「俺この曲歌えるわ」
「歌いますか?」
「マイク、ないんだよね」
「じゃあ飛ばします」
夕焼けを背景にして、帰還の岬に一人の姿が現れる。
重巡・青葉。
連絡橋が破壊されて数日、原因究明のため連絡橋周辺の海すらも立ち入り禁止となって、帰りが遠退いてしまった。
「青葉、ただいま戻りました」
「……おかえりぃ」
桟橋で出迎えた龍驤が、吸っていた煙草を海に投げ入れようとして、しかし携帯灰皿を開く。
妖精さんたちが龍驤の後ろからわらわらと駆けつけて、青葉の艤装を外してドックへ運んでいく。
それを尻目に、並んだ二人は歩き始める。
「エライことになったな」
「ですねぇ。やっぱり旅団の犯行と考えるべきですか?」
「陸路を塞いだところで、ウチらの専らは海路や。橋を落とす理由にはならんやろ」
艦娘が巨大な艤装を抱えて持っていられるのは、艦娘自身の肉体に負荷のかからないよう調整が施されているからに他ならない。
あれほど鈍重なものを背負って、まともに陸を走れるわけもない。
主機のおかげで、海という液体の上に浮力を得ることができる。自重を動かす歩行ではない滑走だからこそ、艦娘は陸に居るときよりも圧倒的な速力を発揮することができる。
艦娘が艦娘足り得る場所は、やはり海以外にない。
旅団にとって好都合な戦況を作ろうとしたところで、ショートランドとブインを挟む連絡橋……つまりそこに拠点を設えたところで挟み撃ちにされるのがわかりきっているような場所だ。
「ですが、あれを撃破したのは艦載機だと思いますよ」
「……! 写真撮ったんか!?」
青葉が取り出したカメラを見て、龍驤は気づく。
ショートランドに居た時、青葉は新聞づくりのためにカメラを肌身離さず持ち歩いていた。
それがブイン基地からこちらへ戻る時もそうだったなら……。
「はい。ですけどそれは……」
「わかっとる。部屋で待っとるから、帰り支度済ませてな」
ブイン基地からの出向が終わり、叢雲もいない。
……目先の問題へ直面するには、青葉はまだ過去の精算を済ませていない。
そのまま庁舎に戻って、提督の執務室を通り過ぎて、龍驤は治安維持機構の部屋へ戻る。
これほどの事態が起こっても、提督は部屋から一歩も出ていない。自らの声を聞かせることもなく、そして姿すらロクに見せない。もはや以前までいた提督がどんな顔だったかすら思い出せないほどだ。
問題ごとばかり押しつけられ、龍驤はその処理に奔走させられている。
思い出すだけで不機嫌になる。大きな音を立ててドアを開き、椅子に座りこむ。この柔らかさだけか、唯一の癒やしだった。
駆逐艦にあげる用だった飴玉を口に入れて、古鷹が失踪した件以後に認可された、指紋と静脈と網膜の三重認証をつけた専用端末を開く。
メールボックスに、早速青葉から一枚の画像が送信されていた。
しかしそれを開く前に、ドアがノックされる。
ドア前のカメラ映像を確認。春雨。他に人影なし。当然ながら春雨が武器を持っているなんてこともなし。
端末からドアのオートロックを解除。すぐに春雨が顔を覗かせる。
カメラで見たより、不安気で戸惑いがちな表情だった。目すらまともに合わせない。
「なんや?」
「あの……隊長さんにお客さんなんです……」
「それはうちの知り合いか?」
「さあ……」
「どこの所属なんや?」
「さあ……」
アポイントの取り方もなし、おそらく名乗りもなし。
……あまりにも怪しい人物であることに間違いはないが、龍驤が相手にしなければいけない面倒事の一つなのだろう。
壁の向こうに引きこもっているだろう提督を睨みながら、龍驤は重い腰を上げる。
「幕僚調査部別室、の……」
「鳳翔と申します」
「いや知っとるけども」
応接間。目の前に座る姿に見覚えがないわけではない。
はんなりとしながらも芯のある大和撫子の佇まい。ある程度の年齢を重ねているからだろう、他の艦娘にはない、その場にいるだけで安心させてくれるような落ち着き。
渡された名刺の裏表を何度も見返してから、机に置く。
「……所属も、連絡先もないやん。そもそも艦娘になんで名刺が支給されとるんや?」
「まあ色々と不都合がありまして」
幕僚……つまりは戦線から離れて勲章がじゃらじゃらしている連中を相手取る組織にいる艦娘がいることが、そもそも意外だった。
