「泊地の管制システムは、本来なら閉鎖的でなければいけませんし、実際そういう前提で作られているものですが、現状、他の泊地からのアクセスが可能となっています。
やはり泊地基地間での協力関係ということでしょうか。基地間ネットワークと別個であるはずのものが、直結しているんですよ……聞いていますか?」
鳳翔が傍らに立っていながらも、龍驤はつまらなさそうに釣り糸をじっと見つめていた。
「おお。つまりその代償が、こないだのスクランブル騒動だったわけや。まんまと踊らされたわ。ほんと」
「アクセス経路を遡りました。ラバウル基地の工廠からダイブして、ショートランド泊地の機密ネットワークへ潜り込む。そのメインシステムを通して、幻の爆撃を演出してみせた。そういう仕掛けです」
龍驤が糸の揺れに気づいて竿を引っ張るも、餌のなくなった釣り針だけが器用に残されているのみだった。
溜息と共に下唇をぬっと出し、餌をつけて放る。
「原理的にはわかるんやけど、実際問題として、そんなことできるもんなん?」
鳳翔がボートの縁に腰掛けた。
プレジャーボート……ショートランド泊地の備品であり、以前は古鷹も使っていたもの。
甲板から龍驤は釣り竿を伸ばして、鳳翔が同乗している。
……戻ったばかりの青葉にほとんどの仕事を押しつけて、満喫しきれない休暇の暇潰しに忙しいところで、鳳翔がまた来たのだ。
「ショートランドのセキュリティを強化したとしても、そのソフトが何時のものかによります。
そして直接ダイブできるような艤体を持っている艦娘なら、下手なシステムより最新の電子装備を着けていますからね」
「予算の使い所を間違えているようにしか思えんなぁ」
「まあ、泊地としても、ここの提督としても、セキュリティを強化したばかりなのにハッキングされたと公にはしにくいでしょう。
……これで、泥を被るのは現場――つまりあなたたちです」
「せやな。君は違うんか?」
「私は、艤装をあまりつけないような職務ですからね。
ですがそんなことよりも、この真相がまた解明されないまま次の状況へ移ってしまうとしたら」
「……事実、連絡橋からの今回もそうなったわけや。次もありえる話や」
結局また餌だけがなくなった竿を脇に置く。
釣れないと悟って諦め、ボートの操舵室に入った。
「そういえば、旅団については、どれほど?」
鳳翔の問いかけ。
それは、こちらがどれぐらいの情報を握っているのか伺っている。
本来なら違う所属の違う仕事をこなしているのだ。確かに得ている情報の種類も変わるのだろう。
エンジンを入れながら、龍驤は一つ一つを思い出していく。
「大雑把にだけやけどな。
……深海棲艦と艦娘が対話可能だとわかってすぐに出てきたんや。おまけにウチの課員にもお誘いが来とった」
「確か『艦娘と、人類と、深海棲艦が、共に歩んでいける世界へ船出を』ですね?」
「なんや、知っとるやん」
「それを調べるのも仕事の一つでしたからね。あの声明のせいで仕事が増えました」
「『人々よ、ようこそ、私達の海へ』……まあ、確かに今の人類は艦娘なしじゃ海へ出られへんのやし、その通りっちゃその通りやけどなぁ」
舵を切り、龍驤は波間をかき分けて進む船の揺れに体勢を崩しかける。
それを鳳翔が支えて、二人並んで、窓の外に広がる夕焼け空を見つめた。
……空の向こうにある、どこか遠くを。
「艦娘から人類への宣戦布告……そう受け取りますか?」
操舵室に入ってきた鳳翔が、龍驤の独り言を拾う。
「そう考えるのが妥当やろ。そうじゃなきゃ声明なんて出す必要すらないんやから」
「勝てる見込みのある宣戦だと思いますか?」
「んなわけないやろ。ヒトの兵器は深海棲艦にゃ効かんけど、ウチらにはしっかり効くんやし」
「その情報は公然となっているわけではないですがね……。
ですが将校とのやり取りを行うような艦娘たちですから知っていてもおかしくないでしょう」
「なら、その状況で、鎮守府という充分なバックアップもなしに戦おうとしたらどうなるかも予想はつくやろうな」
「私もそう思います」
「それでもやろうとするんか。なんでやろうな?」
「さあ……それを知っていればと思ったんですが」
「お生憎様」
龍驤が煙草を咥えて煙をふかす。
白い煙の向こうに、ショートランド島が見える。
