「あ、しのぶさん。気変わった。今、気変わった」
開発任務が基本的に少なく、普段は静かなはずの工廠が、いつになく騒音を散らしていた。
一体何に忙しくしているのか疑問に思いつつ、龍驤は執務室へ入る。
提督のではない。あの部屋は常時鍵がかけられている。
治安維持機構の――本来なら秘書艦が使うはずの執務室だ。
腕を組んでこちらを睨みつける青葉。目の下はくまで黒ずんでいる。不機嫌さと不健康さが露骨に現れている。
「いやぁ、悪かったわ。ごめんごめん」
両手を合わせて頭を下げると、青葉はぷいとそっぽを向きながら立ち上がり、龍驤が代わりに座る。
備え付けの端末を指紋認証と網膜認証で開いた。
申し訳なさそうに笑顔を作りながら、傍らで腕を組んだままの青葉を見上げる。
「でもたった一日もなかったやろ? そこまで重大な仕事が降ってこない限り……」
「あったんですよ。これが」
龍驤の表情から、申し訳無さの滲まない謝罪の表情が消える。
カミソリのような鋭い視線で、青葉が知るものを尋ねる。
「ほんとか?」
「はい。提督から命令が下されました。本当なら龍驤さんが見ているはずのものですけど」
「あー……」
生憎と鳳翔はショートランド泊地からすれば部外者だ。だからこそプレジャーボートに乗り込む時に、頭にだけ残したバイザー型の艤装の通信を切っていた。
起動しながらも、端末を操作して呼び出す。
――提督からの命令は、文書でしか共有されない。
『明朝七時より、治安維持機構は総力を上げ、艦娘庁舎の警備を行え』
……思わず漏れたのは舌打ちだった。
「今夕張さんに協力を煽って、私たちが着ける対艦娘用の武器を作ってもらっているところです。ガサはリボルバーでいいと言ってますけど」
「……つまり、やるつもりってわけやな?」
「当然です。曲がりなりにも司令官の命令ですし、その理由だってわかりきっているじゃないですか」
連絡橋の爆破。そしてハッキングにより爆撃される寸前まで踊らされた……それら全てを旅団のせいだと考えるのが妥当であり、旅団が艦娘で構成されているならば、提督は艦娘が信用できないとなってもおかしくないだろう。
ましてや普段から部屋に引きこもって顔も声も、この期に及んで見せるつもりがない。どの艦娘が信用できるのか、あるいは信用できないのかすら判別をつけることができないだろう。
唯一、治安維持機構という組織を除いては。
「んなアホな話があるかいな」
悪態をつきながら、引き出しの飴玉を口へ放る。
「ウチらが味方を見張るんやで? 嫌やないか。駆逐のみんなが近寄ってこないんじゃ飴ちゃんも配れん」
「こんな情勢なんですから、今ぐらいは……」
「まあ、落ち着いて考えてみ? 今ウチらが何をするべきなのか。
それぞれの持場で何かしなくちゃ。何かしよう。その結果が状況をここまで悪化させた。そう思わんか?」
「でも万一の事態に対応できるようにやれるだけのことはやっておく必要が……」
「万一の事態ってなんや?」
青葉が言葉に澱み、俯く。
……泊地を舞台にした戦争が始まるかもしれない。艦娘と艦娘が、深海棲艦の嫌疑の有無ではない別の理由で戦うような事態が起こってしまう。
「誰もがまさかと思い、同時にもしやと疑いを否定できない。
あの連絡橋以来や。こないだの友永隊が良い例や。ウチもまんまと撃墜命令まで出したんやから。
だからって、この情勢下にウチら艦娘がその矛先を味方に向けたら……」
飴玉がなくなって、今度は煙草を咥える。
泊地の艦娘だって、これを不安に思っている者も少なくない。治安維持機構が行動しているとはいえ、友永隊の騒動で自らの顔に泥を塗ってしまい、信用されていないだろう。
今その龍驤が泊地に警備を走らせようとすれば……仲が悪くなるという程度では済まなくなる。それこそ旅団という疑惑のなすりつけ合いから暴動が起こってもおかしくはない。
「旅団の連中、かなり有能な戦略家が居るな。たった一発の爆弾でこれだけの状況を作り出して、しかも事態はなお進行中」
