「いや、そんなふうに新聞をたたむ奴がいたなと思って」
どこも変わっていないはずなのに、久々に戻ったショートランド泊地はひどく新鮮だった。
しかし懐かしさとは違う既視感ばかりで、違和感が拭えない。
作戦開始前に設けられた交流会の場でも、それは同じだった。
誰かを見て、小さく言葉を交わして笑う青葉と衣笠。
新しく来たのか、黙々とポップコーンを食べる初雪。
珍しそうに新聞を見つめる長良と五月雨。
変わらずぼうっと上を眺めたままの白雪。
……久しい顔ぶれでも叢雲の居場所はなかった。所在なくふらふらと彷徨っても、知っている場所なだけに居心地が悪い。
外へ向かおうと歩き始めた時だった。
龍驤と話し合う吹雪を見つける。作戦に関係することなのか、真剣そうな表情。
目が合った。
真剣な表情が少しだけ変わる。いつもの表情。平静を取り戻した、笑みとも照れとも違う朗らかさ。
だが話すことはなく、そのまま外に出る。なぜかぼんやり月を見上げていた深雪を見つけて、一言二言会話して、青葉が挨拶に来たから応じて……。
交流会は終始静かなまま終わった。
「あー、今回はショートランドとブインの合同作戦。これまでにない大規模艦隊での出撃や。目標はソロモン諸島沖。例の鉄底海峡……アイアン・ボトム・サウンドにまた出てきおった強大な深海棲艦や」
暗い部屋。龍驤がスクリーンの前で胸を張る。
スクリーン上に矢印が浮かび上がり、伸びていく。
「この泊地から、それぞれ別個の艦隊が順に出撃する。最終的に出撃する艦娘は合計で七十二になる予定や。水雷戦隊と航空戦隊それぞれが別個に分かれて、奴さんの前衛をならして、最後の艦隊が本丸を叩くっちゅー段取りや。
……んで、ブインの吹雪、何か補足はある?」
龍驤が横に退いて、代わりに吹雪が前に立つ。
「ショートランドの皆さんならご存知かと思いますが、何度も敵が出現している場所です。こちらも作戦を練ることはできますが、向こうも同じ手段ばかりで何度も倒せるわけじゃないでしょう。観測した反応として、サボ島の手前に戦線を設えている可能性が高いです。その戦線に辿り着くまでは、なるべく弾と燃料を温存してください。以上です」
吹雪がスクリーンの脇へ退いていき、龍驤が前に出る。
「そういうことや。んじゃ、二〇分後に出撃の港で」
十二人の艦娘が、装甲粒子を纏って海へ出ていく。六人の編隊が二つ。それぞれの陣形を組んでいく。
しばらくして次の十二人が出撃した。携えた艤装の確認を妖精さんと共に行いながら、やはり整った列を成す。
……ブイン島。その市街区に、彼女たちの戦いがニュースで伝えられる。
自分たちの生活を守ってくれるあどけない少女たちに、人々は期待と好感を寄せる。
ブイン基地の間宮も、ニュース番組を流すテレビの音量を上げる。
店内に残されていた明石も、それを見た。
『Lage-scale Marine battle』――大規模海上戦闘。
人々に伝播していくものは言葉だけだ。
青い空に白い雲が漂っている。真っ青な海に、真っ白な波の光が灯る。
水平線がにわかに丸く描かれる。眩しく輝く太陽に見下される。
そこは自分たちと敵だけがいる。そこに光景が広がる。そこで戦いが行われる。
安全地帯などない。隠れることも逃げることも決して叶わない。
いつ襲うとも知れない反撃。どこで沈むともわからない猛攻。
誰かは砲弾に、誰かが魚雷で、誰かに爆撃が――。
凶弾に恐怖し、誘爆に警戒し、負傷に我慢し、轟沈に戦慄し――。
艤装なのか、主機なのか、足なのか、腕なのか、胸なのか、頭なのか――。
身がもがれるような、裂けるような、灼けるような、朽ちるような、腫れるような、砕けるような――。
傷を負って、血を流して、弾を撃って、煙を吹いて、涙を流して、五体を失って、意識を飛ばして、魚雷を放って、燃料を漏らして、仲間を担いで――。
――それでも、生き続ける努力と、戦い続ける覚悟と、勝ち続ける勇気と、殺し続ける信念を、耐えさせない。
戦うことを、終わるまで続けないといけない。
だが人々は決して、それを見ることはない。
その場は危険だから、行こうとしない。
やがて目標を倒して、艦娘たちは帰路に着く。
艤装はまだしも、艤体や肉体を失った者も少なくない。
そしてそもそも、帰路に着けなかった者も少なくない。
なんとなく数が少ないことをわかっていても、誰も数えるつもりになれない。
誰かがいなくなったことを、考えるつもりになれない。
吹雪と龍驤は戦いに参加していない。
叢雲は奇跡的に、少しばかりの負傷で済んだ。
深雪は艤装を失くしたが身体を失っていなかった。
白雪はいなかった。
吹雪がどんな顔をするのか……いや何も表情を変えないかもしれないと思って、溜息すら吐けない。
……戦闘の渦中で、頭の中にいたのは吹雪でも深雪でも青葉でもない。
ハンターと呼ばれる二つの黒い影。艦娘を殺すための存在。
人類を滅ぼすための深海棲艦と、深海棲艦と駆逐するための艦娘。
深海棲艦でもないのに艦娘を殺すための存在であるハンターが、一体何者なのか。
さっきまで行っていた戦いの中に、もしかしたらいたんじゃないのか。
そんなことばかり、叢雲は考えていた。
ショートランド泊地からブインへ戻る時だった。
