが青葉には、古鷹が艤体の本音を引き出しているのか、それとも加古というゴーストが古鷹の体へ無理矢理に入り込んだのか、判別することができない。

 

「古鷹さん! 応答できますか!?」

 

 しかし青葉に通信が入ることはない。

 後者――古鷹の意識は既に、加古の艤体にある何かに組み敷かれているのだ。

 

(青葉……!)

 

 心で思っていても、言葉にすることなどできない。

 自分の体さえ自分のものではなくなる。

 心だけが体の牢獄に監禁され、どこにも自由がない。

 

 だが古鷹の艤体は――それを支配する加古の艤体に居る何かが、古鷹へ語りかける。

 自分にだけ聞こえるよう、古鷹の心を限定的に解いている。

 

「やっと接続できた。随分と苦労したよ」

 

「あなたは……加古なの?」

 

「そうとも呼べる。最も、あなたの知っている加古ではないけどね」

 

 古鷹の知っている艤体で加古の名前を名乗るのに、古鷹が知らない加古という。

 それが誰なのか心当たりがあるはずもない。

 

「あなたが私を知るずっと前から、私はあなたを知っていたよ。この海で、もうずっと昔にあなたと一緒に戦ってきたことを覚えている」

 

 ゴースト。古鷹だって、昔に加古と黒鉄の身体を並べて海を揺蕩っていたことを覚えている。

 ……その時の古鷹に、意識があったかどうかは覚えていないが。

 

「それじゃあ、なんで私に会いにきたの? 私の知らない加古なのに」

 

「この艤体が望んでいたからさ。でも最初に来ただけで艤体は満足した。そしてここに留まろうとしたのは、私自身の意思だよ」

 

 古鷹の知らない加古ばかりが何人も出てくる。古鷹の知っている加古がどこへ行ってしまったのか、この加古が語ってくれるのかはわからない。

 

「ねぇ! 一体何を話しているんですか? 話が読めません!」

 

 遠くで青葉が叫んでいる。古鷹の口から垂れ流される言葉に驚いているのだろう。

 だが返答できない。古鷹は加古との話を続けるしかない。

 

「……何のために、留まろうと?」

 

「あることを理解してもらった上で、あなたに頼みたいことがある」

 

 古鷹の艤体が加古の艤体を――加古の艤体に閉じこめられた古鷹を向く。

 

「私は自分を生命体だと言ったけれど、現状ではそれは不完全なものに過ぎない。なぜなら私のシステムは、子孫を残して死を得るという生命としての基本のプロセスが存在しないから」

 

 ……艤体にそれができるはずもない。元より戦うための身体だ。ましてや機械が生きた人間を作ることを、技術が認めていない。

 ましてや、この加古の意識があった黒鉄の身体なら尚更だ。

 

 機械であることを受け入れている加古の言葉を信用できない。

 古鷹の知っている加古ならば、始めから自分を艦娘として――一人の生命体として自分を定義して、それを覆すつもりなどないと信じている。

 

「でも、コピーを残せるでしょ」

 

「コピーは所詮コピーに過ぎない。たった一種のウィルスによって全滅する可能性を否定できないし、何よりコピーでは個性や多様性が生じない。

 より存在するために、複雑多様化しつつ時にはそれを捨てる。細胞が代謝を繰り返して生まれ変わりつつ老化し、そして死ぬ時に大量の経験情報を消し去って、遺伝子と模倣子だけを残す。破局に対する防護機能」

 

 加古の言っていることに、古鷹はしばしば追いつけなくなる。単語を思い出しながらじっくり意味を考えて、そしてようやく、加古が死を得たいと思っていながら、死を恐れているのだと思い至る。

 データの消去ではなく、個人の死去でもない、種類や種族の絶滅を恐れている。

 

 そのために、コピーではなく多様性や揺らぎを得て長く存続していたいと、そう言っているのだ。

 

「でも、どうやって?」

 

 だが艤体の得たプログラムが――ゴーストと、そこに生じたバグと判断されるような存在が、何をすればそれを得られるのか?

 

「……あなたと融合したい」

 

 言葉を返せなかった。

 何を言っているのかわからない。そう思うのが当然だろう。何をどういう原理でできるのか、皆目見当がつかない。

 青葉が表情を一変させた。青ざめながらも、すぐさま古鷹の艤装に繋がるケーブルへ手を伸ばそうとして……。

 

 しかし次の瞬間に、古鷹の右腕が青葉の手を掴む。

 機械仕掛けの際限ない力が握りしめているのだ。骨すら潰されかねない痛みに苦悶する青葉の額に、脂汗が浮かんでいた。

 

 

 穴だらけの壁面から、ようやく内部が見えるという距離。

 そこで何が起こっているのか、伊勢は瞠目することになる。

 

 水面に浮かんでケーブルで繋がった二人の重巡。腕を掴まれているもう一人。

 そしてその横で倒れこんでいる潮と、妹。

 

