鉄底海峡に待雪草を   作:在田

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「お先~」


Klakòw

 ここ最近嫌なことばかりだったから気分転換しよう、と言い出したのは深雪だった。

 

 ショートランドと違い、ブインには艦娘以外の人間が居を構えており、艦娘たちとは違う日常を送っている。

 だからそこへ艦娘が行くことも、許可さえあればできないわけでもなかった。

 

 ……そして思ったより簡単に許可が降りた。

 しかし夕刻すぎのことで、街へ着いた時には日が沈んでいた。

 

 深雪の言う気分転換がどんなものかはわからないが、何をどうやって遊べばいいのかも叢雲は知らない。

 そもそも、島全体が軍施設のようなショートランドには娯楽と呼べる娯楽などなかった。

 だから深雪に連れられるままに街を歩き回って、人の姿すら見なくなった頃になってようやく、深雪が遠くを指差した。

 

「あれ、何に見える?」

 

「ん? さあ、わかんないわ」

 

 建物の上に聳える白い物体。妙に下だけ膨れた、縦に長いひょうたんの形。そのくぼみに赤いライン。

 釣りの浮具かと最初に思ったが、そのはずもないだろう。

 

 そして遠くから車のエンジン音と光が近づいて、二人の横で停車する。

 どこかで見たポルシェのナロー911に乗っていたのは、吹雪だった。

 

「あれ、奇遇だね」

 

「ボウリング?」

 

 なぜここにいるのかという疑問などそっちのけで、吹雪は深雪と同じものを見る。

 深雪がにんまりと笑う。

 

「ビールぐらいは飲めると思ってね」

 

 

 気持ちのいい音を立てて、ボウリングのピンが弾け飛んでいく。

 それでも少しだけ残ってしまったものを見て、深雪が声を荒げた。

 

「惜しい! こりゃスペアでしょ!」

 

 照れ隠しに苦笑いした吹雪が髪を掻き分けて、穴から吐き出されたボウルを持ち上げる。

 

 なんとなく叢雲でも、ルールがわかった。

 あのボウルでピンを倒す。倒せるように投げる。そういうゲームなんだろうと。

 

 そして吹雪の第二投は、さっきと全く同じ軌道を辿って残されたピンにかすりもしないまま奥の暗闇に飲み込まれた。

 

「あちゃー」

 

 自分のことのように深雪が額に手を当てる。悔しそうな声だが、とても楽しそうな顔だった。

 ……たくさんピンを倒した方が勝ちなら、深雪が何を悔しがっているのかがわからなかった。

 

 そしてまた三角形にピンが並んで、今度は深雪がボウルを放る。

 鮮やかな横回転。レーンの中ほどまで脇の溝へ向かうはずだったはずのボウルが、弧を描いて先頭のピンへ吸い込まれていく。

 十本すべてが、けたたましくも爽快な音と共に奥へ引っ込んだ。

 

「ぃよっしゃあーっ!」

 

 まるで価値のわからない偉業の成就に、乾いた拍手を送った。

 

 再びピンが並ぶ。同じように叢雲の番が来た。

 深雪のように習熟しているわけではない。だから叢雲は先頭にさえ当たればいいというつもりでボウルを投げた。

 

 深雪と同じ偉業が成し遂げられ、鼻を鳴らす。

 悪くない、と思った。

 そして振り返った先には吹雪しか残っていない。

 

「深雪ちゃんは別のゲームに行ったよ。男の人に声をかけられて」

 

「それ、いいの?」

 

「いいんじゃないかな。格闘訓練も一通りできるわけだし」

 

 そういうつもりで聞いたんじゃないと返すつもりはなかった。

 

 夜遊びに否定的な姉ではないようだが、自分でするつもりは一切ないだろう。叢雲自身にも一切ない。

 

「それで、まだやるの?」

 

 メンバーが一人いなくなって同じゲームを続けるのは難しいだろう。

 叢雲としてはやり直しでもう一度するつもり満々の問いかけだった。

 

「うーん、これ苦手だから、ちょっとお酒でも飲まない?」

 

 げんなりしたが、お腹が空いているのは叢雲も同意だった。

 そして、吹雪が自分から酒を飲みたいと言い出していることが、不思議でもあった。

 

