portent
夕日が沈みかけ、空が赤く燃え上がっている。
泊地の敷地内を、歩き回る一人の影があった。
桃色の髪を頭の横で結った、幼い体躯――春雨。
通信で呼びかけても応答が一切ない上司を探して歩き回り、工廠に入る。
「すいませーん! うちの隊長見かけませんでしたかぁー!?」
工廠には機械が唸りを上げる甲高い音が響き渡っていて、大声を上げないと気づいてもらえないことが多い。
幸いにもすぐに音は止み、緑色の髪が溶接マスクを外しながら振り返ってくれた。
夕張。経歴で言えば、春雨の先輩にあたる。
担当する分野があまりにも違いすぎて、春雨とそこまで接点があるわけではないが。
「え、なに? 龍驤さんがなんだって?」
「隊長さんを探しているんです」
「ああ、さっき裏の方へ行くのを見たわ」
「ありがとうございます!」
一礼してから、春雨は走り出す。
工廠の裏……海に面したコンクリートの足場。泊地では珍しく、出撃の港と帰還の岬のちょうど間に位置する、コンクリートの足場。
折りたたみ式の椅子に座り込んで、釣り竿を伸ばしている艦娘がいた。
「龍驤さん!」
「お、どないしたん?」
振り返るでもなく、龍驤は釣り糸の沈む水面を見つめながら返答する。
空に浮かぶ黄色い飛行船を見上げながら、夕日の赤に照らし出される赤い服。
……ショートランド泊地、治安維持機構。
龍驤が仕切っているというわけではないが、実質的に機構の舵取りを行っているのは彼女だった。
自警団じみた艦娘の寄せ集めであり、艦娘の本来の勤めである出撃をしなくてもいい権利を得る。
職務怠慢ではない。提督から任命されるほど、信頼されているメンバーでのみ構成されている組織。
つい最近まで一般事務のほとんどを行ってくれていた叢雲がブイン基地へ異動し、龍驤も少し忙しくなるはずだった。
が、代役として選出された春雨と、前からいた衣笠にほとんどを押しつけ、龍驤は管理職としての怠慢を謳歌しているように見える。
春雨はまじめに仕事へ取り組んでいる。だが幼すぎる上、機微情報の取り扱いにはやや疎い面も多い。
教育担当として抜擢しようとしていた青葉も、叢雲を追うようにブイン基地へ出向してしまった。
だがその仕事に一区切りが着いて、そろそろ戻る予定だったはずだ。
「青葉さんから連絡が入りました。これから連絡橋を通って帰るそうです」
「うーん。叢雲の仕事がそこまで悪かったんかなぁ、それとも長居しているだけ?」
「さあ、そこまでは……」
「あ、そうなん」
興味なさげに応じる龍驤は身じろぎ一つしない。捕れるはずのないハゼ釣りに勤しんで、ずっと夕日を見つめているようにしか見えない。
事務処理を行っていた叢雲が異動し、龍驤の監督業を代行できる唯一の存在だった青葉も出向し、本来なら龍驤は寝る暇もなく多忙となるはず。
だからこそ、青葉が戻ってきてすぐに、青葉へ最低限の引き継ぎのみを行って準待機へ移る手筈となっていた。
準待機とはいえ、つまるところ休暇だ。治安維持機構という組織の都合上、泊地内のトラブルで待機担当が行う場合があるが、それ以上のことが生じた場合には召集をかけなければいけない。そのための準待機という扱いだ。
「あの……」
「どないしたん?」
ようやく龍驤は振り返った。
おずおずとこちらを伺うような春雨の表情が、言いにくいことを言おうかどうか悩んでいますと告げている。
「あの……定刻を過ぎたんで、待機を引き継いで寮に戻っても……」
「そりゃええけど、青葉がまだ戻らんとなぁ」
「やっぱり、ダメですよね……?」
残念そうに肩を落とす春雨。龍驤と同じく、春雨も新米ながら、欠員分を補えるようにと頑張っている事は確かだ。それも数日に渡って。
