鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「よく食べるね」
「なぜ?」
「相当まずいよこれ」
「でも食べてもいい材料で作ってるんでしょ? これ」


drive-by-wire

 帰りの車を走らせている時に、吹雪が気づいた。

 

 空を飛ぶいくつかの艦載機。

 真っ直ぐ向かっていく方角を見て、吹雪が通信機を引っ張り出すのも当然だった。

 

「吹雪です」

 

「磯波です。どこにいます?」

 

「車でそっちに」

 

 通信機の向こうから聞こえた声は、どこか切迫している。

 吹雪が空を見上げて、敵を確認する。

 

「あと、そっちに深海棲艦の艦載機が向かっているの。八機」

 

「六機と聞いてるけど」

 

「いえ、八機」

 

「……吹雪ちゃん、見てるの?」

 

「そう」

 

「基地までどれぐらい?」

 

「おそらく五分はかからないと思う」

 

「なら迎撃態勢は整えられる。吹雪ちゃんは戻れないよね?」

 

「艤装は?」

 

「今地下へ移動しているところ」

 

「お願いします」

 

 吹雪が通信を切るのと同時に、アクセルを踏み込む叢雲。

 

「あの艦娘を追って来たのかな?」

 

「そう考えるのが、妥当ね」

 

 叢雲がハンドルを荒っぽく切りながら答えた。

 

 断崖絶壁に沿った道を、速度を上げた車が走る。

 

 

 

 基地の至るところから煙が溢れて、水浸しになり、放水車がそこここに並ぶ。

 

 すでに敵を迎撃した後だ。

 空に煌めく味方の艦載機がいくつか旋回して、こちらを見守っている。

 

 すでに見学客も避難し終えたのだろう。居るのは艦娘と整備員だけになっていた。

 

 車から飛び降りた吹雪が、明石と顔を合わせる。

 

「艤装は?」

 

「地下へ移動できたと聞きましたよ」

 

 明石も吹雪や叢雲と同じく、さっきまで村雨だった死体を見ていたのだ。それこそ大至急で戻ったことが、汗でぐっしょり濡れた服から察せる。

 

 叢雲は上を眺めていた。

 

 悠然と空を飛び、羽を煌めかせている艦載機たち。識別色でわかったのは、それが瑞鶴と、ラバウル所属の翔鶴と、もう一人から放たれたものだった。

 ――龍驤。

 ショートランドにいる元・上司がまともに艦娘として働いているとは思ってもいなかった。

 

 すでに叢雲から距離を置いていた吹雪が、整備場の内壁についている電話機を取る。

 

「吹雪です。基地司令部に……ごめんね、煙草持ってない?」

 

 吹雪が軽く手を差し伸ばしている。迷うこともなく、叢雲は煙草をその指に挟んで、ロンソンスタンダードで火をつける。

 吹雪が一度だけ白い息を吐いた直後に、電話へ顔が寄った。

 

「吹雪です。司令官に繋いでください……いいから早く!」

 

 あまり聞かない怒号に、思わずびくりと震えた。

 

 だが考えてみれば当然だろう。

 ショートランドの所属と思しき艦娘が岸壁に叩きつけられて死んだ。無我夢中で何かから逃げていたと考えない限り、そんな死に方をするはずがない。

 

 とすれば、応援を呼んだしても間に合わないだろう状況に立たされたことになる。

 しかもショートランドより奥にあるブイン島に、だ。

 

 奥とは言え、ほとんど隣接しているに等しいショートランドとブインで情報共有が行わないはずがない。

 駆逐艦一人が戦域からここまでたどり着けるほどの時間があれば、それをする余裕もあったはずなのに。

 

「……はい。奇跡的に。だけどそれは相手が下手を打っただけです。なんで連絡が来なかったんですか?

 それはまともな理由じゃないです。今からそっちに向かいます」

 

 吹雪の声がだんだんと苛ついていく。

 断片的に聞いていても、向こうの司令官がまともに答えようとしていないのが理解できる。

 

 煙草を咥え直した吹雪が、殴りつけるように電話をかける。

 

「磯波ちゃん!」

 

 伺っていたのだろう。磯波と白雪がそこに立っていた。

 

「私が戻るまでデスクに居てくれる? 緊急の連絡が入るかもしれないから」

 

「いいけど、お腹すいたし、そこで食べてもいい?」

 

「大丈夫。……叢雲、来てくれる?」

 

「構わないわ」

 

 煙草を半分吸ったところで歩き出した吹雪が、ドック脇のバケツに煙草を入れる。

 苛ついている姉の世話をするのは大変だと、叢雲は嘆息しながら吹雪の背中を追う。

 

 

 

 ナロー911のメーターが、150以上を振り切っている。

 通り過ぎていく風が少し痛い。

 

 ハンドルを握っている吹雪とは、車に乗ってから会話をしていない。

 

「飛ばし過ぎじゃないかしら?」

 

「ごめんね。そういう気分なの」

 

 自棄になって岸壁から転げ落ちてもいいような気分がどんなものなのか、口を挟まないでおくことにする。

 

