鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「ありゃ妹なんかじゃない」
「どういう意味?」
「娘ってことさ」


memory

 早朝の哨戒任務を終えてロビーに入ると、いつものメンバーはいない。

 

 代わりに少女がいた。

 黒く長い髪。不健康そうで無気力そうな顔。水兵服ではなく私服。

 

 ……別の建物にいる非番の駆逐艦かと思う。

 

 髪をかきあげながら扉を閉めると、少女が口を開いた。

 

「誰? 見かけない顔だけど」

 

「叢雲よ」

 

「むらくも……」

 

 初めて聞く語感を噛み締めるようなぼやき。

 知らないはずがないだろうと言いかけ、代わりに嘆息する。

 

 少女の表情がころりと変わった。

 

「私は――」

 

「初雪。そうじゃないの?」

 

 手の平で制しながら自信満々に告げる。

 叢雲の記憶で、その出で立ちをしている艦娘は一人しかいない。むしろそうとしか思えない。

 

「違う」

 

 さらりと返ってきた返答に、息を呑んだ。声も姿も顔も、叢雲の知っている初雪にしか見えない。

 

 初雪ではない少女が、一歩後退して扉に背中をぶつけた叢雲を指差す。

 

「ここに来た時も、みんなそんな風に間違えてた。でも私は艦娘じゃないよ」

 

 では誰なのか? ……必死に叢雲は記憶を巡らせて、初雪の格好をして初雪ではないと名乗る可能性のある存在を思い出す。

 

 以前に古鷹が失踪する前、ショートランド泊地で解体処置に失敗した少女。

 船のゴーストを失っても、戦闘プログラムに突き動かされた人形。

 

 再度処理を受けたことまでは知っていたが、ここにいるとは知らなかった。

 

「私はミズキです。よろしく、叢雲」

 

 お辞儀をしながらしなやかに笑う少女の所作は活発的だった。

 

 とても、初雪だとは思えないと改めて思う。

 

 平静を取り戻そうと冷蔵庫へ歩きだす叢雲に、ミズキも並んで歩く。

 

「え、ええ。よろしく」

 

「何がよろしくなの?」

 

「あなたが最初に言ったんでしょ」

 

「私のよろしくは、お友達になってお話をしようっていうよろしく」

 

「私もだいたいそれよ……何か飲む?」

 

「うん」

 

 冷蔵庫を開けた叢雲の言葉に、ミズキは元気にうなづく。

 

 ミズキという少女はさも当然のように、白雪が座っていたソファに腰かけた。

 

 活発な動きに、狼狽を隠しきれない。

 

 とても楽しそうに、叢雲が渡したジュースを口にしている。

 

 一方で叢雲はビールを開けた。

 

「何か楽しいことしない?」

 

「例えば?」

 

 無邪気な子供に、合わせるつもりもないままに問いかける。

 

 ミズキは首を捻って、斜め上を見つめる。

 

「うーんと、いつもは何をしてるのかな?」

 

「特に何も、君に誇れるようなことはしてない」

 

 ここに来てからというものの、調査報告書を纏めるスパイまがいのこと以外は遊覧するように海へ出て、暇潰しに煙草を吸うばかりしかしていない。

 

「ゲームとかそういうのは?」

 

「ない」

 

「子供なのに?」

 

「そう」

 

「ふうん」

 

 興味がなくなったように、ミズキは足をぶらぶらする。

 

 そんなミズキを、叢雲は両手で頬杖をついて半目で眺める。

 

「叢雲って、艦娘だよね?」

 

「そうよ」

 

「艦娘って、大人になれないんでしょ?」

 

「そうよ」

 

 さらりと重要機密を言ってのける少女に、平然を装う。

 

 艦娘は大人にならない。厳密に言えば、肉体的な成長をしないというのが正しい。ヒトは時間経過につれて肉体が成長して大きくなり、それも過ぎれば老いて衰弱していく。

 

 だが艤装という機械と身体を繋ぐプロセスにおいて、身体の形が変わることは欠陥に等しいコストになる。時間経過で成熟した身体が老いていくことも、せっかく個人が積み上げた戦闘経験値をむざむざ捨てることになりかねない。

 それを阻止するために、艦娘は成長しない代わりに、新陳代謝の機能を再生に指向することで多少の傷もすぐさま回復できるようになった。

 

 ……叢雲からすれば自分の身体のことで当たり前のことだが、艦娘ではなくなった少女からすれば、そうではないのかもしれない。

 

「どうして大人になれないの?」

 

「なれないんじゃなくて、ならないのよ。あんたは大人になりたいと思う?」

 

 戦い続けるため……というのは味気なさすぎる答えだった。

 