 

 ワイングラスに注ぐ姿があまりにもぶっきらぼうすぎて品がない。

 ひどい酔い方をしている。それも当然で、信じられない勢いでパカパカとボトルを開けているのだ。

 空になったボトルを、追加とばかりに掲げている。

 そもそもあまり酒に強くない上に、すでに出来上がっている彼女を連れて帰ることを考えれば、これ以上は避けなければいけない。

 

「言っとくけど、私はもう飲めないわよ」

 

「私が飲むから」

 

 その直後にグラスはまた空になった。

 

 のぼせるような赤みを含んで、ぼんやりと空を見つめている吹雪。

 視線に、どこか憂いのある陰を見た。

 

 ……それがなければ、酒に誘うこともしなかっただろうとことは想像に難くない。

 それの見当はついている。

 

「この前、なんであんな無茶をしたの? ハンターって何者よ?」

 

「あの人、私と同期なの」

 

「……艦娘として?」

 

「そう。私はずっと艦娘だけど、あの人は艦娘をやめた。特別なの。艦娘をやめて、大人になっても艤装をつけている」

 

 何かを催促するように、吹雪の視線は叢雲へ向けられる。

 

「なんでそんなことを?」

 

「いろいろあって、艦娘をやめざるを得なくなったから」

 

 結局細かい話をしてくれないのかと諦めるのと同時に、一つの疑念が湧く。

 

「そのハンターを追い返せば、何か変わるのかしら?」

 

「え?」

 

 驚いたように、吹雪が眉を上げる。

 

「なんていうのかしら……運命とか、限界? そういうものが」

 

「たぶん、そうなんじゃないかな。でもあれは、誰にも倒せないよ」

 

「なんで言い切れるのよ?」

 

「……私たち、今の敵は何なのかな? 深海棲艦? それとも旅団? じゃなきゃハンター? もしかしたら自分たち?」

 

「考えたらきりがないわ」

 

「殺し合いなのに?」

 

「そんな大仰なもんじゃないわ。深海棲艦はどこまでいっても害獣よ? だからこれは害獣駆除の仕事。

 どんな仕事でも似たようなもんよ。相手を押しのけた方が勝ち。私たちの勝ちは人類がかつて手に入れていた海を取り戻すこと。

 表面上は戦争みたいなもんだけど、結局は深海棲艦との陣取り合戦みたいなゲームよ」

 

 それは叢雲の考えでもあった。

 艦娘が深海棲艦になってしまうかもしれない噂がある。それは恐怖だ。艦娘としての誇りだってあるが、それを無に帰して泥を塗りたくる作業を始めるのだから。

 

 だが、今の叢雲はそうしない。そしてそうじゃない艦娘になるつもりもない。

 そうして深海棲艦を倒し続けていけば、この戦いは必ず終わりを見ると信じていた。

 

「そう。ゲームだから、合法的に殺すことも殺されることもできる」

 

 ……だが、吹雪の考えは叢雲とは根本的な着眼点が違った。

 

「……面白い発想ね」

 

「面白い?」

 

 声に、剥き身の苛立ちが混じっている。

 吹雪の顔が、今度こそこちらを向いた。無表情の中に、明確な意志が篭っているのを感じる。

 

「戦争はどんな時代でも完全に消滅したことはない。

 それは人間にとってその現実味がいつでも重要だったから。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っているという現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だから。

 そしてそれは、絶対に嘘では作れない。戦争がどんなものなのか、歴史の教科書に乗っている昔話だけでは不十分なの。本当に死んでいく人間がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけなければ、平和を維持していけない。

 平和の意味さえ認識できなくなる。

 海の上で殺し合いをしなければ、生きていることを実感できない私達のようにね。

 そして、私達の戦争が決して終わってはならないゲームである以上、そこにはルールが必要になる。

 例えば、絶対に勝てない敵の存在」

 

 絶対に勝てない……圧倒的な数的有利を誇る深海棲艦はそうかもしれないが、しかし吹雪の問いかけではそうとは思えない。

 吹雪の言葉を鵜呑みにするならば、深海棲艦を人類が作り出したと解釈するしかなくなってしまうからだ。

 旅団は経緯からして違う。自分自身との戦いなんて禅問答じみたものを吹雪は求めていないだろう。とすれば答えは一つになる。

 