……治安維持機構として目を光らせてなければいけないこともある。
旅団と呼ばれる組織。艦娘で組織されたテログループとでも言うべき、治安維持機構とは対を成す存在。
だが実情として、まだ特に何もしていないことは共通している。
……いや、以前に所属していた古鷹が何らかの衝突を行っていただろうことは知っている。龍驤も巻き込まれた。
だがその後に、目立った活動というのを聞いたことも、それらしい噂を耳にしたこともない。
「でも、ま、いっかあ!」
「え、いいんですか!?」
龍驤は明るく顔を上げて、春雨の目がキラキラ輝く。激務からの解放がそれほど嬉しいのだろう。
「いいんじゃない? うちも残っとるからさぁ!」
「やったーっ!」
春雨がぴょんぴょん跳ねて走り去ろうとして、しかしすぐに龍驤のところへ戻ってくる。
引き継ぎの挨拶をしなければ、さすがに龍驤も怒らなければいけないところだった。
「春雨、待機任務を終了し、準待機に入ります!」
「ほい。ごくろーさん」
「失礼します!」
「ほななー」
キラキラした笑顔を振りまきながら、春雨は帰りに着く。
龍驤も笑顔を作って手を振り……春雨の姿が見えなくなってすぐ、笑顔はなくなった。
むしろ咎めるような射竦める鋭さすら目にギラつかせて、龍驤はぼやく。
「ええわけないやんか……」
治安維持機構の欠員が二人。新米とはいえそれを補う役目を持っているのだ。春雨が準待機した現時点で欠員が三人ということになってしまう。
傍から見れば龍驤は今も暇を弄んでいるように見えるだろう。雑務を衣笠と春雨に押しつけているようにも思われているだろう。
だが維持機構の隊長のみに与えられる仕事は、山ほどあり、それの処理だけでも忙しいのだ。
頭へ断続的に送られてくる提督の指示を閲覧する時ぐらい、釣りを楽しみながらでなければ気が狂いそうになる。
そして肝心の、旅団という組織がこれまで何もしてこなかったとしても、いつどういう行動を取るのか、予測もつけられないのだ。
テログループと位置づけられていても、艦娘間の問題だ。一次対処は間違いなく維持機構の役目となる。
これ以上の欠員は避けなければならないというタイミングだったのだ。
加えて、ブイン基地との合同の出撃を経て、ショートランド泊地は疲弊しきっている。
前々回の比叡たち、古鷹たちのように幸運で倒せたわけではない。
前回の金剛たちのように大規模艦隊を犠牲にできたわけでもない。
今回の出撃は、大きすぎる艦隊を効率的に運用し、損害こそ減少できたものの、燃料と弾薬の損耗は激しいものとなった。
泊地の艦娘は当分、燃料と弾薬をかなり制限された出撃を強いられるだろう。
……つまり、反撃が緩くなると旅団に悟られでもしたら、そして泊地を攻撃する理由があるのなら、真っ先に狙われてもおかしくない状況となる。
そして同じ艦娘で構成された組織である以上、反撃が緩くなることは確実に察知されていると考えておかしくないだろう。
腰の巻物甲板と艦載機の護符に手をかけて、警戒させようかと考えた時だった。
釣り竿がぐんと強く引っ張られ、両手で竿を握り締める。
強く竿を引っ張り、びりびりと感じる魚の抵抗に勝利した時――つまり、魚を水面から引っ張り上げた、その瞬間。
それは起こった。
空に、一つの影が飛んでいた。
一対の翼を伸ばすシルエットの腹から、円筒が落とされる。
巨大な橋。ブイン基地とショートランド泊地を繋ぐ連絡橋。誰もいない、ど真ん中へ。
轟音が響き渡り、爆炎が広がる。ヒビが走り、瓦礫が海へ落ちていく。
衝撃が放射状に波を作った。
連絡橋が完全に崩落した――そう、大本営から犯人の艦載機の映像付きで通達されるまで、そう時間はかからなかった。