opening
高いエンジン音を響かせるスーパーカブが、巨大な連絡橋を渡る。
小さなショートランド島から、大きなブイン島へ。
連絡橋を過ぎ、森を抜けて、カブは広がる基地を見やる。
――ブイン基地、海上保安庁舎。
航空基地が主となるブイン島で、艦娘の任務は警護が主となる。
敵を倒すことにおいては、ショートランド泊地が受け持っているからだ。
庁舎を取り囲むように建物が固まっている。
海に一番近い建物から顔を出す一人のシルエットを見つけて、カブが止まる。
カブに乗っていた少女が、後ろに括りつけていた荷物を背負ってあたりを見渡す。
女性がゆっくりと近づいてきた。油に汚れた不格好なツナギ。腰に手を置いた桃色の髪。
どこからか、その足元で犬が尻尾を振って、間抜けに舌を見せながらカブを見上げる。
軽く手を振りながらヘルメットの紐を外して、カブの少女はヘルメットを手からぶら下げる。
「こんにちわ」
「ここの整備を受け持っている、明石です」
「私は叢雲よ」
握手に伸ばした手へ、明石は油まみれのゴム手袋を見せるだけで終えた。
手を引っ込めた叢雲は、しばらく無言のまま、ぼうっと、視線を明石に固定する。
「……そこまで、汚れが目立ってましたか?」
ため息混じりに服のあちこちを確認する明石。
確かに自分で見つけられないところが油塗れだ。頬も鼻の頭も、髪の毛も。
「いえ……なんか、どこかで見たような気がしてね」
ショートランドにいる夕張も工廠へ引きこもっていたが、それでも夕張はコンピュータをいじることを主にしており、機械を直接触ることはなかったと思う。
だがどこかで、懐かしさを叢雲は覚えていた。
「それなら大丈夫です」
手軽な挨拶だけで済ませるつもりだったのだろう。早速工廠へ戻ろうとする明石が、ついでとばかりに振り返る。
「見ます?」
「……何を?」
わずかな高揚を宿した目で問われても、叢雲には何のことだかさっぱりわからない。
「あなたの艤装」
「前のじゃ駄目かしら?」
以前から使い続けていた艤装の方が馴染む。当然だ。向こうでは夕張の独自チューンナップが施されており、より叢雲が使いたい機能を網羅している。
だが艤装が、頭のアンテナも含めて一新されてしまうとなれば、多少は拒みたくもなる。
「廃棄のち資源還元されると聞きましたよ」
「どうせ同じでしょ。なら変えたくないわ」
「着けてみればわかりますよ。それにこれは秘書艦の命令です」
それは仕方ないと嘆息して、ふとした疑問に辿り着く。
叢雲用の艤装が、なぜ自分のではないのにあるのか?
もしあるとすれば……
「なら前任者は? 引き継ぎは?」
「それも含めて、まずは秘書艦に挨拶してきてください」
堂々巡りが起こりそうなことに辟易しながら、懐から煙草を取り出す。
ショートランドの龍驤ほどは吸わないにしろ、味もわからない煙草を吸うことでどこか落ち着くのは確かだ。
新しい日常への期待はない。
とにかく平静状態を保とうと、ロンソンスタンダードで灯した紫煙を一通り燻らせながら、大げさに尻尾を振って鼻息を荒くする犬を撫で続けた。
庁舎はどこか黴臭く、薄暗かった。
古びた木製の階段が軋むのを聞きながら、執務室へ辿り着く。
執務室は本来なら二つあるはずだ。提督と秘書艦。密な連絡のために隣り合っていることが多いはずが、ここの執務室は一つしかない。
ノックに返ってきた声は、叢雲のそれよりあどけないものだった。
部屋に入って、彼女の前に立つ。
あまり長くない黒い髪を後ろで結っている。執務用の小型パソコンと、小綺麗に積まれた書類。整理整頓は好きでも、仕事の効率は良くないのだろう。
「本日配属された、叢雲よ」
「秘書艦の吹雪です。早かったね。夕方頃だと思っていたけど」
到着ではその予定だと伝えていた。
だが配属の原因が原因だけに、早めに来ようと思っていたのは事実だ。
「旅団の調査のためよ」