旅団に関する調査という、治安維持機構の仕事が疎かであるということで、青葉が一時的にブインへ移籍することになった。
皆で連絡橋を渡り、懐かしの基地へ戻った時に、出迎えてくれたのは明石だけではない。
ミズキ。初雪の姿をした、艦娘ではない少女が、明石の犬とじゃれあっていた。
ようやく戻ったと理解して、疲労がどっと押し寄せる。
戦いがない光景がひどく懐かしく、そして不思議にすら思えた。
叢雲の肩をつんつん突き、青葉はミズキを指差す。
驚くのも無理はないだろうと思う。傍から見れば初雪なのに、泊地で見た初雪とは全然違う快活さ。
「あれ初雪さんですか?」
「違うわ。たぶん前回の解体処理に失敗した子よ」
「再処理に成功して、民間に帰ったと聞いてますが?」
「さあ。どうしてここなのかは知らないわ」
それよりもベッドで横になりたかった。
体が疲弊している。心が摩耗している。
あまりにも過酷だった大規模海上戦闘。
疲れを癒やす暇すらないまま今にいる。
早々に青葉と別れて、ロビーの扉を開けて、とある艦娘を見た。
庭に続く窓からじょうろを傾けている三つ編みおさげ。
磯波が育てていた苗に、磯波と同じように水を入れている、磯波と同じ姿の少女。
確認に、口を開いた。
「……誰?」
「あ、新しく配属された艦娘です」
訪ねたいのはそれではない。
「私は叢雲」
「あの……磯波と申します。よろしくお願いします……」
磯波と名乗る磯波にしか見えない少女は、水やりを再開した。
初めに大きな植木の根本、そして葉っぱへ。次いで横長の植木鉢に早めの三往復。最後に芽すら出さない小さな植木にたっぷり。
終わって、音を立てずに空のじょうろを横に置いて、満足げに頷く。
記憶にあるものと全く同じ動作に、思わず口を開いてじっと見つめていた。
「……どうか、しましたか?」
不意に聞こえてきた言葉で、我に返る。
「いえ、そんなふうに水やりをする人がいたなと思って」
「そう、ですか」
歩み去ろうとする磯波に、叢雲は問いかけた。
この磯波が知っているはずのないだろう、以前の磯波が懸命に育てていた小さなプランター。
まだ目を出さない苗。
「ねえ、その最後の。芽が出てないけど」
「あ、これですか……」
屈んで覗きこむ磯波。
「これはたぶん、スノードロップだと思います」
「スノードロップ?」
「この苗の名前です。冬にしか咲かないんですよ。真っ白で小さくて可愛い花なんです」
「……冬? 常夏のここで?」
「私が植えたわけじゃないので、わからないですけど」
そういえばそうだったと思い出して、磯波が去っていくのを見届けてから、叢雲は見やる。
土だけのプランター。水を吸って、そして染み出した水がコンクリートを暗く染める。
以前見たものと、全く同じ光景。
以前見たものと、同じ姿の磯波。
磯波が二人いるわけではないだろう。
解体処理に失敗した初雪がミズキとなり、ショートランドには新しく初雪がいた。
叢雲には前任者がいた。前任者の艤装を、しっくりする形で継承した。
叢雲が二人いるわけではないだろう。
だが継承できた。
叢雲の艤装のように、磯波は植木当番を前の磯波から継承した。
なら、叢雲の艤装の前任者は……?
叢雲は気づいた。
気づいて、疲れなど忘れてそのまま硬直してしまった。
叢雲は何度、叢雲としてここに配属された?
何回出撃した?
間宮のミートパイを何食平らげた?
吹雪に何度挨拶して、そして何度拳銃で撃たれた?
……今の叢雲が、ではない。
ずっと前の叢雲から、叢雲は何回生き返ってここにいる?
そんなこと、今の叢雲では覚えているはずがない。
ずっと前の叢雲など、叢雲は知らないのだから。
しばらくの日々を、いつも通り過ごしていく。
煙草を吸って、犬を撫でて、犬は少し臭そうにこちらから顔を反らす。
哨戒任務から帰還して、深雪と戯れて、間宮のミートパイを口に入れて、コーヒーを飲む。
夜な夜な自分の艤装を見つめて、横で明石が眠った犬の背中を撫でている。
……その日々が叢雲にとって、記憶にない昔の話なのか、記憶にある過去の日々なのか、それとも今過ごしている時間なのか、区別がつかなくなってきた。
ずっと前から繰り返される日常が、今の日常とそっくりそのまま同じであるように。
反復する生活が、反芻する思い出と重なるように。
まるでゴーストのように……機械の身体の延長線上に今の肉体があるように。
幽霊のように、生きているのか死んでいるのか生き返ったのか死んでいないなのか、わからないような日々を継続する。
この光景を何度続けてきて、飽きることもなく、諦めることもなく、性懲りもなく、この行動を何度続けていくのか?
それでも叢雲は日々を過ごす。
凡庸な日常が、陳腐に自分が死んだとしても、平凡なほど新しく繰り返されていくことがわかってもなお、死ぬつもりはなかった。
今の自分だけが持つ記憶と身体と精神を放棄するつもりはなかった。
何か、普遍でもなく、尋常でもない、別の新しいことができると信じると決めた。
なぜアーマードコアシリーズをベースとしている物語なのに、唐突に押井守監督作品をぶち込んでいるのか。
この話が書きたかったからこそ、ということになります。
当然前の5章にもありますし、続く7章にもあります。
ですが1番は、このシーンでした。