 再びミズキは首を傾げる。

 

「うーん。どうだろ?」

 

 叢雲自身の疑問でもあった。

 大人になること。成長すること。老いること。死ぬこと……時間経過で身体がそうなるのは、死ぬことを望んでいるような印象があったのだ。

 

 同じことを考えているとは思えないが、どちらにせよミズキは答えを出せずにいる。

 そこにこそ望んでいた答えがあった。

 

「でしょ?」

 

 にやりと笑って、外から聞こえてくる姉妹たちの声に立ち上がった。

 ミズキと一緒に建物を出ると、案の定同じ水兵服の姉妹たちが汐の匂いを引き連れている。

 

 その輪に加わろうと尻尾を振ってくる犬に、ミズキは喜び遊んで近寄る。

 

 追いかけっこが始まるのを余所に、深雪が叢雲との距離を詰めた。

 

「ご苦労さん」

 

「遅かったじゃない」

 

 子供の相手ぐらい面倒事ではない。それよりも帰投時刻を少し超えている帰りの方が気になる。

 

「ん、ああ。せっかく早上がりしたんだから、ちょっと偵察をね」

 

 深雪の口元に、紫色の丸いものが見えた。間宮でつぶあんの甘味でも味わっていたのだろう。

 

 白雪も磯波が建物に戻っていくのを尻目に、二人揃って壁に背中を預ける。

 

 暇潰しに煙草を咥えたところで、深雪が口を開く。

 

「あの子は初雪じゃないよ」

 

「そうらしいわね」

 

「でも初雪だったことがあるんだろ?」

 

「さあ、どうかしら」

 

 あの子がショートランドで連装砲を振り回していたようにはとても思えない。思い違いかもしれない。

 

 叢雲が一回目の白い息を吐いたところで、深雪も歩き始める。

 

 ちょうど建物から、吹雪が顔を出したところだった。

 

「戻ったよ」

 

「報告は後にして」

 

「わかった」

 

 すれ違いながらに事務的な応答だけをして、ちょうど深雪がいたところに吹雪が収まった。

 

 叢雲と並んで、吹雪も煙草を咥える。

 

 遠くで駆け回っている一人と一匹を眺めて、叢雲が近くのバケツに煙草を投げ入れたときだった。

 

「あの子を見てると、時々自分が嫌になるんだよね」

 

「どうしてかしら?」

 

 嫉妬という言葉ほど、吹雪に似合わないものもない。

 

 あの子が初雪で、吹雪が秘書艦でなければ、立ち位置がちょうど逆転していたかもしれないと妄想していたタイミングだった。

 

「あの子はもうすぐ私を追い越す。そうしたら、どうしようかな?」

 

 元々が同じ年代たちで作られた姉妹艦だ。

 だが艦娘は歳を取らないし、ヒトは年を重ねて大きくなる。

 

 秘書艦になるほど艦娘としての歴が長い吹雪が、解体されて間もない少女を横目に見ていたら物憂げになるのも頷ける。

 

 生きてきた時間はこちらの方が長いのに、向こうはただ時間が経つだけで一丁前の大人になる。

 

 叢雲も、ずっと子供のままで居続けるのか――自分でもどこまで本気なのかわからない。

 

 吹雪が煙草を吸い終わって、告げる。

 

「お願いがあるんです」

 

 見ないようにしていた吹雪の顔は、嫉妬ではなく秘書艦として引き締められたものに戻っていた。

 

「そろそろ見学者が来ます。相手してもらってもいいですか?」

 

「……まだ来たばかりの私が?」

 

「私は、あの子を元の家に帰しますから」

 

 家……あまり実感のわかない感覚だった。

 艦娘の暮らしというものは背中にある寮のことで、外に出るといえば基地の敷地内になってしまう。

 唯一基地から出ることといえば、海しかない。

 

 叢雲の居場所など、そんな小さなものだった。

 その居場所というものが、今の初雪には――ミズキにはあるのだろう。

 

「わかったわ」

 

「ありがとう」

 

 そしてミズキへ近づいていく吹雪の背中を見ながら、叢雲は建物に入る。

 私服だったため、身なりを整えないといけない。

 

 姉妹たちとは意匠の違ういつもの水兵服を着て、寮の庭から、敷地を見渡す。

 

 数少ない出入り口さえ眺めていれば、いつか出てくるだろうと思った。

 

「見学者が来るんだっけ」

 

 怯えがちに聞こえる声で尋ねてきたのは、磯波だった。

 

「前にも一度来たことがあるんです。基地のスポンサーとか、艦娘を応援してますって人たちです。

 ……そういうのって、どう思う?」

 