旅団――叢雲がショートランド泊地で所属していた治安維持機構という組織が少し前に襲撃を受け、入渠ドックに甚大な被害と、一人の失踪者を生み出した。
艦娘たちで構成されたという組織に対処するには、泊地・基地の隔たりを越えて情報連携をより強固にすることが必要、という経緯だ。
だから叢雲が異動となった。当然、旅団という組織がいなくなれば任は終わり、ショートランドに帰ることとなっている。
忙しいのか、吹雪は忙しなく手元の書類をとんとん叩いて縦を揃える。
「部屋は204号室だよ。早速だけど、夕方からそこの深雪ちゃんと一緒に哨戒任務をしてもらうね」
そして吹雪が取り出したものに、少しばかり驚いた。
煙草。
このあどけない少女が煙草を吸うのかと驚いたが、しかし自分も似たようなものだと思い出して、顔に出すのを堪える。
代わりに、疑問を口にする。
「ねえ、私の前に、私の艤装を使っていた人だけど……」
マッチで火を着けた吹雪が、振って火をかき消す。視線がちらと向いて、答えにくい質問なのだろうと思った。
白い息を吐いて、吹雪はマッチを横に落とす。水が満ちたバケツでもあるのだろうか、じゅうと音が聞こえた。
「配属は七ヶ月前。六十三回出撃。かなりの戦績を上げたよ」
叢雲が尋ねたいのはそっちではない。
「どこにいったのかしら?」
「ごめんね。答えられないの」
「転出した理由は?」
「それも」
「死んだのかしら?」
「そうだとしても、叢雲ちゃんがあの艤装を使うことに変わりはないよ。いるか、いないか、人の状態ってその二つしかないと思う」
申し訳なさそうに眉をハの字にしているが、内容は申し訳無さが微塵もない。むしろ攻撃しているとさえ思えた。
「艤装の引き継ぎよ? 前任者とコンタクトを取るものではなくて? まあ、生きていればの話だけど」
「あの艤装はまだ新しいから、その必要はないと判断したの」
つまるところ、欠番である艤装をいつまでも欠番で放っておくはずもないから、異論は認めないと言っている。
「ほかに、何かある?」
灰を落とした吹雪が向き直る。自分より年下とも見えるだろう子供がするには手慣れすぎていて、違和感が拭えない。
提督の補佐というポジションとはいえ、一つの施設を預かる身の上で築き上げた事務処理能力だろうか、戸惑う様子もなく、取りつく島がないと思わされる。
だが叢雲は問いかけた。
「あなた……本当に艦娘よね?」
叢雲は人間の姿を見たことがある。朧気な記憶だが、それでも印象だけははっきり覚えている。
艤装を外して服を着ていれば、艦娘と人間は見分けがつかない。強いて男性ならば艦娘ではないだろうと思えるし、女性でも年齢が若すぎるのと老いているのはそうじゃないだろうと思える程度。
つまるところ、同年代の少女が並んでしまえばわからなくなる。
この吹雪と名乗る少女は、叢雲の記憶にある吹雪と同じ格好をしている人間なんじゃないか、そう思ってしまう。
……叢雲の知っている吹雪は少なからず、煙草なんて臭いの強いものを好まないと思っていた。
叢雲を見定めるような視線がちらりと向く。しかし答えないまま、吹雪は煙草を口につける。
そして吸いきれていないのに横に落として、さっきと同じような言葉を繰り返す。
「ほかに、何かある?」
「あんたも煙草を吸うのね。煙草を吸わない上官は信用しないことにしているから」
吹雪の表情がきょとんと呆気なくなる。その方が見覚えがあった。
指を組んで、吹雪は本当に不思議そうに問いかける。
「根拠は?」
「なんとなくよ。今までの経験上」
「経験?」
鼻で笑うように肩をすくめる。他人を小馬鹿にするような挙動はらしくない。
吹雪の視線が書類の山へ向かい、手をかける。
「もういいかな?」
「失礼するわ」
ただの挨拶が、想像以上の長話になってしまった。
踵を返した叢雲は、抱え込んでいる荷物を置きに歩く。