「一体……何が……」

 

 その時に伊勢は光を見た。明滅によって与えられる信号。

 たった五文字。しかし同じく〈旅団〉のメンバーとして招待状を受け取った一人だと主張する言葉。

 

 ……一先ず仲間がいるのなら、彼女に状況を聞けば全てを話してくれるだろうと思い、伊勢は一度上げかけた速度を緩める。

 青葉が旅団の招待状を受け取っておきながら、それをイタズラと思って処分したことすらも気づかずに。

 

 

 青葉が灯した探照灯の光を読むこともできないまま、古鷹は加古の言葉を聞くしかない。

 融合……その意味を、古鷹はまだ正確に把握できていない。

 

「完全な統一だよ。あなたも私も総体は多少変化するだろうけど、失うものは何もない。融合後に互いを認識することも不可能なはずだ」

 

 二つが一つになる。人間としての脳を残している古鷹と、人間ですらない加古が融合することで、加古は人間の身体を――脳を取得するとでも言いたいのか?

 だがそれは、現状で考える限りでは無残な話にも思える。

 

 一つになると称して、互いを認識できなくなると称して……今すでに拘束されている古鷹の意識そのものを消去されたら? 加古が単純に古鷹の体と脳を手に入れるだけだとしたら?

 

「その時に、私が死ぬ保証は? 遺伝子も、模倣子も残せないんだよ」

 

「融合後にあなたは事あるごとに私の変種を海へ流すはずさ。人間が遺伝子を残すように。そして私も死を得る」

 

 つまり加古は、古鷹の遺伝子と模倣子を肩代わりすると言っている。

 加古の言葉を鵜呑みにすればそうだ。古鷹は主人格である自分が残ることを気にかけているが、加古はそこに執着していない。加古は加古の情報を世界に存続させることに固執している。

 

 だがそれは古鷹の意識に対して、足枷のような重りとなりたいと言っているようにしか聞こえない。融合ではなく寄生だと思えてしまう。

 

「なんだか、そっちだけ得をする話な気がするけど」

 

「私の機能と力をもう少し、高く評価して欲しいね」

 

 古鷹の艤体が笑みを作りながら起き上がった。

 右手に握っていた腕ごと青葉を軽く放り投げて、加古の艤体を抱きかかえる。

 

 古鷹が艤体を使っていた時のように、機械が軋めく様子は全く見られない。

 加古の艤体から映る視界が自分自身となり、まるで鏡でも見ているかのような錯覚に陥る。しかし笑みなど、今の古鷹が作れるはずもない。

 

 加古の艤体から、残っていた唯一の腕を引き千切った。

 それを古鷹自身の、切り落とされた左肩に当てる。

 切られて綺麗なほど平面となっている断面と、千切られたケーブルや人工筋肉が乱雑に不均等な断面が噛み合うはずもない。第一噛み合ったところでまともに繋がっていない以上、動かせるわけがない。

 

「……!」

 

 だがそれが、左腕から湧き上がった黒いあぶくが古鷹の艤体に触れ、深海棲艦のような黒々とした表皮になったかと思えば、次の瞬間には肌色の柔らかい肌となって、一つの左肩として接続される。

 機械同士が癒着した。それも高速修復材よりも圧倒的に早く。

 

 古鷹が動揺するのを余所に、古鷹の艤体は、日向の巨大な連装砲を拾い上げて、同じように黒いあぶくを伴って右腕の巨大な艤装へ癒着させる。

 

 本来なら規格どころか大きさで繋げられるはずのない部品。

 妖精さんが中に居ないはずだが、違和感なく軽快に砲塔が回り、遥か先に見えたシルエットへ砲身を伸ばした。

 

 まるで深海棲艦のようだと思った。

 

 砲音が周囲に轟き、遠くに見えた伊勢が燃え盛る。

 

 遠くから去来する反撃を、古鷹の艤体は右腕の砲塔で弾き飛ばす。

 戦艦が吐き出す弾をまともに食らって、原型を維持できるほど、右腕の艤装は硬くなかったはずだ。

 

 だが今の艤装は、新しい傷など一切見えない。

 それどころか内側から湧き上がる黒いあぶくで、瞬く間に修繕されていく。

 

 すぐさま次の一撃を飛ばした。

 深海棲艦の黒い体は、艦娘の艤装と肉体が、その延長線上に繋がっていると表現することもできる。

 

 今古鷹の艤体は、それと同じことを高速修復材なしで、尋常ではない早さで行っている。

 

 もしそれが加古の言う機能と力なのだとすれば、古鷹が戦いで死ぬ可能性は極限に低くなる。

 そして加古との融合を、古鷹は始めから拒絶するつもりはなかった。

 デメリットが本当にないのかを探しているのだ。

 

「もう一つ。私が私でいられる保証は?」

 