泊地と旧市街を除けば、森しかない島。艦娘だけが生きて、戦いのために――死ぬために暮らしている島。
深海棲艦との終わりのない戦いがどれほど続いているのか、龍驤にもわからない。
ずっと前からのような気もするし、つい最近のような気もする。
艦娘として生まれる前の記憶はゴーストしかない。
それからずっと、龍驤は同じ姿で日々を過ごしている。
戦い続ける日々。泊地の管理をして、煙草を吸って、駆逐艦に飴をあげて、思い出したように海へ出る――ずっと変わらない日々を。
古鷹がいなくなり、叢雲もいなくなった。他にも様々な艦娘が訪れては去り、それでも龍驤が生きてきた日々に、過ごしてきた時間に、大きな変化はなかった。
……つい先日起こった、泊地への襲撃。
最初は入渠ドック。そして連絡橋。幻の友永隊。
今までにないことばかりが立て続けに起こっている。
……旅団。
その発端となる組織の実体など、掴めているはずもない。
黄昏の空を見上げて、紫煙を燻らせる。
ずっとそうしてきたように。変わってこなかった日々を、憂うように。
ふと鳳翔が口を開いた。
「龍驤さん。艦娘として、私達が守ろうとしているものって何なんでしょうね」
振り返る。
きっと自分もこんな顔をしていたのだろうと思いながら、灰をバケツに落とす。
憂いと黄昏。戦い続けてきた者だけが持つ老練さを携えながら、その力の所在と目的と責任に苛まれる、悲愴と憐憫。
見ていられなくて、二本目に火を灯した。
「私達のゴーストが覚えている戦争からどれほど経ったのかわかりません。
私たちは戦ってばかりですけど、ヒトのように、私たちの同類と殺し合うような戦争は経験しないまま生きてきました」
深海棲艦。つい最近までは単純な兵器以上の戦闘能力を持つ、ただの害獣でしかなかった。
少なくとも、定義上ではそうだった。
意識と呼べるものはほぼなく、人間と同様のコミュニケーションを図ることは不可能。だから人類は、何の躊躇もなく撃退するための能力を行使する判断ができた。
それが艦娘だ。
「平和……私たちが守るべき平和……」
戯言のような響きの言葉だ。
艦娘には人権が付与された。人間をモデルにし、人間と同等に会話することが可能だったから。ヒトと艦娘は対等だった。対等であるように扱われた。
……それは、艦娘が生まれた最初の時代だけだった。
艦娘はヒトではなく、同様にヒトは艦娘ではない。
人権という目に見えない権利だけ与えられても、違いを覆すことはできない。
艦娘は命を危険を晒して、ヒトにとっての害獣を駆除する。
ヒトはそれを享受して平和を過ごす。
「ですがこの世界の、この島にある平和って何なんでしょうね?」
すっかり短くなった二本目を捨てる。鳳翔と同じどこか遠くを見るつもりだったが、見えたのは連絡橋だ。
分断され、骨組みを露出させた連絡橋。ヒトが行っているだろう修復作業が、夜を間近に中断されている。
自分や他人の身体以外で、初めて残された戦いの傷跡。
海で戦って、負傷してもすぐに治って、いなくなったものは海の藻屑となる環境を過ごせば、そんなものが残ること自体が異常のように思える。
「私たちのゴーストが、帝国が行った、総力戦と、敗北……」
聞いて、ようやく龍驤は気づく。
自分のゴーストが、そこに居たヒトたちが最期まで自分を信じこませてきたもの。
「そっかぁ……」
帝国の勝利。
結局、幻でしかなかったのだと、歴史にすらならなかったのだと、始めて気づいた。
「負けたんか……ウチらの国は……」
「ええ。負けました。そして向こうの国の占領政策に飲まれました」
どこの感情が呼び起こしたともわからない涙を拭って、また煙草を咥える。
黒鉄と共に、犠牲による勝利を信じて勇みながら沈んだ男たちを思い出すと、馬鹿馬鹿しさと哀憐で申し訳なくなってくる。
「私はあなたより長生きしました。ゴーストの原型も、この世界のどこにもありませんけど、私は調べましたよ。帝国のその後も。平和も実態も」
「……そうなんか」
「核抑止の冷戦と代理戦争がありました。その後も世界中で繰り返された内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。そこで西暦は終わります。
そして私たちが続けている、人類が全くいない闘争。
それが私たちの平和の中身です。