すぐ隣にある寮は小じんまりとしている。足元には雑草が生え放題で、扉はギコギコ音を立てる。
それだけ艦娘が多くないのだと思いながら中に入ると、三人の姿があった。
ソファに座って斜め上を見上げる明るい茶髪の二つ結い。庭に続く窓からじょうろを傾けている三つ編みおさげ。そして冷蔵庫から瓶を取り出して大きく煽る癖っ毛。
いつもより大きめに息を吸いこんだ。
「今日からここに転属になった、叢雲よ」
「こんにちわ。白雪です」「磯波、です」「深雪だよ!」
白雪がソファから一度だけ視線をこちらに移しては戻り、磯波がじょうろを外に落として慌てて、深雪が瓶から口を離して美味そうに息を吐く。
……全員が全員、叢雲の知っている顔と姿形。
「知ってるわ」
「午後に、一緒に出るってのは?」
「それも」
「んじゃ、よろしく」
底知れない元気を秘めた笑顔で拳を伸ばしてきた深雪に、叢雲も軽くぶつける。[
そうしながら、横目に磯波の水やりを見ていた。
初めに大きな植木の根本、そして葉っぱへ。次いで横長の植木鉢に早めの三往復。最後に芽すら出さない小さな植木にたっぷり。
終わって、音を立てずに空のじょうろを横に置いて、満足げに頷く。
目の前では、瓶を軽く振って中身を確認している深雪が問いかけてくる。
「それじゃ、出撃前に行かない?」
「どこによ?」
「まあ一応案内するのがね……」
瓶の残りを一気に煽って、深雪ぷはあっとさっきよりも大きく息を吐いた。
アルコールの臭い。
「……同じ部屋だし、私の役目かなって」
これほど小さくて静穏なブイン基地で、わざわざ案内など受ける必要もないだろうと思っていたが、そうではないらしい。
何なのかわからないまま、歩き始める深雪の後をついていくしかない。
寂れた雰囲気ばかりの基地設備とは違う、どこか洒落た雰囲気があった。
間宮――ショートランド泊地にはなかった飲食店。
「ここは?」
「ミートパイが美味しいんだよ。お腹空いてるでしょ?」
朝からスーパーカブにずっとまたがっているだけだったのは否めないし、何も食べていない。
中に入るなり深雪が笑顔で手を振って、厨房に立っていたエプロン姿の女性も綺麗な愛想笑いで手を振り返す。
なんとなく、その女性が間宮という人だとわかった。
そのまま後を追うように席に着いて、すぐに灰皿を見つけた。煙草を咥えて火を灯し、白い煙を吐く。
「やっぱり。煙草、吸うんだね」
わかっていたとでも言わんばかりににやける深雪。煙草を吸っていることが叢雲自身でも信じられないと思っているのに、深雪は平然と言う。
初対面だというのにどこか馴染みのあるフランクさがあって、躍起に言い返すつもりになれない。
そして気がつけば、テーブルの横に間宮が立って笑顔を作っていた。
「最近新しく来た叢雲。あ、私はオレンジジュースね。こっちはミートパイ」
深雪が自分をオレンジジュースと名乗ったようにしか聞き取れないが、それでも間宮はメモを取る。
「私、間宮です」
メモを取り終えて、叢雲が思った通り間宮だった女性は微笑みながら回れ右をする。
あんなにずっと笑顔を作っていて、顔が疲れないんだろうかと思った。
深雪はトイレに行き、店内はテーブルの叢雲と厨房の間宮だけになる。
間宮が皿を片づけて、灰皿も交換する。
深雪の言うとおりミートパイは美味しかった。食べたことがあったかのように、美味しいとわかっていた美味しさだった。
叢雲が煙草に新しく火を着けたところで、間宮が深雪の座っていたところに座る。
他に客が誰も居ないからだろう。叢雲の指先から伸びる紫煙に瞼を閉じた。
「いい匂い……あなたが来たってことは、あなたの前任者はいなくなったんだよね」
「さあ、誰なのか知らないわ」
間宮の笑みに陰りを見たかと思えば、すぐに立ち上がって厨房へ歩き始める。
「何か飲みます?」
「コーヒーがいいわね」