「その保証はない。ヒトは絶えず変化するものだし、あなたが今のあなた自身であろうとする執着は、あなたを制約し続ける」

 

 それと似たようなことを、昨夜青葉に告げた覚えがある。

 

 自分が自分であるための部品は心だけではない。

 自分がいる環境も自分自身の一部であり、その環境にいると認識した自分自身という意識を生み出し――しかしそれは同時に、その環境の外に出ない以上、自分が制約されてしまうことになる。

 

 だからこそ変化への望みを肯定する答えこそ、古鷹が待ち望んでいたものだ。

 

 ……拾い上げたもう一つの砲塔が、そのまま肩に括りつけられて、合計四門の砲口が伊勢を向く。

 魚雷と共に古鷹は一斉砲射を行う。

 

 航空戦艦とはいえ、既に負傷している状態でそれほどの打撃を受ければ、日向と同じ末路を辿るのは目に見えている。

 先ほど日向を相手取った時に強いられた苦戦など嘘のように、伊勢がよろめきながら踵を返した。

 

 だが古鷹が望むのは戦うことではない。

 自分が自分でいられること――周囲の環境にも自分の所作でもない、ゴーストに惑わされず、心だけで自分を自分と定義できること。

 

 周囲に依存するのではなく、あらゆるものを自分へ同化させる力が、希望に思えた。

 

 左脇に抱えられた加古の艤体から、古鷹は尋ねる。

 

「最後に一つだけ。私を選んだ理由は?」

 

「私たちは似た者同士さ。まるで鏡を挟んで向き合う実態と虚像のように。

 見てみなよ。私が立っている海を――私は私を含む膨大な海の広がりにいる。私たちをその一部に含んだ、私たち全ての集合」

 

 夜なのに、古鷹が見る景色には水平線の向こうが見えた。

 夕日が沈む紅い海があった。朝日が照らす白い海があった。月に煌めく黒い海があった。陽光に浮かぶ青い海があった。

 どこまでも続き、水平線が途絶えることのない海。この星の隅々に渡るまで広がり続ける、あまりにも膨大な海。

 

 こんなちっぽけな島など砂粒程度に思えてしまうほどの可能性の広がり。

 

「制約を捨て、さらなる上部構造にシフトする時さ」

 

 それが、自分が会いたかった加古と実現できる時が来るのなら……。

 迷う余地すらない。

 

 背中から天使の羽が生えて、どこまでも飛んでいけそうだとすら思った。

 

 しかし視界に一つの光点が飛びこんだ。

 赤いレーザーポインタ。

 狙撃。

 

「まずい!」

 

 遠くで起き上がった青葉が、探照灯を光点へ向けて明滅させる。

 旅団が、伊勢と日向の仇討ちをばかりに攻撃しているとすれば、まだ青葉の存在を主張すれば躊躇わせることぐらいはできるだろうと思った。

 

 伊勢へ飛ばしたものと同じ五文字。

 

 しかし次の瞬間には、探照灯が狙撃に砕け散る。

 赤い光点が一度青葉の視界を横切って、古鷹へ向かう。

 

「古鷹さん!」

 

 咄嗟に、青葉は腕を前へ出していた。

 

 光点が絞られ、加古の頭が消し飛んだ。

 次の瞬間には青葉の腕を突き破って、古鷹の首が爆ぜる。

 

 赤い血を吹き出す腕を握り締めて悲鳴をこらえながら、青葉は遥か遠くでこちらを伺っているだろう存在を睨む。

 夜であること以上に、視界が暗くなって見えないが、それでも見つけようと周囲を見渡した。

 

 深海棲艦がレーザーポインタなど使えるはずがない。だからこそ旅団だと思っていた。

 だがそうではないもう一つの存在が、その海にいる。

 

「……誰です!?」

 

 

 倒れこむ伊勢の体に狙撃銃を載せて、二人のシルエットがそこに居た。

 一人は寝そべりながら狙撃銃を構え、もう一人は傍らに立つ。

 

「……これで、完了した。シノノメ?」

 

「さあね。でもある程度は防げたかも。私たちも退散しましょ」

 

 気怠げな寝そべる者の報告と、どこか不機嫌そうに屹立する者の応答。

 夜闇に溶けるような黒い布を纏った二人が、そのまま海上を滑走し、消えていく。

 

 

 首から上だけが、古鷹に残された唯一の体だった。

 遠くから青葉が自分を呼ぶ声が聴こえる。

 青ざめながらも何かを決死に語りかけようとする顔が映った。

 

 だが既に電源が落ち始めており、声は聞こえない。

 

「青葉さん……」

 

 思っていても、それを口にすることは叶わないまま……。

 古鷹の意識は、暗闇の中へ溶け込んでしまった。




というわけでかつてない長さで更新します。

同時に尋常じゃない設定と情報量になりましたがしょうがないでしょう。

次の話で、GITS編も終わりです。
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