青葉もそれをわかったのだろう。龍驤が吐く白い息だけを見て目を離さない。さっきまでの不機嫌とは別の理由で腕を組んだ。
「……この件はウチから却下しとくわ。ウチら維持機構は絶対に動かん、てな。夕張にも伝えといてな。そんなもん量産されたら、誰かさんが利用して正真正銘の殺し合いが始まるで」
龍驤が煙草の灰を落とす。
飴玉の甘ったるさと煙草の煙たさが口の中でまぜこぜになり、少し気持ち悪くなって火を消す。
ぐりぐりと入念に、しわくちゃになっても、完全に消えるまで煙草を潰した。
行われるはずだった警備任務を放棄して、堂々とそれぞれの寮に通じるロビーの前に陣取って、龍驤は釣り糸を海へ垂らす。
旅団の襲撃は、次にいつ行われるかわからない。
だが、そのための備えをする必要もない。まだ旅団の行動目的が読めない現状で、いたずらに行動することの方が致命的だ。
あれほど計算された襲撃を仕掛けてくる以上、下手に常套手段へ出ればそれこそ旅団の思うツボとなりかねない。
迂闊な行動が逆手に出てくると考えれば、そうではない別の選択肢を取ればいいだけだろうか、旅団の目的が読めない以上、その裏をかくべき別の選択肢が出てくるはずもない。
――戦争などとっくに始まっている。
鳳翔の残した言葉が、頭に貼りついて離れない。
艦娘はずっと戦ってきた。深海棲艦と。
人類とではないし、ましてや同じ艦娘とですらない。
だが戦ってきたのだ。
ならば今行われていてる戦争とは、相手が同じ艦娘にすり替わっただけで、一体何が変わったというのか?
向こうが知略を張り巡らせているだけに過ぎない。ならばこちらは向こうの掌に踊らされないよう動かないのが得策にになる。
「戦争って、何なんやろなぁ」
かつては龍驤も黒鉄の身体を持って、戦争へ突入した。あれこそが戦争だと、ゴーストが、乗り込む男たちが、飛び立つ翼たちが、燃え盛り溺れていく魂たちが物語っている。
ならば龍驤が過ごしている現在とは……ゴーストという曖昧極まりない記憶以上に鮮明なこの現実で行われている戦争とは、一体何なのか?
その線引など、ほとんどが海上の記憶しかないゴーストに尋ねたところで帰ってくるわけではない。
ましてや釣りに勤しんでいる現状が戦争であるなど、思いたくもなかった。
……だが不意に、携帯端末が音を鳴らす。
頭のバイザーでは泊地側に――提督にやり取りを見透かされる懸念がある。
鳳翔との連絡を行う際は、それが一番であった。
「ほい龍驤」
「私です。申請記録で見る限りでは、警備任務を放棄したそうですね。宮仕えは辛いですよね」
「お互い様やな。子分の勇み足に引っ込みがつかなくなって、頭に血が上ったんやろなぁ。馬鹿な親分の下にいると苦労するわぁ」
その勇み足はまさしく龍驤のものだった。
だが提督には、龍驤が鳳翔から共有された情報が、かけらも回っていないことを証明している。
……提督は未だに泊地がハッキングされたことを知らない。本当にどこからともなく友永隊が現れて、幽霊のように消えたと信じているのだろう。
それこそ泊地の命運を背負っているのは龍驤ただ一人になってしまった。
その龍驤も、鳳翔の情報提供を元に判断している。だが鳳翔が泊地の人間ではない以上、鳳翔が流す情報にどこまで嘘があるかを判断しなければいけなくなったことも意味する。
釣り竿を引っ張り上げて、煙草をポケットから取り出した。
「こちらも同じですよ。悪い軍隊なんてものはない。あるのは悪い指揮官だけ、です。旅団の襲撃を見逃してしまった責任を取るということで、本国の幕僚長が辞任しました」
耳に飛びこんできた情報は、ライターを取り出せるほど悠長にしていられるものではなかった。
「ホントか!?」
「三十分ほど前です。時期に報道されるはずですよ。これで天下晴れて連絡橋の一件をバラすつもりですが、遅すぎました。
ここまでこじれたんですから。横須賀が手の平を返せばそれまでです。真相を公表するタイミングを逸しただけではなく、事態を収集するチャンネルも消えました。
また一つ、箍が外れたってことです。