「そういうのって?」

 

 怯えではない別の感想が伴った表情を、磯波が見せる。

 好意的な感情を抱いていないことはわかった。

 

「見学するって発想そのもの」

 

「別にどうとも思わないわよ」

 

 呆れではないが、肩をすくめる。

 

「きっと、追い払いたくなりますよ」

 

 ベンチで空を見上げていた白雪が、ふと口を挟んだ。

 

 生真面目できびきび動いている印象があっただけに、少しばかり驚いてしまう。

 

 白雪も、誰かを嫌いになることがあるんだと感心した。

 やることもなさそうに見上げてばかりいる白雪。

 

 磯波は水やりを行う。

 初めに大きな植木の根本、そして葉っぱへ。次いで横長の植木鉢に早めの三往復。最後に芽すら出さない小さな植木にたっぷり。

 終わって、音を立てずに空のじょうろを横に置いて、満足げに頷く。

 そして磯波がぼそりと口を開く。

 

「吹雪ちゃんなら発砲してると思う」

 

「吹雪が?」

 

「うん」

 

「どうしてよ?」

 

「いつも拳銃、持ってるから」

 

 確かに今まで思っていた人格とは別人のように振る舞う吹雪だが、だからといって守るべき人類に対して危害を加えるようなことは万が一にもしないだろうと思いこんでいた。

 

 最後の小さなプランターから染み出した水が、ベランダ前のコンクリートを暗い色に滲ませていく。

 種を植えたばかりなのか、それとも咲かない花でも植えているわけでもないだろう。叢雲は見つめる。

 

「叢雲ちゃん、前任者のこと聞いた?」

 

「何をよ?」

 

「吹雪ちゃんが撃ったんですよ」

 

「……なんで?」

 

 ぽろぽろと零れるような磯波の発言が、あまり飲みこめないでいる。

 どういう意味なのか、追いついていない。

 

 しかし磯波の口から発せられる前に、やたら賑やかな声を引き連れた重いエンジン音が聞こえてくる。

 

 磯波が顔を見上げて、叢雲も同じ方向を見やる。

 

 やたらと大きなバスから、カメラを持った手が伸びてくる。

 

 皮肉げにくすっと笑う磯波。

 

「ほら、来たよ。見学者」

 

 

 

 ガイドが旗を振って練り歩き、ドックの中が、いつにないほどのざわめきで埋め尽くされている。

 至る所へ人々が興味津々に近づいていき、シャッターを切る。瞬くフラッシュに驚いた妖精さんたちが隅っこへ逃げていくのを見て、追いかけようとして止められた子供もいた。

 普段使っている艤装や兵装を、人々は玩具を見るような好奇心に目を輝かせて、美術品を眺めるような恍惚感に目を細める。

 

「どんな感じですか?」

 

「何がですか?」

 

 向けられたマイクと投げかけられた問いかけ。

 

 片隅で、叢雲はインタビューを受けていた。

 緊張はない。慣れない敬語をたどたどしくならないように言うのが難しかった。

 

「海を泳いでいる時のことです」

 

「どんな感じって言われても……」

 

 困ったように眉尻を下げた顔が、カメラに収められる。

 

 海上を走っているのは事実だ。泳ぐと表現していいのかどうかすらわからない。

 

 そもそも海にいるのは艦娘の常であり、日課のようなものだ。

 鳥が空を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、ヒトが陸を歩くように、艦娘は海を駆ける。敵を見つけて砲撃して、されて、魚雷を放って、雷跡をかわして、そんな日常……息を吸うことに特別も何もない。それと同じ感覚だった。

 

「例えば相手を沈めた時とか」

 

「勝った、って思います」

 

「艤装に撃墜マーク描かないの?」

 

「ほとんど描く奴はいません」

 

「なんかゲームみたいね」

 

 インタビュアー同士での会話が弾み始める。

 

 当事者でありながら、マイクを伸ばす腕の距離がとても遠いと感じた。

 

 自分たちの戦いをゲームみたいだと冗談交じりに言う女性をチラと見て、事務的に笑顔を作る。

 

 マイクを持つ一人が、ぐっと近づけてきた。

 

「戦争は醜いものです。でもあなた達のおかげで、私たちは平和に暮らせます」

 

「当然です。それが仕事ですから」

 

 カメラレンズに叢雲の顔が映りこむ。口の端を上げて白い歯を見せて、目を細めた表情。

 

 彼女たちは、自分たちに対する敵意を抱いていない。

 そう心に言い聞かせることで精一杯だった。

 

 そろそろ見学の時間が終わる。

 この煩わしい連中が立ち去るまでのカウントダウンを頭に刻み始めた時だった。

 

