黒い視界が、意識とともに景色を手に入れる。
ノイズにまみれていた視界がだんだん開け……やがていつもと同じ目を取り戻す。
見たことのない部屋の中。奥にある姿見の鏡に向かい合う一人の少女の姿。
茶色の髪。同色の暗い右目と、自ずと光り輝くような左目。
いつもの制服ではない、白いブラウスと真っ黒なスカート……モノクロ調のゴシック趣味が、深海棲艦のそれと同じように見えた。
ようやく自身の身体へと意識が向かって、手を見る。
肌色の左手。そして指の先まで黒いインナーが伸びた右手。
扉が開く音に、古鷹は顔を上げた。
「起きましたか?」
髪を降ろした青葉が私服で部屋に入ってくる。手には缶ビール。何事もないかのように、右手でプルタブを開ける。
古鷹の中にある記憶が途中で欠落している。
「……状況の説明を。それと、この艤体についても」
「まあ、その艤体については後で。
あのあとすぐに、維持機構の増援が到着。二体分の艤体の残骸と、負傷した私を回収しました。もう二十時間ほど前のことです。維持機構は襲撃事件を旅団の犯行と発表。正体不明の襲撃者も旅団の一員として断定してこの件については一件落着です」
ビールを軽く煽って、青葉は疲労から解かれた息を吐く。
「そしてあなたの艤体と加古さんの艤体。あなたたちが蓄積していた経験情報が従来の艤体じゃ追いつけないと夕張さんが判断して、更なる近代化改修によりそれを間に合わせました。破損部品で、なるべく加古さんの艤体から代用できるものを使っています。それが今のあなた……改に次ぐ改ということで、改二と言うことです」
青葉の言葉は嘘ではないだろう。
そうでなければ説明がつかないと、古鷹自身も理解している。
「ですがこれは非公式に行われた施術です。書類上であなたは……」
「狙撃された」
「そして脳が破壊された……それで、いいんですね?」
青葉の計らいも、度を越すとテレパシーのような力になるのだと思い知らされる。
返答するつもりはなかった。
元よりそれを頼んでいたのは加古であり、古鷹ではない。そして古鷹が以前の古鷹なら拒んでいただろう。
書類上、古鷹は死んだ。
旅団が狙っていた加古だけが生き延びていると情報を流すわけにもいかない。
向こうの最終手段だろう、加古と古鷹の狙撃による価値の喪失で痛み分けとしているはずだ。
だから古鷹がここに生きていると知らしめては、旅団が再び追いかけてくることになる。
……同じ艦娘に追い回されるなど、御免だ。
「だいぶ新聞ばかり並んでいるけど……もしかしてセーフハウス?」
「それほど大層なものじゃないですよ。記事を書く時に缶詰めになるぐらいにしか使っていません。ここに来たのも、あなたが初めてです」
古鷹は部屋を見渡す。パソコン、カメラ、プリンタ。何冊も積まれている膨らんだスクラップブック。
「……居たければ、いつまでも居てもいいですよ」
匿おうとしてくれている。
だが古鷹にとってこの部屋は狭かった。新聞という情報の積み重ねが並ぶこの部屋にいても、海の底にいた、黒鉄の自分自身と邂逅することは不可能だろう。
加古はそれを成した。そして新たなゴーストとその延長を取り戻した。
古鷹も、海に沈むことで擬似的にそれを体感していた。
加古の艤体に残っていた、一度沈むまでのゴーストの名残、それがこの島への帰還を望んでいたとしても、その残滓すら残ってはいない。
「ありがとう。でも行くわ」
立ち上がった古鷹は歩を進め、通り過ぎていく。青葉は缶ビールを大きく煽った。
引き止めない代わりに、問いかける。
「ねえ、あれと一体、何を話していたんですか? あれは今もそこに……古鷹さんの中に、居るんですか?」
「青葉さん。ここには、加古を名乗るゴーストも、古鷹と呼ばれた女も居ないですよ」
皮肉と自重に、寂しげで苦しげな笑みを浮かべる青葉を、視界の隅に見る。
「外に艤装も一通りあります。予備も満載しておきました」
つくづく、お人好しだと思ってしまう。
今の自分にとって弾薬や燃料などは、もはや些末な問題でしかない。
「いつかまた、再会しましょう」
それだけ言い残して、古鷹は外へ出る。
青葉の言葉通りに並んでいる真新しい艤装を繋いで、海の向こうへ広がる思念に思いを馳せる。
海底に沈む黒鉄の亡霊たち。遠くの海に営んでいる人々。どこかで戦いを繰り広げている艦娘と深海棲艦。
それら全ての未知という可能性が、無限に等しい広がりを見せている。
「さて、どこへ行こうかしら。海は広大ね」
――第5章『Reincarnation』完
というわけで第五章:『Ghost In The Shell 攻殻機動隊』編が終わりました。
今までのアーマード・コアシリーズ編からストーリーの毛色が代わり、そして文章の雰囲気も変えなければいけないことに悪戦苦闘しましたが、やりたかったテーマの一つができたことで満足ではあります。
ハリウッド版にいろいろありますが楽しみにしつつ……
次の物語は再び押井守の、酒を飲んで煙草を吸ってばかりの少年少女の物語です。