「泉樹って女の子。草薙さんの娘の父親って、もしかして……」
今日の海は機嫌が悪そうだった。波が追い立てるように暴れている。
昼間の空はどんよりと雲に覆われて今にも泣きそうで、風当たりが激しい。
「そろそろ燃料切れも近いわ。戻りましょう」
「そうですね」
叢雲に同意した磯波が左右を確認した……その時。
「ねぇ、叢雲ちゃん……見える?」
磯波の視線が注がれている先を、ようやく確認できた。
「ええ、見えるわ」
二体……距離はそれほど離れていないはずだが、シルエットが掴みにくい黒い影がそこにあった。
「私、確認してくるね」
向こうもこちらを見つけたのだろう。こちらへ向け転身した。
離れていく磯波を見つめながら呼びだした表示枠に、深海棲艦との反応はない。
……でなければ艦娘かと安堵して、しかしすぐに旅団のことを思い出す。
艦娘同士であっても、殺し合いをしなければならない恐怖。
だが旅団のメンバーが無闇矢鱈に攻撃をしてくるわけではないことを、叢雲は知っている。
でなければ、加古の艤体を奪おうなどという不可思議な行動をした必要性がない。
そこに何かしらの目的があった行動だからこそ……自分たちで目的を設定できるほどには、頭を使える連中であると考えられる。
だからすぐに発砲してくるわけではないとも。
しかし次の瞬間になって、裏切られた。
砲声。そして手に持っていた連装砲が手ごと弾け飛ばされる磯波。
痛々しい悲鳴が、耳に飛びこんだ。
どちらが撃ったかなどわからない。
手を伸ばせば届くほどに、磯波と黒い影の距離は近い。
「あなたは……まさか……!」
叢雲は駆け出していた。
あれほど近ければ、救う手立てが残されていないとわかっていながら。
「ハンター……」
「ハンター?」
聞いたことのない単語を口走る磯波。疑問符を浮かべる叢雲。
黒い影が誰なのか。確かめる手段があまりにもなさすぎる。
磯波にとっては二体一だ。すでに戦うことを諦めているのか、棒立ちのままピクリとも動かない。
その黒い影が腕を伸ばす。頭へ。
「逃げてぇ叢雲!」
それが最期の言葉だった。
再度響いた砲声と共に、赤を吹き出しながら倒れていく磯波の身体。
叢雲の判断は早かった。
磯波が生きている可能性も、死体を持ち帰ることも諦めた。
魚雷を放ってから踵を返し、距離を取る。
雷跡が真っ直ぐ伸びていく中で、二人の視線がこちらへ向けられたのを悟る。
次の瞬間には砲塔が弾け飛んでいた。
強力で正確無比な攻撃。
二体一の上に敵がどれほどの実力を持っているか計り知れない以上、立ち向かうには無謀すぎる。
すでに磯波も海の藻屑となっているだろう。
叢雲の役目が、生きて帰還し、他の人たちにそれを伝えることとなった。
すでに距離は離れているとはいえ、油断は潰えない。
だが二つの影はこちらを見つめたまま、砲撃するでもなく、じっと叢雲を見つめるだけだった。
まだ吸い始めたばかりだろう煙草が持ち上げられないまま、灰皿で半分ほどが灰になっている。
吹雪が重苦しそうに頭を抱えていた。
「磯波ちゃんは、ハンターだと?」
「そうよ。それが何なのか、教えてくれない?」
黙って首を横に振る吹雪。
怒りに力が溢れたまま、その胸ぐらを掴んでやろうとして、やめる。
仲間の喪失に悲しんでいるのは叢雲だけの話ではない。むしろ叢雲が一番の新参者だ。より深く親交を深めていただろう吹雪が堪えるのは、当然だ。
考えがようやく追いついて、回れ右をする。
気がついたら降っていた雨を通って、寮のロビーに深雪と白雪を見つけた。
長閑に暇を潰しているような雰囲気ではない。凍えるような深閑に身をすくませている。
テーブルに磯波が育てていた小鉢があった。まだ芽を出していない。
これから誰が水をやるのだろうかと思うと、気が滅入った。
「……頭を撃たれた。あっという間に死んだわ」
誤魔化す手段を探して、結局煙草を咥えるしかなかった。
深雪が、飲み干したのだろう瓶を投げ出して、冷蔵庫から新しいものを取り出す。
「見たの?」
「あの二人組って、何なの? ハンターって?」
二人の視線が、一瞬だけ集中したのを感じた。
二人とも知っているのだろう。無論、吹雪も。
「あいつらに海で出会ったら、生きて戻れない。深海棲艦じゃないことは確かだけど。
ちょうど旅団騒ぎで、一番暇そうなうちを狙ってきたのかもね」
「ありそうな話ですね」
白雪が虚ろげに同意する。
「ハンター……」
狩人。艦娘をあれほど簡単に殺す。まるで自分たちが獲物であるかのような呼び名。
……ショートランドにいる間、そんな存在は聞いたことが無い。
むしろ外界を基本的にシャットアウトしていたショートランドが異質だったのかもしれない。
「旅団の連中とは違うの?」
「旅団が出て来るずっと前から、ハンターはいますよ」
白雪が答える。その横でまた一本を飲み干した深雪が、口を開いた。
「これは噂だけど。奴らは私たちと根本的に違う、大人なんだって」