 けたたましい警報が、基地中に鳴り響く。

 

 一斉にどよめく人々の波をかき分けて、叢雲はドックから飛び出す。

 

 別の箇所で同じようにインタビューを受けていた深雪も出ていた。

 

「敵?」

 

「わからない」

 

 深雪が首を横に振った。

 

 激しいスリップ音と共に、乱暴に走り回る車が、叢雲の前で停まる。

 

「乗って!」

 

 切迫した明石の表情。

 

 一刻も早く逃げ出したい一心で、車へ飛び乗った。

 

 

 

 ショートランド泊地と繋がる連絡橋が見える巌壁に、一人の艦娘が横たわっていた。

 

 いや、正確には艦娘だった肉体と壊れた艤装だ。

 

 ひび割れた艤装の隙間から黒煙が吹き出している。

 引っ張っていたのだろう無数のドラム缶が、赤くなった波に右往左往している。

 巌壁に減速することなくぶつかったのか、そこだけ岩も海も赤黒くなっている。

 

 頭の横から、光沢を抑えた金髪が二房できているのを見る。

 

「村雨……」

 

 覚えのある姿を呟く。

 

 彼女を取り囲むように、人々が群がって見つめていた。

 

 ふとエンジン音が聞こえて振り向いてみれば、やたら古めかしく高級な車が、ほとんど人混みへ突っ込むような勢いで停車する。

 ポルシェのナロー911。

 

 顔を出したのは吹雪だった。

 明石と叢雲が近づき、吹雪と目を合わせる。

 

「ブインの艦娘?」

 

「いや、ショートランドだと思うわ」

 

 ブインに村雨は居ないはずだと、叢雲は記憶をひっくり返す。

 

 遅すぎた救護隊が、黒焦げの艤装から焼け爛れた身体を引き剥がして、黒い袋へ入れる。

 

 当然だろう。すでに生きているはずがない。何せ腕も足も頭も普通ではない方向へ向いているのだ。

 

 艦娘が死ぬのは、よくあることだ。

 

 戦いを日常にしているのだから当然であり、むしろ同胞の死を見ないまま一人前の艦娘になれる者などいない。

 

 だがこれほど人類の居住圏で息絶えるのは珍しい。

 死体を袋に入れることもない。艤装ごと海が飲みこむからだ。

 

「ああ……」「なんでことだ……」「あんな少女がこんな死に方なんて……」「可哀想に……」

 

 だから人だかりから漏れてくる嗚咽を、ひどく新鮮に感じた。

 

 ヒトは戦いに身を置いていないのだろう。

 誰かが海に居て、誰かが化け物と戦って、砲弾を吐き、血を撒いて、火花を散らして、黒煙を噴いて、誰かが確実に死んでいく……。

 そんな日常をヒトは知らないのだろう。

 

 腕を組んだ叢雲がそっぽを向く。

 

 同情される死に方なだけマシだ。誰かに死に様を見届けてもらえる……それも五人以上という大人数に見てもらえる。

 艦娘ならまずありえない。

 だからあの村雨は幸せなのかもしれないと、思った。

 

「可哀想なんかじゃ、ない」

 

 横で、吹雪が漏らすまでは。

 

「可哀想じゃない」

 

 声が大きくなる。声に滲んでいく感情が、どんどん熱いものになっていく。

 

「可哀想なんかじゃない!」

 

 ほとんど叫び声に等しかった。

 

 叢雲を突き飛ばして、人だかりへ進んでいく吹雪。肩を怒らせて、大きな歩幅で。

 

「同情なんかで! あの子を侮辱しないで!」

 

 ……何をしでかすかわからないと思った矢先に、明石が吹雪の前に立ちはだかる。

 両手を広げて、通さないと。

 

 睨みあげた吹雪に、明石がゆっくりと言葉を落とす。

 

「落ち着いてください」

 

 吹雪が大きく息を吸って吐いた。

 やり場のない憤りが火を着けたような早さで、吹雪がナロー911へ向かう。

 

 叢雲も追った。

 ヒトが居ない場所へ行きたかった。

 

 叢雲が運転席、吹雪が助手席に座る。

 しばらく二人とも口を開かなかった。

 

 揃って煙草を口につけて、火を灯して、そして白い息を吐く。

 

 吹雪はわだかまる憤怒を鎮めるため。

 叢雲は湧き上がる嫌悪を慰めるため。

 

 それが終わって、ようやく叢雲はエンジンキーを回した。




実は続けざまに編集している第2話。

文章が特殊すぎるため、同じ日の間でやらなければテンションがずれる可能性が出てきます。

まあ次の3話は別の日にやるんですがね。
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