「それが、ハンターだと?」

 

 吹雪は答えない。人形のように力ないまま、交換されたボトルを手に取ってグラスに注ぎ直す。

 ……ようやく、叢雲は言おうとしていたことを言えると思った。

 

「飲み過ぎじゃないの?」

 

 

 結局、酔いつぶれた吹雪を担いで帰ることになった。

 ちゃんと立つことすらままならない。支える叢雲も不安定にぐらついて一向に進まない。

 

 それでも道端に置いていこうという発想はなかった。

 深雪がいつの間にかいなくなっていたように、吹雪も一人で帰るぐらいできるだろう。朝になったら勝手に目を覚まして勝手に基地庁舎に戻っているだろう。

 

 だが不安だった。今の吹雪を置き去りにしてしまえば、それこそいつぞやの単独先行のように、今度こそ海へ潜ってしまうんじゃないかとさえ思った。

 

 そして耳に飛びこんで来たエンジン音に、脇へ退けた。

 通り過ぎていく車。いつからできていたのかわからない水たまりのが跳ねて、被る。

 

 海に出ていればこんなことなど日常茶飯事だった。むしろ水を被らない方が珍しい。

 だから外出用のお気に入りの服でも、構わず進もうとした。

 

 しかし同じように濡れた吹雪が、叢雲の腕を振りほどいて懐から出したそれを見て、飛びかからずにはいられなかった。

 

「待っ……落ち着きなさい!」

 

 ――拳銃。

 安全装置を外す所作だけは日頃の修練が淀まない鮮やかな動きだからこそ、凶悪だ。

 遠退いていく車を、どれほど正確に撃ち抜いてしまうのか想像もつかない。

 

 両肩を壁に抑えつけて、怒声をあげる。

 

「民間人に向けるものじゃないわ!」

 

 真っ赤に火照っている顔を見つめる。

 吹雪がそうするのは殺意でも敵意でもない、単なる苛立ちであることはわかっているつもりだった。

 

 たかが車に濡らされただけだ。

 

 だが衝動に眩んでいる表情を見て、それでも失望してしまう。自分の姉に当たる彼女が――自分よりもこの島で長く生きてきたはずの彼女が、こうも乱れた姿となっていることに。

 

 不意に吹雪が、手に持っていた銃を叢雲の頭に突きつける。

 何かの拍子に人差し指に力が入るだけで、叢雲の意識も命も途絶えてしまうだろう凶器がすぐ横にあるのに、不思議と怖くない。

 

「ねぇ、叢雲は殺してほしい?」

 

 問いかけてくる吹雪の顔は、悲しげだった。

 

 ……殺したくて殺そうとしているわけではない。

 答えるつもりになれない。その代わりに銃を握る手をそっと退かし、外側へ向けた。

 

 吹雪の顔が豹変する。

 常にぴんと張り詰めていた緊張がゆっくりと溶けていくように、破顔していく。

 内側に隠して押し殺していた悲しさが表れて、涙の枯れた泣き顔になる。

 

「それとも、叢雲が私を殺してくれる?

 そうじゃないと、私たちはずっと……永遠にこのままなんだよ」

 

 嗚咽に揺れる吹雪。涙だけが欠如していても、吹雪は確かに泣いていた。

 

 叢雲にもわからないほどの時間を過ごしてきたのだろう。

 酒に酔って、普通の艦娘では考えないような論理を持ち出し、挙句の果てに振り切れた感情を抑えきれていない。

 

「そんな物騒な話、今する必要ないでしょ」

 

 吹雪の額が叢雲の胸に当たる。

 甘え方すら忘れてしまったのだと、ようやく気づいた。

 

 そんな吹雪を抱き留めたり、頭を撫でたりしようと思えるほど、叢雲は男らしくない。

 ただ、すぐにでも凶弾が飛び出そうな銃を、優しく取り上げるしかできなかった。




この話とは関係ないですが、この物語の完結章のプロットができました。

週一という遅いペースの更新なので終わりも遠のきますが、年内には終わってくれるはずです。
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