「海を歩けるのに?」
「うん」
それは深海棲艦と艦娘の――艤装を持つことができる者の特権だったはずだ。
深雪は上を向く。遠い事実を確認するように、受け入れたくないものを無理矢理に理解するように。
「大人だって」
「大人……ね」
叢雲もきっと、深雪と同じような顔をしているのだろう。
大人が艤装をつけている。
受け入れられない。
何のために戦ってきたのか。そしてこれからどう生きていけば良いのかも、わからなくなる。
人類のために戦っているのに、なぜその人類に殺されなければいけないのか、全く理解できなかった。
……吹雪が単身で海へ出たと、ずぶ濡れになった明石が飛び込んできたのはその直後だった。
吸い殻が山と盛られている。
扉が開いて、すぐに叢雲は問いかけた。
「どうだった?」
「連絡が何もない」
びしょびしょになった深雪が答える。
焦りと苛立ちに、深雪の歩は早くなっていた。
そのまま冷蔵庫に手をかけたところで、白雪が手首を握り止める。
「ビールは駄目です。天候が回復したら捜索に行くかもしれませんし」
「ハンターだぞ!? たった一人でなんて……!」
深雪が舌打ちして、荒っぽく冷蔵庫を閉じた。
これほどの悪天候。ハンターという艦娘とは似て非なる存在。一人で海へ躍り出た吹雪。
最悪の状況。
磯波が死んだことを憂いている猶予すら、吹雪はくれなかった。
「なんで、吹雪はハンターのところへ……?」
ハンターに関係するものしかないことは想像に難くない。
なら吹雪が執着する理由が知りたい。
磯波の復讐とでもいうのか? あの吹雪が?
「本人が戻ってきたら聞いてみりゃいいよ」
ヤケクソ混じりに深雪が手を振った。
白雪がぼそりと呟く。その言葉で部屋の中がしんと静まり返った。
「戻ってこれたら、ですが」
「近くの岩礁でうずくまってたわ。あそこで擦り傷だけなんて運がいいね」
間宮が、いつもの割烹着をずぶ濡れにしている。笑顔はない。
珍しい来客の背中に、吹雪がいた。
「……ありがとう」
吹雪を受け取って、中へ入る叢雲。
ひどく冷え切った身体と、蒼白な顔。水兵服は至る所に穴が開いて焼け焦げている。戦闘の跡。
「毛布を持ってきて!」
ロビーで控えていた明石が叫びながら、吹雪をぶん取っていく。中で深雪たちも大慌てで走り始めた。
「吹雪ちゃん、かなり危ないね」
「えっ……?」
ぼそりと聞こえた間宮の呟きに振り返る。
危ないとは、どういう意味なのか?
「すごく真っ直ぐで……ここが、ぶつかっちゃってる感じ」
間宮が手を当てたのは、自分の胸だった。
……それはわかる。
吹雪はどこかしらが異常だ。ハンターに対する思いなのかはわからないが、普通の吹雪が取らないことばかりをして、そしてちゃんとした結果に結びついていない。
情動だけ暴走して、そのまま空転を続けている。どこに向かっている意識なのかすら、彼女自身が見失ってしまったかのように。
叢雲が受け止めている間に、間宮は踵を返していた。
明石が毛布を被せる横で、叢雲も見下ろして屈む。
頬にぺっとり貼りついた髪を払ってやろうと手を伸ばす。
唐突に、手首を冷たく掴まれて、思わずびくりと跳ねてしまった。
……人形のように表情もないまま、薄く目を開ける吹雪。
「煙草、ある?」
思わず横へ目をやっていた。
これほど弱っている人間に、煙草という健康被害しかないものを与えていいのかわからなかった。
だが明石は頷いた。叢雲はポケットから煙草を取り出す。彼女の口へ持っていこうとした時に、その唇が震えるように言葉を紡いだのが見えた。
「……迷惑かけてごめんなさい。みんなにも、そう言っておいて」
ようやく叢雲の手首を掴んでいた手から力が抜けてぺたりと落ち、叢雲は再び明石へ視線をやっていた。
「……気を失っただけですよ。見たところ骨も内蔵も大丈夫そうですし、ちゃんと目を覚ましてから、落ち着いて入渠させましょう」
叢雲の背筋を撫でていた不安は杞憂に終わった。
だが明石の言葉は止まらない。
「もしかしたら聞いていると思いますが、近々ショートランド泊地と合同で出撃をするようです。その間はここも空っぽになるでしょう。
……それまでに、ハンターとケリを着けておきたかったんだと思いますよ」
吹雪に渡すはずだった煙草を自分で咥えながら、ゆっくり立ち上がる。
作戦の話を聞いたのは初耳だが、それ以上に、心内を察することができる明石と吹雪の関係が気になった。
「明石さん、吹雪と長いんだよね?」
「それが?」
「吹雪とハンターって、何か因縁でもあるのかしら?」
「もう休んだ方がいいですよ」
……また明石は答えなかった。
追って、次の疑問が叢雲の頭をもたげる。
なぜ吹雪は、ハンターなんて馬鹿げた存在に一人で立ち向かって、そして目立った負傷もなく戻ってこれたのか?
……しかし問いかけるのは今ではない。
結局煙草に火を着けながら、そこを後にする。