雲の上の世界の都合など、興味を持てない。
「んで、用件てなんや? まさか昔話でもあらへんやろ?」
昔馴染みとなる間柄ではある互いの身の上話と、後輩である有名な一航戦の二人の世話を焼いた話なら一晩は軽く越せるだろう。
この身体で話すことはほぼ初対面であるはずだが、ゴーストが昔馴染みであることをおべている証左だ。
鳳翔はブリーフケースから一枚の円盤を取り出した。
「本題に入る前に、ご覧いただきたいものがあります……お願いできますか?」
溜息。棚から小さなノートパソコンを引っ張り出す羽目になった。
蓋面の静脈認証でようやく端末を開き、電源ボタンと一体化した指紋認証で電源が入り、顔認証でログインができる。
……ほぼ全ての電子端末には、この三重認証が必要不可欠となった。
端末に円盤を差し込み、幾重ものセキュリティソフトが中身をチェックする。
……正直、それほど厳重に情報を管理しなければいけない理由が、龍驤にはわからなかった。
ようやく、円盤に入っていた動画ファイルを再生する。
流れ出した演歌のメロディと浮かび上がった無駄に色鮮やかな文字。
『加賀岬』
……後輩の活躍を喜ぶ会ならば、もう少し気分も晴れただろう。早速酒を口にしたくなる。
「本当にこのテープでええんか?」
「いいんです。これで」
映像はあくまでイメージなのだろう。一本の巨大な橋が写っているが、加賀が映る時は夕焼けとは全く関係のないステージだった。
「この曲ウチ歌えるわ」
「まあ冒頭部はどうでもいいんですけど、歌いますか?」
「マイク、ないんよね」
「じゃあ飛ばしますね」
鳳翔がすかさず映像を早送りした。
「この辺ですね」
「『私とあなた 射掛ければ そう』?」
「いや、その後『朧月夜が綺麗ね』ここです」
「ん? どこや?」
鳳翔が止めた映像に浮かぶ黄昏の橙。何の変哲もない夕焼け空。巨大な連絡橋がまだ健在だった頃の、ただの夕方。
「ほら、右上です。この雲の切れ目のところ」
「ん? ん-? ん?」
気がつけば、龍驤と鳳翔は頬をくっつけながら画面に鼻をこすりつけるぐらいまで前に乗り出していた。
「ここですよここ! この黒い鳥みたいな影!」
気分が高揚したのか、鳳翔が興奮混じりに画面を指差す。
そこに言えた小さな黒い影、ともすれば画面に蚤でもくっついているのではないかと言えうほどの小さな点。
ようやく龍驤も悟って、部屋がしんと静まり返る。
空調の効いた部屋で、身が凍りつくような寒さを感じた。
「……龍驤さん、もうお分かりですね」
「このすぐ後に、連絡橋が吹っ飛んだ、っちゅーことか」
「ええ、そしてもう一枚画像がありまして……これです。これが大本営が発表した犯人の艦載機です」
「まあ待ち。ウチらもその手の証拠はあんねん。写真やけどな」
龍驤がマウスを走らせながら、執務室の端末に入っている写真データをダウンロードする。
「うちの青葉が撮影したんや」
「なるほど。これなら改竄の余地がないですね」
大本営が発表したという、嫌というほど何度も見せられた艦載機が画面の左上に、加賀岬のウィンドウが右上に、そして青葉の写真を右下に配置する。そしてそれぞれの映像に映る黒い鳥を拡大し、調整ソフトでモザイクがかった粗を取り除く。
「……デジタル技術の脅威ですね。わかりますか?」
鳳翔の言葉に、龍驤がそれぞれのシルエットを見比べる。
「明らかに形が違うやん」
「そうです。大本営から発表された映像が烈風。そしてこの加賀岬と、青葉さんが撮った方が震電改。そしてここからが本題ですが、震電改は、横須賀にごく少数しか配備されていません」
「ちょっと待ってや」
その事情がどこまで入り組んでおり、そして雲の上の世界の話に巻き込まれようとしていることに気づく。
だが聞いた情報に偽りがないのは確実だろう。そしてこの問題は、ショートランド泊地とブイン基地――ひいては治安維持機構が抱えるべき問題であることを再確認する。
……わざわざ自分たちが首を突っ込まなければいけない必要性がないなら、それに越したことはない。
だが鳳翔は何かを自分に期待している。
「その前に、どうしてウチにそんな話を?」
「無論真相究明に協力して頂きたいからです。
それに最悪の事態に備えて、現場レベルでのパイプを確保しておきたい。