 ぐねぐね曲がった、ガードレールのない道を車は走っていく。すぐ横に海を、そして上に空を臨みながら、尚も速度を緩めずに突き進んでいく。

 

 仰々しい鉄のゲートを通り抜けると、大きな滑走路が目立った。

 脇にはアンテナ。そして管制塔がそびえている。

 

 車を降りずとも見える。一人の男が立っていた。中年。まじまじと年齢を重ねたヒトを見るのは、もしかしたらはじめてかもしれない。

 

 これがブインの司令官かと思ったが、制服の肩で尉官だとわかる。つまり違うのだ。

 露骨に不機嫌さを表しながら、吹雪が言った。

 

「わざわざお出迎え、ありがとうございます」

 

「久しぶりだね」

 

 睨みつけるような吹雪の視線に怖じける様子もなく、男性は気さくに口を開く。

 

 どれぐらい時間を重ねてきたのかはわからないが、それでも吹雪ほど大人しく見える少女がいくら睨みつけていたとしても、威圧感はまるでない。

 面倒なことになりそうだと叢雲が肩をすくませ、案の定吹雪は腕を組んだ。

 

「中には入れさせてもらえないんですね」

 

 男性が見せつけるようなため息をして、逃げ口を探して叢雲と目を合わせた。

 

「私の部下です。この後に疲れちゃうんで、そしたら運転してもらおうと思って」

 

 だから叢雲に話しかけるな、とでも言いたげな吹雪の声音を聞いていないのか、男性は頷きながら叢雲を見やる。

 

「そうか。君が例の……あ、長官は外出中なんだ」

 

「司令官の部屋へ行けば、外出中かどうかぐらい私でもわかります」

 

 思い出したような断り文句を、吹雪は一蹴する。

 そして管制塔へ歩き出したところで、しかし男性が前に立った。

 開いた両手を小さく前に出して、止まれ、なのか、ムキになるな、なのか……どちらとも取れるジェスチャーを取る。

 

「ね。君がここまで来たことで、もう十分に事態の重要さはわかったし、つまり気持ちも伝わったと思うんだ」

 

 なるべく穏便に済ませるよう指示でもされているのか、これほど吹雪がぶっきらぼうに当たってくるのに、努めて冷静でにこやかに振る舞う。

 

「勘違いしないでください。私は自分を殺そうとした人の顔が見たいだけですから」

 

 怒髪天を突くとはこういう勢いなのだろうなと、男性を跳ね除けて遠くなる背中を見つめる。

 ……横で、ようやくストレスから開放されたと言わんばかりに溜息をついた男性がぼそりと愚痴をこぼす。

 

「全く大人げない。子供はこれだから困る」

 

 すぐ横に、吹雪と同じ年代の少女がいることを忘れてしまったようだった。

 視界に入れて思い出したのか、申し訳なさそうに手を上げた。

 

「あ、いや失礼」

 

「いちいちその程度で目くじらをたてるほど、私は子供じゃないわ」

 

 煙草を吸おうとしてポケットに手を入れて、何も入っていないソフトケースがくしゃりと歪むのを感じて不機嫌になる。

 

「でも、まあ……」

 

 吹雪が怒るのも理解できるが、だからと言ってどれほど怒鳴り散らしたところで、結果がひっくり返るわけでもない。

 

 向こうとしても、艦娘がいなくなれば困ることはわかっているはずだ。

 トラック泊地がなくなった今。残された最前線であるショートランドをバックアップできる備蓄を備えるブイン基地がなくなれば、ショートランドは壊滅し、敵の制海権を広げてしまうことになる。

 

 ショートランドより暇とはいえ、ブインの艦娘が行う警護や哨戒の任務が重責であることは変わらない。

 そこを預かる身として、気が気でいられないのだろう。

 

「そのとおりなのかしらね」

 

 煙草を吸って、酒を飲んで、一人前の仕事をこなして……それでもまだ叢雲は、子供なのかもしれない。

 だが、この男性と叢雲が、たとえ過ごしてきた時間が同じだったとしても、その場所があまりにも違うことはわかっている。

 

「でも、明日死ぬかもしれない私たちが、わざわざ大人になる必要もなさそうね?」

 

 皮肉な問いかけは、叢雲の本心でもある。

 

 事実としてショートランド泊地で何人もの艦娘が死んできた。

 元気を宿した若い姿で。多くが哀れに思われることすらないまま。戦いの中で。海の中へ。

 

 化物と呼べる深海棲艦との戦いに、大人であるかどうかなどは些細な問題だ。

 如何に戦闘技能を身に着け、戦闘を生き抜くか、そして敵を倒すか。

 艦娘の本分はそれなのだから。

 

 それを指示するのが司令部の役目であり、吹雪が今怒鳴り散らしているだろう司令官の役目だ。

 

 すでに大人である男性には言葉に詰まるだろう。

 

 安穏とした滑走路と管制塔。海での危険もなく、下手をすればまともに深海棲艦すら見たこともないんじゃないかと思えるほど、この航空基地は長閑だ。

 結局男性は、吹雪が助手席に座るその瞬間まで、叢雲に言葉をかけることはなかった。

 