……聞いてますか?」
口をあんぐり開け、いつの間にか落としていた煙草を拾って土埃を吹く。
眉間が筋肉痛になってしまいそうなほどに、龍驤は険しい顔で煙草に火を点けた。
「ああ、聞きたくなくなってきたけどな」
「聞いてもらいますよ。ここからが本題なんですから。
……そちらのラバウル、ブイン、ショートランドの提督たちは、自分たちのことを店に上げて、ここまで事態を悪化させたあなたたち治安維持機構を逆恨みしています。頼るに値せず、と。そしてシナリオは変えずに主役を交代することにしたそうですよ」
吸っていた煙草を思わず握り潰す。中の葉がバラバラと散らばる。
気にする余裕もなく、龍驤は尋ねる。
「んじゃ、まさか……」
「そのまさかですよ。舞台はミスキャストでいっぱい。誰もその役を望んでいないんですけどね」
一際大きな風が吹いた。
龍驤が吸っていた煙草が吹き飛ばされて、海の向こうに飛んでいく。
まるで龍驤の意識まで連れて行かれるんじゃないかと思えるほどに。
龍驤たち治安維持機構が舞台から降ろされる。そして代わりの組織を持ち出す。
旅団に対抗するための組織が、同じ艦娘であるはずがない。
そうではなく、艦娘を見張れるだけの力を持つ勢力……。
相手が深海棲艦でなければ、それは明白だ。
失意に肩を落とし、脱力で携帯端末を滑り落としてしまう。
……書類上はまだだろうが、事実上、龍驤は治安維持機構の隊長をクビにされることが明白となった。
提督が掴んでいる情報が、真実ではないと知っていながら、しかし是正する余地もないままに。
「旅団は本当に、私たちのゴーストの世界に行っていたものと同じルールで、今度は私たちがどんな戦争をするのか……それを見たがっているのかもしれませんね」
遠くで、カモメたちが飛び立つ羽音が聞こえてきた。
夜が来て、その後に鳳翔から知らされていた通りの来訪者が現れた。
その直前に、提督が泊地中のディスプレイに通告を映し出す。
『泊地の治安を維持し、予測される最悪の事態に備えるため、本国より陸上・海上自衛隊内の信頼の置ける舞台に出動を要請した。
一連の旅団関連事件について十分な見当を行った結果、最早現在の治安維持機構では予測される最悪の事態に対応できないという判断に基づくものである』
……泊地に、最新の電子兵装を積んだ護衛艦が訪れる。
乗り込んでくる男たちと、兵器たち。
格好や持っている装備にこそ細かな際はあれど……ゴーストの記憶にあったものと全く同じ顔をした男や兵器たちが、泊地へ散らばっていく。
……艦娘を見張る。その任務を治安維持機構が放棄したために。
戦いに必要な道具を工廠とドックに押しこめて、なるべく戦争とは無縁でいたかったはずの艦娘たちの生活の場所が、男たちに占領されていく。
寮の真正面に戦車が居座り、出入り口に大きな銃を持った男たちが立ち並ぶ。ロビーにも、寮にも、男たちは立ち入った。
島の隅々に渡るまで、戦争という色が広がっていく。塗り替えられていく。
……それからしばらくの日にちが経過しても、男たちは離れない。
艦娘に鼻の下を伸ばす男も現れれば、それを叱責する男もいる。
過ぎていく日々で、しかし泊地の艦娘たちは、ここで戦争を繰り広げることなどする理由もない。
艦娘が戦うべき戦場は、海の向こうなのだから。
男たちは運動場で走り込む駆逐艦たちを見て、ティータイムを楽しむ金剛たちを眺めて、釣り糸を垂らす龍驤を見下ろして、いつの間にか抱きかかえていた銃を構えなくなった。
次第に、表情に力も篭もらなくなった。
お互いに名前の知れた間柄となった男と艦娘同士が視線を合わせて手を振りあっても、叱責する者もいなくなった。
適合していないにしろ、しかし艦娘も男たちも、自分を殺し殺されるような関係ではないことなど認識し始める。
誰の命令でそうなっているのか、誰がこんな状況を作っているのか、それを自覚して、仕事だからそれに従って……。
しかしその戦争という状況そのものが艦娘の日常へ移り変わっていくまで、そう時間はかからなかった。