もちろんそのために、私の入手した情報は全て提供します」
「……最悪の事態って、どういうことや?」
恐る恐る、唾を飲みながら訪ねる。
肝試しの最中に足を前へ踏み出すような、目の前にあるかもしれない落とし穴に警戒する恐怖。
冷や汗が額から頬を伝っていた。
鳳翔が立ち上がる。
「ショートランドは良いところですね。どうです、ドライブでもしませんか? この島をグルっと」
車と呼ばれるものは、確かに泊地にはある。
艦娘が私用で使うことが許可されていない、提督専用の乗用車。厳しい高級車もしかし、乗る者がいなければ錆の塊と化す。
「いいんですか、これを使っても?」
「かまわんかまわん。どうせウチんとこの提督も使わんものや」
どれほど使われていないのだろうか、埃っぽい車内で、龍驤は鼻を啜った。
砂がタイヤの溝に巻き上げられてボディを叩く。平らにならすことすらしていないのだから、車体が右に左に大きく傾いて揺れる。
元々が舗装道路を走るための車だ。進みは決して速くないが、それでも充分に徒歩よりは速い。
袖をまくっている鳳翔が、慣れた手つきでハンドルを回す。
「走る車の中にいると落ち着く性分でして。考えがよくまとまるんですよ」
「こんなギッコンバッタン揺れてる中でよく言うわ。まあ、移動する車内なら話が外に漏れる心配もないな。そろそろ仕事の話、しよか?」
「連絡橋が爆破される数日前に、横須賀で夜間発着訓練中に失踪した艦載機がありましてね」
「それがさっきのビデオの機体だと?」
「横須賀がそれを認めて報告してきたんですよ。もちろん非公式なものですが。私にも独自のルートがありまして。仮にも味方内です。事実を隠して防衛態勢をイタズラに混乱させるのは、彼らに取っても得策ではないですから」
「だったら、なんで横須賀がうちの連絡橋なんかを」
「無論向こうに攻撃の意志があるわけじゃありません。今回の事件に関して言えば、横須賀も、そしておそらくは爆破した艦載機の妖精さんも、被害者に過ぎない」
助手席で、左側に見える森の暗闇を見つめながら、龍驤は頬杖を着く。
……結論から告げられた、やや飛躍した論理に聞こえた。
「説明、してくれるんやろ?」
「私も数ヶ月前からあるグループの内偵を進めていまして、本国にいる、国防族と呼ばれる政治家や幕僚OB、それに妖精さんの技術に食い物にされてしまった旧来の軍需産業。そして諸外国軍隊の一部勢力。まあそういった人たちの寄り合い所帯ですね。
未だに続いている深海棲艦の戦いの中で、必要以上の軍備増強もなく、壊滅したトラック泊地を取り戻そうという作戦も立案されていない。
いつまでもこちらが優勢になるような戦況を作ることがない大本営に対して、彼らは根強い危機感を持っていた。
向こうからすれば、戦争を続けている状況なのに平和でいるかのような私たち艦娘と、イタチごっこのような戦いしか構築しないそれぞれの司令官たちの意識を一挙に覆すべく、彼らは軍事的茶番劇を思いついた。
低空でそれぞれの基地の玄関先へ進行し、その真っ白なドアにロックオンのサインを刻んで帰ってくる。
……そして作戦は成功したわけです。ただ一つ、本当に艦載機から爆弾が落とされたことを除けば」
「ウチのとこだけってことは事故やと?」
「かもしれませんが、それが証明されない限り何者かの意志が介在したと考えるほうが自然です。現に、その場を離脱した震電改は、今に至るまで帰還していない」
龍驤は嘆息した。
それぞれの泊地でそんなバカげたことが起こっていることも、起こしている連中が何を考えているのかさっぱり理解できないこともそうだが、それ以上に胸に引っかかるのは、ショートランド泊地だけ特別に、何者かに狙われていると考えるべきだと鳳翔が言っていることだ。
大本営からの公示なら旅団のせいとなっている。もし本当に鳳翔の言うとおりで危ない連中の茶番劇だとするなら、旅団は嫌疑を擦りつけるにはちょうど打ってつけの相手だっただろう。
だがそうされた旅団がどう対応してくるのか? そして、旅団という組織が何を狙っているのかもわからない。
「そんで、大本営はとりあえずの敵な旅団のせいにしておいた、と」
「あの公示は緊急に発表された、私達と人々を安心させるための応急処置でしかありません。