間宮がミルに豆を注いでコリコリと挽いていく。豆の抵抗なのか手が小刻みに震えている。
じっと豆を見下ろす間宮に、ようやく笑顔じゃない表情を見た。
「どんな人だったのかしら、その前任者は?」
「心優しい人よ。あなたみたいに甘い顔で、柔らかく笑う。なのに何かに行き詰まっているような……見てると不安になった」
豆を挽き終え、砕かれた豆がフィルターに注がれる。
間宮が叢雲を見ることなく言葉を続ける。
「聞いたことがあるの。『心をどこに置き忘れているの?』って」
じんわりと響いてくるような問いかけで、答えを出せそうになかった。だから他の誰かの答えを参考にしようと思った。
……前任者とか。
「なんて答えたの?」
「答えなかった。でも私は、海なのかなって。だったらいいのになあって、そう思ってた」
湯気が立ち上って、香ばしい匂いが広がる。
そしてコーヒーを持ってきた間宮が、とても大人に見えた。単純な体つきや姿もそうだが、所作や言葉遣いに、他の艦娘では見なかった苦味のようなものを滲ませている。
人間がいないショートランドにいると、年齢という概念を――月日を重ねて老いていくという概念を忘れてしまう。
「あんたは、どれぐらいここにいるの?」
「あんたって……私のこと?」
「あんたと私しか、ここにいないけど」
「……少し、子供っぽいね」
少し苛ついたのか、シュガーポットが置かれる音だけはうるさかった。誰と比較しているのか、それとも下に見ているのか。
「そりゃ、私は子供よ」
開き直るように煙草を消して、カップを覗きこむ。ミルクは入っていない。スプーン山盛りに砂糖をすくった。
間宮は何も言い返してこない。
その代わりに真正面に座って頬杖をつき、カップをすする顔をじっと見つめる。
「海を走るの、好き?」
「ええ、そうね」
「よかったね」
薄く笑った間宮につられて頬を上げる。そしてコーヒーに息を吹きかけた。
「また、来てくれる?」
「そうね」
「……きっとだよ」
笑顔がなくなった言葉は、単語とは裏腹に、絶対に、と言っているようなイントネーションに感じた。
眼前にいる叢雲の奥に何かを見つめている。
――その後すぐに、叢雲と深雪は哨戒に出撃した。
すっかり夜になっていた。
執務室――デスクで吹雪が尋ねる。
「こっちの損傷は?」
「ゼロ」
「他に動きは?」
「なし」
「そう。ご苦労様」
「失礼しまーす」
意気揚々と深雪ばかりが答えて、二人揃って執務室を後にする。
ほとんどをショートランド泊地が担当している中での警戒任務だ。二人だけで事足りるし、そもそも敵がいないだろうところしか見るべき場所がない。
そのまま部屋へ戻っていく深雪と分かれて、叢雲はドックへ入っていく。
艤装の前で立ち止まって、見つめる。
脇のベンチに明石が座っているのだと、声をかけられるまで気づかなかった。
「おかえりなさい。どうでした?」
「なんだか身体にしっくりくる。違和感がなかったわ」
維持機構に所属していた時にはいつも頭をつきまとってきた二つのアンテナも、他と同じように並んでいる。
それ以外には何も変わらないように思えた。
新しい装備にはそれなりに必要となるはずの調整も、全くない。
「そりゃそうですよ。私の腕は完璧ですから」
何の自慢気もなく、暗がりの下で明石は膝の上で寝ている犬の背中を撫でている。
「前に使ってた人、どうして死んだのよ? 艤装があるってことは、轟沈したわけじゃないんでしょ?」
明石が立ち上がる。犬を抱えこみながら、叢雲へ背中を向けた。
「早く寝た方がいいですよ」
結局明石は、叢雲の問いかけに答えてはくれないままドックを後にする。
叢雲も肩をすくめて、自室へ戻ることにする。
多少の期間を開けて、スカイ・クロラ編をスタートします。
やっぱり書いてて馴染む癖に、書きにくい。
他の話とはかなり雰囲気を変えた物語ですが、まあそれで行こうじゃないの、と。