 

 

 叢雲がハンドルを握っていた車は、吹雪の一声で寮ではなく、森の奥にある一軒家へ到着する。

 すでに日が落ちている。森ともなれば真っ暗で何も見えない。

 月光に煌めく分、夜の海の方がまだ視界が開けているほどだ。

 

 ずいぶんと埃を被った古臭い石造りの中に入って、吹雪は電気を灯していく。

 叢雲には趣味のわからないインテリアばかりが並んでいる。絵、飾り、皿……どれもが、何を意味しているのかさっぱり理解できない。

 

 奥の部屋まで入った吹雪の声が漏れ聞こえた。

 

「連絡は? ……そう。もう大丈夫。休んでください。ありがとうね」

 

 相手は庁舎の磯波だろうことはすぐにわかった。

 

 すぐ近くにあった扉を開けて、覗きこむ。

 薄明るい暖色の電灯。真っ赤なカーテンに囲われた大きなベッド。密接した二つの枕。

 艦娘は女の子だ。自分から見ても可愛かったり綺麗だったりと思える者も少なくない。

 

 ヒトの男がいたら連れ込んで、そういうことができそうな部屋だと思った。

 ……嫌気がさして扉を締めた。

 

「ここはどういう建物なのかしら?」

 

「ゲストルームみたいなところ。私たちには使う権利があって、たまには使わないといけないの……誰も二度は来ないけど」

 

 内装も吹雪の趣味ではないと言いたげ。

 

 大人たちが艦娘のためを思って作ったらしいゲストルームのような建物。

 ……一体艦娘のどこをどう思いやって作ったのかなど、質問するだけ無駄だろう。

 それならまだ、私物が置ける分自室の方がマシだとさえ思う。

 

「じゃあ、他のみんなは一度は来ているのね。吹雪と?」

 

「……二人だけっていうのはあまりないかな」

 

「どうしてよ」

 

 ダイニングだろう、重そうな木製のテーブルと、作りの良さそうな布張りの椅子が四つ並んでいる。

 もてなす部分を間違えている、と指摘したところで吹雪にはどうすることもできないことはわかっていた。

 

「冷凍しかないけど、ご飯はあるから心配しないで」

 

 叢雲に答えないまま、吹雪はキッチンへと引きこもる。

 

 その瞬間に、今までの疲れがどっと襲ってきたように肩が重くなった。

 ……やるべきことなど、あってないようなものだ。

 

 旅団という組織について調べても、出て来る気配すらない。

 そもそもショートランド泊地からは、作戦行動中だった重巡・高雄が消息を絶ち、潮が途中から失踪。二人とも最低限の私物をまとめていたものの、貴重品も綺麗になくなっていた。

 また肝心の、青葉が朧気にしか覚えていないという手紙は青葉が処分したらしい。

 つまりショートランドだけで三人分もの証拠がどこかに潜んでいる。

 

 確たるものは何もなくとも、ブインからいなくなったのは駆逐艦響のみ。

 地道に進めれば進めるほど、この殺風景な基地にあると思えない。

 

 そしてもし襲われた際の対応を施そうとするにも、この基地の艦娘たちはなぜか、叢雲よりも手際の良い引き際の対応を見せる。

 

 溜息と共にテーブルへしなだれてすぐ、吹雪が料理を運んできたのが見えた。

 

 今気になることといえば、この基地に来てからずっと違和感が離れない、吹雪そのものだ。

 叢雲の知っている吹雪ではない。

 もっとあどけないはずだった少女が、激昂する場所が変わり、普段はこうも落ち着き払っている。

 

 そして更に気になるのは、昼間に磯波から聞いた言葉。

 

「ねぇ、吹雪」

 

「はい?」

 

 叢雲の眼前に湯気の立つパスタを置いて着席した吹雪が、首を傾げて尋ねる。

 

「私の艤装の前任者も、ここに泊まったことがあるのかしら?」

 

「そうだけど……どうしてそれを?」

 

「磯波が言ってたわ。あなたが殺したんだって」

 

 ゆっくりと起き上がりながら、見つめる。

 

 フレンドリーファイア――味方同士の誤射被弾は少なくない。

 だが綺麗に艤装を残した状態……つまり明確に殺害の意図があって行われるものとなれば極端に減るだろう。

 

 もし仲間を嫌っていたとしても、艦隊を分けてもらえばそれで済む。

 

 そうでなくとも艦娘の平均寿命は低い。艦娘のままでのまともな生存率はゼロと言っていいかもしれない。

 艦娘は歳を取らない。病にも通常の人間と同じように対処できる。

 だからこそ艦娘が死ぬ方法なんてものは、戦い以外にそうありはしない。

 

 わざわざ自分の手を汚すような必要があるのか、叢雲にはわからなかった。

 

 磯波がどこかから聞いた噂を語っているだけのようにも思える。

 

 だから、吹雪の物憂げな言葉には全身が凍りつくようだった。

 

「もしかして、叢雲ちゃんも殺してほしい?」

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