結局、旅団の可能性に関しても、状況から推測しているだけで、確たる証拠は一切ありません。今更事故だったと公表しても、収集のつかないスキャンダルに発展することは避けられません。
例によって、取り敢えず真相の究明に全力を挙げつつ、事態の進展を見守ろうと、そんなところです。
ですが、それこそ敵の思う壺でしょう。私達や提督を無視したこんなやり方が続けば……」
「藪を突いて蛇を出しかねない、っちゅーことやな」
「そうなる前に、なんとしても本当の敵を抑えたい。協力していただけませんか?」
龍驤は両手を頭の後ろで組んで、座席にもたれかかる。
話を聞く中で、明白ではないことが浮かぶ。
「なあ鳳翔。面白い話やったけど、それこそ状況証拠と推測だけで、確たるものは何もなしや。さっきのビデオにしたって、ビデオに証拠能力のないことは、あんた自身が証明してみせたわけだし。
やっぱこの話、乗れんよ」
鳳翔の話を、全て鵜呑みにすれば非常に良くできた話だろう。だが敵の存在も不明瞭だ。
下手を打てば大本営を敵に回し、ショートランド泊地そのものを旅団と同じような扱いとされてもおかしくない。
そしてキッカケを作りたかったのだろう映像にしても、青葉が撮った写真があったからこそ良かったものの、反対に、加賀岬の映像へ震電改の映像を同じように合成することも可能だったはずだと言い切れない。
……つまり、まだ龍驤は鳳翔を信用していない。
昔馴染みだからこそ手練であることも熟知しているが、本来艦娘は戦うという仕事を努めている。
それこそ内偵であるなら、ショートランドへの内偵目的で来たと考えてもおかしくはない。
「やっぱり私の人選は間違っていませんでした。ですが、私が持ってきた二つの映像が二つとも虚構だったとして、吹き飛んだ連絡橋だけは紛れもない現実です。違いませんか?」
龍驤は口を噤む他になかった。
鳳翔の協力をなしにしたとしても、龍驤たち治安維持機構がこの連絡橋爆破の一件へ着手することに代わりはないのだ。
ならば、龍驤が知らないバックボーンに精通している鳳翔が居た方が捜査は進む上、向こうを信用した上でなら、向こうの役得にもなるだろう。
……有無を言わさず、龍驤は協力しなければいけなくなった。
鳳翔が握るハンドルから手を離して、ダッシュボードのグローブボックスを指差す。
龍驤の目の前。突っ込まれたファイルを開いた。
艦娘の顔写真が連なっている。潮、響、伊勢、高雄、隼鷹、妙高、北上……それ以外にもあるだろうが、夜の車内でまともに見ることは叶わない。
「旅団の構成員と思われる人たちです」
「……なんや、結局あんたの言う敵は旅団かいな?」
目を細くする。現実に彼らと会話すらまともにしたことがない龍驤からすれば、その情報というのは垂涎モノ。棚から牡丹餅だ。
……だがあまりにも、情報が来るタイミングが理想的すぎる。
鳳翔ならばその理想的なタイミングを見計らって訪れるという計算もやりかねないと思いながらも、話を聞く。
「大本営の公表と私の話を聞いても、なお疑えるぐらいに用心深い人に頼みたい仕事ですから。
ちなみに幕僚たちと旅団の構成員が接触したという写真もそこにあります。それに、今のそちらの組織、治安維持機構の超法規的活動、いや、活躍と言った方がいいのでしょうね。噂は常々」
「大変な誤解やなぁ。おたくとおんなじ、ただの艦娘やろ」
唐突に、車内で受電音が鳴り響く。
……治安維持機構が通信をするなら、今の龍驤が着けているようなバイザーが必要だろうが、本来いる基地から離れた場所で通信を図るには、やはりヒトと同じく携帯電話に頼るしかないのだろう。
「ちょっと失礼します」
鳳翔がグローブボックスから取り出したインカムを耳に引っ掛ける。
「私です……何ですって!?」
鳳翔がアクセルを極限に踏みこんで、土砂を巻き上げながら急加速する。
「おい! 仮にも治安組織の人間が乗っているんやで!?」
夜間の外出は禁止されていない。となれば他人を引いてしまう可能性も捨てきれない。
だが鳳翔が告げた言葉で、龍驤の焦りは吹き飛び、別の緊張が迸る。
「向こうの動きの方が速かったようですね。爆装した艦載機が三機、南下中だそうです。三十分後に、ここへ到達します」
今いる場所は、ちょうど島の半分を通り過ぎたところ……泊地から一番遠い場所だ。
龍驤では間に合わない。