戦争への恐怖に基づいた、形振り構わない平和。正当な代価を、私たちの戦争で支払って、そのことから目を逸し続ける不正義の平和」
全くもってその通りだった。
艦娘だけが戦い、人類は戦わない。
戦いに負けて、悲惨なことだと勉強したのだろう。
ならばヒトが戦いたくないのは当たり前だ。
だが、戦うために生まれたのだから当然だが、ならば感情も記憶も意識も、ゴーストもない、ただの兵器であったほうがマシだ。
人権がなぜ認められているのかすらわからない。生半可な思いやりで塗り固めても、実情が変わるわけではない。
「そんなきな臭い平和でも、それを守るのがウチらの仕事や。不正義の平和だろうと、正義の戦争よりは、よっぽどマシや」
「あなたが正義の戦争を嫌ってしまうのもわかりますよ。かつてそれを口にした人に、まともな人はいませんでしたし、その口車に乗って酷い目に遭った人間のリストで、歴史の図書館はいっぱいですから。
……でも、あなたなら既に気づいてますよね?」
鳳翔と目が合う。何かを確信している表情。
何のことを指しているのかわからず、とぼける。
「何をや?」
「正義の戦争と、不正義の平和の差は、そこまで明瞭じゃないことです。ちょうどその境界線上に、私たちがいるんですから」
正義の戦争はかつての話だけではない。不正義の平和を龍驤たちが維持している。
そのために龍驤たちが行っている戦争は、誰の正義のためなのか?
「平和という言葉が、嘘つきたちの正義になってから、私たちは私たちは私たちの平和を信じることができないんです。
戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生みます。
単に戦争でないと言うだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる――そう思いませんか?」
龍驤たちの戦争は、人類がやらない戦争を代行しているだけに過ぎない。
つまり龍驤たちが代行しなければ……あるいはそれすらできない状況に立たされれば……。
海面の浸食を食い止めるべく急き立てられた塀が、為す術なく津波に粉砕されるように、戦争という状況は、龍驤が見たこともない平和を脅かすだろう。
鳳翔の視線にあるのは、ボートが向かう先――ブイン島だった。
ブイン基地で艦娘が暮らしておきながら、しかしそこには人類もいる。
居住区に区分けがされているらしい。
「その成果だけはしっかりと受け取っておきながら、モニターの向こうに戦争を押し込めて、あの場所が戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる……いや、忘れたふりをし続ける。
そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下される、と」
「罰?」
突拍子もない単語に、龍驤は我に返った。
「誰が下すんや。神様か?」
「あそこでは誰もが神様みたいなものですよ。居ながらにしてその目で見、その手で触れることのできないあらゆる現実を知る。
何一つしない神様です。
神がやらねば人がやる。人がやらねば……」
鳳翔がそこで溜息をついて、語調を豹変させる。
「いずれわかりますよ。私たちが旅団に追いつけなければ」
それだけを残して、鳳翔は操舵室から出ていく。
もうじきブイン島へ着くからだろう。
速度を落として、吸わないまま短くなってしまった煙草を、また捨てる。
次の会話が出てきたのは、鳳翔が寝泊まりしているブイン島へついた時……。
降りていく背中を見つめながら、ふと漏らした言葉だった。
「なぁ……ウチの泊地を狙ったり、妙な爆撃未満の何かを演出したり……旅団の最終的な目標ってなんなんやろなぁ?
奴さんたちだけで、戦争を始めようってんか?」
「戦争ですか?」
虚を疲れたように驚いてみせた鳳翔だが、次の瞬間にはどこか遠くを向いた。
「そんなものはとっくに始まっていますよ。問題なのは、どうやって終わらせるか、それだけです」
そう言い放つ鳳翔の表情がなぜ笑顔なのか、ずっと引っかかる。
だが彼女が何を考えているのか……昔のよしみであっても、辿ってきた境遇や経緯があまりにも違いすぎてわからない。
問い詰めることもできず、龍驤はボートを走らせるのみだった。